昨年から、夫は努めて水戸で生活することを優先してくれている。
そこにはもちろん、それまでは地元で仕事をしながら「再審」にかけて来た経過があって、一昨年12月の「再審確定」により、昨年はほとんどが「再審公判」を中心に据えた生活に変わったこともあるのだが・・・。
長く続いた私たちの二重の生活も、今年は新たなスタートになる。
正直、私自身、「二人で過ごす生活ってどうなるんだろう・・・」という思いがある。きっと、お互い窮屈さを感じ、今までとは違った新たなストレスも出てくるだろうし、私たちなりの生活スタイルを作っていく再スタートの年にもなった。
今週、夫の日程が連日夜まで入っていて、水戸へ戻るのが困難。翌日のことを考えると利根町の自宅へ帰った方が楽ということで夫の不在が続いた。
私が仕事から帰ると、部屋には灯りが点いていて玄関を入ると、
「お帰り!お疲れ様!」という声があったのに今週はそれがない。
逆に、夫の帰宅が私より遅くなるときは、
「○○時の電車で帰る。迎え、よろしく」という連絡もあったのに、それもない。
以前だったら、
「よし!今週は帰って来ない。私の『自由時間』だ!」とちょっと嬉しく思ったりしたのだが・・・。
『9時には寝たい(眠い)』という夫と、
『9時からが私の時間』と、新聞やニュース番組を見たりする、時には救援会や守る会のニュース作りをする(一日仕事をして来るとこの時間しかない)私のこのスタイルの違いも、
一緒に生活することでお互いが慣れて来たところだ。
「あんたの夜更かしにもだいぶ慣れたよ」と苦笑する夫。
以前は
「明るくて眠れないよ。いつまでも何してんの?」と苛立つように言われたが、今では布団に入ればすぐに寝息が聞こえてくるようになった。
夫は、できる家事は何でもしてくれている。
「ありがとう!助かったわ」と思うことが増えて来た。
そんな日々が続いて、今週のこの「何となく物足りない思い」・・・
「終電になっちゃったよ。今、上野(駅)!」という電話に、
「お疲れ様!気をつけて帰ってね」と返しながら、
真っ暗で灯りの点いてない自宅に、深夜に帰っていく夫のことを考える・・・。
私の中で、
夫が、元気で傍にいてくれることが普通になって来た。
お酒を飲んで、陽気に、時に愚痴も入る夫の一日の報告を聞いて、
夫の寝息を耳にしながら、テレビの音量を下げ、新聞のページをめくる音に気遣いながら、一日を終える・・・。
今、判決を1ヶ月半後に控え、穏やかな時間を過ごしている。
判決後、どんな時間が私たちに来るのか今は全く想像もできないが、でも、何度か危機を感じた時に夫が言ったように
「俺たちなりの夫婦の形を作っていけばいい」という考えでやっていこうと思う。
今週は、そんなことを考えさせてくれた一週間だった。
今日は、お世話になった中田直人先生の著作集出版記念の祝賀会が東京で予定されている。出席は、夫に任せた。
私は、先生のお墓参りをして来ようと思う。(先生の魂は東京に行っているだろうが・・・)
もうすぐ先生の3回忌が来る・・・。