えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

「随分当たりましたね・・・」

2011-01-30 | 日記


お年玉付き年賀はがき「下2ケタ」の当選はがきを持って、賞品交換に行った。
窓口で女性職員が、丁寧に数を数え、また数えなおした。

何か言いたそう・・・。
なんて答えようかな・・・?

「14枚ですね」
「はい」

「随分当たりましたね」

私は、ニコッと笑って
「ええ」と答え、14枚の記念切手シートを受け取った。

そうですよね。
末等とはいえ14枚なんて、大当たりですよね。
何枚のうちの14枚なんだろう?ってきっと思ったでしょうね。
それだけ、たくさんの方に年賀状ををいただいたのですが、「当たり」はやっぱり嬉しいものです。
改めて、差出人のお名前を確認させていただきました。
手紙を多く書く夫には嬉しい切手です。
かわいいウサギの切手が貼られた手紙とはがきが、今年もどなたかに届けられることでしょう。


梅の花咲いても

2011-01-29 | 日記


中田先生のお墓参りに行ってきました。
お寺の境内に「梅」が咲いていました。
でも・・・
日陰には、先日の雪がまだ残っていて凍っていました。

早く暖かくなって欲しいなぁ・・・と、墓所の上空を見上げながら思いました。

自分の存在

2011-01-29 | 日記
自分のことは意外と解っていないのかもしれない・・・
私って、そんな存在だった・・・?

と、今週、何人かに声をかけられ、そんなことを考えることが続いた。
私自身のことだから、と多少のことは「ごめんなさい!有り難うございました!」で済むと考えていたのだが・・・。

 裁判の経過や、年老いた両親、特に父の病気のことも考え、どこかで仕事に区切りをつけなければとずっと考え続けて来た。
自分の中では、いずれ、どの時期かには退職を・・・と。

 今週、私の後任を人選中である、ということが内々で公表された。内々だから、まだ誰かれではないのだが、私が一人でいるときに、そっと寄って来て

「聞きました。辞められるんですか?」

と声かけをされた。
特に、夫のことを知って応援して下さっている人には、私の方から先にご報告をしなければと、私も落ち着かなかったけれど、皆さんそれぞれが仰って下さるのは、

「淋しいです。ここにsakuraiさんがいてくれたことで、どれだけ私たちが癒されたか・・・」

という嬉しい言葉でした。

 私は、長く居続けただけ。もちろん、そうして頂いたのだけれど、今の部署で多分誰よりも長く、古い時代の良い時も厳しかった時も、また、これまでの経過も知っていたから、確かにそんな存在になっていたのかもしれない。

「大丈夫です。新しく来る人がちゃんとやってくれます。新しい形がまた作られていくんです。私が居続けたことで、却ってそのチャンスを遅らせてしまったかも知れないと思っています。」

と、答えた。

「夫のこともあって、それも一段落し、やっと私たちの新しい生活が始まるんです」と言ったら、
「単身赴任だったんですか?」って・・・。
夫の裁判のことを全く知らないでいる人がいることも分かり、
「でも、知った時、びっくりして『心停止』起こさないで下さいね。」と笑って返した。


 私は、13年前、夫と出会わなければあの時に辞めていたことを振り返っている。

精神的にかなり疲れていた。
生きて行く上で目標を見失って、道に迷っている状態だった。
夫と出会い、えん罪とか、布川事件とか知らないままに「桜井昌司」という人を知ってしまった。

 あれから、まだ、たった13年・・・。
夫の44年を思えば三分の一にも及ばないのだが、夫を取り巻くたくさんの人たちに私も共に支えられ、この13年を歩んできた。
「俺が幸せなんだから、一緒に生きられるあんたも、幸せを感じられる人生を歩めるはずだ」という夫の「魔法の言葉」通り、今はとても充実した13年間だったと思える。
 
 あの選択をした時、両親を「地獄に突き落す」ようなショックを与えたこと、でも、いつか必ず分かってくれると「家を出たこと」。
そして2年後、夫の誠実さと一生懸命生きる姿が両親の心も氷解させ、夫の闘いの成果を心から喜んでくれるようになった経過を振り返りながら、一番安堵している自分がここにいる。

 心配かけ続けた両親に、「今しかできない」ことがあるように思えて私は自分の体を「フリー」にしておきたい、そう思った。
もちろん、夫も了解してくれている。


「決断するまでは、いろいろ悩まれたんでしょう?どうぞ、これからの人生も大事に過ごして下さい」

と、目を潤ませて言って下さる人に励まされ、一週間を終えた。

 
来週は、守る会に入って支援を続けて下さった仲間にきちんと報告をしなければ・・・。

「何で辞めるの!?裁判が落ち着いて、これからゆっくり仕事に専念できるんじゃないの?そのために、同期の私たち、頑張って来たんじゃないの?定年までもう少しなんだよ!淋しいよ!」

必死に言ってくれた友に、先日、丁寧に手紙を書いて解ってもらった。(というより、あきらめさせた、という感じ・・・かな・・・)

ひとり、ひとり、同じように丁寧に私の気持ちを伝えて行こう・・・。






一週間・・・

2011-01-29 | 日記
 


昨年から、夫は努めて水戸で生活することを優先してくれている。
そこにはもちろん、それまでは地元で仕事をしながら「再審」にかけて来た経過があって、一昨年12月の「再審確定」により、昨年はほとんどが「再審公判」を中心に据えた生活に変わったこともあるのだが・・・。

長く続いた私たちの二重の生活も、今年は新たなスタートになる。

 正直、私自身、「二人で過ごす生活ってどうなるんだろう・・・」という思いがある。きっと、お互い窮屈さを感じ、今までとは違った新たなストレスも出てくるだろうし、私たちなりの生活スタイルを作っていく再スタートの年にもなった。

 今週、夫の日程が連日夜まで入っていて、水戸へ戻るのが困難。翌日のことを考えると利根町の自宅へ帰った方が楽ということで夫の不在が続いた。


私が仕事から帰ると、部屋には灯りが点いていて玄関を入ると、
「お帰り!お疲れ様!」という声があったのに今週はそれがない。
逆に、夫の帰宅が私より遅くなるときは、
「○○時の電車で帰る。迎え、よろしく」という連絡もあったのに、それもない。

以前だったら、
「よし!今週は帰って来ない。私の『自由時間』だ!」とちょっと嬉しく思ったりしたのだが・・・。

『9時には寝たい(眠い)』という夫と、
『9時からが私の時間』と、新聞やニュース番組を見たりする、時には救援会や守る会のニュース作りをする(一日仕事をして来るとこの時間しかない)私のこのスタイルの違いも、
一緒に生活することでお互いが慣れて来たところだ。

「あんたの夜更かしにもだいぶ慣れたよ」と苦笑する夫。
以前は
「明るくて眠れないよ。いつまでも何してんの?」と苛立つように言われたが、今では布団に入ればすぐに寝息が聞こえてくるようになった。
夫は、できる家事は何でもしてくれている。
「ありがとう!助かったわ」と思うことが増えて来た。

そんな日々が続いて、今週のこの「何となく物足りない思い」・・・

「終電になっちゃったよ。今、上野(駅)!」という電話に、
「お疲れ様!気をつけて帰ってね」と返しながら、
真っ暗で灯りの点いてない自宅に、深夜に帰っていく夫のことを考える・・・。


 私の中で、
夫が、元気で傍にいてくれることが普通になって来た。
お酒を飲んで、陽気に、時に愚痴も入る夫の一日の報告を聞いて、
夫の寝息を耳にしながら、テレビの音量を下げ、新聞のページをめくる音に気遣いながら、一日を終える・・・。

今、判決を1ヶ月半後に控え、穏やかな時間を過ごしている。

 判決後、どんな時間が私たちに来るのか今は全く想像もできないが、でも、何度か危機を感じた時に夫が言ったように
「俺たちなりの夫婦の形を作っていけばいい」という考えでやっていこうと思う。

 今週は、そんなことを考えさせてくれた一週間だった。
今日は、お世話になった中田直人先生の著作集出版記念の祝賀会が東京で予定されている。出席は、夫に任せた。
私は、先生のお墓参りをして来ようと思う。(先生の魂は東京に行っているだろうが・・・)
もうすぐ先生の3回忌が来る・・・。





フリージア

2011-01-27 | 日記
フリージアの香りが玄関にほのかに漂っている。

 今年も、1月にまだ早いと思われたが、フリージアを買い求めて玄関に飾った。
夫が好きな花だから・・・。
誕生日に・・・と。

でも、その日には、まだ固いつぼみでほとんど匂わなかった。

今日は玄関に飾って4日目。
やっと、
「ああ、いつものフリージアだ」と思える香りを放っている。

でも、でも・・・

夫が帰ってくるのは4日後の夜。

何だかタイミング、合わないな・・・。
私が一人で楽しむだけになってしまいそう・・・。


アジア杯、観ました!

2011-01-26 | 日記
「サッカーのアジア杯、今夜だよ」
と、夫。

「観る?」と、私。


「観たいね~」


そんなわけで、夕食後、のんびり開始時間まで他の番組を観ながら待っていたのだが、
「眠い!始まったら起こして!」と、夫は、布団に入ってしまった。
時間は、9時15分・・・!

 (起きられるはずないよね。今、寝たら・・・)


時間になって声をかけたが、案の定熟睡中。
何度か声をかけたが、
目をつぶったまま
「観てる!」とか「もういい!」とか返って来て、私も声かけをあきらめてしまった。

結局、一人で観戦。

 (なんだぁ・・・。このいい試合を一緒に観られないなんて、もったいないなぁ!)と思いながら。

ところが、私が、夜中に興奮していたのが伝わったのか、
延長戦に入る直前に夫が起きだしてきて・・・。

深夜。改めて二人で観戦。
やっぱり、二人で観た方が同じ興奮を共有できて、試合をより楽しめたように思う。

それにしても・・・
私だけは、全試合、目を離せず両国互角のプレイを楽しませてもらった。
チームが一丸となってボールをつなぎゴールを目指す姿、キーパーの集中力と緊張感、流れ全体を見ながら的確にパスする選手の判断力・・・。
全試合観終わって、「夢中になる」サポーターの気持ちが少し分かったような気がしてきた。


「決勝はオーストラリア戦だから難しいぞ!」と言う夫に、

「何だか、勝てそうな気がする」と、私。
根拠はないのだけれど・・・、でも、楽しみです!


13年前の出会いから・・・

2011-01-23 | 日記

 
私が、1998年1月に行われた日本国民救援会茨城県本部の「旗開き」に参加しなかったら・・・

今日の自分はなかった・・・

そんなことを思いながら、
今年、2011年「旗開き」でマイクを持って「再審無罪判決」を間近に控えた喜びと感謝のあいさつをする夫をカメラ越しに見ながら思った。

そして、参加されていた方たちの温かなまなざし。
勝利判決を確信し、夫の喜びを共有して下さる方々・・・。

「救援会ってすっごい組織だなー。救援会員でよかったなぁ~!」(・・・つぶやき)

 この13年間、夫を支援して下さる人たちの中で、私も、たくさんの人に出会い、
何と充実した時間を過ごしてくることができたか。
これからは、この充実感とよろこびを一人でも多くの人に伝え、返していくのが私の役目かな・・・。
難しいけれど、でも、私が夫と出会って人生を変えられたように、
「あなたと出会えてよかったわ。元気が出たわ」と一人でも言っていただけるような自分でありたいと思う・・・。


(写真:夫の隣にいるのは、茨城の会の鈴木さん。何をおいても、「布川勝利」のために頑張ってくれています。)

陽のあたる部屋

2011-01-23 | 日記


私は公営団地の4階に住んでいる。
それも、もう、かなり長い間。
ここに移り住んで、私なりの人生を歩んできた。
冬は暖かな陽が射し込み、夏は風が吹き抜けて、窓を開ければ視界を遮るものはなく遠い山並みに癒される、2Kという狭い造りだけれど落ち着ける部屋だ。

 13年前、夫と出会い、その後の人生を共に歩んでいきたいと考え、この部屋を出て利根町の夫の家に行くことを考えた。


でも、まもなく、
「第二次再審申し立て」をするという情報が入って来て、

「茨城の会の皆さんにもっともっとお世話になるようになる。
 水戸にいてくれた方が助かる」

ということになって、以後、夫とは別居状態で「再審」のたたかいの時間を共有してきた。





あれから・・・

 再審申し立て2001年12月・・・
 再審確定は、2009年12月。
 そして、
 2010年、再審が実現し、12月で結審した。
 
 いよいよ2011年3月、判決日を迎える・・・。

長かった「別居婚」もこれで一区切りとなる。
二人で住む新しい住居を探さなければならない。

 長い間、自由を奪われ、24時間、365日監視が続き、暑さ寒さもただ耐え続けるしかなかった壁で覆われた「独居房」。
利根町の家も、夫が応急的に改装した住まいで、部屋には全く陽光が届かなかった(それでも、夫には『落ち着ける』場所だと言うが)
だから、
せめて、
これから過ごす家には、
陽が差し込み、水と、緑と、空と・・・

あ~・・・!
欲張ってはいけないかな・・・?

せめて
朝陽がしっかりと入り、冬は暖かな陽の差し込む部屋があることを条件にさがそう・・・。



裁判所要請と土浦駅宣伝

2011-01-20 | 日記


判決日を2ヶ月後に控え、水戸地裁土浦支部への要請が行われた。
(救援会茨城県本部は午前中に、水戸地検への要請もして下さった)
東京、三多摩、埼玉、茨城から17名の方々が平日の午後にも関わらず参加して下さり、それぞれが
「完全無罪判決を!」
「誤判の原因究明に踏み込んだ判決を」
「検察に抗告させない判決を」
「司法制度を変える契機となる判決を」
など、訴えた。

 終了後、今度は土浦駅に移動して、チラシをまいて判決日が決まったことを知らせ、
「無罪判決を確定させるために、署名にご協力ください」と訴えた。
通る人たちの反応の温かさに私はとても勇気づけられた。

「前にも署名をしました。いつもやってますよね。だから知ってます」
「間違いなく無罪判決ですよ」
「学校の授業でやったので知っています。署名します」

   ・・・・・・

 始まるときには陽も高く「暖かいね」と言いながら始めたのだが、さすがに陽が落ちると急激に気温が下がり、手がかじかみ、震えるような寒さに変わったけれど、皆さんのご協力で
署名41筆が集まった。
これもまた、来月の要請時に提出する予定だ。



2001年12月から毎月続けられた水戸地裁土浦支部への要請。
2005年9月からは東京高裁へ。
2007年7月からは最高裁へ。
そして、
2009年12月14日の最高裁決定(特別抗告棄却=再審確定)により、
2010年1月、2月、3月、4月、5月、6月と続けられ、
7月からの6回の再審公判を見守り、
2011年の1月。要請は再開された。

 来月、2月16日(水)・・・。
長い間続けられた守る会の要請行動は、事実上最後の要請となる。

長い長い闘いを支えて下さった皆さんに、本当に感謝の気持ちでいっぱいになる・・・
私も必ず参加しよう・・・。


「行って来ます」

2011-01-19 | 日記
「行って来ます」

出勤前、部屋を出るとき口について出たことばだった。

そういえば、ゴンがいなくなって一年。
初めのうちは、ゴンの写真に向かって言っていたのに、写真を別の場所にうつしたせいか、しばらく私の口から出なくなっていた。
もちろん、ゴンが元気だったころは、毎日、
「行って来ま~す」
「ただいまー」
は、欠かしたことはなかったのだが…。

ところが、
一周忌を思って居間にもって来たら…。

あれ?

ゴンがそこにいるような気がした。

玄関を出るとき、もう一度ふりかえった。
やっぱり、
そこに座って私を見送ってくれている、
そう思った。