えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

袋田宣伝1

2008-11-25 | 日記
 今年も恒例の袋田宣伝が行われました。
袋田は、茨城県の北部に位置し、観光名所の一つ「袋田の滝」で有名なところ。毎年、紅葉の時期にはたくさんの観光客が全国から訪れます。
今年は新しく「観瀑台」が作られ、NHKなどで紅葉情報とともにPRがされたためか、これまでにない人出となって、宣伝にはまたとない条件だったはずなのですが・・・。
 茨城の会の人たちが、交通渋滞が原因でなかなか現地に集まって来れなかったり、混雑を避けるためか人の流れが昨年までと違って一方通行のような形となって、チラシを呼んでくれた人が帰りに署名をしてくれる、というようにはなかなかいきませんでした。
 観瀑台に上がるエレベーターは70分待ち・・・とか。
それでも滝に向かう人、人、人の流れに向かって、私たちは

「水戸地裁、東京高裁でも再審開始決定が出ました。普通だったら当然「裁判のやり直し」が始まっているはずなのに、検察が特別抗告をしたために未だに実現していません。今度こそ、最高裁で「再審開始」を確定させるために皆さんのご支援をお願いします。ぜひ署名にご協力をお願いします」

と、訴え続けました。

 茨城の会の皆さんに加え、東京と千葉からの応援も頂いて総勢大人17名と子ども2名。1時間半の行動で署名130筆。冷え込みが厳しい中、本当に皆さんありがとうございました。

 交通渋滞で宣伝行動に間に合わなかった方たちとも連絡を取り、みんなで水戸映画サークルの人たちが準備して下さっている芋煮会の会場へ移動。
冷え切った体が、あったかいいも汁と、また宣伝行動の後方支援として毎年おいしい料理を作って待っていて下さる映画サークルの皆さんの、あたたかさに感動!
おいしかった!です。

「今年を最後の宣伝にしたいね。来年こそ、晴れて芋煮会だけでやれるよう頑張ろう!!」と誓い合いました。


 夕方には、バンガローに入って、こたつに入って引き続き交流会。茨城の会の歴史などが、新しく参加された人に紹介されていました。

初冬に入った袋田宣伝は、こうして楽しく終わりました。
来年は、やっぱりゆっくり滝を観て、紅葉を観て・・・そんな年にしたいです・・・。

国連要請報告会

2008-11-22 | 日記
 東京で、守る会主催の国連要請報告会が行われた。

 初めに、滞在中のビデオが上映され、全体の様子が理解できた。
このビデオは、昨年私が拷問禁止条約日本審査傍聴と要請に行かせていただいた折り、お世話になった大阪の中村さん、東京の塩田さんが撮影して下さったものだ。
昨年の記憶が新しいまま、今回のビデオを見せていただき、私もとても懐かしく、またそれだけに夫たちの行動がどんなだったか想像するのはとても容易かった。

 夫の報告を改めて聞いて、ほんとに大きな刺激を受けて帰国したこと、また大きな自信も得て、さらに自分のやるべきことに確信を深めて帰国したことを強く感じた。
 昨年、私が、海外に行って今までと違った形で日本を考え、自分の立っている位置をしっかりと再認識させられたけれど、夫は私と比較にならないほど強い刺激を受けてきたようだった。
私は、国連が「世界人権宣言」を謳い、すべての国で平和、平等が保障される様にと、批准国が自国民のために人権保障の、法整備、教育、環境つくりなどが適切に、しかもスピーディに推し進められるよう熱意を持って取り組んでいることを実際に見て、感じて来て欲しかったのだが、夫も同じことを言っていた。
そのことが私は一番うれしかった。心配していた、拘禁症状に苦しめられることもなく、本当にスイスばかりでなく、フランス(宿泊のみ)、イタリア(観光)とその地に立ち、その国ごとの違いを肌で感じて来ることができ、本当に楽しいツアーになったことが報告から伝わってきた。

 国際人権活動日本委員会の吉田好一さん(要請団団長)から要請経過が報告され、救援会中央本部の坂屋さんから最終見解の内容、とくにどれだけ厳しい内容の勧告になっているかが述べられ、救援会鈴木会長からも、最終見解を大いに使って闘いの武器にして行こう、と話があった。

 同行者の皆さんも、たくさんの楽しいエピソードを交えながら感想を述べてくださった。
終了後、二次会でも盛り上がったけれど、それだけに楽しく充実した要請ツアーだったようだ。

 ますます「やる気」が膨らんできた夫の決意は固い。
次回要請には「自分の言葉」で訴えたいと、語学に力を入れることを皆さんの前で宣言していた・・・。

 一度聞いていたことなのに、たくさんの前で話す夫の話は、同じことでもなぜか新鮮に聞こえた。最後まで、聞きいってついカメラのシャッターを切ることを忘れてしまった。ニュースの原稿に、と思っていたのに・・・(なんという不覚・・・)

茨城の会報告会は、12月12日・・・
こちらの準備を進めなくては…




地元のお付き合い

2008-11-17 | 日記
昨日利根町にいて、今日は水戸。
そんな私を追うように、今日、利根町の夫の親類のTさんからメールが届いた。

「12月14日 稲荷祭りです。女性(婦人)たちも、これから毎年その日を「食事会」をしようとの意見が出ていて、keikoさんの意見を聞きたいと、言っています。返事は、・・・・・まで・・・」と。

 10年前、初めて夫の住む利根町の地域の人たちに紹介された時のことを思い出しました。
1998年の、やはり12月の稲荷祭りだったように思います。
あの頃は、男も女も稲荷祭りは一緒にやっていました。それも、朝から夜遅くまで、男衆は稲荷神社に集い、掃除をして、お神酒をあげ、当番になった家(宿)に皆で集まり酒を酌み交わす。女衆は宿に朝から集まり、料理を作り男衆に振る舞い、午後からは皆で一緒に料理をいただきお酒を飲む、そんなしきたりだったように聞いた。
 あの時、夜の七時を過ぎた頃だったろうか。まだ私たちは結婚前だったが、初めて「紹介」という形で、その宴席に招かれた私は、本当に皆さんに温かく迎えていただいたのだった。
「昔はね~、3日間、これをやったのよ。でも今はね、こんな時代だから、働いている人も多いし、日曜日一日になったのよ~」
そんなふうに言っていた。

 その翌年からは、私も、稲荷祭りに朝から参加し、先輩の奥さん方に混じって大人数の料理作り(の、お手伝い)をさせていただいた。その後、裁判の進行のこともあり、利根町で一緒に住むという形にならなかった私を、それでも皆さんが仲間に入れてくださった。稲荷祭りがあって、冠婚葬祭のお付き合いがあって、それで私は皆さん一人一人のことを知ることができたし、私たち夫婦のこともより解ってもらうことができたのではないかと思っている。

 でも、その後、3年ぐらいあとになるだろうか。やはり、そんな稲荷祭りの持ち方を変えたい、女衆への負担が大きすぎるから、という意見が出て話し合いがもたれた。結果、男衆だけの稲荷祭りがそれ以後続けられてきたのだ。
でも、たまにはみんなで集まって話がしたい、という意見が、その話し合いの中でも出ていたし、最近も、そんな声が出ていたように聞いていた。
確かに、祭りとはそういうものかもしれない。1年に一度会って、一つのことをみんなでやる。一堂に会し、親交を深める、そんな役目があるようだ。働いている人が多いから、出る人が少ないから、とやめてしまえばそれまでだが、人と人がつながり合って地域が成り立つ相互扶助の社会は、今の世の中だからこそ必要にも思えるのだ。
 もう、寄り合って料理作りなどはしないけれど、1年に1回、男衆の集まるときに女衆も別に集まって「食事会」をしようという提案らしい。
そんな話が、遠く離れて水戸に暮らす私にもお知らせが来たのだ。
嬉しかった。
 この十年、私なりに夫の住む地元での付き合いはできる限りしてきたつもりだ。現実は、ほとんど、夫に任せきりではあるけれど、夫の留守がちな状況にも拘らず、夫も私もちゃんと皆さんの仲間入りを認めていただいているのだな、と思った。

 そんなことを考えながら、群馬県から帰路についたという夫にメールで知らせた。

「12/14(日)空いている?稲荷祭りだって」

「空いていてよかったよ。うちで預かっている、あの箱の中身。幟旗を持って行くんだ」

???

ということは?・・今年の「宿」は私たちの家だったの?!

な~んにも私って分かってなかったんだね。
それはそれは大変!「宿」の仕事って、どうすればいいの~?

土日は・・・

2008-11-16 | 日記
土曜日は滋賀県へ、今日日曜日は群馬県へと夫は出かけて留守。
夫には言ってなかったが、
「利根町に行って来よう!」と思い立ち、昨日、土曜日の昼近くになってから夫の家に向かった。
片道約80キロメートル。
結構、気合いを入れないと腰が上がらない。
でも、夫の両親に会いたくなったのだ・・・。
高速で向かう途中PAで、夫にメールした。
「中田切に向かっています。お墓に行ってきます」と。

「行くよ」って言ってなくって、突然留守宅に上がられたら迷惑かな?
でも、私って「妻」だよね・・・。
何も秘密は無いよね・・・。
逆に私がそうされたら、どう思うかな・・・。
私だったら、きっとあわてるだろうな・・・。
でも、夫婦だもんね・・・。

何だかそんな自問自答しながら一路利根町へ。
どうして、そんな風に考えるんだろうな・・・。
やっぱり、お互い別々の生活をしてるって、そういうことまで考えさせちゃうんだよね。私って変かな?・・・。


 雨が降り出しそうな中、急いでお墓の掃除をした。
雑草を取りながら
「12年になりました」と、両親に報告する。
仮釈放になって12年。夫は、この12年、本当によく頑張ってきたと思う。
私が夫のそばで見てきた10年間だけでも、ほんとに、ほんとに、社会の流れが変わりつつあるその牽引の役目を果たしているようにも思えます。
私が報告するまでもなく、天国の両親はそんな夫の姿を見守っていてくれてるはず。
「どうか、一日も早く最高裁でいい決定が出るよう力を貸して下さいね」と手を合わせる私の背中に、大粒の雨が落ちてきた・・・。



家に入ったら、案の定、夫の部屋は散らかし放題。
あらっ、ま~!!

「俺って、意外ときれい好きなんだよ」って聞いたのは10年前・・・。
ふ~ん・・・?

でも、仕方がないか!今のような忙しい生活で、きれいにしてね、というのも気の毒かも・・・。(それに、一緒に生活してない私には言いにくい・・・)

洗濯機を回し、新聞を片付け、郵便物を整理する。
部屋を掃いて、乾いていた洗濯物をたたんで片づけた。

私にできることってこれくらい・・・。
そんなことを考えながら、帰路についた。
なぜなら、
今日は、今日で私の住む団地の一斉清掃があったのだ。
利根町も、私の住むこの団地もどちらもお付き合いは大事にしていきたい。どちらの人たちも、夫たちの闘いを支援して下さっているから・・・。


 


真実が認められる日を

2008-11-14 | 日記
1996年11月14日
1997年11月14日
1998年11月14日
1999年11月14日
2000年11月14日
2001年11月14日
2002年11月14日
2003年11月14日
2004年11月14日
2005年11月14日
2006年11月14日
2007年11月14日
2008年11月14日

夫が29年という理不尽な拘束から
「仮」という形ではあるけれど
自由を得て
この社会へ戻ってきたのは12年前の11月14日

そして
1997年
1998年・・・

ずっと、ずっと、ずっと
闘いの日々は今も続いている・・・

でも
「無実の叫び」は
38年目に水戸地裁土浦支部に通じ
41年目に東京高裁に通じた
「裁判のやり直し」の可否は
これで十分認められた

なのにまだ最高裁の審理が必要だという
国は
夫たちの貴重な人生の一刻々々を削り取っていくことの重大性に
気づいて欲しいと思う
今はただ
最高裁に正義のあることを信じ
一日でも一時間でも早く決定の出る日を望んでいる

お礼と報告・・・サボっていました

2008-11-05 | 日記
昨日、今日と久しぶりにお会いする方がいた。

昨日、私の顔を見るなり駆け寄ってきてくださり、
「よかったねー!やっといい結果を得られて。7月14日と聞いて、今日だ、と思いテレビを見ていたら、顔が映っていたし、どこでもニュースで大きく放送されてたね。長い間、本当にたいへんだったね。でもよかったね~。」
Oさんが本当に喜んで下さっているのが伝わってきた。

でも、私は
「実は、あの決定の後、続きがあって、検察が特別抗告してきて最高裁へ上げられてしまい、まだ再審は確定してないんです。本当に、おかしいですよね。地裁も、高裁も、警察や検察が最初の裁判から、当時の捜査資料が出いていなかったことが、誤判の原因だった、と言っているのに反省するどころか「不服申立」をしたんです。夫も私も、二度もこちらの主張が認められたんですもの、今度こそは!って再審が実現することを期待してしまったんですよ。悔しいですよね。」と言った。

Oさんは、ちょっと言葉を失ったようでした。
ちょっと間が空いて
「でも大丈夫よ!あそこまで行ったんだから。もう少しよ!」

「そうですよね。私たちも、東京高裁の勝利を力に、決して落ち込んだりはしていないんですけどね」と、私も笑顔で返した。


 そして、今日、
「あら~!しばらく~!!
 良かったね~、ダンナ!
 もう少しで、決まるんだろう?」
 と、Eさんから声をかけられた。

ほんとに、久しぶりのEさん。
わがことのように嬉しそうに高裁決定を喜んで下さっている・・・。


止むを得ないな・・・と思いました。
勝った報道は大々的にされるけれど、特別抗告されたことは、本当に一瞬、新聞記事も小さなスペースしか割かれないんですから。
それに、裁判は、
「勝利判決=裁判終了」
それが、普通の人の感覚だ。ましてや、即時抗告審に勝ったのだから、布川事件たたかいを少しでも知る人なら、誰もがそう思って下さっていたろう。

なのに、今もなお、最高裁の審理の結果をじっと待っている・・・。
あと、どれくらい時間がかかるのだろう・・・。

それにしても・・・
気になっていた「手紙での報告」、忙しさにかまけてサボっていたことを反省した。
私が、きちんと経過報告をしておけば、みなさんにも正確に伝わっていたはずなのに・・・と。
守る会に入っていない方にも、たくさん応援していただいているのだ。
すぐにでも、書かなければ・・・。

お二人とも、それぞれに

「大丈夫よ!もう少しよ!必ず勝てるよ」って言ってくださいました。

ありがとうございます!!

スイッチ・オン

2008-11-02 | 日記
朝から喉が腫れて痛い。
東京に行く夫を水戸駅まで送り、そのあと、新聞を読んだりして時間が過ぎて行き、
何ともだらだらと過ごしていたら、

TVの中から、脳科学者 茂木 健一郎氏のことばが耳に入ってきた。

「スイッチをオンにする
そして、集中力を高めるモードに切り替える。
そしたら
やる気が出るのだ」・・・と。


 最近、意気込みだけはあるのだけれど、どうもそれが持続せず、実行に結びつかない・・・
そんな自分に気づいていた。

そうか!
「やるぞ!」って
スイッチ オン!をすればいいんだ・・・
そして、
「体を動かすこと」・・・


ということで、今日は、いつも気になっていた
「賞味期限切れのものの整理」がすみました!
冷凍庫のものも、解凍して、ちょっと時間をかけた副菜を作りました。
いつも気になっていた、部屋のちょっと細かなところの
拭き掃除をしました。
ベランダの花木も、ちょこっと整理しました。

本当は、もっと優先しなければならないことがあったのだけれど、

茂木氏曰く

「成功体験が必要。まずは、小さなことでもやった!という、小さな喜びを
 積み重ねていくことが大切」・・・と。

だから、その上に立って、今、
一週間ぶりにブログに向かっています。

茂木氏の言うとおりやってみたら、少し「前進」できました!・・・