<病状探し、欠点指摘、閉塞感強調、病名発見すれど治療処方箋無し、問題解決策提言無し、悲観論強調、 うつ病や認知症発症拡大工作報道か(注1)>
(注1)弧状列島,共助,2020年5月24日 ウィークエンド・ケアタイム 「ひだまりハウス」 ~うつ病・認知症について語ろう~
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/0e9c4674ad12e580b198a4a947e2bc2c
https://www.1242.com/hidamari/hidamari_blog/blog20200524-233358/
(注1)弧状列島,共助,2020年5月24日 ウィークエンド・ケアタイム 「ひだまりハウス」 ~うつ病・認知症について語ろう~
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/0e9c4674ad12e580b198a4a947e2bc2c
https://www.1242.com/hidamari/hidamari_blog/blog20200524-233358/
<費用=授業料、教職員の収入 リモート設備=対効果=リモート教育で得られた資格や実績の社会経済界=金融界=における価値判断定量化について未記述か>
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リモート授業が露わにした日本の大学の不都合な真実
9/2(水) 6:01配信
●小出昌平 (こいで・しょうへい):ニューヨーク大学医学部生物化学分子薬理学科教授。パールムターがんセンターのコアメンバーでもある。
●成田かりん(なりた・かりん):ロンドン大学クイーン・メリー校政治学博士後期課程・指導助手。
●成田かりん(なりた・かりん):ロンドン大学クイーン・メリー校政治学博士後期課程・指導助手。
◎渡邊隆彦(わたなべ・たかひこ) 専修大学商学部 准教授。1986年東京大学工学部計数工学科卒、92年MIT経営大学院修了。三菱UFJ銀行(現)にてプロジェクトファイナンス、デリバティブ開発・トレーディング、金融制度改革、投資銀行戦略、シンジケートローン業務企画、IFRS移行プロジェクト等を担当後、
三菱UFJフィナンシャル・グループ コンプライアンス統括部長、国際企画部部長を歴任。2013年4月より専修大学にて教鞭を執る。専門は国際金融、企業ガバナンス・コンプライアンス、金融規制・制度論、ファイナンス論、金融教育。国際通貨研究所客員研究員。
◎鍋田 吉郎(なべた・よしお) ライター・漫画原作者。1987年東京大学法学部卒。
日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。
連載「ニューノーマル時代の大学」の第8回。春から夏までの数カ月間、大学はほぼリモート教育に切り替わり、教師と学生はパソコンやスマホを介して向き合うようになった。専修大学商学部の渡邊隆彦准教授が大学の教育現場最前線から、学生、教師、事務職員を含む、ヒトと大学との新しい関係を解き明かす。 リモート授業によって可視化した「授業の質」や「学生の意識」の問題とは? 米英の大学人と渡邊准教授の鼎談後編をお届けする。(筆者/渡邊 隆彦、構成/鍋田 吉郎)
米英の大学では、コロナ禍における授業のリモート化でどのような苦労があったのか――前回はニューヨーク大学の小出昌平氏、ロンドン大学の成田かりん氏に、おもに情報通信インフラなどハード面での苦労を伺いました(第7回参照)。 しかし、リモート授業で可視化した問題はハード面
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☆弧状列島,共助,IoT、スーパーブロードバンドモニタリング即時同報多地点伝達テレワーク
☆弧状列島,共助,肺炎ウイルス三密「「密閉・密集・密接」問題解消、平時・非常時の安全なICT環境で安心WEB会議、授業及びコンサート普及促進
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だけではありません。
今回は授業の質(=教員の質)、学生のマインドセッティング(心構え、価値観)をテーマにおふたりと意見を交換し、今後の大学像に迫りたいと思います。
(*)大学と一口に言っても、実験や実習が欠かせない工学系・医薬系や、実技が不可欠の体育系・芸術系、また人文科学系でもフィールドワークが必須の分野など、事情は様々です。本稿は、講義とゼミナールを主軸に置く人文科学系の教員から視たものとご理解ください(筆者より)。
(*)ここに記す内容は渡邊氏、小出氏、成田氏各個人の見解であり、それぞれの所属する組織としての見解を示すものではないことをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。
渡邊 春学期が終わって、日本の学生はリモート授業に対して大きく2つの不満を抱いたようです。
(1)一部授業の質の低さ
(2)課題の多さ
この2つです。
(1)についてとくに槍玉にあがったのは、「今日は教科書の○ページを読んでください」とだけ指示し、あとは課題レポートを要求する授業や、90分授業なのに30分程度の動画を配信するだけの授業などです。ビフォー・コロナにも手抜き授業はあったと思いますが、対面授業ではその場の勢いでごまかせていたのかもしれません。しかし、リモート授業が始まって、手抜きが可視化してしまいました。一方で、凝った工夫をして評判のいい授業もあります。日本では授業のリモート化によって、授業の質の二極化がより進んだのかもしれませんが、このあたりについてアメリカやイギリスではどのような状況でしょうか?小出 そもそもの前提としてコロナ以前から学期末にエバリュエーション(事後評価。オンライン・無記名で学生が授業を評価する)があり、このシステムが授業の質の維持・向上に効いていました。
アメリカの大学、とくに学部生の授業は、教授ではなくレクチャラーといわれる短期雇用の教員が行うことが増えています。商業主義が大学にも広がってきているとも言えるのですが、教授を雇うとコストがかかるので、それを減らしてレクチャラーに置き換える傾向があるからです。とくに研究に重点を置かないタイプの大学では顕著です。レクチャラーはエバリュエーションが悪いと次の学期から雇ってもらえない可能性があるので、必死で授業します。逆に、エバリュエーションで高評価を得ると、いい条件で転職できることもあります。 大学サイドからすれば、エバリュエーションが低い授業が多いと大学自体の評判が落ちてしまうので、評価の悪い授業はレクチャラーを変える、教授なら授業方法を学ぶコースを受講させる、あるいは授業自体をなくすといった対応を取ることになります。
小出 アメリカでは学費が高いから、「元を取らなきゃ」という意識が学生にもあるように感じます。アイビーリーグだと年間に6万ドル(約630万円)とかしますし、それにさらに生活費を加えると非常に大きな出費になりますからね。
小出 ただ、「らくたん」は、日本の学生のマインドセットだけの問題ではないようにも思えます。日本の大学って、基本的には「入学試験をする機関」として見られていませんか? たとえば東大生でも、「難しい試験に合格してすごい」と評価されるけれど、その後大学でどういう教育を受けたかはほとんど聞かれません。企業は、「大学入試に合格した学生は賢いはずだから、ウチの会社に入ってから再教育すればいいや」と思っているのではないでしょうか。大学在学中に何をしていたかを誰も評価してくれないのだったら、「らくたん」を取って遊ぼう――若者は敏感ですから、そう思うのも無理はありません。 https://humonyinter.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/edu.8.movie_.C.mp4
小出 ただ、「らくたん」は、日本の学生のマインドセットだけの問題ではないようにも思えます。日本の大学って、基本的には「入学試験をする機関」として見られていませんか? たとえば東大生でも、「難しい試験に合格してすごい」と評価されるけれど、その後大学でどういう教育を受けたかはほとんど聞かれません。企業は、「大学入試に合格した学生は賢いはずだから、ウチの会社に入ってから再教育すればいいや」と思っているのではないでしょうか。大学在学中に何をしていたかを誰も評価してくれないのだったら、「らくたん」を取って遊ぼう――若者は敏感ですから、そう思うのも無理はありません。 https://humonyinter.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/edu.8.movie_.C.mp4
小出 アメリカの大学は、一般的に課題は多いと思います。「課題をもっとチャレンジングにしてください」と学生のほうからリクエストされたこともあるぐらいで、たぶん彼らは大学をトレーニング機関みたいなものだと理解している。「知力を鍛えるためにここにいるんだ」というようにです。
逆に、日本の子供は小学校から高校までアメリカ人からすると信じられないぐらい勉強をします。ですから、大学入学時の基礎学力は既にとても高いと思います。しかし、ある意味大学合格がゴールで、「大学に入ったら夢のような生活があるから今は頑張ろう」と思ってやっているわけです。それなのに、今年いきなり大量に課題が出るようになってしまった。「話が違うじゃないか」と不満に思う気持ちもわからなくはありません。 https://humonyinter.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/edu.8.movie_.D.mp4
小出 いままでは、ひとつの大学は地理的にひとつのコミュニティとしてまとまってきましたが、オンライン授業が当たり前になったいま、ニューヨーク大学の学生がロンドン大学の授業を聴くことも技術的には可能となりました。だとすると、現在のように同じ内容の授業を各大学ばらばらにやる必要がなくなり、世界大学のようなものが生まれるかもしれません。一方で、ケンブリッジに行かなければ得られないといった「場」の機能は残るでしょう。大学は二極化するのではないかと思います。
小出 いままでは、ひとつの大学は地理的にひとつのコミュニティとしてまとまってきましたが、オンライン授業が当たり前になったいま、ニューヨーク大学の学生がロンドン大学の授業を聴くことも技術的には可能となりました。だとすると、現在のように同じ内容の授業を各大学ばらばらにやる必要がなくなり、世界大学のようなものが生まれるかもしれません。一方で、ケンブリッジに行かなければ得られないといった「場」の機能は残るでしょう。大学は二極化するのではないかと思います。
今回の小出さん・成田さんとの鼎談を通じて、私自身、大学に対する考え方を改めて整理することができました。次回は、リアルなフィジカルの世界とネットによるリモートの世界それぞれが得意なことと苦手なことを踏まえながら、「ウィズ・コロナ時代の大学像」について掘り下げたいと思います。(構成/鍋田吉郎)