気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

(車輌目次表紙)サンダース大学付属高校 M4A1シャーマン76mm砲搭載型(劇場版仕様)

2022年06月15日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  イタレリ (商品コード225)

  制作期間   2016年7月21日~7月29日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 完成です!!

  総評・備考
 サンダース大付属高校チームは3種類のシャーマン戦車を運用しているが、アリサが搭乗するM4A1は車体を全て鋳造とする唯一のタイプである。主砲は75ミリと76ミリとに分けられるが、劇中車は後者に該当して攻撃力が大きい。防御性も鋳造車体ゆえの避弾経始効果により優れており、劇中でも何度か打たれ強さをみせている。
 その1/35スケールキットはシャーマンシリーズの中では稀少に属するものの、公式キットがイタレリ製品(下のキット一覧の1)とアスカモデル製品(下のキット一覧の2)の二種類発売されており、いずれも適応キットの採用によっている。今回は劇場版仕様にて製作したが、必須のペリスコープガードのパーツは公式キットにも適応キットにも無いため、他キットからの転用もしくはアスカモデルのパーツセット(商品コード35-L40)の調達が必要となる。イタレリ製品で作る場合は改造箇所も少なくないので、初心者クラスはアスカモデル製品を選んでおくのが無難であろう。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く38 その1 「M.S Modelsとガルパン車輌です!!」

2022年06月14日 | 大洗巡礼記

 2022年6月3日、久しぶりに大洗へ行きました。退勤後にそのまま京都駅へ直行し、土産物を購入して17時24分発の新幹線のぞみ38号東京行きに乗りました。上図は京都駅での乗車直前の自撮り。

 品川で常磐線特急ひたち27号に乗り換えましたが、直前にどこかの路線で線路に人が立ち入ったとかでダイヤに影響が出て、約15分遅れての発車となりました。水戸駅にも約20分ほど遅れて着きました。そのまま水戸プリンスホテルに入って前泊しました。

 

 翌朝は8時半にホテルを出発し、まずは水戸からJR線で勝田へ移動して上図のM.S.modelsさんに行きました。今回の大洗行きに先立ち、済ませておきたい用事があったためでした。

 

 昨年12月に初訪問した模型店ですが、品揃えが素晴らしいので、必ず再訪したいと考えていたのですが、それが半年ぶりに実現しました。模型店に来るとどうしても嬉しくなってしまい、自然と笑いがこみ上げてまいります。

 

 ですが、今回こちらにて済ませておきたい用事とは、笑いどころではなくて真剣な内容でした。前回の訪問時に、海外の模型製品の購入希望品の取り寄せを依頼して計3社のメーカーの製品を注文したのですが、そのうちの1社の品物は滞りなく届いたものの、あとの2社の分がいつまで経っても入らないため、そのあたりの事情を伺って今後どうすべきかを相談に行ったのでした。

 お店の方のお話によると、2社ともなぜか未だにコンタクトが取れないままであるそうで、メールも再三送ったにもかかわらず返信が無く、知り合いの代理店の伝手を訪ねても連絡がつかないということでした。それで、しばらく話し合った後、その2社ぶんの購入希望品の取り寄せ依頼はいったん取り下げることを決めて伝えました。
 それでも、お店としては販路拡大の観点から今後も先方のコンタクトは試みます、ということでしたので、もしコンタクトが取れれば、一度こちらに連絡を下さい、と頼んでおきました。

 その後はお茶をいただきながらの雑談になり、大洗で開かれる模型展示会の件でしばらく盛り上がりました。前日からその展示会の参加者が何人か来店されたとの事でした。私も行く予定だと告げたところ、「それなら・・・」と来店客の一人が落し物と言うか忘れ物をしたので届けてくれないか、とカメラのパーツのようなものを託されました。

 その持ち主の名前を来店客のカードで見せて貰いましたが、私の知らない方でした。と言うより、ガルパン関連の巡礼者はだいたいペンネームやハンドルネームで通して本名は名乗らないケースが殆どですから、誰なのかは実際に会っても分からないのが普通です。とりあえず、お店のパソコンを貸して貰ってツイッター等を検索し、神戸の人だという情報もふまえて探し、該当しそうな方が一人だけ居るのを見つけました。その人かどうかは確証がありませんでしたが、どのみち大洗の模型展示会にはみんな来られる筈だから、主催者を探して訊ねれば分かるだろう、と判断して忘れ物を預かりました。

 それで予定より30分余りオーバーしての滞在となったので、急いで帰ることにしてタクシーを呼んで勝田駅まで戻りました。

 

 勝田駅に戻ったのは11時13分、上図のひたちなか海浜鉄道のホームを懐かしい思いでしばし眺めて、20分に水戸行きの普通列車に乗りましたが、これもどういうわけか遅延して水戸駅には14分遅れの39分に着きました。

 

 なので、鹿島臨海鉄道への乗り換えもすぐの11時44分となりました。

 

 その列車は久々のガルパン車輌でした。これは幸先がいいぞ、と嬉しくなりました。汗をぬぐいお茶を飲んで落ち着いてから、写真を撮りました。

 

 今までに何度か乗って、乗るたびに撮影をしていますが、今回の乗車に際しても何枚か撮ってしまいました。ガルパンファンとしてはこのガルパン車輌を撮らずに乗るだけというのは邪道である、と思うからです。

 

 ですが、よく見ると車輌の外装の傷み具合がかなりのレベルに達していることが分かりました。既にガルパン車輌の1号車は2016年に車体全面塗装工事のためのラッピング変更を行なって消えており、この2号車もいずれは再塗装工事とラッピング変更を行なうのだろう、と思いました。
 すると今回が最後の乗車になるかもしれないな、と考えつつ、乗車後に車内のラッピングをじっくり眺めたりしました。  (続く)

 

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BC自由学園 第五共和制小隊 M22ローカスト(リボンの武者版) 作ります!! その6

2022年06月13日 | ガルパン模型制作記

 ステップ17およびステップ18では砲塔を組み立てます。いずれもエッチングパーツを含みますが、エッチングパーツの部品は作中車に見えませんので、全て不要とします。あとはガイドの指示通りに組み付けます。

 

 ステップ17で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ18で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。ここまでくると残りの作業が僅かになりますので、気が楽になってきました。

 

 ステップ19で砲身を組み立てます。ローカストの主砲はM3 37ミリ砲です。ステップ20では砲身を砲塔に組み付けます。ここでもエッチングパーツは全て省きます。作中車が荒っぽいタッチで大まかに描かれていて細部が省かれていますから、細かいエッチングパーツにこだわってもしょうがないわけです。残るパーツをガイドの指示通りに組み立てます。

 

 ステップ19で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ20で組み立てるパーツ類です。

 

 砲塔に組み付けたところ、内部の機構が細かいためか、主砲の可動域が思ったよりも狭いことに気付きました。それで内部のパーツA22およびA23を緩めに接着したところ、今度は主砲がパタパタと簡単に上を向いてしまいました。サマにならないので、砲身は接着固定することにしました。

 

 ステップ21はインテリアですので全て不要となります。ステップ22ではアンテナ線のみ省略します。

 

 ステップ22で組み合わせるパーツです。

 

 組み上がりました。以上で塗装前の組み立てを完了しました。これを3輌とも仕上げましたが、3輌目になると慣れてきて作業スピードも上がりました。  (続く)

 

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紫野大徳寺5 大仙院からの道

2022年06月12日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺の中心伽藍の建築群を見ながら北に行くと、大徳寺庫裏の前に行きますが、庫裏以下の建築群は非公開となっています。国宝の唐門および方丈も同様です。その庫裏の西側の路地を進むと、大仙院への辻より上図の芳春院が奥に見えてきました。U氏がその芳春院の門の奥の紅葉を指さして「ちょっとアレ見ていこうぜ」と言いました。

 

 芳春院はこのときは非公開でしたので、山門から玄関口までの参道が紅葉観賞のために開放されているだけでした。

 

 見事な紅色の競演でありました。大徳寺の山内には数多くの紅葉があり、塔頭ごとに異なる景色が見られてなかなかの名所として知られています。この日も、見学した全ての塔頭で色々な紅葉を見ました。

 

 さて、大仙院に向かいました。

 

 山門をくぐりました。U氏が門の内側の案内表示を読んで「ここから玄関までが撮影可能範囲らしい。玄関から先は撮影禁止だってよ」と小声で残念そうに言いました。

 

 つまり、上図の庫裏の拝観受付より中は全て撮影禁止となっていました。庫裏は近年の再築ですが、左隣の方丈(客殿)は国宝、その北の書院は国重要文化財で、それらの空間が撮影禁止区域にあたります。
 それで、写真画像がありませんので、大仙院についての詳細は、ここでは省きます。

 

 ですが、上図の方丈の玄関は、方丈の附(つけたり)として共に国宝に指定されており、これだけは外からの撮影が可能です。

 

 実に品格ある見事な玄関の建築です。この玄関を含めた方丈は、古嶽宗亘(こがくそうこう 大徳寺第七十六世住持)が自身の隠居所として永正十年(1513)に建立したもので、日本の方丈建築としては東福寺の龍吟庵方丈に次いで古い遺構です。この時期の方丈には「床の間」が造られ始めており、大仙院方丈の床の間は日本最古の遺構とされています。そして上図の玄関も日本最古の玄関として知られています。
 なので、この玄関を撮影出来ただけでも大仙院に来た甲斐があったというものでした。

 

 大仙院の見学後は、東隣の真珠庵の山門を見ました。この日の真珠庵は非公開でしたので、上図の山門を眺めただけで終わりましたが、U氏が「優美で軽快な門だねえ」と感心していました。未指定ですが、組物の特徴などから江戸期の復古建築の好例とされています。

 

 それから次の特別公開塔頭である興臨院に向かいましたが、途中でU氏が上図の三玄院の門前で立ち止まりました。門前の「石田三成公御墓地」の石標が目に入ったから、というのが理由でした。

 

「おい星野、石田三成の墓は公式にはここにあるわけかね」
「そういうことになっとるね。明治期に三成のものと思われる墓の発掘が行われて骨も確認されたんやけどな、三成本人であるという確証が得られないまま埋め戻されて、今もそのまんまやな」
「確か君は、以前に龍安寺の庭園の池の中島に三成の首が埋められてる、って記事書いてたろ、あれのほうが面白くて信憑性ありそうに思うんだけどな」
「いや、龍安寺のほうも伝承の域を出ないんや。骨を発掘して確認したわけじゃないからな。けど、龍安寺のほうが関連人物や状況証拠が多いという感触がある」
「それそれ、それでええんじゃないかよ。俺はこっち(三玄院)の墓は別人だろうと思うな。だって、三成のものと思われる墓、だったんだろ、実際のところ古い墓って大抵は誰のものか分からんのが普通だろ、確認もしないで掘って、出てきた骨が三成と確定してないんなら、今も疑惑は残ったままになる」
「まあ、それはそうだが、いちおう大徳寺の春屋宗園(しゅんおくそうえん 大徳寺第百十一世住持)が三成の遺体を迎えてここに手厚く葬った、というのもただの伝説じゃないと思う。問題はそれからずっと、大徳寺側でも数多の歴史人物の墓石をちゃんと管理して誰の墓であるかを明確に記録していたどうか、やな。だいいち、今も墓は非公開のままやし、詳細が全然分からんのやな」
「やっぱり、別人の墓を掘ったのと違うかねえ。戦国期の武将の墓だけでも十幾つあるんだろ、明治の頃にはもうどれがどれだか分からなくなってたのと違うかねえ・・・」

 その考えに、かなり後までこだわっていたU氏でした。常陸笠間氏の末裔であり、先祖が佐竹氏に組みして関ケ原合戦西軍に協力した歴史があるためか、昔から石田三成ら西軍諸将には非常に好意的なのです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)聖グロリアーナ女学院選抜 ガイ・フォークス ハリー・ホプキンス(リボンの武者版)

2022年06月11日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ブロンコモデル (商品コードCB35210 をベースに半スクラッチ)

  制作期間   2020年11月19日~021年1月18日、4月17日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 完成です!!

  総評・備考
 Mk.VIIIハリー・ホプキンスは、イギリスがテトラーク軽戦車の代替として開発、運用した軽戦車である。ガルパンにおいてはコミック「リボンの武者」のみに登場し、聖グロリアーナ女学院選抜のガイ・フォークスチームの車輌として活躍する。
 知名度の低さゆえか、公式キットも適応キットも存在しないが、テトラーク軽戦車の設計を流用して製造されたために、足回りはテトラークとほぼ共通で車体の輪郭も似通っている。これに着目し、テトラークのキットをベースにしての自作をサークル仲間のリクエストにより実施した。足回りはほぼテトラークのまま、車体はプラ板の組み合わせで再現し、各所のパーツもテトラークのパーツを可能な限り利用した。製作過程は製作記事を参照されたい。

  今回制作のベースキット 「英テトラーク空挺戦車Mk.VII (A17) I型&CSタイプ」 ブロンコモデル 品番CB35210


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BC自由学園 第五共和制小隊 M22ローカスト(リボンの武者版) 作ります!! その5

2022年06月10日 | ガルパン模型制作記

 ステップ14では上下の車体を貼り合わせて、前照灯やホーンなどを取り付けます。B31、P18は作中車に見えませんので不要です。ステップ15ではライトガードなどを組み付けますが、作中車に見えない細かいパーツは全て省きます。P6、P14、P17、P21が不要となります。

 

 上下の車体パーツです。これは1輌目の分です。

 

 こちらは同時並行で組み立てていた3輌目の分です。

 

 車体パーツは個体によって歪みが生じているようで、3輌目の車体パーツの貼り合わせの際に上図のような反りが見られたため、まず片方だけを接着して固定しました。

 

 御覧のように前部をテープで留めて接着固定しました。

 

 その後、後部を強引に二ヶ所でテープ留めして接着しました。

 

 車体の貼り付けの合間に前照灯やホーンのパーツを取り付けました。

 

 組み上がりました。上図は1輌目の取り付け状況です。


 ステップ15に進みました。ライトガードの組み付けは、エッチングパーツを曲げて行うので緊張しました。慎重に丁寧に取り組みました。

 

 なんとか組み上がりました。ライトガードの形状が左右で異なるため、曲げて形を作る際に失敗しないように心がけました。3回同じ作業を繰り返すので、終わるまで気が抜けませんでした。

 

 ステップ16では排気管や排気管ガードなどを組み付けます。ここでもエッチングパーツを使うので緊張の連続でしたが、使うのはP10のみであとは不要としました。作中車の描写において細部は省略されていることが多いので、細かい箇所をエッチングパーツで再現しても意味がないのです。

 

 プラパーツのほうは、ステップ15の一部のパーツと一緒に一気に組み立てました。

 

 組み上がりました。この時点まで左右のフェンダーは仮組みのままで、塗装作業段階で取り外せるようにしてありました。フェンダーを接着してしまうと、塗装後に組み付ける履帯が入らないからです。
 なので、排気管ガードの脚部も接着しないままになっています。塗装後に履帯とフェンダーを組み付けて全体の形状が整うようにしましたが、こういった独自の工夫を考えて実施するのが楽しみの一つであったりします。  (続く)

 

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紫野大徳寺4 禅刹の中心伽藍

2022年06月09日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 龍源院を出て、次の拝観場所の大仙院に向かいました。その途中で中心伽藍の建築群の横を通るので、U氏が「とりあえず南から順番に見てゆこう。法堂は工事中だから見られないらしいけどな」と上図の建物を指さしました。

 

 大徳寺の中心伽藍の南に位置する勅使門です。伽藍の中軸線上の山門前に建ちます。寺伝のひとつ「龍寶山大徳寺世譜」によれば、江戸期の寛永十七年(1640)に内裏の門を下賜されたのに該当します。一説では内裏の南門あるいは陽明門とされていましたが、平成十一年からの修理工事によって慶長造営内裏の西唐門であったことを示す墨書などが発見され、寺伝が正しいことが裏付けられました。国の重要文化財に指定されています。

 

 ですが、建物の現状はかつての内裏の門であったものにしては質素でした。本来ならば破風や冠木鼻を飾っていた錺金具(かざりかなぐ)や懸魚(げぎょ)、兎毛通(うのけとおし)、端隠(はなかくし)の覆輪を包む金具(かざりかなぐ)などが失われているためです。U氏は「破風鼻先と茅負の取り合い部に金具が残っているよ」と指さしていましたが、それらは後補でした。

 

 勅使門の西側にまわり、柵越しに上図の山門を見ました。上層の軒下に「金毛閣」の額が掛かっており、それが山門の正式名称を示します。もっとよく見ようとしましたが、周囲に数本の木が林立しているために建物の半分ほどが隠れていてよく見えませんでした。
 それでU氏が「ちょっと反対側へ回ろう」と提案し、また勅使門の南を回って東側へ移動しました。

 

 東側からも山門の姿はあまりよく見えませんでした。禅刹の三解脱門「空門」「無相門」「無作門」に因んで三門とも書きますが、大徳寺の文献では「山門」の表記のほうが多いそうです。

 この「金毛閣」は下層が大永六年(1526)に連歌師宗長(そうちょう)等によって寄進され、上層が天正十七年(1589)に千利休の修理寄進によって完成しています。上層内陣には釈迦三尊像および十六羅漢像が安置されています。内陣の天井ならびに円柱には長谷川等伯の筆と伝える雲龍、天人、仁王などの彩色画があります。禅寺の唐様山門としては東福寺のそれに次ぐ古い建築遺構であり、国の重要文化財に指定されています。

 

 続いて、山門の北に並ぶ上図の仏殿に行きました。大徳寺の開山当時の伽藍には含まれませんでしたが、後に仏殿の制が追加されて徹翁義亨(てっとうぎこう 大徳寺第一世住持)により創建されましたが火災で失われ、江戸期まで再建もされずに機能を法堂に兼ねさせていました。
 現在の建物は寛文五年(1665)に江雲宗龍(こううんそうりゅう 大徳寺第八十四世住持)の勧化により富豪の那波九郎左衛門常有(なわくろうざえもんじょうゆう)が寄進建立したものです。国の重要文化財に指定されています。

 

 仏殿前に聳え立つイブキの大木の説明板。U氏はこの種の説明文も二度読みしていました。しかし、その後で「イブキの山も今宵限り・・・」とジョークを呟いていましたので「イブキじゃなくて赤城やろ」と突っ込んでおきました。

 

 仏殿の内陣を拝みました。中央須弥壇上に本尊の釈迦如来像をまつり、その左右後方に祖堂、土地堂が設けられています。それらの堂内には達磨、百丈、臨済、開山、梵天、帝釈の諸像がまつられています。
 本尊釈迦如来像の前に並ぶ三つの牌は、後醍醐天皇、開山大燈国師、徹翁義亨和尚のそれです。つまりは大徳寺の勅願、開山、第一世にあたります。本尊釈迦如来像の背後の障壁に描かれる雲龍は、海北友松(かいほうゆうしょう)の筆と伝わります。

 

 仏殿の天井には円環の天人散華画があります。もとは法堂にあったのを移したもので、「古法眼」こと狩野元信の筆とされています。それを双眼鏡で眺めながらU氏が、思いついたように聞いてきました。
「おい星野、狩野元信の「古法眼」ってのは官位か何かかね?」
「ああ、実際に法眼に叙せられたからや。官位は他に幾つかもらってるが、法眼が極位(ごくい 受けた叙任の中で最高の官位)やな。室町幕府の御用絵師やったし、足利将軍の近侍でもあったからな」
「ふーん、幕府の奉公人でもあったわけか・・・」

 

 それから法堂の横を通りました。普段から公開されていないのか、扉も閉じられて静まり返っていました。その建物の後ろ半分ぐらいには足場が組まれて屋根から覆いが懸けられてあったので、何らかのメンテナンス工事を行なっていたようでしたが、案内も無いので詳細は分かりませんでした。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)聖グロリアーナ女学院 モーリス軽装甲車

2022年06月08日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  アキュレイトアーマー (商品コードK107)

  制作期間   2020年11月12日~11月19日、2021年4月17日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 完成です!!

  総評・備考
 モーリスLRC Mk-1軽偵察車は第二次世界大戦中にイギリスが開発した偵察車の一種で装輪装甲車である。ガルパンにおいては「モーリス軽装甲車」の称で記され、OVA「これが本当のアンツィオ戦です!」の聖グロリアーナ女学院コンビの試合観戦シーンに登場する。現時点でプラモデル製品はどこからも出ておらず、イギリスのアキュレイトアーマーおよびFCモデルトレンドからガレージキット製品が発売されるのみである。
 今回はアキュレイトアーマーの製品をサークル仲間より貰い受けて製作した。製作過程は製作記事を参照されたい。パーツ数も少なく、組み立て易い部類に属するガレージキットなので、初心者クラスにもガレージキット入門用としておすすめ出来るであろう。

  今回制作のガレージキット 「モーリス軽偵察車」 アキュレイトアーマー 品番K107  


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BC自由学園 第五共和制小隊 M22ローカスト(リボンの武者版) 作ります!! その4

2022年06月07日 | ガルパン模型制作記

 ステップ11では左右のフェンダーを組み立てて車体に取り付けます。車外装備品の留め具としてエッチングパーツが幾つかありますが、ガルパンの作中車に合わせます。まず左右のフェンダーパーツはA51、A52を選びます。エッチングパーツのうち必要なのはA34スコップの固定具となるP16、A35鶴嘴柄の固定具となるP11の2点のみで、あとは作中車に見えないので不要です。

 

 左側フェンダーのパーツA51と車外装備品のA30鶴嘴身、A34スコップ、A35鶴嘴柄です。これらの仮組みをして車外装備品の位置を確かめます。

 

 車外装備品3点の位置を確かめて、テープで仮留めしました。

 

 この状態にしておいて、エッチングパーツP11、P16の位置を確認しました。

 

 P11、P16を取り付けました。もともと取り付け位置にかすかなモールドが入れてありますが、見えにくいし、装備品がしっかりはまるのかが分からなかったので、仮組みにて確かめました。

 

 ステップ12、ステップ13にて車体上部パーツJの内外を組み立てます。ステップ12のインテリアパーツは全て不要とし、バックランプのB32、E2と後部底板A10を取り付けます。ステップ13では作中車に見えないA39、P15、いまいち見えないG1、G2、G3を不要とします。

 

 ステップ12で組み立てるパーツ、バックランプのB32、E2と後部底板A10です。

 

 ステップ12の組み立てを終えてステップ13へと進みました。

 

 組み上がりました。

 

 バックランプはクリアパーツですが、作中車はガルパン車輌の常でレッドかオレンジに塗ることになるでしょう。  (続く)

 

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紫野大徳寺3 龍源院の方丈と本尊

2022年06月06日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺龍源院の書院の床の間には、火縄銃の他に上図の立派な碁盤も展示されていました。碁筒の蓋には家紋が打たれていますが、片方はどう見ても徳川葵のようでした。

 

 説明板を読んで納得しました。豊臣秀吉と徳川家康が伏見城内で対局したさいの碁盤でした。さすがに京都の寺にはさりげなくえらいものがあるなあ、と横でU氏が感心していました。そして私に訊いてきました。
「初代本因坊って算砂(さんさ)だったっけ、囲碁の一世名人のことだろ、大徳寺に縁があった人なんかね?」
「どうやろうねえ、本職は顕本法華宗のお坊さんだったから、臨済禅のここと接点があったんかどうか、やな。分からんね・・・」
 

 

 書院から本堂の方丈へ進みました。左前方がひらけて上図の前庭が見えてきました。

 

 前庭「一枝坦」の説明文です。龍源院の前身の「霊山一枝軒」の前庭であった由緒によってこの名がつけられていますが、開基の東渓宗牧(とうけいそうぼく 大徳寺第七十二世住持)が創建した「霊山一枝軒」は畠山義有によって再造営されて龍源院に改められています。現在見られる前庭「一枝坦」は「霊山一枝軒」の前庭がそのまま受け継がれているのか、畠山義有の再造営の際に造られたかのいずれになるかはわかっていないようです。

 

 本堂の方丈です。大徳寺における南派の本庵であった龍源院の中心建築です。解体修理によって主要部が永正年間建立のままに保たれていることが確認され、細部手法などや六室に分ける空間構成も、よく禅宗方丈の典型的型式を示しています。
 建物の中央奥室廻りに古材が多く使用されていますが、これらは前身の「霊山一枝軒」の部材であった可能性が指摘されています。畠山義有が「霊山一枝軒」を再造営して龍源院に改めた時の転用古材かもしれません。

 建築史的には東福寺塔頭龍吟庵方丈に次ぐ古い遺構であり、大徳寺の塔頭方丈としては大仙院方丈とならんで最古の遺構になるものとして価値が高く、付属の折玄関部も含めて国の重要文化財に指定されています。

 

 付属の折玄関の内部も方丈前縁から降りて見ることが出来ました。中世期の簡素な折玄関の様相がよくうかがえます。簡素とはいっても、細部をよく見れば、基礎の礎石は花崗岩を用いて唐礎盤、角柱ともに入念の出来を示します。軒内は四半の瓦敷となし、周囲の雨落は葛石を用いてかなりの贅が尽くされています。大徳寺の塔頭はどこでもこのような造りであるので、中世戦国期には京都でも相当の裕福さを誇っていた大徳寺の実態がうかがえます。

 

 方丈内陣を前縁から拝みました。上図は「室中」と呼ばれる客殿空間の「中ノ間」にあたります。襖絵は一式等春(いっしきとうしゅん)の筆と伝わりますが、江戸期の「都林泉名勝図絵」では長谷川等伯の筆としています。どちらが正しいのかは諸資料でも明確な言及がありませんが、一式等春だとすれば重要な遺品と成り得ます。

 一式等春は水墨画の大家雪舟等楊(せっしゅうとうよう)の弟子で、門人に長谷川宗清などが居ます。この長谷川宗清は長谷川等伯の養父なので、長谷川等伯とも接点があったかもしれません。つまりは一式等春の作画を長谷川等伯らが手伝った、という可能性も考えられますので、こちらの襖絵は見ていてなかなか興味深いものでした。

 この「中ノ間」の奥の左二間分が上図のように仏壇となっていて襖が開かれていました。本堂指図ではこの仏壇を「真前(禅宗でいう祠堂の古称)」と呼んで本尊の仏像を安置し祀っています。

 

 本尊の阿弥陀如来坐像はこれまた鎌倉彫刻史に名高い慶派の優品です。快慶の弟子のひとりとされる行心の作で、胎内膝裏に「建長二年七月日造之 行心作」の銘があります。快慶の作風を柔らかく京風に仕上げており、建長二年(1250)の銘記によって13世紀中葉の基準作例として国の重要文化財に指定されています。

 

 本堂の正面に掛けられる扁額です。龍源院の寺号が古い書体であらわされます。開基東渓宗牧(とうけいそうぼく 大徳寺第七十二世住持)の語録自賛の永正十三年(1516)の文書に「堤龍寶無上印、稱松源不肖孫、幷呑二門甘露、吐渦謂之龍源」とあって、寺号の由来が明らかです。
 龍は大徳寺の山号の龍寶からとり、源は東渓宗牧の最初の師の春浦宗凞(しゅんぼそうき 大徳寺第四十世住持)が建てた塔頭松源院の号からとっています。

 

 本堂の方丈の北西に建つ開祖堂です。開基東渓宗牧の塔所(墓所)ですので一般公開はなされていません。U氏が「室町期の建築にしては新しく見えるなあ、復古かね?」と話していましたが、その通り、室町期の開基堂を再現した昭和の建築です。
 庫裏のときもそうですが、U氏は建築の新旧の見分けが正しく出来るようです。ともに京都の芸大にて学んでいた時期、京都や奈良の古社寺を一緒に回っていた頃、必ず古建築関連の専門書を2冊携行しては建物の前で熱心にひらいて観察をしていましたから、古建築に関する識別眼は相当に鍛えられているはずです。ですが、建築史の用語や細部意匠の専門用語に関してはいまだに覚えられないと20年経ってもボヤいているのですから、妙なものです。

 

 方丈の裏縁をぐるりと回りました。裏面の戸は全て中世の香りをただよわせる舞良戸(まいらど)です。武家邸宅の一般的な設えのひとつでもあるので、城館の御殿建築でも似たような舞良戸の列を見ることが出来ます。

 

 方丈の裏庭「龍吟庭」は室町期の苔庭で相阿弥の作と伝わりますが、確証がありません。それよりもこちらの東側の「東滴壺」と呼ばれる壺庭(中庭)のほうが見応えがありました。
 国内に現存する中世戦国期の壺庭としては最小の規模になるそうですが、それにしては妙な底知れぬ一種の「深遠な広がり」を感じさせます。U氏もこの庭が一番印象に残ったようで、あとあとまで話題に出していました。

 

 壺庭に次いでU氏が興味深く眺めていたのが上図の「担雪井」と呼ばれる古い野井戸でした。中世戦国期から江戸期にかけてはどこの民家にもあっただろう、屋外の生活用水の井戸の形式をとどめています。いわゆる釣瓶井戸のタイプですが、現在ではなかなか古い事例は見られません。しかもこれはいまも現役であるそうで、仏事の加地水などを汲んでいると聞きます。大徳寺山内でもあまり見かけない野井戸ですので、ここの「担雪井」は必見です。

 

 順路を引き返して庫裏より退出しました。表門付近から振り返ると、折玄関の唐門が樹木の間に少し見えただけで、本堂の方丈は全く見えなくなっていました。その距離感が、そのまま中世戦国期と現在とのそれのように感じられましたが、U氏も同じことを思ったと後で聞きました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)聖グロリアーナ女学院 ACV-IP(インド型装輪装甲輸送車)

2022年06月05日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ (ミリタリーミニチュアNo.44)をベースに半スクラッチ

  制作期間   2020年10月8日~10月26日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 完成です!!

  総評・備考
 第二次大戦中にACV-IPの分類名称で呼ばれたインド型装輪装甲輸送車は、イギリス軍がインドにて開発した装甲車の派生型で、当時はトラックに分類された。ガルパンにおいては聖グロリアーナ女学院チームの移動用車輌としてテレビシリーズの第8話に登場する。
 公式キットはおろか適応キットも存在しないマイナー車輌の一つであるが、サークル仲間のリクエストにより、当方のガルパン車輌製作100作目記念の対象にして自作での製作を実施した。知人の教示によって、劇中車がマークⅠからⅣに至るまでの7種のバージョンのうちのマークⅡに相当すること、CMP FAT(ガントラクター)とも車台が共通であること等を知り、タミヤのガントラクターのキットをベースにして足回りはそのまま生かし、車体をプラ板の組み合わせによるスクラッチで製作した。製作過程は製作記事を参照されたい。

  今回制作のベースキット 「イギリス 25ポンド砲とクォード・ガントラクター」 タミヤ ミリタリーミニチュアNo.44 品番35044 


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BC自由学園 第五共和制小隊 M22ローカスト(リボンの武者版) 作ります!! その3

2022年06月04日 | ガルパン模型制作記

 ステップ7では足回りの組み立ての続きを行ない、背面も組み立てます。エッチングパーツは全て不要としました。今回の製作は、ガルパンの作中車を再現するのが目的で、細部まで精密に仕上げるのが目的ではないからです。これまでの作品もあまり細部のエッチングパーツを使わないでやってきていますから、その流れに合わせます。

 ステップ8では履帯を組みます。個人的には恐怖の・・、いや艱難辛苦の・・・、いや苦行というか修行の連列式パーツですが、今回のキットではなんと直線部分は一体成型パーツになっており、1個1個を繋ぐ部分は合計20個で済むという、大変に有り難い、極楽浄土のごとき気楽さでした。他のキットも同じようにしてもらいたいものです。

 

 ステップ7に進みました。上図のパーツを全部組み合わせて取り付けます。

 

 片側を組み上げました。こんな形で足回りの外にガードの棒が付くのは初めて見た気がします。

 

 もう片側も一気に組み上げました。今回の車輌は3輌作りますから、この1輌目の組み立て作業の全てが練習でありました。

 

 裏返して両側の転輪の並びを確認しました。ブロンコモデルのパーツは細かくて組み立ても楽ではありませんが、パーツの精度や合いはしっかりしていますから、丁寧に作ればキチッと綺麗に仕上がります。

 

 背面部に取り付けるホールドやフックなどのパーツです。

 

 組み付けました。

 

 ステップ8です。個人的には苦手の連結式ですが、今回のキットは素晴らしいことに直線部分が一体成型パーツです。大量の1個ずつの連列式パーツを同封してくる傾向が強いドラゴンやホビーボスは大いに見習っていただきたいと思います。

 

 起動輪に巻き付ける部分だけが、1個ずつを繋ぎますが、7個だけで済みます。誘導輪の部分は13個だけでした。ともに巻き付けて形を作っておきました。

 

 ステップ9、ステップ10でも履帯の組み立てを続けます。私の製作では履帯はいつも塗装後に取り付けていますので、ここでは巻き付けての形だけを作っておき、三分割としておきます。

 

 組み上がった左右の履帯です。三分割としています。組み立ても楽で30分ぐらいで仕上がりましたので、あと2輌も履帯を同じように組み立てられる筈です。  (続く)

 

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紫野大徳寺2 龍源院の石庭と火縄銃

2022年06月03日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺塔頭巡りの最初は、龍源院に入って表門から右手の上図の庫裏に向かいました。庫裏に拝観受付があるからです。

 

 その庫裏の立派な建物を見上げつつ、U氏が「なんか、中世戦国期のものには思えんなあ、かなり新しく見える建物だな」と言いましたが、その見立ては正解でした。篤志の檀越の寄進によって昭和に建てられたものです。隣接する本堂の方丈が昭和41年(1966)に解体修理を完了し、併せて総合的防災設備工事も施したのにあわせて庫裏を新築したとききます。

 

 その庫裏の煙出しまでの吹き抜け空間を、U氏とともに見上げました。小屋根組みの部材に一部古い材が使われているのが見えたので、おそらく以前の庫裏の建物の古材とかを再利用しているのでは、と思いました。

 

 庫裏は南側に書院を併設しており、その境目を上図の廊下が通ります。それがそのまま拝観順路でした。

 

 廊下から南の書院へ行ってその南縁に出ました。

 

 書院の南の石庭の西側には、上図の黒っぽい礎石のような石が据えられて白砂の円と草葉の間に挟まれていました。

 

 石庭から土塀越しに本堂の玄関である唐門が望まれました。本堂の附玄関として同じ永正年間(1504~1520)に建てられたもので、室町期の正統的な折玄関の遺構として国の重要文化財に指定されています。

 

 U氏が「石庭の説明文があったぞ」と言うのでそちらを見ました。なんだか名前負けしそうだな、別名の阿吽の石庭のほうで充分じゃないか、と思ったりしましたが、さきに見た礎石のような石が聚楽第の遺品とあるのには「えっ!」となりました。

 

 この黒っぽい礎石のような石が、聚楽第の礎石・・・ですか。単なる言い伝えかもしれませんが、何でもないところや見落とされがちな場所に本物がさりげなく存在していたりするのが京都の奥深さのひとつですから、これは違うと言いきれない遺品が多いのも事実です。大徳寺には豊臣秀吉も大いに関与していた歴史が知られますから、聚楽第の遺品が全く無いとは言い切れません。

 

 そして石庭の反対側、東側にも似たような礎石がありました。これも聚楽第の遺品と伝えていますが、個人的にはもっと古い時期の礎石じゃないかな、と感じました。六波羅蜜寺の境内地にあった六波羅探題の礎石と伝えるものに雰囲気が似通っている気がしました。

 

 書院の床の間を見ました。U氏が「おい、エスピンガルダがあるぜ」と指さしました。

 

 確かにエスピンガルダでした。先込め式火縄銃のことです。戦国期当時は南欧系の火縄銃をそう呼んだそうです。長いのと短いのとがあって上下壇に二挺並べてありましたが、U氏が「おい星野、下の銃が古いよな」と言いました。私も同意見でしたから、頷きました。
 種子島伝来初期の火縄銃は比較的大型で、上図上段の短いほうが堺や国友などで小柄な日本人向けに改良されたタイプです。「台カブ」と呼ばれる床尾が短く造られるのが特徴のひとつです。

 

 火縄銃の説明文です。U氏が「ふーん、元目当が近いのも古い要素なのか」と感心していました。目当(めあて)とは照準器のことで、火縄銃の場合は銃口上につく「先目当」と火鋏や火皿などの機関部の前につく「元目当」の二つがあり、前者が照星、後者が照門にあたります。両方の目当てを一直線上に見据えて狙いを定めるわけです。そのうちの「元目当」が機関部寄りになるほど古い時期の銃である、というのは私も初めて知りました。

 いずれにしろ、天正十一年(1583)の銘があるとなれば、最古クラスの遺品です。この年は賤ヶ岳合戦があり、柴田勝家が北ノ庄にて滅亡し、羽柴秀吉が大坂に築城を始めた年にあたりますから、まだ戦国期真っ只中です。当時の火縄銃は完全な実用品で同時に消耗品でもありましたから、使われて捨てられて鋳つぶされて、という繰り返しで古いものはドンドン新品に換えられてゆくのが普通でした。
 だから、その頃の火縄銃が残るというのがどんなに稀なことかがよく理解出来ます。こちらの遺品は在銘であることから、実用品ではなくて最初から寺への奉納品として造られておさめられたものかもしれません。

 そういえば、平成17年に盗難にあい、程なく犯人が逮捕されて戻ったという大徳寺の日本最古の火縄銃の話を聞いたことがありますが、この遺品がまさにそれでありました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)聖グロリアーナ女学院 テトラーク(リボンの武者版)

2022年06月02日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ブロンコモデル (商品コードCB35210)

  制作期間   2020年9月29日~10月25日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 完成です!!

  総評・備考
 Mk.VII軽戦車テトラークは、第二次世界大戦時にイギリスが開発し運用した軽戦車である。空挺戦車としても使用され、1944年6月のノルマンディー上陸作戦にて大型グライダーに搭載されて参戦しているが、ガルパンでは軽戦車としての使用にとどまっている。アニメ版には登場せず、コミック「リボンの武者」にて聖グロリアーナ女学院選抜のチンディットチームの車輌として登場するほか、西呉王子グローナ学園チームも2ポンド主砲にリトルジョン・アダプター(口径漸減装置)を装備した車輌を運用している。
 公式キットは無く、適応キットもブロンコモデルの品が唯一であるが、足回りの複雑なトラス構造の組み立てに相当の手間がかかるなど、上級者向けのキットである。根気と情熱とガルパン愛が試されるキットの好例であろう。

  公式および適応キット一覧(2022年5月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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BC自由学園 第五共和制小隊 M22ローカスト(リボンの武者版) 作ります!! その2

2022年06月01日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3、ステップ4でもインテリアの組み立てが続きます。今回はインテリアは再現しませんのでパーツは一部を除いて不要となります。ステップ3ではD23の隔壁が車体強度の保持材になりますので取り付けます。ステップ4は飛ばします。

 

 D23の隔壁パーツは車体強度の保持材として取り付けます。ステップ2で不要にしたD10、D11が起動輪の軸部の支持材らなるかもしれないと考えて撮り出し、仮組みして調べてみましたが、やっぱり不要のままになりました。

 

 D23の隔壁パーツを取り付けました。

 

 ステップ5、ステップ6では足回りを組み立てます。基本的に車輪類は組み付けますが、上部小転輪のB13とB14とB24の組み合わせは塗装後に取り付けます。

 

 左が起動輪、中央が上部小転輪、右が誘導輪のパーツです。

 

 左側が組み上がりました。上部小転輪はランナーに付けたまま組み立てて、塗装まで保管します。

 

 右側が組み上がりました。シンプルなように見えて誘導輪が思いのほかややこしい組み方でしたので、少し手間取りました。

 

 両側とも仕上がりましたので、車体に取り付けようかと思いましたが、転輪との取り付け位置関係がいまいち分かりにくかったので、取り付けを保留にしました。ステップ6の転輪の組み立てに進みました。

 

 ステップ6で組み立てる転輪のパーツ群です。サスペンションの形状がシャーマン系列と同じなので、いかにもアメリカ戦車だな、と思いました。分かりやすい外観ですが、組み立てのほうはちょっと難しかったのでした。

 

 サスペンションは全部で4個を作るので、手始めに1個を練習の意味でゆっくりと丁寧に組み立てました。

 

 段取りとコツをおさえたので、残りの3個を同時並行で一気に組み立てました。

 

 全て組み上がりました。今回のキットで一番手間がかかった部品だったかもしれません。  (続く)

 

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