えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

夏です!!

2016-07-14 | 日記
東京高裁前で、ミンミンゼミの声を聞いた。暑い日差しのなかでの宣伝を応援してくれているように思えた。
帰り、日比谷公園のなかでも聞いた。
「おつかれさま~」と言ってくれてるのかな?
そんなはずないか…(((^^;)

霞ヶ関駅へ

2016-07-14 | 日記
何度、「霞ヶ関駅」に向かう日々を重ねて来たろう。
今日も、裁判所前宣伝と東京高裁要請だ。ずいぶんと電車の乗り換えにも慣れた。
夫達の再審裁判は5年前の2011年の3月。あの東日本大震災のあったちょうどその月に「無罪判決」が言い渡されることになっていた。しかし、水戸地裁土浦支部の庁舎も大きな被害を受け、5月に判決日が延期。そして、確かな「無罪判決」を得て、6月7日24時をもって、晴れて夫と杉山さんは「普通のおじさん」に戻ることができた。そこに至るまで、実に44年の歳月を要した…。

今、東京地裁で国賠をたたかう夫の審理は、一部が東京高裁に掛かっており、今日は、東京高裁要請だ。

夫のたたかいは、個人の国家賠償を認めさせるだけでない、冤罪の原因と責任の所在を明らかにする大切なたたかいと位置付けて、たくさんの方々の支援が続いている。

先日の三者協議で、審理に動きがあったと聞いている。今日は、これからその東京高裁要請だ。

常磐線北千住駅で千代田線に乗り換えた。霞ヶ関駅で降りる予定です…。

肺炎球菌の予防接種

2015-05-30 | 日記
 母89歳。
肺炎球菌の予防接種の通知を受けて、自分で問診票を書いて、受けてきた。
7000円のところ、町から2000円の補助があって自己負担5000円とのこと。
経済的な個人負担は決して軽くない。
それでも看護師さんが
「補助が出るようになったからね。これまでは、全額自己負担だったんですよ。5年毎なので、○○さんは94歳まではもうやらなくていいですからね」と笑顔で優しく言葉をかけてくれた。
そしたら、母が、
「そんなにまで生きていませんよ」と笑いながら答えた。

母の頭には、あとどれくらい生きられるか、ということが常にあるようだ。

日常でも、言葉の端々にそのことを感じる母との会話が続いている・・・。


幼馴染の友の病気

2015-05-30 | 日記
 幼馴染の「ひさちゃん」が、定年を機に母一人で住んでいる実家に帰って来るようになって2年は過ぎただろうか。と言っても、時々「仕事で・・・」と関西にあるという会社に行っていたようだった。

 ひさちゃんは、私より一つ年上。
小学校へ上がる前までは、毎日朝から晩まで一緒に遊んだ男の子だった。
でも、そのあとはあまり一緒に過ごした記憶がない。
一年先輩であること、男の子だったこともあり、中学生になってから、まして高校生になってからひさちゃんは学生寮に入り、私は一人自炊生活しながらの高校生活だったので全く接点がなかったように思う。

 そんなひさちゃんが定年で実家に帰って来て、お母さんと一緒に暮らし始めた。
聞くと、生涯独身だったという。
大きな会社の「役職」についていたようだが、女性との縁が薄かったのか・・・。

「おおきくなったら、ひさちゃんのお嫁さんになる」と言っていた私は、ちゃっかりとバツ一、再婚と二度も結婚をしていることに、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

久しぶりに再会し、
「いいじゃん、これからいい人見つけて結婚したら?」なんて言ったけど、
それも叶わないうちに、昨年の暮れに、
「ひさちゃん、がんで入院したんだわ」と母から聞いた。

 退院後、しばらく(町内)の寄合など役員を務めていたし、病気も大丈夫なのだろうと思っていたが、今日、母が、
「入院してたんだけど、先週、帰って来たんだわ」と言うではないか。

 気になりつつも、「大丈夫なんだろう」という楽観した気持ちが私の中にあってしばらく顔を合わせて話すこともなかったが、再入院となると穏やかではない。
気になって、すぐに会いに行った。

 パジャマ姿で出てきた彼から経過を聞いた。
半年前、大腸がんを宣告され、人工肛門を付けなくてもいい選択をし、放射線治療をしていたが効果なく、転移が膀胱と肺に見つかったこと、今度ばかりは手術を拒否できず、人工肛門とウロバッグをつけての退院だった、と。

 もっと早くちゃんと聞いておくべきだったと深い後悔が走った。
私には、父を大腸がんで看取った経験、母の大腸がん、腎臓がんの看病の経験があったのだ。
父の闘病の厳しさや亡くなってしまった寂しさは語るのもつらいが、母は見事に完治し、術後3年の今も健在だ。
それなのに、やっぱり少し遠慮もあってこんな後悔を繰り返すことになってしまった・・・。

 ひさちゃんは、ありのままの姿で、経過を話してくれ、今、傷跡の痛みで難儀していることを私に伝えてくれた。私は、家に飛んで帰って「円座」を持って、母に
「これ、ひさちゃんに貸していいよね。あげてもいいよね」と言って、さっそく届けた。

「あ~、これ、ちょうどいい。借りるわ」との返事が返って来た。


 80歳を越えたお母さんと60代の病身の息子の生活がどれほど大変か・・・。
できるだけ関わっていこうと思った。

 夫も、前々から「陶板浴を絶対進めるべきだよ」と言っていたが、私は強く勧めることまではできないでいた。でも、今日の話を聞いて、やっぱり後悔した。
本人にとっては「死」と向き合っての一日、一日。

「わかった。じゃ、世話になるかな」と陶板浴入浴の気持ちになってくれた。
父の肺がんが消えたように、ひさちゃんにも効果が出てくれることを願いながら月曜日に会う約束をして帰って来た。

 ちゃんと陶板浴の勉強もしなくては!と、曖昧にしていた6月の講演会にも行く心づもりができた。

 

半年休んでしまいました・・・

2015-05-30 | 日記
 Facebookを始めたことで、つい、簡単なUPに慣れてしまい、ブログを怠けていました。

「ブログ、楽しみにしています」と言ってくれていた友人のことは、ずっと気になっていたのですが・・・。

 ごめんなさい。

 Facebookでは表現できないことを、やっぱりここで綴っていこうと思います。

 

夫は「シンガーソングライター」

2015-01-13 | 日記
 夫がFM西東京のゲスト出演。
それも、
「シンガーソングライター」としての・・・。
なんだか、いつも接している夫のこと。
ここで、こんな表現している自分も少し気恥ずかしい、のが正直な気持ち。

 でも、そう言いながらも、夫はまたも獄中で思い描いていた夢を実現してしまったことに、感動もしている。
本当に不思議な人である。
今月には、68歳の誕生日を迎える。
それなのに、まだまだ闘いの最中でありながら、夢を語り、その実現のための努力を惜しまない。

 私は初めて彼に出会ったとき、
「この人の、これから先の人生を近くで見ていきたい!」と思った。
そう思わせる人だった。
周りの心配や反対が強くあったが、なぜかその進むべき道の選択に迷いを感じさせなかった。
多くの仲間に祝福されて結婚。
2000年の元日に入籍して、丸15年になった私たち。
もちろん、夫の置かれていた環境は、世間知らずの私に理解できるものはなく、お互いボロボロに傷つけあうこともあった。
でも、その積み重ねが必要だった。
今なら、そう言える・・・。

 振り返るのはまだ早いけど、15年の歳月は、夫ばかりでなく、私にとってもすべてが財産となった。

夫はまだまだ「進化」の途中。
FMラジオの向こうから、夫の歌が流れてくるなんて、それも夫の声で。
なんと興味深い時間を私に与え続けてくれているのか。

 まずは、一人でも多くの人に、夫の作詞作曲した歌を聴いていただきたい・・・。


 FM西東京 パーソナリティ なつし聡さん(シンガーソングライター)の

 「ユメミノ音泉村」へどうぞ! ⇒ http://onsenmura.seesaa.net/

奥西勝さんの命あるうちに・・・

2015-01-11 | 日記
 冤罪、名張毒ぶどう酒事件奥西勝さんの再審請求がまたしても棄却されました。

奥西さんの命の灯はもうそんなに残っていないというのに、89歳を迎える誕生日の5日前の非常な決定でした。

人生50年以上も死刑執行と毎日向き合わされ、頭が変になってしまうだろう状況の中、一貫して無実を訴え、裁判のやり直しを叫び続けている。

 裁判所は、なぜこのことに真正面から答えようとしないのか。一審では無罪判決だった。しかし二審で逆転有罪、そして死刑の宣告。

 再審も、一度「開始決定」が出た。
しかし、検察が抵抗し、また開いた扉を閉じてしまった。
今回も、当時の捜査資料など全証拠の開示を求めていたにもかかわらず、検察が拒否し、裁判所も「開示をさせる」姿勢には立たなかった。

 奥西さんは、裁判官の判断だけにすがるしかないのである。
無実の人の50年余にわたる叫びに耳をふさぎ、真実がどこにあるのか究明しようとしない、死刑の判決が間違っていないのかどうか、裁判所の責任で明らかにするべきなのに、全く人道上も許されることではない。

 私たちに何ができるのだろうか、と暗澹たる思いですが、夫たちの44年の闘いは見事に「再審無罪!」の勝利を勝ち取らせていただいたのだから、どこかに希望につながるものがあるはず・・・。(そう、布川国賠弁護団長のY先生から助言いただいた)

 それを見つけていけるよう支援を強めることしかないのだろう。

 1月14日は、奥西さんの89歳の誕生日です。
 茨城でも、怒りを込めて市民に広く訴えます。

  水戸駅:南口 17:00~18:30

ご協力いただける方、水戸駅にお集まりください。
そして、関心のある方はぜひ水戸駅で私たちの訴えを聞いてください。
チラシを手に取って、関心をもち、ご支援ください。

人生はドラマ・・・

2015-01-11 | 日記
 昨年は、自分でも説明のつかないようなことが、何回か起こり、新しい年は穏やかに過ぎていくそんな年にしたいと願っていたが、またまた、私の人生。
 
 そうは簡単に行かないことを思い知る新年でした。

 私たち夫婦のことでないことを、ひとこと申し添えて、まだ、公開できる段階ではないので、この場はこれだけにとどめておきます。

 でも、改めて自分の歩んできた道を振り返させられる出来事でした。
それだけに、これからの人生もすべてが通じていくことなのだと、自分に言い聞かせてのスタートになりました。

 夫は、年末年始、今までになく自宅で過ごす時間が多く、いろんな場面で「家庭人」の姿を見せてくれました。
年始は、新年会が続き、「みんな楽しかった!」と元気いっぱい。

 もうすでに1月も中旬になろうとしています。
私も、夫も動き出しました!

 今年も皆さん、よろしくお願いいたします!

「無実の人は無罪に」

2014-12-16 | 日記

「無実の人は無罪に」
この当たり前のことがなぜ通らないのだろう。

 12月10日付、最高裁は「福井女子中学生殺害事件」で、犯人とされた前川彰司さんの再審を棄却した。(名古屋地裁金沢支部で出した『再審開始決定』を取消した)
 
 そして、今日、12月16日、
高知地裁が、「高知白バイ事件」で、スクールバス運転手の片岡晴彦さんの再審請求を棄却した。片岡さん自身も、乗っていた生徒さんも、後続車の先生も「バスが停止線で停まっていたところに、白バイが衝突してきた」と証言しているのに、白バイ隊員が事故死したのは、片岡さんに過失があったと有罪とされた事件である。


前川さんも一貫して否認を続け、片岡さんも事実を正確に証言した。それでも有罪。誤判は、決してあってはならない。ましてや証拠をねつ造したり、隠したりして有罪に持ち込む裁判は絶対あってはならない。

前川さんも、片岡さんも服役後に、再審を申し立てた。
それは、自分が無実であること、裁判が間違っていることを明らかにしたい。
そうしなければ、人間としての尊厳を守れないからだ。

 日本には「再審制度」がある。
それは誤判による冤罪被害者を救済する制度なのだ。
なのに、なぜ、こんなにも再審の扉は、高く、重いのだろう。
三審制が崩され、国民の信頼を損ねるから、と聞いたことがあるが、それでは、そのためには無実の人が有罪とされ、有期刑、無期刑、死刑という理不尽な刑の執行があっても仕方ないというのか。

でも、これが今の日本の裁判の現状だ・・・。

なんか調子が狂ってる・・・

2014-12-16 | 日記
 このごろ自分のことでふっと不安を感じる時が増えてきた。
体調にそう思ったり、夢の内容にそう思ったり、自分の判断したことによる結果、周りの反応にそう思ったりすることが多くなってきていて、今日も出がけに、厄払いの案内はがきを見てじーっ。

 その直後、夫と一緒に玄関を出て、雨が降っていたので先に走って車まで行こうとしたら、あららっ!!!

夫の目の前で、こけたっ!

自分ではどうなって、そうなったのかわからないまま地面に顔面をブロック塀に頭をぶつけた状態で、飛び起きた。

夫は「あんた、体力なくなったなぁ。何で、そこまでいっちゃうの?途中で止められないの?」と言ったけど、

(とめられないから、こう、なってるの・・・。それより、なにがげんいん?どうなったの、わたし??)状態の自分が情けないやら、可笑しいやら・・・。

 幸い?外傷はなかったけれど、夫を駅まで送る間も、右頬は痛いし、頭もズンズンした。帰宅してすぐアイシング。なぜって、明日は、ちょっと取材の予定が入っていて、たぶん顔写真も取られるんじゃないかと思うから。何としても、顔面に内出血を残すわけにはいかないのだ。

 そういえば、このブログを書きながら思い出した・・・。
先週も、階段を踏み外して、大事に至らなかったけれどひやっとしたんだった・・・。

おかしいな・・・この頃・・・・。