えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

間違いなく

2011-04-28 | 日記
今年も春が約束通りやって来ました。

昨年、秋に植えたチューリップが、夫の家の庭で咲いていました。
なかなか訪れる事が少なくなり、見てあげられないことに心が痛みますが、私の方が元気をもらいました。

なまけていたわけではないけれど

2011-04-28 | 日記
なかなか人生、計画通りにはいかないもの。予定していたことが、どうも実行に結び付かない。

そんな事がいくつも重なり、時間だけが過ぎて行って、罪悪感に苛まれたり…。
昨日、守る会代表の皆さんと、判決前、最後の署名提出に水戸地裁土浦支部へ行って、自分が今、どんな立場にいるか、改めて気づかされた思いがした。
そして、
少し元気が出た。

そう。
大震災で延期になった「布川」判決まで、1ヶ月を切ったのだ…。

私にとっては、ふってわいたような、この「フリータイム」
もっともっと有効に使わなくてはならないのだが…。

訂正

2011-04-18 | 日記
昨日那珂川堤防の修復について書いた。

「もっと優先すべきところがあるのではないか?」と。

でも、ふっと気付いた。

万一、東北沖津波と同様のものが那珂川河口の那珂湊や大洗に来たとき、そのときはまぎれもなくこのあたりも危険区域に入ることを。

そうか、そうだったんだ・・・と。


何だか軽率な自分の思い・・・

ハンセイ・・・です


春が進んでいく

2011-04-17 | 日記
春の花と言えば「さくら」

そのさくらも、先日の強風でほとんど散ってしまいもうすっかり葉桜に変わってしまった。

今日、千波湖を見下ろしたら、
やっぱり、湖面周囲を飾るのは、桜から柳へと移りつつあることがはっきりと分かる風景だった。


そして、散歩で目にした「やまぶき」
 やっぱり、すき・・・

         

ありがたいけれど・・・

2011-04-17 | 日記
那珂川の堤防です。
地震による被害が、急ピッチで修復されつつあります。

近隣住民の憩いのロードなのでとても嬉しいのですが、でも・・・
もっと優先しなくてはならないところはないのかな?
ふっとそんなことを考えてしまいました。

ここは、地震直後から復旧工事が始められたのです。
歩道と土手に大きな亀裂が入ってしまったということで・・・。

手前までが修復の済んだところです。

早朝散歩

2011-04-17 | 日記
朝、5時に起きて散歩に出ました。
ひんやりとした空気は、それだけで寝起きの脳と身体を目覚めさせてくれました。
那珂川の堤防に立つと、朝陽が昇る瞬間。

何か、今日はいいことがありそうな気がしてきました
住宅からスズメの姿が消えたと言われていますが、ここ那珂川の近くに立つ団地の中には、元気いっぱいのスズメの鳴き声が飛び交っていました。

こんなにかわいいのに

2011-04-17 | 日記
私の好きな花の一つ、
スミレがたくさん咲きました。
路地で踏みつけられていた小さな花をベランダの鉢に植えたものですが、
年々花の数を増やして、私のこころを和ませてくれています。

今朝も一斉清掃です。
草取りの対象にされてしまうのがかわいそうなので、今日もいくつか4階のベランダに連れてきてあげましょうか・・・。

「悩むんじゃなく、考える」

2011-04-16 | 日記
今日、テレビを観ていて、

「悩むんじゃなく、考えろ」ということばが耳にとまった。

番組は、
 NHKの「目撃!日本列島
     ~高校中退の衝撃・教師の格闘~ 」というもの。

その1シーン。

ある定時制高校。

両親の離婚問題で悩む女子高生。
定年を間近に控えた男性教師(担任)が、声をかける。
廊下に呼び出し、事情を聞く。
 ・・・・
そして言う。

「自分でどうしたいのか、よく考えろ。
    悩むんじゃなくて『考えるんだ』」と。

そして、教室で、廊下で姿を見ると先生は声をかけて励ます。
(どの生徒に対しても)

 

 3月。
終了式後、先生は教室で最後の挨拶をする。

「ここにいる全員が進級できます!
 みんな、必ず3年、4年と頑張って必ず卒業してください。
 みんなの卒業式には、先生は必ず出席します」と。

自分の存在を認め、励まし続けてもらった生徒が笑顔で言う。

「必ず卒業できるように頑張る。先生が、卒業式に来てくれると言ったから、卒業する自分を見てもらいたい」と。

「自分で考え、自分の考えを表現できる」生徒として・・・。



遠い記憶の中に、同じように、考えてもどうにもならないことで堂々巡りをしていた自分も同じことばを言われたことが思い返された。
原因は何だったのか思い出せないが、

『悩むんじゃなくて、考えろ。
 どうしたらいいのかではなく、自分はどうしたいのかが大事なんだよ』と。

全く同じことばだった・・・。







「被災者支援」

2011-04-16 | 日記
当事者の悲しみ、無念さ、後悔、虚脱感、怒り・・・
津波が何もかもを奪っていったその現地に立って、

友人は「救援物資を運んだだけ」の自分を責める感情で苦しんでいることを知った。


被災者支援という形で同じように現地に入った夫は、
「俺は、そんな感情は持たなかったな・・・」とつぶやいた。

正直なことを言えば、私は、夫が現地に入ってボランティアとして数日間を過ごし、「元気に」帰ってきてくれるのか、不安があった。
想像を絶するような現状を目の当たりにし、被災者の背負わざるを得なくなった苦しみや悲しみをどのように受け止めてくるのか。
夫がえん罪被害者として体験した壮絶な苦しみ、悲しみが再び誘発されては来ないだろうか・・・。
自らの力だけではどうにもならない現実に立たされたとき、人は未来にどのような希望を見出せるのか・・・。
今回の夫の行動が、プラスに作用するのか、それとも・・・・と。

 でも、私の心配は取り越し苦労で終わったことに安堵していた。
きっと、それは、今の夫には
「44年間、闘い抜いて、間もなく得られるであろう悲願の『無罪判決』への確信があった」からだろう・・・と。
そして、
「自分も全力を尽くす。それでも力が及ばないときには『助けてください』と支援を求めることは何も恥ずかしいことではない。
『何か力になりたい』と思ってくださる人の『思い』を素直に受けてこそ、困難を切り開いていくことができる」という信念が間違っていなかったことに、今、この時期だからこそ強く思えたのだろう。
だから自分のできることで「少しでも恩返ししたい」、「少しでも力になりたい」と。

 一人だけでの行動に無謀さも感じたが、夫は、なんとしてもボランティアとして被災地に入りたいと、受け入れてくれるセンターを一生懸命探して出かけていったのだ。
日常、写真を何でもブログに更新してしまう夫にハラハラさせられていたが、今回ばかりは
「写真をまともに撮れなかった。カメラを向けられなかった」というくらい、目の当たりにした現状は壮絶だったのだろう。
しかし、短日とはいえ、実際に被災者の近くで同じ場所で同じ時間を共有し、体を使って活動できたことが、きっと先にあげた友人と違う感想を持てたのではないだろうか。

 友人は、救援物資を依頼に基づいて大きな車でちゃんと届ける役目を果たし、それだけでも十分だと思うのだが、
被災の大きさの前で、立ち尽くし、「車で届ける仕事ぐらいならできる」と引き受けたその「自分の気持ちの甘さ」を責めているのだった。
そして、もう一回行くことになるだろうが、自分の気持ちときちんと向き合っていきたい・・・と。
360度、全く何も無く瓦礫と化したあまりにも広大なその光景はことばを失うしかなかったが、それでも復興を願ってできることをしなければ・・・と。

 ・・・・
夫のことばを思い出した。
「今、目の前のことを一生懸命やる。
 今日一日を一生懸命生きる。それを積み重ねていくこと」・・・と。

・・・・・

こんなことを書きながら・・・
自分は?と思う。
甘い自分を自覚しながら・・・