えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

モッコウバラが咲きました

2009-04-29 | 日記
今日は、家で高校時代の友人に手紙を書きました。
自分の歩んできた10年と、自分の目で見てきた日本の裁判のあり方を率直にかかせていただきました。

モッコウバラは、毎年、実家の庭で咲くバラを挿し木で増やしたものです。
かわいい花をつけてくれました。

思い切って

2009-04-28 | 日記
 夫たちの闘いがいよいよ最終盤を迎え、守る会が総力を挙げていま取り組んでいることは、
全国紙に「新聞意見広告」を出すことだ。

 とんでもなくたくさんの費用を必要とする。
できうる限り、あらゆる手段でその対策を立て、「やりつくす」努力がされている。
それは、今までの運動の枠を大きく超えて「世論」に呼びかけ、理解と賛同を得ることの必要性と重要性を思うからだ。

「布川が勝てばいい」

それだけでももちろん大きな影響力はあるだろう。
無実の者が、42年もの長い間「無実を叫び、裁判のやり直しを求め続けている」
なぜ、今まで放置されたままなのか
裁判とはそういうものなのか

だけど、今、裁判員裁判が始まるまさにこのとき

「裁判員になるかもしれない、あなたへ」
呼びかけたい、
訴えたい、
一緒に考えてほしい。

「えん罪・布川事件」を知って、

この裁判は
何が間違っていたのか
どうすればよかったのか

一緒に考えてくださる人が、多ければ多いほど、この日本と言う国の「裁判の在り方」が変わる。
そして、
えん罪で苦しんでいる人への関心が高まり、「えん罪を繰り返さない」努力がされる。


 だから、私も手紙を書いた。
学生時代のクラスメート全員に。
卒業以来一度も会っていない友(と言っていいのかな?)にも。
なぜなら、
10年間、夫のそばで見てきたことが、私自身の確信に代わり、これは今の日本のすべての人に共通に考えていただける問題であると思うから。

明日は、高校時代の友に送ろう。

思い切って、これまでの垣根を越えて。

一人でも、二人でも応えていただけたなら、それだけで勇気が湧いてくるだろうな。。。

夫はすでに100人単位で日々手紙を書き続けている・・・

病院機能評価受審で

2009-04-24 | 日記
 今年、私の生活が例年になく忙しいと感じるもうひとつの理由に、勤務先が、病院機能評価受審の年にあたっていて、それも年度はじめの四月ということで、私の所属する部署も、年あけから、ピッチをあげた準備が進められてきた事がある。
それでも、資格を持たない私に出来ることはほとんどなく、採用者の受け入れ準備や、年度末、年度初めの例年の業務にあけくれたまま、受審日を迎えた。

 病院の全部署がかなりの緊張でいっぱいの初日、二日目が終わり、最終日の午後。
「お疲れ様です。いってらっしゃい!」と上司達を見送り、部屋で留守を預かっていたところ、K課長さんからPHSで連絡が入った。

「これから、審査員の方が、ボランティア受け入れについて説明を聞きたいということなので、作業室で待機していてください」と。

「えっ?ワタシ?!」

何にも聞いてないよ~!!
でも、でも、でも・・・行かないわけにはいかない。
でも、なぜワタシなの?!

 あわてて、作業室へ行ってテーブルを拭き、椅子を片付け(なぜか、その日に限っていつもより部屋が乱れていた・・・)右往左往して準備をしているうちに、審査員とK課長さん、ボランティア担当であるソーシャルワーカーのIさんがやってきた。
手に持っていた雑巾を急いで片付け、何とか準備OK!

「早速ですが・・・」と審査員が口火を切ったところで、
「すみません、ちょっと資料を持ってきます!」とバタバタ・・・。

でも、それからは

「活動された記録はどのように・・・」
「受け入れの取り決めのようなものは・・・」
「どのような内容を・・・」
「いつごろから・・・」

 受け入れ24年目に入ること、看護部門のほか、外来案内、ガーデンボランティア、緩和ケア病棟、外来図書受付、花の水換え、ピアノボランティアなど会員さんのご努力で歴史の積み重ねとともになくてはならない存在になっていることを、SWのIさんとたずねられるままに説明した。
市、県、厚労省からも表彰を受けていること、年1回は病院長、事務部長、看護部長も出席する懇談会が行われていることも・・・・。

 審査員の方は、とても感心されたように、うなずきながら聞いてくださった。

  ふ~・・・!!

そして、講評を揃って聞いてきた課長さんたち・・・
看護部長、副部長さんからも・・・

言われた・・・

「病院としてはまだまだ課題が多いことを指摘受けたのに、ボランティア受け入れのことはいい評価を受けたよ。
そんなに長く活動が続けられているというのは、病院として受け入れ体制がきちんとしているからだろう」って。

え~!そうなんですか?
でも、嬉しかった!!
なぜって、
その24年、つまりボランティア導入時から関わってきた私だったから・・・。

よかったー!!
20周年のとき、これまでの活動経過をまとめておいたものが手元にあったから。
今回、とても役に立ちました!

それにしても、導入時の苦労が昨日のように思い返されてきました。
ボランティアさんも病院側も暗中模索の時代があっての今日なのでした・・・。

この嬉しさ、誰と分かち合えばいいのかな・・・




土浦駅頭署名宣伝行動2

2009-04-16 | 日記
それにしても・・・・
寒かった!!ですね~。
ご参加くださった皆さん、ありがとうございました。
風邪をひかれなかったかな・・・?

「会いに来たのよ!」と言って出てきてくださったKiさん。
いつも励ましてくださりありがとうございます。
今日はお会いできて本当に嬉しかったです! 

 夜になって、自宅に帰りついた夫から電話が入った。
朝8時からの最高裁前宣伝と救援会東京都本部で手紙書き、午後から布川・最高裁要請、守る会打ち合わせ、銀座マリオン前宣伝と終えて帰った・・・と。
私からも、土浦宣伝の状況などを報告した。

 お疲れ様でした。
明日も夫は都内支援要請。
あさっては守る会総会と、仕事を休んで連日活動予定が入っています・・・。

土浦駅頭署名宣伝行動

2009-04-16 | 日記
 今日は、最高裁要請の日だったけれど
私は仕事の都合で参加できなかった。
でも、せめて土浦駅等で行う夕方の宣伝だけは
参加しなければ、と職場に無理を言って
時間休をとり、土浦駅に向かった。
 常磐道を走りながら、目に入ってくる
木々の若葉がとても新鮮できれいだった。

 夕方の5時。
土浦駅前は、まだまだ明るく、心配されたにわか雨も
降り出しそうになかったけれど、その代わりとでもいうように
冷たい風がペデストリアンデッキの上を吹きわたっていた。
取手市からSさん、つくば市からKさん、Sさん、そして
しばらくお会い出来ないでいたKiさん、それに水戸翔事務所から
UさんとKaさん、最高裁要請に行ってくださった救援会のYさん、
Hさん、Oさん。私を含め計10名での宣伝行動となった。


 いつもより人数が多かったことも力になったのだと思います。
チラシをまき、訴える人の熱意が伝わったのでしょう。
ハンドマイクで訴えるYさん、Oさんの声が駅を利用する人たちの
足を止めてくださいました。
そして、若い人も、私たちと同年配の方たち何組もの人たちが署名板を持つ人と真剣に話をしている姿が印象的でした。
正味40分間の訴えに31名の方が署名に応えてくださいました。
ありがとうございました。

 今日のチラシには、「新聞意見広告にご賛同を!」という内容が
印刷されています。電車の中で、また、家に持ち帰って、あらためて
読んでいただけたら・・・と願っています。

 先日の水戸駅宣伝の時もそうでしたが、市民の皆さんの温かい反応に
とても勇気づけられています。