えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

名刺を更新しなければ・・・

2010-02-28 | 日記
なかなか名刺交換というのが私にはできない。
私も、夫の代理と言うと、準公人と言えるのかもしれないが、
いつも先方からご挨拶を頂き、名刺を差し出される。

今回も、出掛けに出してみたら、
まだ「再審請求人・桜井昌司 妻」となったまま、挙句に今はないHPのアドレスも入っている。
あ~あ~ぁ・・・
だめだなぁ~

もう、夫は再審請求人ではないのだ。
再審が確定し、「被告人」となったのだと言うから、私は「被告人の妻」?

堂々たる「無実の被告人」の妻でいいのだけれど、
う~ン・・・

どんな名刺を作ろうかな?
急いで作らなければ、また、次の名刺を考える時期が来てしまう・・・

救援会いわき支部大会の席で

2010-02-27 | 日記
「布川事件とは?」から学びたい、とおっしゃっていただき、
事務局の大名さんと鈴木さんと福島県いわき市に行った。

支部大会のあとに頂いた時間は1時間。
「布川事件の40年」を観ていただき、
大名さんが経過と運動の報告、
私が、「えん罪被害者の内なる姿」と救援会に支えられた42年の闘いだったことを
報告させていただいた。

 でも、でも、でも・・・
もう少し時間が欲しかった・・・。
時間が気になって、肝腎なことを言い忘れてしまった。
どうも、私には「臨機応変」という課題が残るようだ。

閉会の後、何人かの方に
「いいお話をありがとうございました」
「頑張って下さい。体を壊さないように」
「ご主人に宜しくね」
など、声を掛けていただいた。

大名さんが上映用の機器を忘れてしまい、ちょっと心配したが、鈴木さんの機転で
すぐに解消!
何だか「このチーム、いいみたい・・・」と、今日の任務終了にほっとして帰水の途についた。

夫は、「取手・ゆらゆら春の会」の「最高裁決定報告会と祝う会」に参加。
それぞれ分担しての活動の一日となった。

再会

2010-02-26 | 日記
娘が、17日、1年4ヶ月ぶりに、オーストラリアから帰国した。

写真に納まってしまったgonと再会し、gonのお骨に合掌した。

そして、ひとこと、私に言った。

「寿命だったんでしょう?」・・・と。

私は答えられなかった。
娘の帰国するこの1ヶ月間、なぜ元気で居させてあげられなかったのか、と。
お正月、あんなに元気だったのに、と悔やまれてならなかった。

「もう一度、抱いて寝てあげたかったな」

娘のつぶやきが耳に残った・・・


 gonは娘の手で、私の両親の住む田舎に埋葬された・・・。







時代の流れのなかで

2010-02-26 | 日記
 時代の流れとともに、病院も経営再建を言われるようになって久しい。
それなりの改革も進められ、何度も、働く側としては
「なぜ、いま?」の疑問も抱いたこともあった。
それでも、働き続けるには
「自分を変えて、新しいやり方に順応させていかなければならないのだ」と言い聞かせてきた。
でも、振り返って思うのは、
「心をどこかに置き忘れてこなかったか?」ということ・・・
見えるものも
「見えないふり」をしてこなかった?ということ・・・

年月だけが重ねられてきたが、25年お世話になった上司から離れ、
3月から、新しい上司の下で、また新しいスタイルで仕事が続いていく・・・

「人が大事にされているだろうか・・・」

ものすごい淋しさと、このスタートが少しでも良い方向に行って欲しいとわずかな期待感が交錯する今夜の心境だ・・・。

私の立場・・・

2010-02-26 | 日記
恒例の偕楽園観梅宣伝

今年もやります。
茨城の会の皆さんと救援会の皆さんがやってくださいます。

・・・と、何だか、言い回しに迷う私・・・

この10年間、ずっと自分の立場について、そして、その時その時気を遣ってきたのが、

「あなたは、支援していただく
 『布川事件の桜井昌司の身内』ということを
 忘れないように」

夫にそう言われたことが、いつも頭にある。

そうなんだけど・・・

と、私の頭の中では自問自答が続く。

私は、「桜井昌司の妻」という立場と、
日本国民救援会の会員、それも、県本部、水戸支部の役員をさせていただいている。
『布川』の運動は、どちらかといえば、支援活動と言っていい参加スタイルになっている。
だから、つい
「お疲れ様でした!」「ごくろうさまでした!」と口をついで出てしまう。

でも、夫に
「ありがとうございました!」だろ?と言われ、

うん、そうだった・・・でも・・・


その時々の自分。
夫の顔を見、事務局の人たちの顔を見ながら揺れ動く・・・。

3月13日(土)の偕楽園宣伝
3月19日(金)の
 水戸地検要請、水戸地裁土浦支部要請、土浦駅頭宣伝
4月2日(金)の水戸駅頭宣伝のこと
4月3日(土)東京で行われる「春が来た 佐藤光政コンサート」
4月4日(日)水戸で行われる
 「桜井昌司さんの話をじ~っくり聞く会」などなど

いくつもの顔をもって私の活動は続く・・・
夫は、もっと「違う顔」の私を期待しているんだろうな・・・







救援会関東ブロック会議

2010-02-22 | 日記
 群馬県安中市で、日本国民救援会関東ブロック会議がおこなわれ、
茨城県本部の皆さんと参加した。
私自身は、夫の代理で「布川・最高裁決定」のお礼と報告と、県本部常任委員として、また水戸支部事務局としての経験交流の目的があった。

関東ブロックは、
 茨城、栃木、群馬、山梨の4県で、他県の先輩方の経験を聞くことで、
たくさんの「ヒント」をいただくことができた。

「感動いっぱい 国民救援会」のとおり、もっともっと救援会の姿を広く知らせ、新しい仲間を迎えていきたい、強くそう思いながら帰水した。

7月末に行われる「全国大会」が、この地で行われる。会場の下見を兼ねた会議だったが、
会場も素晴らしいところだった。充実した二日間だった。

布川勝利決定を得た今の有利な条件を活かし、全国大会には水戸においても取り組みの成果を報告できるようなそんな5ヶ月間にしたい、と考えている。

明日は、早速四月初旬に考えている
「布川事件のたたかいと国民救援会」の準備のためのプロジェクト会議。

ブロック会議で元気をもらってきたので、
ちょっと、わくわく、そんな気持ちの私です。

緊張の日々・・・

2010-02-17 | 日記
「勝った後こそ大事なんだよ」

夫からこの言葉を聞く回数が増えた。

夫の言葉に
私も身が引き締まる思いになる。

流れの中で、自分を「進化」させなければならない部分と、
これだけは「変えてはならないもの」の
自問自答が続く・・・


何かが動き始めている

2010-02-15 | 日記
夫はよく言っていた。

「機が熟すまであせることない。
 あせらなくても、必ず、そのときが来れば、
 一気にコップの水があふれるように、
 世の中、加速してあるべき方向へ流れていく」と。

最高裁決定が出たとき、
「やっぱり、今、このとき」なんだ・・・と思った。

「予想通りだったね」と二人で言ってしまったくらいだった。

喜びは、ずんずんと?じわじわと?時間をかけながら今も全身に浸透しつづけている。

年が明けてからも、今までにない時間の流れ、たくさんの人たちとの交流、思ってもいないような嬉しいことが次々と続いているのだ。

私自身も積み重ねてきたものを振り返るきっかけにもなっている。

何かが、確かに動き始めている。
夫ばかりではなく、私にとっても明らかな転機が訪れていることを感じるこの頃だ・・・。