えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

名張毒ぶどう酒事件最高裁再審認めず

2013-10-18 | 日記
 またも、一度開いた再審の扉が閉じられてしまった。
再審制度の中で、開始決定が出た後、検察の「控訴」が認められているのがおかしい!
これでは、再審制度は無きに等しい。検察は、再審裁判の中で主張をすべきで、いたずらにメンツを守るだけの抵抗を許さない制度に改正すべきだと思う。

 無実の者が有罪判決を受ける、このことがそもそもあってはならないことなのだが、「人が裁く」ことに絶対はないことを前提に設けられた再審制度なら、もっともっと再審請求人の人権が優先され、守られるべきだと思うのだ。
先ずは再審開始決定が出た時点で、再審請求人は、仮釈放が認められるべきだと考える。
奥西さんは、「無罪判決」も「再審開始決定」も受けている人です。それなのに、拘置所の独居房で死刑執行におびえながら41年。現在87歳。体調思わしくなく、医療刑務所で『再審開始決定』だけを願って命の火を灯し続けているというのに・・・。

 冤罪の責任を、国家(最高裁)がとらないで誰がとると言うのか?
最高裁は名古屋高裁に差し戻さず自ら科学的鑑定を行い、独自の判断をすべきだった。前回も、今回も最高裁裁判官が守ろうとしているのは何だったのか?!と思う。

記憶 ふたたび

2013-10-18 | 日記

<記憶・・・>

2013-07-06 | 日記


< ゆうちょの暗証番号が分からなくなり、普段使うことのないカードだからと放っておいたのだが、最近になって使用頻度が増え、いよいよ暗証番号の照会手続きをすることになった。

 そして届いた私の暗証番号・・・。
全く記憶にない番号だった。
どうしてこんな番号が並んでいるのか、自分ではまったく思い当たらないのだ。
これでは、自分が何度も何度も「これかな?」「ちがう?なら、これ?」とやり直してもヒットするはずはなかった。

あらためて数字を眺めてみる・・・。
自分で決めたはず、と言われても、いまだに手続きをしたその時の情景は思い出せるが、やっぱり、この番号にした理由が分からない。
本当に、この番号、私のものなのかなァ・・・。

記憶って、本当に曖昧なものですね。
でも、私がおかしいのかな・・・。>



 上の日記はまぎれもなく、私が3か月前に書いた日記だ。
それなのに、このことを全く記憶していなくて、今日、郵便局で
「照会後、通知を受け取った記憶が全く思いだせないんです・・・」と、口にしていた・・・。


夜になって、このブログに残していることに気付いた!
そしたら、ちゃんと書いてあったじゃないの?
照会後、通知を受け取っていたんだ・・・。

< 本当に、この番号、私のものなのかなァ・・・>というくらいだから、覚えようともしてなかったのだろう。

夫にふだんから、
「あんたの頭、壊れているわ」と何度か言われているこの頃なのだが、本当に壊れちゃったのかな・・・。
でも、ブログに日記を残しておいてよかった!

これで、思いだせたから・・・。

秋が来たけれど・・・

2013-10-07 | 日記
 水撒きを朝に、晩にとやっていたあの暑かった夏が去り、もうすっかり秋・・・。
庭の夏の花も、どこかこの涼しさの中では役目を終えたように見えて来るから不思議だ。
それにしても・・・。
我が家の庭は、ギボウシの葉も落ちて窪みに溜まり、荒れて見える。

 庭作りにあんなに張り切っていたのに・・・。
コスモスも嵐で倒されたまま花をつけてたくましくは見えるが、決して清楚できれい、とは言い難い。
日照時間や植えた花がその位置で適切だったのかなど、いろんなことをもっと考えなければならない。
せっかく新芽を出したくちなしもサザンカも葉をぜ~んぶ虫や毛虫に食べられてしまったし、水はけが思っていた以上に悪く苔を増やしてしまったことも予想外の展開だった。

 時間に追われる生活パターンが戻りつつある中で、何時間でも庭いじりに没頭したい気持ちが満たされず、今は少々気持ちが引き気味・・・。
でも、今日、久しぶりにNHKの園芸ビギナーズや趣味の園芸を観て、少しやる気が戻ってきた。
園芸店の店先の鉢花も目に入った。

 そろそろ秋の庭作りをはじめようと思う・・・。

 

仙台地裁へ

2013-10-07 | 日記
     


 9月27日、仙台地裁に対し、北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件の再審を求める第6回の要請が行われました。

 茨城の会から2474筆の署名を託された私たち女性3人は、千葉、神奈川、東京、栃木、徳島、宮城の会の方たちと現地仙台フォーラス前で合流。
一時間の街頭宣伝で、大勢の市民が行き交う交差点近くでハンドマイクを使って訴え、チラシをまき、署名をお願いしました。
茨城でも慣れた行動でしたが、事件当時の衝撃的なマスコミ報道が市民の脳裏に焼き付いているのか、なかなか「冤罪である」ことが浸透しにくい微妙な雰囲気を感じました。
それでも、署名に応じて下さる方に、「当時の報道を覚えていますか」、
「この事件は、初めから殺人などなかったところを『殺人事件として捜査』が行われてしまったことが発端だったんです」、
「この署名は裁判のやり直しを求める声として、裁判所に届けさせていただきます」など声かけをしました。

 裁判所では、
「全国から本日までに届けられた署名です。一日も早く再審開始を決定するよう裁判長に伝えて下さい」と言って参加者の思いを伝え、11,065筆の署名を担当官に手渡しました。
 宮城の会の鹿又会長が、
「検察は反論できないまま早い結審を希望していると聞いているが、曖昧なまま結審するのは許されない。(再審請求してから)1年7カ月で累計69,972筆になったこの署名の重みに応え、十分な審理の上、必ず再審開始決定を」と訴えました。

 交流会では、茨城からの2,000筆を超える署名をどんな方法で集めたのか、布川事件を勝利させた経験をぜひ聞かせて欲しいなど出され、次回12月20日の要請参加も受けて帰水しました。

 今回の参加で、捜査の誤りで「殺人犯」とされてしまった理不尽さを強く思い、これがすぐ改められないでなぜ「人権先進国」なのか、と政府官僚が国際会議で平然と言った場面を思い返していました。
今月末、千葉刑務所の大助さん面会も予定しています。

「他人事ではなく「自分事」として考えられるかどうか・・・。」

 夫から言われた言葉が私の行動を押してくれています・・・。

キンモクセイの季節

2013-10-07 | 日記




 玄関先のキンモクセイが咲きました。
「金木犀」に特別の思いを持つ夫が、昨年、この家を購入する時、気にいったひとつが、玄関先にキンモクセイが植えられてあったことでした。
夫の深い思いを推し量ることはできませんが、46年前の二十歳の秋、10月10日の夜の「逮捕」から夫の長いたたかいの人生が始まり、今があるのです。
この季節がくるたび、夫は決まって私より早くキンモクセイの香りに気付き、話題にして来ました。
そして、今年も・・・。
早朝、新聞を取るために玄関を開けた瞬間、私もその香りに迎えられ思いに耽ってしまいました。
夫は、今日は救援会の北海道本部大会へ。明日、帰ってくる予定です。

      
 一枝折って、お仏壇に・・・。