佐々木 ところで、愛也さんは、なぜパントマイムをやり始めたのでしょうか。
小島屋 彼は、元々俳優になりたくて上京したそうです。映画が大好きで、シナリオの学校に行っていました。その頃、倉本聰脚本の「ガラスの知恵の輪」という、大竹しのぶとショーケンが出演するドラマがヒットして、その作品でショーケンがサンドイッチマン的なパントマイムをやる男を演じていました。ドラマの中で、パントマイムの大変良いシーンがあって、それを振り付けたのが僕達の先生の並木先生です。そのドラマを観て彼がパントマイムをやりたくなったかはよく分からないですが、影響がかなりあったと思います。
佐々木 改めて、愛也さんのマイムの魅力はどんなところでしょうか。
小島屋 まずは、超絶技巧というか。体の動かし方のセンスが類を見ません。単に固定点やアニメーションダンスみたいな動きがスゴイというわけではなくて、非常に動いて、その動きにちゃんとボケが入っているという人っていないじゃないですか。
佐々木 そうですね。
小島屋 なんだろう。カッコ良いのにおかしい人。
佐々木 愛也さんに代わる人がいませんね。
小島屋 あと、僕の相方だけでなく、色々な方の相方でもありました。光洋さんとやっても合うし、亀田さんとも「どん亀座」でうまくできるし。山田とうし君と「漏電放電」というユニットを組んだり、あがりえさんとも公演やったりして。それはスゴイ。
阿部 愛也さんは、本当に色々な方と共演してますね。
佐々木 そうですね。細川さんと一緒に「ロングディスタンス」を上演していたし。
小島屋 やってたね。すごい動いていたよね。
佐々木 愛也さんの作品の中で一番好きな作品は何ですか。
小島屋 まず、「白球」です。
佐々木 「白球」っていつ頃からやり始めたのですか。
小島屋 「白球」はKANIKAMAの2回目の時です。好きな作品を3つ挙げるのなら、それと「逃亡者」(ランナウェイ)、「グッドモーニング」です。「グッドモーニング」は浮浪者を主人公にした作品で、本当に泣けます。
佐々木 「逃亡者」ってどんな作品ですか。
小島屋 銀行強盗の話。男が、銀行からお金を奪って逃げて追いかけられながら波止場に着いて、女のところに会いに行く。実は、彼が女に会おうとして客席に行くと、事前に仕込んでいた、カップルがいて「あれ?」って。
佐々木 笑
小島屋 曲に合わして演じていて、最後に警察に囲まれて、打たれて死ぬんですが、本多ワールド満載の作品です。これは本当に名作です。
佐々木 僕は、「Birth」をもう1回観たかったです。
阿部 私も。
小島屋 「Birth」は、先日、本多君をリスペクトしている韓国の人がいて、彼がどうしても公演で「Birth」を上演したくて許可を取りに来たのです。あれは、KANIKAMAの3か4の時に三鷹の劇場で上演しました。
佐々木 愛也さんは、大道芸は全然やってなかったのでしょうか。
小島屋 大道芸は、イベントなどでやることもありましたが、この数年くらいは、全然やってなかったと思います。というか、要は大道芸に特化している人がいるのに対して、大道芸と言って自分がやるのは失礼だろうというのが彼の中にあったようです。
阿部 そうですか。
小島屋 でも十分面白いです。僕がタイの大道芸フェスでプロデュースのようなことやっているのですが、ギャラの良い仕事で、彼ならば無条件で僕は呼びたかった。今まで12月は「アラカルト」で出れなかったんですが、それ以前もいくら誘っても、断られました。
阿部 愛也さんは舞台のパントマイムにこだわっていたのですね。
小島屋 そうですね。あと、自分のスタイルにも。
佐々木 愛也さんってどうやって作品を作るのですか。
小島屋 そこはよく分かりません。ただ、映画の映像描写をマイムに取り入れるところがありました。いつも頭の中で映像が動いていたのじゃないかな。「白球」もそうですが、それぞれのシーンがカット割りをしながら展開するのが好きだったね。例えば、野球の試合が映画だとすると、まずピッチャーを映して、カメラがバッターに切り替わり、キャッチャーを映してという、そのカット割りがすごいできている。あと、映像で、あるシーンから次のシーンに徐々に変わる演出をマイムに取り入れるのを意識したりとか、色々なことを考えてますね。
佐々木 とても映像的ですね。
小島屋 そこが感心するところです。マイムの発想ってこれという決まりがなくて、動きから入って、巻き戻しを入れたりとか、普段ないような特殊な状況を考えたりとか、引き出しっていっぱいあります。本多君は、映像的な要素が強いですね。
佐々木 映画もかなり観てたのでしょうか。
小島屋 よく観ていました。最初にネタ作りする時は、「最近何か面白い映画観た」という話から始まって、そこから作品のアイデアが出てくることが多かったですね。
佐々木 好きな映画は何でしょうか。
小島屋 なんでも見てて、特にこれがというのはなかった。でも、愛を込めて話すのは、格闘技の時だけですね。格闘技は誰が好きだったのかな。最近の人は全然知らないけど、昔は、桜庭とかいたじゃない。あの頃が一番好きだったのじゃないでしょうか。
佐々木 K1?
小島屋 K1ではじゃなくて、総合系が大好きだったね。空手やキックボクシングをやっていたからね。
佐々木 いつやっていたのですか。学生時代?
小島屋 いやいや、以前から毎年試合に出てて、1回試合を見に行ったことがある。
阿部 すごい。本格的にやっていたんですね。
小島屋 その頃は、彼が30いくつで、ビジネスマンクラスみたいな感じでやっていて、僕と羽鳥で試合を観に行ったら、相手は白髪交じりの50歳くらいの人。最初、本多君がやられていて、いきなり回し蹴りが入って相手がダウン。彼は勝ったことがないから、勝利の時の作法を間違えて審判に怒られて、それが大変面白かったね。それで場内を全部敵に回したんです。
阿部&佐々木 笑
小島屋 とにかく体を鍛えてたね。50歳近くまでバリバリにやってました。僕は、パントマイムだけの付き合いだけですが、彼は音楽と格闘技が大好きだったよね。
佐々木 音楽はいつ頃からやり始めたのでしょうか。
小島屋 始めたのは高校生の頃からで、僕が東マ研にいる頃から、すでにタップダンスとかブルースハープの教室に通っていると言っていたから、その当時からすでに好きだったね。
佐々木 ライブは結構やっていたのですか。
小島屋 やってました。パントマイムの公演と、ヘイヘイブラザースの公演で演奏することが多かったね。
阿部 やってましたね。私が最初に公演を観た時もブルースハープの演奏が入ってました。
小島屋 小倉さんは、マイムプラスキャバレーのイメージの舞台をやりたかったらしい。キャバレーというか、ショー、エンターテイメントというか。
佐々木 ライブは、ソロではなく、グループでやっていたのですか。
小島屋 ヘイヘイブラザースは2人でやってたし。あと、最近の公演では、半分マイムで、半分がライブという感じが多かったね。演奏だけのライブは見たことがないからまだそこまで到達していなかったのかもしれません。そのあたりは僕も分かりません。
佐々木 ダンスは誰からか教わったのでしょうか。
小島屋 ダンスは元々器用だから、見たらできたのかもしれないけど、あまり知りません。遊・機械の高泉さんの「ア・ラ・カルト」(吉澤耕一演出)は、約25年間上演してますが、あの作品の振り付けは、ずっと彼です。元々振り付けで参加して、5年くらい前から光洋さんと一緒に二人で出演するようになりました。振り付けはすごいですよ。
佐々木 本当に多才な方ですね。
阿部 愛也さんのイメージって、舞台以外では、本当静かですね。
小島屋 ツアーとかでグループで動いたりすると必ず本多君の存在を忘れてしまう。
佐々木 そうなのですか。
小島屋 「あれっ、本多君がいない」ってことがよくありました。
佐々木 愛也さんの性格は?
小島屋 言うならば、やさしくて男気のある人。実は、家ではすごいしゃべるそうです。
佐々木&阿部 そうなんですか。
小島屋 長年、本多君とつきあってますが、本多君に電話して遊ぼうと言ったことは1回もないです。稽古が終われば一緒にお酒を飲むけど、遊んだことは1回もない。多分、遊び友達とは違うんじゃないかな。
佐々木 マイム以外の私生活はどんな感じだったのでしょうか。
小島屋 よく知りませんが、夫婦仲は相当良かったらしい。仲良し夫婦ですね。
佐々木 奥様との出会いは。
小島屋 もともと遊・機械関係で知っていたと思います。吉澤さん関係で同じ舞台で共演したことがきっかけだったのは間違いないです。それ以上はちょっと分かりません。
佐々木 学生時代や幼少の頃はどんなだったのでしょうか。
小島屋 断片的に聞いたのですが、宇和島の海沿いの一家の末っ子に生まれた。お父さんが真珠を養殖して、割とお金持ちだったらしい。実家が田舎で、家を出るとほぼすぐに波がほとんどない穏やかな海がある。小さい頃は、分校に通っていて10何人しか同級生がいなかったそうです。高校は宇和島東高校に入り、なぜか体が小さいのに応援団長になった。
佐々木 なんで応援団長になったのでしょうか。
小島屋 強引にならされたのか知らないですが、ずっと団長だったそうです。
佐々木 昨年9月のKANIKAMA公演の時はどうだったのでしょうか。
小島屋 まったく元気でした。何かの前兆とかまるでナシ。その3日後ですから。
阿部 逆にみんなが驚いたというか。
佐々木 じゃあ最後に会われたのは。
小島屋 打ち上げの時。その時は、本多君はお客さんに、僕もお客さんと話しをして、「じゃあ、お疲れ」みたいな感じで別れました。もっと話をしておけば良かったって思います。終わってすぐっていうのはよく分からないけど、公演できて良かったって思います。
佐々木 昨年の公演も大変素晴らしかったですね。
小島屋 良い感じでした。新作はありませんが、そろそろ良いタイミングかなって。既にいろんな作品があるから、それをまとめてやるという形の第1回の公演になりました。
佐々木 長時間にわたってありがとうございました。
4回にわたって小島屋万助さんに本多愛也さんのご活動や人柄について語って頂きました。天才パントマイミストのその輝かしい歩みを少しでも理解するきっかけになれば幸いです。今後、他の方にもインタビューしていきたいと思います。
(終)
小島屋 彼は、元々俳優になりたくて上京したそうです。映画が大好きで、シナリオの学校に行っていました。その頃、倉本聰脚本の「ガラスの知恵の輪」という、大竹しのぶとショーケンが出演するドラマがヒットして、その作品でショーケンがサンドイッチマン的なパントマイムをやる男を演じていました。ドラマの中で、パントマイムの大変良いシーンがあって、それを振り付けたのが僕達の先生の並木先生です。そのドラマを観て彼がパントマイムをやりたくなったかはよく分からないですが、影響がかなりあったと思います。
佐々木 改めて、愛也さんのマイムの魅力はどんなところでしょうか。
小島屋 まずは、超絶技巧というか。体の動かし方のセンスが類を見ません。単に固定点やアニメーションダンスみたいな動きがスゴイというわけではなくて、非常に動いて、その動きにちゃんとボケが入っているという人っていないじゃないですか。
佐々木 そうですね。
小島屋 なんだろう。カッコ良いのにおかしい人。
佐々木 愛也さんに代わる人がいませんね。
小島屋 あと、僕の相方だけでなく、色々な方の相方でもありました。光洋さんとやっても合うし、亀田さんとも「どん亀座」でうまくできるし。山田とうし君と「漏電放電」というユニットを組んだり、あがりえさんとも公演やったりして。それはスゴイ。
阿部 愛也さんは、本当に色々な方と共演してますね。
佐々木 そうですね。細川さんと一緒に「ロングディスタンス」を上演していたし。
小島屋 やってたね。すごい動いていたよね。
佐々木 愛也さんの作品の中で一番好きな作品は何ですか。
小島屋 まず、「白球」です。
佐々木 「白球」っていつ頃からやり始めたのですか。
小島屋 「白球」はKANIKAMAの2回目の時です。好きな作品を3つ挙げるのなら、それと「逃亡者」(ランナウェイ)、「グッドモーニング」です。「グッドモーニング」は浮浪者を主人公にした作品で、本当に泣けます。
佐々木 「逃亡者」ってどんな作品ですか。
小島屋 銀行強盗の話。男が、銀行からお金を奪って逃げて追いかけられながら波止場に着いて、女のところに会いに行く。実は、彼が女に会おうとして客席に行くと、事前に仕込んでいた、カップルがいて「あれ?」って。
佐々木 笑
小島屋 曲に合わして演じていて、最後に警察に囲まれて、打たれて死ぬんですが、本多ワールド満載の作品です。これは本当に名作です。
佐々木 僕は、「Birth」をもう1回観たかったです。
阿部 私も。
小島屋 「Birth」は、先日、本多君をリスペクトしている韓国の人がいて、彼がどうしても公演で「Birth」を上演したくて許可を取りに来たのです。あれは、KANIKAMAの3か4の時に三鷹の劇場で上演しました。
佐々木 愛也さんは、大道芸は全然やってなかったのでしょうか。
小島屋 大道芸は、イベントなどでやることもありましたが、この数年くらいは、全然やってなかったと思います。というか、要は大道芸に特化している人がいるのに対して、大道芸と言って自分がやるのは失礼だろうというのが彼の中にあったようです。
阿部 そうですか。
小島屋 でも十分面白いです。僕がタイの大道芸フェスでプロデュースのようなことやっているのですが、ギャラの良い仕事で、彼ならば無条件で僕は呼びたかった。今まで12月は「アラカルト」で出れなかったんですが、それ以前もいくら誘っても、断られました。
阿部 愛也さんは舞台のパントマイムにこだわっていたのですね。
小島屋 そうですね。あと、自分のスタイルにも。
佐々木 愛也さんってどうやって作品を作るのですか。
小島屋 そこはよく分かりません。ただ、映画の映像描写をマイムに取り入れるところがありました。いつも頭の中で映像が動いていたのじゃないかな。「白球」もそうですが、それぞれのシーンがカット割りをしながら展開するのが好きだったね。例えば、野球の試合が映画だとすると、まずピッチャーを映して、カメラがバッターに切り替わり、キャッチャーを映してという、そのカット割りがすごいできている。あと、映像で、あるシーンから次のシーンに徐々に変わる演出をマイムに取り入れるのを意識したりとか、色々なことを考えてますね。
佐々木 とても映像的ですね。
小島屋 そこが感心するところです。マイムの発想ってこれという決まりがなくて、動きから入って、巻き戻しを入れたりとか、普段ないような特殊な状況を考えたりとか、引き出しっていっぱいあります。本多君は、映像的な要素が強いですね。
佐々木 映画もかなり観てたのでしょうか。
小島屋 よく観ていました。最初にネタ作りする時は、「最近何か面白い映画観た」という話から始まって、そこから作品のアイデアが出てくることが多かったですね。
佐々木 好きな映画は何でしょうか。
小島屋 なんでも見てて、特にこれがというのはなかった。でも、愛を込めて話すのは、格闘技の時だけですね。格闘技は誰が好きだったのかな。最近の人は全然知らないけど、昔は、桜庭とかいたじゃない。あの頃が一番好きだったのじゃないでしょうか。
佐々木 K1?
小島屋 K1ではじゃなくて、総合系が大好きだったね。空手やキックボクシングをやっていたからね。
佐々木 いつやっていたのですか。学生時代?
小島屋 いやいや、以前から毎年試合に出てて、1回試合を見に行ったことがある。
阿部 すごい。本格的にやっていたんですね。
小島屋 その頃は、彼が30いくつで、ビジネスマンクラスみたいな感じでやっていて、僕と羽鳥で試合を観に行ったら、相手は白髪交じりの50歳くらいの人。最初、本多君がやられていて、いきなり回し蹴りが入って相手がダウン。彼は勝ったことがないから、勝利の時の作法を間違えて審判に怒られて、それが大変面白かったね。それで場内を全部敵に回したんです。
阿部&佐々木 笑
小島屋 とにかく体を鍛えてたね。50歳近くまでバリバリにやってました。僕は、パントマイムだけの付き合いだけですが、彼は音楽と格闘技が大好きだったよね。
佐々木 音楽はいつ頃からやり始めたのでしょうか。
小島屋 始めたのは高校生の頃からで、僕が東マ研にいる頃から、すでにタップダンスとかブルースハープの教室に通っていると言っていたから、その当時からすでに好きだったね。
佐々木 ライブは結構やっていたのですか。
小島屋 やってました。パントマイムの公演と、ヘイヘイブラザースの公演で演奏することが多かったね。
阿部 やってましたね。私が最初に公演を観た時もブルースハープの演奏が入ってました。
小島屋 小倉さんは、マイムプラスキャバレーのイメージの舞台をやりたかったらしい。キャバレーというか、ショー、エンターテイメントというか。
佐々木 ライブは、ソロではなく、グループでやっていたのですか。
小島屋 ヘイヘイブラザースは2人でやってたし。あと、最近の公演では、半分マイムで、半分がライブという感じが多かったね。演奏だけのライブは見たことがないからまだそこまで到達していなかったのかもしれません。そのあたりは僕も分かりません。
佐々木 ダンスは誰からか教わったのでしょうか。
小島屋 ダンスは元々器用だから、見たらできたのかもしれないけど、あまり知りません。遊・機械の高泉さんの「ア・ラ・カルト」(吉澤耕一演出)は、約25年間上演してますが、あの作品の振り付けは、ずっと彼です。元々振り付けで参加して、5年くらい前から光洋さんと一緒に二人で出演するようになりました。振り付けはすごいですよ。
佐々木 本当に多才な方ですね。
阿部 愛也さんのイメージって、舞台以外では、本当静かですね。
小島屋 ツアーとかでグループで動いたりすると必ず本多君の存在を忘れてしまう。
佐々木 そうなのですか。
小島屋 「あれっ、本多君がいない」ってことがよくありました。
佐々木 愛也さんの性格は?
小島屋 言うならば、やさしくて男気のある人。実は、家ではすごいしゃべるそうです。
佐々木&阿部 そうなんですか。
小島屋 長年、本多君とつきあってますが、本多君に電話して遊ぼうと言ったことは1回もないです。稽古が終われば一緒にお酒を飲むけど、遊んだことは1回もない。多分、遊び友達とは違うんじゃないかな。
佐々木 マイム以外の私生活はどんな感じだったのでしょうか。
小島屋 よく知りませんが、夫婦仲は相当良かったらしい。仲良し夫婦ですね。
佐々木 奥様との出会いは。
小島屋 もともと遊・機械関係で知っていたと思います。吉澤さん関係で同じ舞台で共演したことがきっかけだったのは間違いないです。それ以上はちょっと分かりません。
佐々木 学生時代や幼少の頃はどんなだったのでしょうか。
小島屋 断片的に聞いたのですが、宇和島の海沿いの一家の末っ子に生まれた。お父さんが真珠を養殖して、割とお金持ちだったらしい。実家が田舎で、家を出るとほぼすぐに波がほとんどない穏やかな海がある。小さい頃は、分校に通っていて10何人しか同級生がいなかったそうです。高校は宇和島東高校に入り、なぜか体が小さいのに応援団長になった。
佐々木 なんで応援団長になったのでしょうか。
小島屋 強引にならされたのか知らないですが、ずっと団長だったそうです。
佐々木 昨年9月のKANIKAMA公演の時はどうだったのでしょうか。
小島屋 まったく元気でした。何かの前兆とかまるでナシ。その3日後ですから。
阿部 逆にみんなが驚いたというか。
佐々木 じゃあ最後に会われたのは。
小島屋 打ち上げの時。その時は、本多君はお客さんに、僕もお客さんと話しをして、「じゃあ、お疲れ」みたいな感じで別れました。もっと話をしておけば良かったって思います。終わってすぐっていうのはよく分からないけど、公演できて良かったって思います。
佐々木 昨年の公演も大変素晴らしかったですね。
小島屋 良い感じでした。新作はありませんが、そろそろ良いタイミングかなって。既にいろんな作品があるから、それをまとめてやるという形の第1回の公演になりました。
佐々木 長時間にわたってありがとうございました。
4回にわたって小島屋万助さんに本多愛也さんのご活動や人柄について語って頂きました。天才パントマイミストのその輝かしい歩みを少しでも理解するきっかけになれば幸いです。今後、他の方にもインタビューしていきたいと思います。
(終)