えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

真っ青な空

2008-08-27 | 日記
水戸は久しぶりに晴れた。
少し暑くなって来たけど、やっぱり夏は終わり、そんな気がする…。

昼休み
ミンミン蝉も鳴いているけど秋の虫も鳴いていた。

窓を開け、秋の風を心地よく感じながら、暫し青く高い空を見上げていた…。

gonです いつまでも元気でいたいから・・・

2008-08-27 | 日記
老いたからといって
食欲が減退するわけではない
watasiは、まだまだ「食べる気力」はいっぱい!
だから
「飽きる」ことも、その証拠と言えるのかも・・・。

   もう、お魚ばかりでも飽きちゃった・・・

 昨日の夜から
kaoriさんが買って来てくれた「美食」なる一口サイズの食事に俄然食欲が目覚めてしまった。
とにかく
「おいしい~」

この前までは全くそんなふうに思わなかったのに・・・。
だから、kaoriさんが買って来て、出してくれた時も見向きもしなかった。
がっかりしたように、kaoriさんが
「食べないようだったら、誰かにあげちゃっていいよ」ってkeikoさんに言い残して帰って行ったのをwatasiは聞いていた・・・。

 でも、でも、
今度、食べてみたらおいしかったんだから、
「あの時はゴメンナサイ」だ。

watasiだって
いつまでも元気でいたいから、頑張って食べるよ。
わがまま言ってごめん!

keikoさんが、kaoriさんにメールで「gonちゃん、食べたよ!」って知らせたら、
「成田の○○で買ったの。水戸でも、さがしてみて。あると思うよ」
って、返事がきたみたい・・・。

嬉しいな、watasiのために・・・

ホントいうとね
あまりちっちゃいから足りないんだ…
だから、一度に3個はぺろりと食べちゃうんだよ

不器用な私だけど

2008-08-27 | 日記
何をやっても不器用で、失敗するたび自分から『めげてしまう』私だけど、挑戦することは嫌いではない。
10回のうち、1回ぐらいは
自分でも「結構、いいかも・・・」と思える時がある。
そんなとき、単純だから
「もう少し頑張っちゃおうかな?・・・」
ということになる。

新聞を見ていたら、超カンタンにできる
『ティッシュボックスカバー』の作り方があった。
これなら私にもできるかも・・・とさっそく挑戦。

できちゃった!

でも、ちょっと不満!
原因は分かったから、もうひとつ挑戦しよう!

もうすぐ現地調査

2008-08-24 | 日記
 今月最後の土、日は、18回目の全国現地調査が行われる。
初めのうちは、守る会、弁護団の先生方で現地調査が行われていたという。
それが全国からの参加を呼びかける形となって18回目。
毎年行われてきたというのだから、少なくとも18年前から続いていることになる。
その頃は、まだ夫とSさんは千葉刑務所の中だったはず。
守る会の皆さんは、
「現地を歩いて、二人の『無実』に確信を持って、運動をもっと強め、広めていきたい」と、8月の暑い炎天下、年々増えて行く全国からの参加者を迎えて行ってきた。

再審を求めたたたかい・・・
二人の一日も早い仮釈放を求める闘い・・・のために・・・。
 
 その頃・・・
私は何をしていたのだろうか・・・
「えん罪」という言葉すら知らないで、ましてや「布川事件」にも関心を持つことなく利根町とは遠く離れて、水戸で「生きること」に追われた生活をしていたようだ・・・。

 私が、「布川事件」を認識したのは、1998年の1月、初めて夫と出会ったその時からだ。
この10年、大きく、大きく流れが変わり、見事に前進を続けて来て、今年は、2005年9月の水戸地裁『再審開始決定』に続いて、東京高裁でも嬉しい嬉しい「勝利決定」を得ることができた。
18年前、現地を歩いてくださった皆さんの1歩1歩が今日に続いていることを思うと、本当に胸が熱くなる。

 今日は、現地調査で使うゼッケンを洗濯し、一枚一枚丁寧にアイロンをかけた。高裁で『勝った』のにまだ終わらない布川事件の裁判のやり直しを求めた闘い・・・。
東京高検の特別抗告が如何に理不尽な行為か、現地を歩きながらしっかりと考えて来よう・・・。
罪を犯してない者が罰せられたまま、40年以上も誤りが正されない異常な日本の裁判の実態を皆さんに分かっていただこう・・・。

 ゼッケンを見て、事務局のOさんがしみじみと言った

  さくらい「君」・S「君」を守る会、だって・・・。
  そうだよな、当時二人は二十代入ったばかりだったんだよな。
  今では、白髪交じりの還暦のおじさんだよ。
  それだけ長い闘いをし続けて来たんだよな・・・。



普通に流れていく普通の生活

2008-08-18 | 日記
お盆の休みは、利根町と私の実家両方のお墓参りのためだけに、13日1日しかとらなかったけれど、週末は久しぶりに夫も私も特に予定はなく、ゆっくり過ごす事ができた。
と、言っても何もしなかったわけではない。ベランダの防水工事があるからと、鉢植えの移動をし、片付け掃除をした。洗濯機の移動の準備をした。地域の定例の清掃作業に出た。買い物にも行き、父の誕生日のプレゼントを買い、届けに行った。訃報の連絡があって、二人でお通夜にも参列した。オリンピックも、かなりの時間、それも何種目も観ることができた。
不思議といつものような疲労感が残ってなく、ゆっくりできた、という思いが強い。
友人から、夫が「家族で温泉に行くけど、一緒にいかないか」と声をかけていただいたのを断ったのは少し残念に思うけど、夫とプライベートの時間をとれたことに、「しあわせ」を感じている。
夫はどう感じたかな?
ほとんど、口ばかりで取り掛かりの遅い私に代わって、さっさとやってくれた…???
そうか!
それで私は「のんびりできた」ように思うのかも知れない…。
とにかく、「一緒に生活する」という時間があまりに少なすぎる現実。
なかなか一般の方には理解しがたいと思うが、私にはこんなたった数日間の「普通の生活」がとても大切に思え、もっと増えて欲しい、と願ってしまうのです…

夏の朝は

2008-08-12 | 日記
夏の朝は、やっぱり朝顔の美しさに魅せられて、暫し見入ってしまう。
今朝は、青紫の花が三つ咲いた。朝顔は、どの色も清楚で清々しく感じるのは、白色とのコントラストなんだ…なんて、全く当たり前のことに、改めて感動してる。
どうしちゃったんだろう…。
S,keiko

新盆参り

2008-08-10 | 日記
実家の母から
「お盆はいつ来られるの?」と電話があったのは、7月の下旬ごろだったろうか。
高裁決定が出て、また東京高検が特別抗告をしたりと慌ただしく過ごしていた時期で、夫とお盆をどう過ごすか相談してなかったころだった。
今年は、カレンダーを見てもちょうど週の真ん中から始まるため、夏休を取らなければならず、夫の予定が決まらなければそれもできず返事をしかねていた。
でも、考えたら今年は身近な人たちの新盆が多く、日曜日の今日、夫は地元の町内を歩き、私も母と一緒に、伯母、従兄、実家の隣の家のご主人、母の親友のご主人と回ってきた。
盆棚に飾られている真新しい遺影が、不思議と皆「いい顔」でそれだけに悲しみが込み上げて来てちょっと辛かった。昨年の、お盆には元気で挨拶を交わしたのに・・・と。
 
 最後に回った家は50年近く行ってなかったところだった。決して遠くではない、私の実家の庭から南に見える山のふもとに家があり、幼いころ、四つ違いの兄の後をついて行った遠い記憶がかすかにあった。私たちが訪ねると言うより、この家の人たちが、私たちの家に来てくれて事が足りていたように思う。
 
 大正14年生まれ。とうに80歳を超えた母たちだが、実は独身時代から仲良し3人組で、結婚も同時期、出産も同時期、偶然にも初めての子は3人とも男の子、そして皆近くに住んですぐ会えるいうと条件の中、昭和の激動のなか、そして平成の世も変わらない親交を続けて来たのだった。その中の一人が、今年の初めご主人を亡くされたのだという。

「keikoちゃん、私ら3人、ずーっと仲良くやってきたんだよ。3人の中で、私が一番先にとうちゃんに逝かれちゃったよ。どんなに喧嘩したって、やっぱり二人一緒にいられる時が一番だよ。淋しくなっちゃったよ。」

明るく言ったけれど、その気持ちがしみじみと伝わってくる言葉だった。

 それにしても・・・
これまで父がこのような付き合いのすべてをやってきていたのに、父が一線を退いてすっかり母がやるようになっていることに、母の気丈さを見ながらも娘として一抹の寂しさを感じた、そんな一日だった。

 

今日も元気です

2008-08-10 | 日記
gonです
おはようございます。
久しぶりの涼しい朝です。

起きる時間だよー!早く起きてよ~。

寝ぼすけkeikoさんを、毎朝起こすのはwatasiの日課だけど、本当はお腹がすいて早く朝御飯が欲しいからなの・・・。
休みの日は、なかなか起きてくれなくて、もう疲れちゃうよ~

この頃のwatasiの食事は、絶対に「手作り」でなければ食べないの。
キャットフードはもうドライもレトルトも、缶詰もみんな食べられなくなって、今は、毎回白いご飯に焼き魚を混ぜてもらっているの・・・。
ぜいたく?
そんなことないよね。
watasiはkeikoさんたちの愛情がこもったご飯が食べたいだけなの・・・。
今朝はきっとアジの干物だよ

トマト

2008-08-09 | 日記
何がなくてもトマトがあればと、トマトが大好物の夫。
花は名前も分からないし、世話もどうしたらいいか分からないと言って、花壇にはほとんど手を貸してくれない。
私は、それならトマトを植えてみよう、と夏前に2本の苗を植えた。
夫の家に行く機会が少なくなってしまっている私は、結局その苗を夫に委せきりだった。
でも、あった!あった!
ちゃんとトマトがなっていた!
そう言えば、いつか私の母から「肥料、もらってきてやったよ」
なんて言ってたことを思い出した!
やっぱり、好きなものには手をかけて、収穫を楽しみにしている様子。
まだ青いけれど九個もなっている!
黄色い花もついていている。

美味しいトマトが収穫出来ると、私も、
「私のお陰だね」って胸をはれるんだけどな…。