お別れ
2016-07-20 | 日記
大変お世話になった方の告別式に参列した。
祭壇に飾られた遺影が、あまりに自然で、お元気だったころのHさんそのもので、少し高い位置にはいるけれど、すぐにでも降りてきて、私の隣の机のパソコンに向かって仕事を始めるのではないかと思ったくらいで・・・。
告別式だというのに、まったくHさんがいなくなってしまった実感がわかなかった。
Hさんがされていた仕事の一部を引き受けた私は、なかなか仕事を覚えられず、何度「すみません。パソコン、また私がどうにかしちゃったみたいなんです・・・」と泣きついたことか・・・。そのたびに、にこにこしながら「俺のやり方でやって来たけれど、使いづらかったら自分でやり直していいんだよ」と言いながら、「これでいいと思うんだ」と、長い時間かかって修正してくれて・・・。
Hさんが、病気療養に入ったこの半年、「あ~、Hさん、来ないかな?SOSだよ~」と思っていると、ひょっこりいつもの柔和なお顔で、
「病院の帰りなんだ…」と現れてくれた。
「やっぱり!今日は、来てくれそうな気がしていたんです!」
そんなタイミングで、いつもいつも私はHさんに頼り切って仕事をしてきた。
4月中旬に顔を見せてくれて…。
そして、今日は「お別れの日」となってしまった。
余計なことは決して語ろうとしない。しかし、肝心なことはしっかりと言って、軌道修正のきっかけをちゃんと出してくれる。
不必要な無駄を出さないよう慎重で丁寧で、きっちりと仕事をするその姿勢は、人に強制するわけでもなく、それが逆に私には大きな学びにもなった・・・。
公私混同もない。
でも、私の興味に対する質問にはプライベートのことでも、意外と何でも答えてくれた。
私の愚痴には、
「しょうがないなぁ~」と言いながら賛同の意を表して付き合ってもくれた・・・。
夫たちの裁判も初期の段階から支援してくださったと聞いている。私が関わるようになってからも、現地調査、街頭宣伝、裁判所要請、定例の会議などなど、いつも、私たちのすぐそばにいてくださった。
救援会の言う『惻隠の情』を、まさに生きる姿勢で教えていただいたように思う。
命が有限であることを思えば、お別れは悲しいが、Hさんの仕事を引き継いだ私は、きっとこの先もしばらくは「Hさんだったらどうするだろう」と思いながらやっていくことだろう・・・。
人生の素敵な先輩でした。
ありがとうございました・・・。合掌。
祭壇に飾られた遺影が、あまりに自然で、お元気だったころのHさんそのもので、少し高い位置にはいるけれど、すぐにでも降りてきて、私の隣の机のパソコンに向かって仕事を始めるのではないかと思ったくらいで・・・。
告別式だというのに、まったくHさんがいなくなってしまった実感がわかなかった。
Hさんがされていた仕事の一部を引き受けた私は、なかなか仕事を覚えられず、何度「すみません。パソコン、また私がどうにかしちゃったみたいなんです・・・」と泣きついたことか・・・。そのたびに、にこにこしながら「俺のやり方でやって来たけれど、使いづらかったら自分でやり直していいんだよ」と言いながら、「これでいいと思うんだ」と、長い時間かかって修正してくれて・・・。
Hさんが、病気療養に入ったこの半年、「あ~、Hさん、来ないかな?SOSだよ~」と思っていると、ひょっこりいつもの柔和なお顔で、
「病院の帰りなんだ…」と現れてくれた。
「やっぱり!今日は、来てくれそうな気がしていたんです!」
そんなタイミングで、いつもいつも私はHさんに頼り切って仕事をしてきた。
4月中旬に顔を見せてくれて…。
そして、今日は「お別れの日」となってしまった。
余計なことは決して語ろうとしない。しかし、肝心なことはしっかりと言って、軌道修正のきっかけをちゃんと出してくれる。
不必要な無駄を出さないよう慎重で丁寧で、きっちりと仕事をするその姿勢は、人に強制するわけでもなく、それが逆に私には大きな学びにもなった・・・。
公私混同もない。
でも、私の興味に対する質問にはプライベートのことでも、意外と何でも答えてくれた。
私の愚痴には、
「しょうがないなぁ~」と言いながら賛同の意を表して付き合ってもくれた・・・。
夫たちの裁判も初期の段階から支援してくださったと聞いている。私が関わるようになってからも、現地調査、街頭宣伝、裁判所要請、定例の会議などなど、いつも、私たちのすぐそばにいてくださった。
救援会の言う『惻隠の情』を、まさに生きる姿勢で教えていただいたように思う。
命が有限であることを思えば、お別れは悲しいが、Hさんの仕事を引き継いだ私は、きっとこの先もしばらくは「Hさんだったらどうするだろう」と思いながらやっていくことだろう・・・。
人生の素敵な先輩でした。
ありがとうございました・・・。合掌。