えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

日本国民救援会第54 回全国大会

2008-07-27 | 日記
愛知県蒲郡市でおこなわれている、日本国民救援会第54回全国大会に茨城の救援会の代議員の一人として、二日間だけど、参加させていただいた。

私は、大会に参加するのは初めてだったが、夫たちの闘いが全国規模で闘えるのはやはり救援会と出会うことができたから。そのことをハッキリと感じることができた。北海道から九州まで、お会いする方みなさんが
「よかったねー。よく頑張ったね。もう少し。頑張ろう!」って夫に声をかけて下さり、我が事のように一緒に喜んで下さっている。
 また、テレビや新聞の報道をみて
「元気をもらいました。私たちも嬉しかったです」と、同じように冤罪と闘っている人や、支援している方たちからも声をかけていただいた。
 それにしても、冤罪ばかりではなく、人権侵害を受けて裁判を闘っている人が何と多いことか!紹介された事件関係者の皆さん、署名コーナーに並んだ署名用紙の多さ、討論に参加し発言された人の多さに驚くと共に、訴えの深刻さに涙を誘われ、日本の裁判の実体に改めて失望させられた。
だからと言って、失望だけでは前に進めない。布川事件の高裁決定のように、事実と証拠をしっかりつきつけ、世論を高めて、裁判官に公正な判断をすることに躊躇させない力を持てば必ず切り拓けるものであることを信じて希望をつないでいきたいと思う。
 裁判員制度についても、賛否両意見が多く出された。私自身もまだまだ勉強不足で意見を言える立場にはないが、今後学んで行く時の十分参考にさせていただこうと思った。
導入まですでに1年を切っている。見切り発車とならないことを願うばかりだが、現実はどうだろうか。
どんなに重大事件を起こした人であっても、裁かれる者にとって、「試し」など絶対あってはならないと私は強く思うのだが・・・。

 二日間、私は沢山の刺激を受けて帰って来た。
改めて、国民救援会という組織の存在の大きさと意義を思わずにはいられなかった。

それと・・・
西浦温泉はとてもきれいなところでした。
本当だったら、ホテルに缶詰め状態ばかりでなく、フリーで、一日24時間眼前の太平洋を眺めていたかった・・・。
朝陽の昇るのも夕日の沈むのも見たかったなぁ・・・。

自由時間がとれたならもう一度行きたい、そう思うところでした。

明日まで大会は続きます・・・。


特別抗告が出されました!

2008-07-23 | 日記
検察とはいったいどんな組織なのでしょうか?
またも
夫たちの苦しみを引き延ばそうとしています!

抗告期限の昨日
それも、夜の九時過ぎに最高裁に抗告書を提出した・・・ということです。
夕刊、朝刊、テレビ報道にも間に合わない時間に・・・。

地裁も、高裁も
夫たちの主張にこそ「真実がある」と認めて下さったのです。
検察が、一番最初の裁判から証拠を隠さずに出していたら、夫たちは有罪にならなかったかもしれない、とも。
すべては、捜査官や検察に問題があったことが指摘されているのです。
それなのに
何故、「裁判のやり直し」にこうも抵抗するのでしょうか?
主張があるなら、再審裁判の中で堂々とやるべきではないでしょうか?
何を持って検察は正義を唱えるのでしょうか?
自らの不正義に正面から取り組み、夫たちに謝罪をすべきだと思うのです。

あまりにも理不尽な検察のやり方に怒りでいっぱいです。
全国各地から「布川事件」を注視し、検察に対する批判と不信頼が高まりつつあるこの状況を無視しようとしているのは、社会状況の変化を読めてない、傲慢としか言いようがありません。

今日から、また新しい闘いが始まりました。
夫たちの闘いの日々はまだ続きます。
私たち夫婦も、先の読めない生活がまだ続くことになりました。

1週間が過ぎて

2008-07-20 | 日記
高裁決定の日から1週間。
初めての日曜日を迎えた。

 夫は、連日、お世話になった方へのお礼のご挨拶、高検への抗議・要請、弁護団会議、決定前から予定されていた集会などへの参加、そして「祝杯を!」と言って下さる方々との交流・・・。
文句なし?の、忙しくも充実した日々を過ごしたようである。

 私は、決定日の翌日、夫とお世話になっている水戸翔合同法律事務所へお礼のご挨拶、入院中の弁護士N先生のお見舞いを兼ねての報告、私の両親への報告などで時間を費やし、水曜日から職場に戻った。
決定日までの緊張が自分でも気付かないほどあったらしく、連日の暑さも加わって仕事に戻っても、とにかく「ねむい」、「横になりたい」と思う日が続いた。
夕食後、「少し横になろうかな・・・」が気がつくと、深夜までZZZ・・・、なんて日も・・・。
職場では、まずは、上司に挨拶と報告。
守る会に入ってくれている同僚や先輩方は、向こうから走り寄って来て、先に「よかったね~」と声をかけてくれた。
嬉しかったのは
「うちの人がね、・・・」
「息子がね、・・・」
と、本人ばかりでなく知らんふりしていたように思えていた家族の反応が嬉しかった、と話す友人たちの笑顔だった。

「知ってたの?ってきいたら、『いつも封書が届いていたあれだろう?よかったな』、なんて言うのよ。関心ないのかと思って、あまり話してなかったのよ~」

「息子がね、『お母さん、ほら、テレビでやってるよ。お母さんが応援している人のことだろう?』なんて言うの。嬉しくなっちゃった!」

 間違いなく「えん罪・布川事件」は、今まで以上に認知された。それも、きっと私の想像をはるかに超えたところまで行っているように思う・・・。

それは、「布川事件」という言葉だけではない。
 何故、布川事件がえん罪なのか?
 何故、えん罪になってしまったのか?
 何故、40年以上も改められないで来たのか?

布川事件即時抗告審の高裁決定は、あらためてその真実を広く知らしめることとなったのだ。
なおも、東京高検が特別抗告をするというなら、もっと、もっと広く国民の不信を買うことだろう・・・。

そう、そう!
今朝は、毎月一回行われる団地の一斉清掃日だった。
1か月ぶりに会った友人が言っていた。
「テレビ、見たよ。いや~、この棟からテレビに出るような人がいてすごいなぁ・・・なんて思っちゃったよ。
それにしても、ご主人、いい顔してたね~。10歳は若く映ってたね~」・・・と。

笑っちゃいました!
素顔を知っている彼女は、普段の夫をどんなふうに見てくれていたのでしょうか・・・。

梅雨明けです

2008-07-19 | 日記
梅雨明け宣言あり
いよいよ「布川」の暑い夏が来る。

特別抗告がされても、幸いにしてされなかったとしても
東京高裁が
夫たちの主張を「真実」と認めて下さったことに変わりはない。
このことを大きな力にして
また、新しいたたかいのなか、しっかりと歩き出そう・・・。
 
 今朝、今年初めて、ベランダの「くちなし」が咲いた。
毎年、変わらず、私に純白の花の美しさと、優しい香りを届けてくれる。
自分も信じた道を夫とともに歩いて行こう・・・
昨日、揺れていた自分を振り返り、そんなことを思った・・・。

決定日 その2

2008-07-19 | 日記
報告の遅れていた決定日の報告をしておこうと思う。
「検察、特別抗告に向けて検討」の報にあわてた自分を反省しながら・・・。
高裁の決定は
まぎれもない「勝利決定」なのだから・・・。




 二日前の夜、夫から電話で「keikoさんも一緒に裁判所に入るんだよ」と言われた。
えっ?
どういうこと?
それって・・・
と、当然、私なりに想像をめぐらす。

いい決定なのだろうか・・・

夫は多くは語ろうとしなかった。
私も
「わかった!」と答えた・・・。


 田口孝夫さんが、この日のために描いてくださったという横断幕には
「今こそ、今日こそ 再審裁判を」の文字と大きなひまわりが描かれていた。
守る会の事務局のYさん、Mさん、茨城の会のUさんと私。
4人でこの横断幕を持って最前列に並んだ。
すぐ後ろに夫とSさん、弁護団の先生方がつづき、沿道で見守る大勢の支援者の皆さんに送られて、私たちは裁判所の建物に向かった。
正門を入る前、私たちの前にはたくさんの報道陣がカメラを構えていて、自分の想像以上にこの日の決定が注目されていることを感じた。

 東京高裁15階の第4刑事部書記官室。
私は、弁護団の先生方とともに入り、勧められるままに請求人の家族として椅子に座った。
夫たちは、すぐ奥の小さな部屋にそれぞれの主任弁護人であるS先生とT先生とともに案内され入って行った。
時計を見ると10時5分前だったろうか・・・。
あと5分ある・・・
そう思いながら周りを見渡すと、部屋の雰囲気がとても穏やかに感じられた。
ピリピリした感じが全く感じられなかった。
「掛けてお待ちください」と言いながら、「椅子が少なくて済みません」と職員が本当に済まなさそうに声をかけて来たこと・・・
書記官と弁護団事務局長のY先生の事務連絡?の内容も、「しんせつ」そのものだった。

 何度も部屋の掛け時計を見上げ、確認し、きっかり午前10時に、担当書記官が決定書4名分持って夫たちの待つ部屋に入って行く姿を見送った。

ほとんど時間をおくことなく、背中越しに座っていた夫が振り返って(?実際私はこの瞬間を見逃してしまいました!・・・)私たちにVサインが・・・。
後ろから声が聞こえた。
「Vサイン?sakuraiさんがVサインを出したよ!」
「待って、待って!ちゃんと確かめてから・・・」
そして、正面に顔の見えた弁護団長でもあるS先生がニコニコ顔で両手で○の合図をするのが見えた!

私は、小さな声で「やったー!」とたぶん言ってしまったような・・・。

後ろにいた弁護団の先生方に「○ですね!」と確認し、小さな拍手をしてしまった。

先生方も小さな拍手!

拍手はダメ!と顔をほころばせながら制する事務局長のY先生。

書記官室の外にいたマスコミの人たちがガラス越しに見えた私たちの反応で即、ニュースに。

NHKのテロップが10時5分に流れたというのですから、その間3~4分のことだったようだ。

でも、Y先生は、本人たちが出てくるまでは「待って、待って・・・」・・・と両手を広げ私たちを制し続けた。

部屋から出て私たちのもとに来た夫たちは、にこにこ顔だった。
夫は、先生方一人一人と握手をし、お礼を言いながら私の前でいきなり方向転換。
列を変えてほかの先生方と握手、握手・・・。
一瞬、ポカンとしている私を見て
「あっ、keikoさんを忘れちゃった!」と言って戻って来て抱き寄せてくれた・・・。

Y先生に促されて、書記官室を喜びいっぱいで出た。
今になって思う。
「書記官室の皆さんにちゃんと挨拶して来たかなぁ?」って、なんだか全く思い出せない・・・。
先生方と喜びあいながら部屋を出て、3機のエレベーターに分乗して一階に降りたが・・・
ここでも
「揃って正面玄関を出ますから」のY先生の指示。
そうだった!・・・興奮ぎみの自分を自覚しながら、

「勝利決定」を持つM先生
「再審開始」を持つA先生の走り出したあと、夫たちについて私は外に出、たくさんの人たちの歓声の中に迎えていただいた・・・。

 結局、高裁正門前で待つ宣伝カーや支援者の皆さんに「勝利決定」が伝わったのは、NHKのテロップよりも遅くなった10時10分頃だったろうか・・・。


それからは、報道の通りです。

本当にたくさんの報道陣、駆けつけてくださった200人余の支援者の皆さんに囲まれ、ともに喜びあいました。


特別抗告の方向で検討始める?!

2008-07-18 | 日記
今朝、夫が

(検察は)「抗告の方針らしい」と、共同通信のニュースをメールで知らせてきた。

えっ?
どうして?
どうして、そんなことできるの?!

と、私の頭の中は猛スピードで急回転を始めた。
仕事が手につかなくなり、涙まで出て来てしまった。

検察が特別抗告をしないとは限らないことは分かっていたつもりだけど、
自分の取り乱し方が
「特別抗告などできるはずがない」という甘い思いがそこにあったことを知り、自分を責めた。

夫のメールには、
怒りの言葉と、受けて立つ、という思いとともに
「・・・あと少し勝利まで時間が必要になるけど、頑張ろうな」とあった。
「少し、人生計画が、また変わるだけ」だ、とも・・・。

そう!・・・
一番悔しいのは当事者である夫とsugiyamaさんなのだ。

私は、自分にそう言い聞かせて、怒りと悔しさを鎮めるために頭を使う仕事ではなく、体を使う仕事や書類の整理や片づけもので一日を過ごした・・・。

 まだ、「抗告」と決まったわけではない。
弁護団が最高検に「抗告を断念するように」と申し入れ、茨城の支援者ら16名が団体署名をたくさん提出し要請。
夫も自分の思いを訴えて来た。
マスコミがこんなにも大きくひろく取り上げてくれている。
全国から「布川事件の再審開始」を見守る人たちの高まる中で、それでも検察は
「特別抗告」をできるのか?

抗告期限の22日も、検察の決定が発表になるぎりぎりまで要請が行われる。
まだ、諦めていない。
検察が「抗告断念」することを強く願っている・・・。





抗告期限

2008-07-18 | 日記
検察の特別抗告の期限は

7月22日(火)・・・・

私は、決定日の14日の午後
支援者の皆さんと、すぐに検察庁に行き
「特別抗告は、絶対しないでください」と訴えた。

そして

「誤判は『国家の誤り』であって、当事者の訴えがあればその救済にすぐに対応すべき。それを、放置し続けること、また裁判所の「再審開始決定」に対し、理由もなく自分たちのメンツのためだけに抗告を繰り返し、いたずらに時間を引き延ばそうとすることは『国家の犯罪』です。」とも・・・。



決定日以来、連日検察庁に支援者の「抗議・要請」が続けられている。
夫も自ら参加し、訴えた。
明日18日は、茨城の会の皆さんが「団体署名」を携えて、要請に行く・・・。

期限まで、あと4日・・・。

決定日 その1

2008-07-16 | 日記
7月14日、月曜日
夫が、待ちに待った東京高裁の即時抗告審の決定日がとうとう来た。

 私は、夫とともに東京に前泊していた。
水戸地裁の決定の時と違って、夫も私も意外なほど落ち着いていて、よく寝られたし、朝食もしっかりおいしくいただいた。

決定は、午前10時だったが、守る会の皆さんが早朝から高裁前宣伝をして下っているとのことで、私たちは、ホテルを8時に出て、東京高裁に向かった。
取材のカメラが2台(2社)、決定前の夫の表情を追いかけていた。
朝から蒸し暑かったことに加え、早足で歩く夫の先を行ってカメラを回さなければならないカメラマンに私は同情しきり・・・。
ただ歩くのでさえ汗が噴き出す暑さだったのに、走って、走ってのカメラマンさんたち・・・(本当にご苦労様です、の気持ちになった)

通勤ラッシュの時間と重なり、地下鉄はとても混雑していた。
「絶対、混雑した電車に乗らない」という夫は、一度見送ったが、次も満員。
やむなくその電車に取材の方たちと乗り込み、本当にあの痴漢えん罪を題材にした映画「それでもボクはやってない」のなかの1シーンを思い出したくらい、周りの人とお互いに体を密着しながらの乗車となった。
吊革に手の届かない私は、夫の肩を借りたが、スーツの上からも夫がすでに汗だくになっているのが判った。
あれは、ただ暑かっただけだったのだろうか?
それとも「混雑」に緊張していたことも加わっていたのだろうか・・・。

 高裁前に着くと、たくさんの守る会の方がすでに来ていてくださった。
今回新たに作られた「黄色のバンダナ」をそれぞれ身につけている。
(このバンダナには、夫が獄中で書いた詩「空」が、ブルーの文字で印刷されている)
この日のために、絵手紙作家の田口孝夫さんが描いてくださった新しい横断幕を持ってアピールする人、人、人・・・
「決定」を知らせるチラシを撒く人、人・・・
幟を準備する人、人、人、・・・
宣伝カーで訴える人、人、・・・
時間の経過とともに、支援者の方々が続々と集まってきてくださる・・・。
ほどなく、茨城からバスで駆けつけてくださった人たちも加わった。
いつもながら、遠く青森や、新潟、愛知から来てくださった人もいた。
高裁の門の前は、人、人、人であふれかえるようになった。
「こんなにたくさんの人が・・・」と、私は胸が熱くなった。

9時半。
日弁連に弁護団の先生方が集合。
二日前に、「請求人の家族も、決定書を受け取る時、立会を認められた」と聞かされていた私は、夫と一緒に日弁連に向かった・・・。

                    つづく・・・