2009年から始めたブログ。
埋もれてしまっていた過去記事を、どなたかが検索で訪れてくださる。
それは終末期の延命処置の事を書いたもの。↓一部を抜粋。
以下(2013年1月のblog)
麻生副総理・財務相が発言した、終末期医療や延命治療の件。
後で発言を撤回したが、個人的な考えとしても立場上、公の場で言ったことがまずかったのか、財務相だから医療費を削りたかったのか?
麻生さんの本心は分からないが、私も思っていることがある。
義母は、倒れてからは口もきけなくなり、起きることも出来ず、何年も栄養はチューブからだけ。
意識はしっかりしていたので、何か意思表示はないかと、紙とマジックを手に持たせた。
力のない乱れた文字はなかなか判別が出来ない。
主人の兄弟に見せて回ったが誰も読めないと言う。
義母が亡くなった後もその文字が気になって、考えていてやっと分かったのだが、
「死にたい」と書いてあったのだ。
死と言う文字が、夜とも、花とも見えて、ひらがならしき部分は、し・こ・ぎ に見えてしまったのだ。
「た」が「き」に見えて、濁点と思っていたのは「い」だった。
その時は、まさか死を望んでいるとは思わなかったので、後で分かった時は衝撃だった。
どんなに高度医療を尽くしても、食べる楽しみもなくベッドで動くことも出来ずに、長い間苦しく辛かったのだろう。
麻生さんの言う通り、「さっさと死にたかった」のかも知れない。
私の母も、最期の姿は点滴や尿の管、鼻も口も酸素マスクで覆われて、幾つものチューブ、手も足も洗濯バサミのようなものが留められ、母の面影が無く、子供からすると見たくない姿だった。
まるで機械人間のようだった。
医師に、「心臓は動いていても意識は無いですよ、今夜が山でしょう。少しでも延命希望しますか?」と聞かれ、家族は当然、延命を望んだ。
看護婦さんが、点滴液に心臓に刺激を与えると言う延命の液体を追加する。
酸素マスクの奥で弱々しい息をし、時折大きな息もするが、呼んでも何も答えてくれない。
体にあちこち付いているチューブや酸素マスクに邪魔されて、母に頬ずりも出来ない。
一晩中、付き添って朝方息を引き取った。
あのチューブの姿を今想像するに、無理な延命治療はしない方が良かったのではないかとも思っている。
もう何もせず、点滴ではなく、母の大好きだった緑茶を脱脂綿で口に含ませれば良かった。
そして自然にね。点滴の薬より、その方が母は嬉しかったかも知れない。
・・・・・・・・以下省略・・・。
本人の思いと家族の思いは・・・・・
延命処置する、しない・・・やはりどちらを選択しても後悔するんだろうなあ・・・。
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