えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

歳月・・・

2012-12-15 | 日記
 子どものころ、バスで通るたびに気になっていた小さな洋館があった。
私の家から、バスで30分ぐらい乗ったあたりにある隣町(現在は合併で同じ町内だが)だ。
それは、その後、私が中学生になっても、高校生になっても、そこをバスで通るたび、私は必ずその家に目をやった。

「どんな人が住んでいるんだろう?」

と、いつも考えていた。

 あれから、ずいぶん歳月が流れた・・・。
私が大人になり、自分で車を運転するようになり、それでも、必ず視界に入ってくるその不思議な家は、住む人のいないことを示すように朽ちていった。

今年になって、父と一緒に車の中から、いつもと同じようにその家が私の視界に入った。

「あの家、子どものころから気になっていたの。どんな人が住んでいるのかなァって。洋風だったんで、何だか特別な憧れみたいな気持もあって・・・。あんな姿になって、それでも取り壊されないで、何だか寂しいなァ」

父が言った。

「戦後、まもなく建ったように思うな。外国の人だったけど、すぐに誰も住まなくなったようだったぞ」と。

ということは、誰も住んでいなかった家を見て、私はいつもひとり自分の空想だけを膨らませていたのだった。

でも・・・

朽ち落ちた家は、あまりに寂しい姿だけれど、父の話を聞いてからもこの家を見るたび、

「どんな人が住んでいたのだろう」と私の想像は膨らむ・・・。


 55年目ぐらいになるだろうか・・・。
今日、初めて、車を止めて、父との会話を思い出しながら、
私は、今は半分になってしまった思い出の洋館をカメラに収めた・・・。

投票

2012-12-15 | 日記
いよいよ投票日が二日後と迫ってきた。
私も、できることはやったつもりだが、あと1日、電話かけをがんばろう!

 今日、母に、
「投票所にはどうやって行くの?いっしょに行く?」
と、聞いたら、
「来てくれるんだったら、助かるなァ」・・・とのこと。

投票所まで、そんなに遠くはないけれど、今の母には、やはり歩いて行くには少し無理があると思える距離だ。
これまでは、父が車で一緒に行っていたけど、もう父はいない。
「わかった!来るよ。午前中にね!午後から、私も、ショージさんと一緒に行くんだ。」
と、答えた。
すると、母が、
「そうか。ショージさんも、今度は選挙ができるの?よかったなァ」・・・と。

夫に、「投票所入場券」が届き、夫の「投票行動」そのものに意味がある。

86歳の母の1票と、65歳になって初めて投票する夫の1票・・・。

何だか、胸に熱いものが込み上げてくる・・・。

よかった・・・

2012-12-08 | 日記
 昨日、母のところに行ったら、「歯が欠けちゃった・・・」と言うではないか。
原因を聞いたら、先日、私が頼んで夫に持って行ってもらった「りんご」を食べたからだと言う。

「えっー?!それは大変!!すぐに、歯医者さんに行こう!私が一緒に行くから」ということに。

金曜日であることも私の頭にあり、何としても「今日中に」の思いがあった。
幸いにも、予約は午後一番に取れて、一応応急処置をしてもらい、なんとかお正月を迎えられることになった。
ほとんどが入歯で、残っていた自分の歯を折ってしまい、母は悲しそうだった。
「早くやってもらったから、よかったよ」とは言っていたけれど・・・。
ごめんね・・・。