佐々木 KANIKAMA結成について、改めてお聞きしたいのですが。
小島屋 愛也君の資料によると、第1回公演は、2004年に明石スタジオで上演しました。それまでは、小島屋万助劇場に客演として本多君に出演してもらったり、「ぐりぐりぞえるなのうみそごめた」というタイトルでアンサンブル公演をしたりしました。これは小倉君の演出です。それから間が空いて、先ほどお話した北海道からの縁で吉澤耕一さん演出の舞台をすることになりました。
阿部 そうなのですね。
佐々木 この時は、どんな作品を上演したのでしょうか。
小島屋 まだ覚えていますが、第1回公演のメインは、無人島の作品でした。
佐々木 面白そうですね。
小島屋 2人が無人島ですることもなく、腹が減って色々な小ネタでどんどん広げていく作品だった気がします。無人島の作品は鮮明に覚えていますが、多分、第1回で「死神」を上演したと思います。
阿部 KANIKAMAのスタイルや作品はどうやってできていったのでしょうか。
小島屋 KANIKAMAの以前は、どっちかというと、僕が作品の元のアイデアを出してそれを肉付けしてくれるのが、本多君でした。KANIKAMAは、無人島という設定だけ決めて、じゃあ、無人島で何ができるということから始めて、少しずつ2人の即興で作っていく感じです。
阿部&佐々木 ふーん。
小島屋 例えば、無人島の中で“水がちょっとしかなかったら”“ノドが渇いたらどうする?”というシチュエーションで演じて、少しずつ膨らませて作りました。完全な即興という感じでもなく、何となくちょっとずつ作っていきました。こうやったらどうする、面白い、じゃあこう返したら、また俺もかえす、これイタダキ、という感じでつなげていく流れでした。
佐々木 演出の吉澤耕一さんは、あくまで2人から出てきたものに対して演出を付けていったのでしょうか。
小島屋 ほとんどそういう感じだけど、彼が重視したのは、(その演技が)嘘か本当かということ。どこかぎくしゃくしている部分があると面白くないといわれて、却下されました。逆にちょっとした発明(アイデア)で2人が面白くなると採用。時には、あんまり作品が出てこないと、吉澤さんから言いだすこともありました。
佐々木 そうですか。
小島屋 どうしても、僕らが作ると紋切り型になりがちですね。マイムって、まず分かりやすくないといけないという思い込みがある。例えば、サラリーマンを主人公にして、「帰れない2人」という作品を作ったことがありますが、中々家に帰らなくて、必ず公園に寄ってしまうというのがあるじゃない。例えば、ウチの女房が怖いとか、その帰れない理由を普通にマイムで説明的に演じても紋切り型になってしまう。そういうマイムでありがちなのは面白くないと言われて。つまり、吉澤さんとしては、あまり(理由が)明かされない方が面白いという考えです。というように、マイムの作品でありがちなクセに対して、大変厳しくて許してくれません。
佐々木 厳しいですね。
小島屋 出す方は大変ですね。前の焼き直しはダメだし。
佐々木 焼き直しは、ダメなんですか。
小島屋 大体人間が考えることって焼き直しなんだよね。
佐々木 どうしても似てしまいますね。
小島屋 その辺が、マイムって辛いと思います。
阿部 笑
佐々木 KANIKAMAの作品コンセプトの一つに“しゃべらない”というのがありますね。
小島屋 息づかいでは平気でしゃべりますが、言葉でしゃべらないことで面白いものがかなりあるから、そちらを選んでます。それはある意味徹底していました。
佐々木 結構、今のマイムは、しゃべる方が多いですね。
小島屋 お客さんもしゃべらないで分かったときの喜びってあるじゃない。いつも言いますが、例えば、本多君がこういうふうにやるの(何かを切る演技)、これがネギを切ってると分かるのは、5人に1人しかいませんが、それが分かるとたまらなく面白い。
阿部 マイムの醍醐味ですよね。
佐々木 KANIKAMAの公演で最も印象的な公演は何でしょうか。
小島屋 僕の個人的なことですが、4年前のタイの公演が印象的でした。タイの「パントマイムinバンコク」っていう10何回も続いているイベントに、僕と本多君はすべて出演しています。4年前の公演では、「監督と助監督」という作品を上演することになって、初日の舞台で最初に僕が走りだしたら、なんと肉離れです。
阿部 笑
小島屋 もう動けません。舞台の最中で、ちょうど袖に入り込む時に起こって。普通なら舞台に出られない状況だけど、再び舞台に戻ってきて、足がつけない状況で最後までやり切りました。その後、5ステージくらいあったのですが、僕は基本的に動けないので、動かないでも、できる作品を1個だけやって、あとは本多君のソロ作品に差し替えました。本多君に大変感謝しています。本多君って、作品をいっぱい持っていて、頼りになる人ですよ。
阿部 小島屋さんもそんな状況で、舞台によく戻りましたよね。そこがすごい。
小島屋 痛いよ。
佐々木 普通、動けないですよね。
阿部 私もこの間、肉離れになって、あんなに痛いものだと思わなかったです。やっぱり、小島屋さんにとって愛也さんは長年のパートナーですね。
小島屋 舞台の上ではね。
佐々木 喧嘩したりしないのですか。
小島屋 喧嘩はないね。本多君って絶対人のことをいう人じゃないし。長いつきあいの中でいつも付き合ってもらっている立場だったのです。ただ、じゃあ、ある時に来年どうしようかと話したら、もう、ちょっと付き合えないって言われたことが1回あって、ちょっとびっくりしたんです。その時は、本多君の中で、これから自分のマイムをどうしていくのか、どっちかにシフトしようとか考えていたかもしれません。でも、何ヵ月もすると、またやりますって言われたんです。何があったのかな。彼は、常に色々考えているし、音楽もやっているので決してマイムだけという人だとは思いません。僕は、彼のマイムの部分しか知りませんが、マイムに関してはツーカーの関係でした。KANIKAMAは、彼抜きではできません。もう、ああいうスタイルで物を作るのは難しいかもしれません。
阿部 KANIKAMAは最高でした。
佐々木 このユニットはすごいですよね。
小島屋 ああいう風にキャッチボールで作るというのが…。
佐々木 そうですよね。無言だからこそタイミングのズレがなく、段取り感がなくできるのがスゴイですね。
阿部 お二人のやり取りがとっても素敵でした。
佐々木 やり取りで全部お客さんに伝わってきますね。
小島屋 新鮮さというのがすごくあるよね。同じことを何度も演じますが、必ずここでお客さんが笑うというのが不思議でした。
(つづく)
小島屋 愛也君の資料によると、第1回公演は、2004年に明石スタジオで上演しました。それまでは、小島屋万助劇場に客演として本多君に出演してもらったり、「ぐりぐりぞえるなのうみそごめた」というタイトルでアンサンブル公演をしたりしました。これは小倉君の演出です。それから間が空いて、先ほどお話した北海道からの縁で吉澤耕一さん演出の舞台をすることになりました。
阿部 そうなのですね。
佐々木 この時は、どんな作品を上演したのでしょうか。
小島屋 まだ覚えていますが、第1回公演のメインは、無人島の作品でした。
佐々木 面白そうですね。
小島屋 2人が無人島ですることもなく、腹が減って色々な小ネタでどんどん広げていく作品だった気がします。無人島の作品は鮮明に覚えていますが、多分、第1回で「死神」を上演したと思います。
阿部 KANIKAMAのスタイルや作品はどうやってできていったのでしょうか。
小島屋 KANIKAMAの以前は、どっちかというと、僕が作品の元のアイデアを出してそれを肉付けしてくれるのが、本多君でした。KANIKAMAは、無人島という設定だけ決めて、じゃあ、無人島で何ができるということから始めて、少しずつ2人の即興で作っていく感じです。
阿部&佐々木 ふーん。
小島屋 例えば、無人島の中で“水がちょっとしかなかったら”“ノドが渇いたらどうする?”というシチュエーションで演じて、少しずつ膨らませて作りました。完全な即興という感じでもなく、何となくちょっとずつ作っていきました。こうやったらどうする、面白い、じゃあこう返したら、また俺もかえす、これイタダキ、という感じでつなげていく流れでした。
佐々木 演出の吉澤耕一さんは、あくまで2人から出てきたものに対して演出を付けていったのでしょうか。
小島屋 ほとんどそういう感じだけど、彼が重視したのは、(その演技が)嘘か本当かということ。どこかぎくしゃくしている部分があると面白くないといわれて、却下されました。逆にちょっとした発明(アイデア)で2人が面白くなると採用。時には、あんまり作品が出てこないと、吉澤さんから言いだすこともありました。
佐々木 そうですか。
小島屋 どうしても、僕らが作ると紋切り型になりがちですね。マイムって、まず分かりやすくないといけないという思い込みがある。例えば、サラリーマンを主人公にして、「帰れない2人」という作品を作ったことがありますが、中々家に帰らなくて、必ず公園に寄ってしまうというのがあるじゃない。例えば、ウチの女房が怖いとか、その帰れない理由を普通にマイムで説明的に演じても紋切り型になってしまう。そういうマイムでありがちなのは面白くないと言われて。つまり、吉澤さんとしては、あまり(理由が)明かされない方が面白いという考えです。というように、マイムの作品でありがちなクセに対して、大変厳しくて許してくれません。
佐々木 厳しいですね。
小島屋 出す方は大変ですね。前の焼き直しはダメだし。
佐々木 焼き直しは、ダメなんですか。
小島屋 大体人間が考えることって焼き直しなんだよね。
佐々木 どうしても似てしまいますね。
小島屋 その辺が、マイムって辛いと思います。
阿部 笑
佐々木 KANIKAMAの作品コンセプトの一つに“しゃべらない”というのがありますね。
小島屋 息づかいでは平気でしゃべりますが、言葉でしゃべらないことで面白いものがかなりあるから、そちらを選んでます。それはある意味徹底していました。
佐々木 結構、今のマイムは、しゃべる方が多いですね。
小島屋 お客さんもしゃべらないで分かったときの喜びってあるじゃない。いつも言いますが、例えば、本多君がこういうふうにやるの(何かを切る演技)、これがネギを切ってると分かるのは、5人に1人しかいませんが、それが分かるとたまらなく面白い。
阿部 マイムの醍醐味ですよね。
佐々木 KANIKAMAの公演で最も印象的な公演は何でしょうか。
小島屋 僕の個人的なことですが、4年前のタイの公演が印象的でした。タイの「パントマイムinバンコク」っていう10何回も続いているイベントに、僕と本多君はすべて出演しています。4年前の公演では、「監督と助監督」という作品を上演することになって、初日の舞台で最初に僕が走りだしたら、なんと肉離れです。
阿部 笑
小島屋 もう動けません。舞台の最中で、ちょうど袖に入り込む時に起こって。普通なら舞台に出られない状況だけど、再び舞台に戻ってきて、足がつけない状況で最後までやり切りました。その後、5ステージくらいあったのですが、僕は基本的に動けないので、動かないでも、できる作品を1個だけやって、あとは本多君のソロ作品に差し替えました。本多君に大変感謝しています。本多君って、作品をいっぱい持っていて、頼りになる人ですよ。
阿部 小島屋さんもそんな状況で、舞台によく戻りましたよね。そこがすごい。
小島屋 痛いよ。
佐々木 普通、動けないですよね。
阿部 私もこの間、肉離れになって、あんなに痛いものだと思わなかったです。やっぱり、小島屋さんにとって愛也さんは長年のパートナーですね。
小島屋 舞台の上ではね。
佐々木 喧嘩したりしないのですか。
小島屋 喧嘩はないね。本多君って絶対人のことをいう人じゃないし。長いつきあいの中でいつも付き合ってもらっている立場だったのです。ただ、じゃあ、ある時に来年どうしようかと話したら、もう、ちょっと付き合えないって言われたことが1回あって、ちょっとびっくりしたんです。その時は、本多君の中で、これから自分のマイムをどうしていくのか、どっちかにシフトしようとか考えていたかもしれません。でも、何ヵ月もすると、またやりますって言われたんです。何があったのかな。彼は、常に色々考えているし、音楽もやっているので決してマイムだけという人だとは思いません。僕は、彼のマイムの部分しか知りませんが、マイムに関してはツーカーの関係でした。KANIKAMAは、彼抜きではできません。もう、ああいうスタイルで物を作るのは難しいかもしれません。
阿部 KANIKAMAは最高でした。
佐々木 このユニットはすごいですよね。
小島屋 ああいう風にキャッチボールで作るというのが…。
佐々木 そうですよね。無言だからこそタイミングのズレがなく、段取り感がなくできるのがスゴイですね。
阿部 お二人のやり取りがとっても素敵でした。
佐々木 やり取りで全部お客さんに伝わってきますね。
小島屋 新鮮さというのがすごくあるよね。同じことを何度も演じますが、必ずここでお客さんが笑うというのが不思議でした。
(つづく)