えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

感動です!

2011-06-30 | 日記
DVDを児玉さんからいただきました。

ドキュメンタリーなので、そのまま、コスタリカ国の姿です。

平和や政治、人権意識の高さに感動です!
それは、教育にあることも、強く伝わってきます。

仲間と一緒に観て、語り合いたい、そんな内容です。
もう、ずっとずっと前から知っていた「コスタリカ」でしたが、私にとっては、聞いてきた話、児玉さんの絵、著書などが一同となった新鮮な感覚です。

ためしてガッテンでドキッ!

2011-06-30 | 日記
脂肪肝は、肝硬変、肝がんへ移行する確率大、との内容…。

そして、脂肪肝の原因のひとつに「夜更かし」があげられる、と。

思い当たることばかり…

今年は、昨年まで受けていた職場での定期健康診断がないので、自分でちゃんと申し込みしなきゃ…。

出逢いから

2011-06-30 | 日記
ガラス絵作家 児玉房子さんと初めてお会いしたのは、水戸で講演会を聞いたことが、きっかけとなった。
話の内容は、「軍隊のない国コスタリカ」に行っての体験だった。
話術、内容にも引かれたが、もっとも興味を持ったのが、人の出逢いによって人生支えられてきたという、まさに桜井昌司の人生に重なる話だった。

今では13年前になるのだろうか・・・。

あの日、もっと話を聞きたい、ガラス絵展を観たいと思い立って…私は、講演後、その足でガラス絵展が行われていると言う画廊に行った。
そして、1つの作品の前で動けなくなった。
それは、コスタリカの国の「父と子」が描かれているもので、なぜか私はその前でこみ上げてくる熱いものを自分の中に感じて、涙を流してしまった。
その絵は、夫と歩き出したばかりで不安いっぱいだった私を、強烈に励ましてくれているように思えたのだ。

私は、全く面識のなかった児玉さんに自分の名を名乗り、絵から得た感動を伝えていた・・・。
そして、自分が選んだ新しい人生のことも。

今、思うと「何と大胆な!」ということだが、児玉さんは私のまとまりのない話を真剣に聞いてくださり、
「大丈夫よ。あなたの話はちゃんと人の心に伝わりますよ。これから、大変だろうけど頑張ってね」と、ご自身の著書「コスタリカ賛歌」を私に下さった。
そして、「時間あるなら、もう少し話さない? 私、ホテルに帰っても一人なの。」と誘ってくださったのだ。
それから、「マック」でハンバーガーとコーヒーで私たちは長い時間、話した・・・。

まさに、私自身、出会いによって支えられる、その嬉しい体験をしていたのだった。


あの日から、児玉さんは、「茨城の会」に入会してくださり、お忙しい中、事あるごとに「布川の支援」をしてくださった。

この度、夫の無罪確定の報告とお礼の手紙を書いたら、丁寧な御返事をいただいた。


何だか、それを読んだら急にお会いしたくなってしまった。
来月中旬は、広島で原画展をされているとのこと。

広島へ行って来ようかな?



*****

子どもの本・九条の会 広島 
2周年の集い

 児玉房子ガラス絵原画展
   -「宮沢賢治童話」と「コスタリカ賛歌」-

   2011.7.21(木)→24(日) 10:00~19:00(最終日は、16:00閉場)
   
   広島市西区民文化センター 2Fギャラリー
                082-234-1960


 

   講演会「軍隊のない国コスタリカから宮沢賢治の世界への旅」
       2011.7.23(土) 10:00~12:00
       広島市西区民文化センター 3F研修室A.B

  
主催/子どもの本・九条の会 広島
問い合わせ/082-221-0435(三浦方)

母の生きた時代にも

2011-06-29 | 日記
先日、珍しいものを実家で見つけた。

母の名前が書かれた「青年学校教科書 巻二」というもの。

本科女子3年制用
修身及公民科 普通学科

と、書かれてあった。

昭和15年3月25日発行 定価金35銭 とも。

戦前、日本国のために、国家繁栄のために働く男子のために、女子はどう生きるべきか、が整然と書かれている。
内容は、今では考えられないような軍国主義そのもの。
ところどころ母が書いたらしい傍線が引かれていて、母のその当時の姿を想像させるものだった。

たくさん興味を引く章や項目、言葉があったが、つい、特別の思いで読んだのは、

修身及公民科の
第五 國法
 三 裁判の章だ。

「裁判は公平無私でなければならないから、裁判官は行政機関や上官など一さいの他の者の指摘や干渉を受けず、法のみをよりどころとして自己の慎重な考慮によって、その解釈、適用をなすのであり、且また、その地位は保障されているのである。これを司法権の独立という。」

また、当時は陪審制だった時代で次のように書かれてあった。

「陪審は、裁判官をして社会の実情に通ぜしめ、国民をして裁判に対する信頼を厚からしめるために、国民をして裁判に参与せしめ司法への協力をなさしめるものである。地方裁判所に於ける或種の刑事裁判について、陪審員として選定せられた者が犯罪事実の有無を認定し、裁判所はこの認定に基づいて法を適用し、刑をいう言い渡し、または無罪を言い渡すのである」

そして、この章の最後に

 課題  司法権の独立とはどんなことですか。

と書かれていた。

戦前の教育にたくさんの問題があったことは、分かっているつもりだが、でも、これら司法権の独立までしっかりと、母の生きた時代にも教えられていたのか、と思うと、何だか不思議な気持ちになった…。

2011-06-29 21:22:32

2011-06-29 | 日記
実家の庭の一角に、こんなかわいいハウスが建ちました。

中は、抗酸化処理がしてあり、陶板浴を目的とします。

今、何を優先するか?優先しなければならないかを考えて決断しました。

1日でも長く、両親と過ごす時間をとりたいと考えてのことでした。

父も母も、何とか、今以上体力を落とさないように、病状を悪化させないように、そう願って…。

両親の「陶板浴効果への期待」を、感じながら帰宅の途につきました。

楽しみそして願い・・・

2011-06-29 | 日記
今日、陶板浴のできるミニハウス「rakua」が父と母の元に届きます。
実家の庭に設置されのです。

少しでも、両親の体、日常生活が楽になったらいいなと思っています。

私たち夫婦も、実家を訪れる回数が増えるでしょう。

設置に、半日ぐらいかかるとの事。
設置依頼主は私だから、これからいってきま~す!

やっぱり疲れた

2011-06-28 | 日記
一日に2社の取材を受けたのは初めてだった。
夫が主なのだが、やっぱり、疲れた・・・。
1社はテレビ局の取材だったし、水戸、利根町、水戸と移動してだったから特にそう感じたのかもしれないが・・・。

夫は、
「あんた、そうか。一度には初めてか?」と笑っていた・・・・。
そして、
「きっと、今日で一段落だよ。大きな動きがなければ、もう、しばらくないと思うよ」と。



同じ質問を「初めてされたかのように答えてる自分」を、もう一人の別な自分が「さっきも同じこと答えたよ」って見ているような・・・。
「それでいいのよ。話が違っちゃ、おかしいじゃない?」と、インタビュうーに答えながら、自問自答を繰り返している自分・・・(笑)



「俺なんか、何百回、何千回と同じ質問を受け、同じ話、繰り返して来たんだよ。
 解って貰う、思いを伝えるってそういうことなんだよ」と夫。

そっか~。
そうだよねぇ・・・。



・・・・・


夫もきっと“取材攻勢”一段落に気が緩んだのだろう。
夜は、爆睡状態・・・でした。








平日のきまりごと・・・

2011-06-28 | 日記
仕事の拘束から解放されて、いつでも自分の都合で行きたいところに行ける様になったら、
考えなしに安易に家を出てしまい、
「しまった!」と思うことがこのところ続いている。

仕事をしているときは、平日の帰宅帰りか、土日に行っていたクリーニング屋さん。
どういうわけか「いつでもやってる」はずが、行ってみて定休日であることを知り、がっかり・・・。

銀行も「平日、いつでもOK!」(の、はずないのに・・・)行ってみて、
「あら、もう閉まっている・・・」
結局、時間外のキャッシュコーナーへ。

24時間対応の中央郵便局を利用していた私は、
「そうか!地域に、郵便局があったんだ」と喜んで行ってみれば、自分が、曜日の感覚なく「アッ!きょう、休みだった!」

遠出しなければならず、ちゃんと所要時間を計算して家を出たのに、国道に出たとたん渋滞に遭い、
「あ~、通勤時間帯の混雑を考えるの忘れてた!」となる。


何だか、まだまだ、「普通の生活」が落ち着かない・・・

今日も、夫を水戸駅に送った後コンビニに寄ったら、駐車場がいっぱいで停められない。
昨日も、かなり駐車場を広く取ってある龍ヶ崎市のコンビニに入って同じ経験をした。
そして、
「そうなんだ・・・。昼時のコンビニには、駐車場に停めた車の中で『コンビニ弁当』を食べ、昼休みをする人でいっぱいなんだ・・・」と納得・・・。

自分がうまく順応していけるのに、後どれくらい時間がかかるのだろうか・・・。

茨城の会・報告集会&祝勝会

2011-06-25 | 日記
茨城の会・救援会県本部共催で、無罪判決確定報告集会と祝勝会が行われた。

約130名の方たちが来てくださり、報告集会会場は席が足りなくなり、また、祝勝会会場もお料理が足りない状況だった。

皆さんの笑顔が嬉しかった。
夫たちの「無罪確定」を祝うために足を運んでくださり、その喜びを共有していただける、そのことに感謝の気持ちでいっぱいになった。
作成された「運動の歴史」のスライドを観ながら、改めて長い闘いだったこと、そして、本当にたくさんの人たちに支えられての44年だったことに胸が熱くなった。

長い闘いの末の「勝利」の祝宴。
残念ながら、杉山さんは体調不良との事で出席できなかった(夫人が代理で出席)が、夫の「自由を勝ち得た」笑顔が私は嬉しかった。
勝利記念の「だるま」の両目もしっかりと入れられた。

田口孝夫さんの6メートルに及ぶお祝いの絵手紙も披露された。

・・・・・・・・・・・

「2011年6月8日午前0時」

夫と杉山さんは、

普通の、一市民として生きていく権利を回復したのです!


「44年前に起きた布川事件」とは全く関係ありません。

「強盗殺人犯ではありません」

「無期懲役囚でもありません」

もう、

旅行だって転居だって、束縛なしに自由に出来るのです。

選挙権も戻ってきたのです。


夫にも、杉山さんにも、真の自由を得た新しい時間が流れて行くのです。


・・・



改めてそんなことを考えた一日が終わろうとしています・・・。





ゆらゆら揺れて・・・

2011-06-23 | 日記
急いで中古住宅を探して、落ち着いた生活基盤作りをするか、それとも忙しさが増し、夫がなかなか水戸まで帰ってくることができないことが予想される中で、一人で慣れない家で待つ不安を考えたらまだ家探しは時期尚早か・・・。

母の手術も来月に控え・・・なんて、一人頭の中で考えていたら、手術はひとまず延期になり、何件かの物件を紹介されて二人で歩いていたら、何となくイメージが沸いてきて、自分だけの堂々巡りが少し改善されたような・・・。

でも、まだまだ私の「ゆらゆら」は続きそう・・・。
夫と私、判決確定後、まだ一緒に両親のところに行けてない・・・。

今日は、何だか夫が帰ってきたのに、PCの前からほとんどと言っていいくらい離れられず、家事一切せずに終わってしまった。

明日も、北松戸、利根町と私に同行して欲しかったようだけど、
「ごめん!行けない・・・」と返事する。
私は25日の報告集会準備のために。夫は、26日、利根町での取材準備のために。
私だって一緒に行かなければと思うけど・・・。
本当に、口ばかりで何も出来てない。
ごめん!という以外言いようがない・・・。

報告集会が済んだら・・・、月曜日の取材が済んだら、少し時間が取れるかな。
判決前には、父と母と一緒に旅行に行こう、と決めていたけど、そんなこと今の夫にとってはとんでもないことだと分かった。
夫と話していたことだったけど、今となっては無理なのは聞かなくても分かる。

病を抱えている父も母も、だんだんその機会が少なくなって来る。
私の退職記念と夫の無罪確定を記念して、私が企画したかったのだけど・・・。
口約束だけになってしまっていることが、なんとももどかしくてならない。

今日、母の病に新たな不安材料が見つかったことを兄から連絡受けて、今のうちに出来ることって何だろう、と考えている・・・。

知人が、お母さんを亡くされて通夜が営まれたのに参加したから、尚のこと、私の頭の中は平常心を保てないでいるのかもしれない・・・。