えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

日々少しずつ

2012-02-23 | 日記
毎日、毎日、少しずつ私のできる範囲で、「引越し」を続けています。
そして、いよいよ最終段階に入り、今住んでいるこの部屋のものが少なくなり、新しい家の収納前の仮置き所?は、訳が分からなくなるくらいめっちゃくちゃの状況になっています

何処にこんなに入っていたのかと思うくらい、私の荷物だけでいっぱい・・・。

夫のものは、夫自身でやってもらわなくてはならず、これから・・・。
そして、最終的には、27日に全部引き払い、29日には県住宅管理センターへ返納します。

電話の移転、インターネットの接続がうまくいくかな・・・?

というわけで来月中ごろまでこのブログはお休みします




新たな生活へ

2012-02-18 | 日記
 寒い!
外の気温は1度です・・・・。

 でも、明日の朝は、団地の一斉清掃日(毎月第3日曜日)なので気合を入れて「はたらき」ます。
何故って?
今月いっぱいで転居するため、棟の皆さんとの​最後の共同作業となるからです。長い間、ほんとに、ほんとにお世話になりました。思い出いっぱいの団地生活でした。
2歳と4歳の子どもたちも、この団地で、「おばちゃん、おじちゃん」たちに見守られて育って行きました。

 現在は、夫と一緒に生活していますが、裁判中は働く時間も制約があり、経済的基盤が不安定だったことや、私の活動の基盤が水戸だったことが理由で、長い間、夫は利根町、私は水戸という別居婚を続けてきました。
戸籍筆頭者は夫でしたが、夫が再審裁判の終結を機に水戸に来た時、団地の契約は世帯主が私で夫は同居人となっていたのです。

 やっと夫が世帯主となった家で、私たちの新しい生活が始まります。

 でも、どんなになっていくのかな・・・。
夫は国賠裁判に臨みながらも、成し得なかった夢、新たに生まれてくる夢の実現に向かってまだまだ全力投球の生活スタイルは変らないのだろうから・・・。

連載始まる

2012-02-17 | 日記
朝日新聞夕刊の連載記事に「ニッポン 人・脈・記」というのがある。
そこに、布川事件に関連した記事が昨日から始まった。
夫から、近く掲載されることは聞いていたが、それが夕刊だったとは聞き逃したのか、気付かずにいたら、昨夜の救援会会議でその記事のコピーが配布された。

 昨年の無罪確定から8ヶ月が過ぎ、夫は全国を駆け巡る生活を今も続けているが、同時に、再び国賠裁判に臨む準備を始めている。
この記事を契機に、一人でも多くの方に「布川事件とは」を、もう一度考えていただけることを願いたい。

  http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY201202160284.html

朝日新聞の記者さんに感謝!・・・・です

雪の朝

2012-02-17 | 日記
朝起きたら、雪景色だった。
でも、空は明るく一夜限りの雪だったことがわかった。
さあ、今日の予定は…問題なしかな?

そんなことを考えた朝だった。

事故・・・

2012-02-17 | 日記
 先日、私の100%過失で交通事故を起こしてしまった。
幸い、相手方のけがが軽く安堵しているが、お互いの車の損傷を考えると奇跡的とも言える状況・・・。

 この間、自分の注意力のなさが原因で起こしてしまったと精神的に落ち込む毎日だった。
でも、今日、事故当日にも聞いて、今日もまた、現場検証で警察官に聞かされたこと。

「どうしてこんな見通しの良い所で事故が多いのか?年末から、人身事故だけで、自分が扱っただけでもこれで6件です。人身扱いにならなかった事故も含めるともっとでしょう」と。

背筋の寒くなる話だった。
歩道に立つ私の足元にも、私たちの事故とは関係ないくっきりと残っているタイヤ痕が・・・。

「これは何ですか?」
「ああ、これですよ。年末に大きな事故があって、重大事故になってしまったんですよ」

 自分に原因があったことを正直に認めていたせいか、担当の警察官は私を責めたり、説教するようなことは一切言わなかった。
それよりも、何故、何が原因で事故につながったのかを私の説明から聞き出そうとしているようだった。

「何が一番の原因だと思いますか」と、一つに限定する様な質問が気になったが、その時の精神状態、どのような判断のもとに、どんな行動を取ったか。道路状況をなぜ認識出来ないまま通過してしまったのかなどあの時のことを思い返し、説明した。

現場を改めて通って見て思った。
「なぜ、こんな分かりやすい信号機のある交差点をあの日は認識できなかったのか・・・」と。
全く信号が視界に入らず、すーっと交差点に入って行ってしまったこと。
強い車への衝撃を受けて、我に返ったあの時の状況・・・。

相手方の説明で今日、改めて知った。
それは、前方赤信号で停車していたところ私の車が左方向から来るのが目に入ったが、信号が青に変わったので発進した。左方向から来た車は当然停まるだろうと判断してのことだったが、いきなり目の前に来ていた、とのこと。
相手方が発進直後だったことで、速度が出てなかった事が幸いだったのだろう。
本当に迷惑をかけてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 あの日、夫は私の事故第一報に「大きな声」で反応したが、すぐにメールでフォローしてくれた。
そして、後日、一緒に現場を走ってくれ、相手方へのお見舞いの時も車で同行してくれた。

「俺が順調に進んで行けてる分、あんたが俺の分まで悪いことを引き受けてくれてんのかもしれないな」
と、言いながら・・・。夫の優しさが沁みることばだった。


 それにしても、短期間にそんなに続けて事故が多発する場所があるなんて・・・。
私たちの後に続く事故がないことを祈りたい・・・。





八瓶山

2012-02-11 | 日記
 むかし、むかし、八つも頭のある大蛇がいて、暴れては、村人を困らせていたそうな・・・。
何とか退治をできないかと思案の末、山に酒を入れた甕を8つ運んで置いて来たそうな。
その酒を飲んだ大蛇は、みるみるうちに酔っぱらって大鼾をかき、寝てしまった。
その寝ている隙を狙って村人は大蛇を退治し、それから村は静かになったそうな。
 めでたし、めでたし・・・。

と、そんな話だったかどうかうろ覚えだが、故郷には「八瓶山」という山がある。
子どもの頃登った時には、本当に古い甕が8つ、頂上にあった。
この瓶に溜まった水をかき混ぜて来ると必ず雨が降るという言い伝えもあって、農業が主の村の人たちには「雨乞い」の山ともなっている。

             

 先日、救援会笠間支部の新年会の帰り、実家に回る途中で目に入ったのが、この八瓶山だ。
何だか、とても懐かしく思えてシャッターを切った。

今でも、瓶はあるのかな・・・。

引越しは少しずつ

2012-02-11 | 日記
1月末、あきらめかけていた家に、急に引っ越すことが決まり、バタバタと準備を始めた。
幸い、私も夫も何時もの月より時間が取れ、そのための行動を共にしてきたが、それでも
「家を買うって大変だな…」
「引越しって、思っていた以上に大変…」と、毎日考えながら少しづつ今出来ることに集中している。

 長く住み慣れた団地を明け渡す手続き、ガス、水道、電気、インターネットの停止と新たな家での再開の申込、中古住宅にありがちなトラブルのための連絡、業者とのやりとり・・・etc。
あれよ、あれよとほとんどは連絡が取りやすい私が窓口になって、私の頭の中はいっぱいになっている。

 夫の活動も再開。
昨日は埼玉。今夜は、東京。それが済んだら「今夜のうちに神戸に行くことになった」と夕刻に連絡が入った。

何だか、私一人では思うように進まない。
業者さんがかちあってしまいそうだ。
1カ月あれば充分時間があるし、何とでもなると思っていたのに少し甘かったかもしれない・・・。

やることは山のようにあるのだけれど、少し明日は休もうかな・・・。

 


むか~しの宿題

2012-02-05 | 日記

        
             

 やっと40年前の「宿題」が終わった!
これまでに何度手にし、そのたびに裏面の「お話」が書いてなかった事を気にしてきたことか・・・。

 保育士(当時は保母)を目指していた学生時代、紙芝居作成の課題があり、期限までにやっと絵を描き終えるだけで精一杯だった。
未完成のまま先生に提出し、何とか単位を頂いた。
「あとでちゃんと完成させる」ことを条件に・・・。
でも、ずーっとそのままになっていたのを、40年経ってやっとその時間が取れるようになり、
「仕上げて見よう!」と思ったのだ。
何だか、そうしないと「前に進んで行けないような気がした」のだから不思議だ。
「中途半端のまま捨てたくない」という思いの方が近いかな・・・?
(裏紙は、カレンダーの後ろを使い、そこにパソコンで入力した「お話」をはりつけただけだけど・・・)

 でも、人生って必ず節目があるんだなって思う。
そして、区切りも。

 夫と出会うまで、長い間「保育の現場に戻りたい」と考えていた。
夫と利根町に住むという話が進んだ時も、利根町の保育園で働けるよう話してあげてもいい、と仰ってくださった方もいた。

 あれから、13年・・・。
もう、現場に戻ることはないだろうが・・・。
完成させて、やっと保育士の仕事への願望からも卒業できたような、そんな気持ちになっている・・・。

瀕死のドラセナ

2012-02-04 | 日記
友人からいただいたドラセナが寒さで瀕死状態。
夜間温度10度をたもつように、と書いてあるが、どうしても夜間も家を空けることが続いたので、この寒さに耐えられなかったのだろう。座敷に移動して様子を見ているが、どうかな…?「新しい家に」って頂いたのに、申し訳ない。
転居迄にあと一ヶ月。
何とか元気になって欲しいな…。
そして、友人たちが来たときに、
リビングで迎えて欲しいな。
「あの時のドラセナだよ。元気だよ」って。
今夜も寒くなりそうです…。

立春に思う…

2012-02-04 | 日記
 新しい家が決まり、いよいよ引越しの段取りを考え始めたが、行ってみて、先ずは家の周辺、庭の除草が最優先と判断。

夫が、
「家の中より、外だろう。これじゃ、近所に迷惑だよ!」と。

庭付きを求めた願望が叶った嬉しさを味わいながら、これから始まるであろう雑草とのたたかいを想像している…。

 草取りに没頭している私に、ご近所さんから先に声をかけていただいた。
「夫と改めてご挨拶に伺います」
と、答えながら、皆さんといい関係のお付き合いをしていきたいな…と思った。
母が、
「近くだったら草取りぐらいだったら手伝えるのにな」と、言い、
父も、
「暖かくなったら、いつでも草取りに行ってやるわ」と、言ってくれた。
間違いなく、夫も私も「家族」として認めてもらえている言葉だと、嬉しくて涙が出た。
折しも、その日は、父の外来受診日。
「先生、これであとどれくらい生きられるもんですかね」という質問をし、主治医がお決まりの「励まし」の返答をするような状態なのに…。
父に家を見てもらったら、
「やっと落ち着けるな。安心した。」
と、言ってくれた。

 13年前の「勘当」も、今となっては懐かしい思い出となった。
全ては、夫の生きる姿勢が両親の心を変えてくれたのだ。

来週には、私の娘も引越しの手伝いに来るという。
夫は、娘が帰ってきたときのことも考えて部屋割りを考えてくれている。
素直に嬉しく思う。

 そして、夫の親族との、利根町での集まりも計画が進んでいる。

 私たちの春は、夫の獄中詩で「春は2月に始まる」と表現されていたように、その訪れを立春の今日、改めて感じている…。