月刊パントマイムファン編集部電子支局

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アーティストリレー日記(96)北京一さん

2019-01-20 09:28:05 | アーティストリレー日記
今号は、マイムの巨匠エチエンヌ・ドゥクルーに師事し、国内活動に留まらず、海外のダンスフェスティバルやマイムフェスティバルにも出演するパントマイミスト、北京一さんの日記をお届けします。

私が30歳の時、ジョン・レノンが殺害された1980年、私はパリでコーポレルマイムの巨匠エチエンヌ・ドゥクルーの実家地下スタジオでパントマイムを勉強していた。ちょうどサンジェルマンが黄色に染まっている頃で…、ヨーロッパ風情いっぱいのなか、その土地にしか咲かない花があるんや…と感じた。マイムもこの土地から生まれた。

パリに行く前、もう既にロサンゼルスでパントマイムの公演をしながら、勿論アルバイトもしながらの生活。またイーストウエストプレイヤーズの創立者のマコ岩松氏と出会い劇団のお仕事もいただき人生怖いもの知らずのバリバリ20代やった。
実はアメリカに渡る前19歳でコミックマジックのゼンジー北京師のもとで全国の舞台・TVに出演していたのです。それが私の初舞台でもあり舞台生活の原点であった。幼い頃からパントマイムに心を奪われつつ、19歳でプロの芸の世界にも触るようになり現在に至っている。
 パントマイムを追っかけてアメリカに行く。そこでアメリカの舞台文化とヨーロッパの舞台文化の違いに気がつきだした時に…どうしてもマイムの原点を観たくなりパリ(巨匠エチエンヌ・ドゥクルー)行きを決意した。

勿論、マイムの為ならダンス、音楽、武術…なんでも手をだした。これからもマイムの為のトレーニングとして、気になる事はやっていくだろう。
また私は言葉の無い身体パフォーマー達の芝居、ダンス等の芸を観てきた。素晴らしい方もおられました。しかし、マルソーが築いたパントマイム無言劇が未だに私の心から離れない。一人の演者が舞踏(抽象)と演劇(具体)が同居する沈黙の芝居だからだ。…なぜ私はマイムの虜になったか?
言葉がないだけに、心の喋りが聴こえてくるからだ。
沈黙のなかで演者と観客との脳内対話があるからだ。
大道具、小道具が無い抽象的な舞台だけれど…それが見えてくるからだ。

巨匠エチエンヌ・ドゥクルーが毎週金曜の夜に
時の学生(私達&OB)が集まるのである。そこでは先生への質問会が行われていた。そこで言われた事で「マイムに音楽を付けても良いのでしょうか?」という質問に「君が伝えたいメッセージを、より強く強調させる為ならよいだろう。といってドアを閉める時にバタンという音を使う事ではないよ…」
それと、「正義が大事なのだ!」と何回もいっておられた。悪い奴らはだれだ!…そこから笑いも、風刺も生まれ…それがパントマイムの基本になるからである。「正義からパントマイムが生まれる」
チャップリンもマルソーも…そこからはブレていない。

今、やっと私はマイムの世界の入り口に立ったような気がする。
そして、全世界でマイムをこよなく愛する人達を…心より愛せるようになった。

北京一
https://www.facebook.com/kita.kyoichi
https://www.facebook.com/kkppofficial/
コメント
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