えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

早く帰ってきたけれど

2007-05-22 | 日記
 今日はいつもより早く帰ってきたkeikoさん
何だか、帰ってくるなり新聞を開いて一生懸命なにやら探しているみたいだった。
二つ新聞をとっているので、そのどちらも丁寧に目を通している。
でも、どっちの新聞にも目的のものは出てなかったみたい・・・

 夜になって、syoujiさんと話していたことは
「昨日、21日、拷問禁止委員会から最終見解が日本政府に届いたみたいなの。今朝、車の中でNHKのラジオニュースでやっていたので、新聞に出てないかと思って、職場でも新聞を買って、家に戻ってからも探してみたけれど出てなかった・・・。外務省のHPも見たけどまだみたい・・・。そうだよね、これから日本語に訳されて、それからしか出ないよね。でも、間違いないよ。」
「どんなふうに言ってた?」
「代用監獄制度のこととか、私達が言っていたような内容がちゃんと入って、かなり明確に出されたように紹介されていたわ」・・・
っていうようなことだった。

 そうか!・・・
なんか、keikoさんの気持ち解るような気がする・・・

 でも、でも、でも・・・
keikoさん、どうかしてるよ!
考え事していたせいか、バッグは持ってきたけれどポストの新聞だけ抱えて、お買い物してきたお肉やお野菜を車の後部座席においたまんま、持たずに上がって来てしまったんだよ。
気が付いても、今度は7時のテレビニュースが終わるまでって、車に取りに行って来ないんだ・・・。こんなkeikoさん、初めて・・・。

おなかいっぱいたべたかったんだ・・・

2007-05-16 | 日記
 keikoさんがジュネーブから帰ってきて、syoujiさんと迎えに来てくれてwatasiも、おじいちゃん家から帰ってきました。

 ほとんどドライのキャットフードを食べなくなって体力の落ちてきたwatasiを見て「痩せ方が異常だよ」とkaoriさんが報告したらしく、水戸へ戻ってからwatasiが食べられるようにと、keikoさんが柔らかい餌に変えてくれた。
そしたら・・・

食べられた!おいしい!!

watasiは脇目もふらずに、ガツガツと食べた。もっと!とkeikoさんに催促した。

レトルトパックになってる餌だけれど、以前に、食べるたびにどうしてもうまく食べられず、吐いてしまい、keikoさんが「ごんちゃんには合わないのね」と、しまい込んでいたものだった。

 今度は、ほとんど吐かずに食べられた。だって、本当に美味しいんだもの。
翌日、keikoさん、仕事の帰りにたくさんのレトルトパックを買ってきてくれた。
そして、syoujiさんに報告していた。
「私、ごんちゃんを虐待していたみたい。まだ、大丈夫だよね・・・。間に合うよね・・・。食べなくなったのは年齢のせいだなんて、勝手に解釈して・・・。あなたの言うとおり、もっと早く柔らかいものに切り替えてあげればよかった」って、
大分落ち込んでいた。

「間に合うよね」って・・・

大丈夫!watasi、まだ死んだりしないよ!
だって、こんなに美味しくたくさん食べられるんだもの!
ただ、ドライのフードは、硬くて食べられなかったんだ・・・
そのことに、もっとはやく気付いて欲しかったけど。

本当に不思議だな。前は、どんなにしても、吐いちゃってたのに・・・。
また、少しずつ、体重も体力も戻していきます。
「食事が、楽しい」って大事なことなんだね。みんなが「今年の夏、越えられるかな?」って心配してくれているけれど、watasi、まだまだ長生きするよ。



天候トラブルのなか無事帰国

2007-05-16 | 日記
 ジュネーブを発つ日は、朝から雨。
ホテルを出るとき信じられないくらいの土砂降り状態。
「ずーっと、いいこと尽くしだったのに・・・」
誰かが言った。
「別れの雨だよ」って。

 お世話になったガイドのMさん、通訳のKさんに夫のCD「壁のうた」をお礼に差し上げた。パンフレット、リーフレットも・・・。少しでも、夫のこと、布川事件のこと知っていただきたくて・・・。
お二人とも、映画も観てくださったし、Mさんはお友達を誘ってくださり署名もお願いしてくれた。遠く日本を離れ、ジュネーブで活躍されるお二人の姿は、同じ女性としてその生き方に共感しあうものがあったように思う。

 いつか再会が実現するよう願い続けよう・・・

ジュネーブ空港では、天候トラブルで飛行機の出発が大幅に遅れた。結局、チューリヒで乗り継ぐはずの飛行機が1時間25分待たされ、出発が遅れたという。
それでも、進路をシベリア大陸の上空ではなく、途中北京上空を飛んで時間調整をしたとのことで、到着時刻はそんなに遅れることなく成田に着いた。

 夫の出迎えで、「あー、日本へ帰ったんだ」とほっとする気持ちと、昨日までいたスイスがとんでもなく遠いところだったんだ・・・としみじみ思いました。

「白いご飯をたべたい!」・・・

やっぱり聞いていたように、同じ思いになっていた・・・

山が見たい・・・

2007-05-16 | 日記
 スイスに滞在して六日目の夕方
「keikoさん、モンブランが見えるよ。出ておいで!」と
空き時間散歩に出た仲間から連絡があった。
「山が見たいのに(雨で)見られない」とぼやいていた私への温かい心遣いだった。
審査会1日目を終えて、予想していたとはいえ、日本政府の対応に失望したり、審査委員の発言に勇気付けられたりと何だか疲れを感じて、部屋に閉じ篭っていたい心境だったのだ。それに、通じない言葉にも疲れを感じていた・・・。
結局、皆さんのお誘いに「いいわ、ありがとう」と答えるだけだった。

 翌日はとてもいい天気だった。
午後から審査会なので、午前中、ニヨンの町へ行こうと皆さんが話していた。
ニヨンは焼物の街だというのを聞いて、興味を持った。
一緒に参加されていた大阪のNさんが、絵手紙をさらさらさらと書き上げてしまう素晴らしい能力の持ち主で、出会ってから私の顔も何枚も描いているらしかったが、彼女曰く
「keikoさん、どんどん表情が変わってきている。今日が、一番いいわ。やっぱり、重責から解放されたからかな。絵手紙は『こころ』がでるのよね」
電車の窓に寄りかかった私の顔を描きながら、そんな風に言った。

 ニヨンの街も癒される町だった。
そして、晴れて気持ちのいい風景の中に少し遠かったけれどしっかりとモンブランの姿があった。
ローマ帝国時代の名残りと言われる柱を見上げたり、歴史を感じながらその空間と新鮮な空気、映える木々の緑、山、空、湖・・・などを楽しんだ。

 

日本政府は不誠実 2

2007-05-11 | 日記
何故って・・・
スイス大使が政府代表団の団長なのに、予定があるからと挨拶だけで退出し、二日目も出席しなかった。議長が「メンバーの紹介を」と、促したら、時間がかかるからと、外務省の木村人権人道課長を紹介したのみでしない。16、7人、政府の代表として公式会議にでているのだから当然だと思うのだが・・・。
二日目の答弁も、発言の前に名前を言うのかと思ったら、「警察庁からお答えします」「法務省からお答えします」という形で始まり、終始それで通してしまった。これが日本式ルールなのだろうか・・・。
こういう対応が世界に通ずるのだろうか・・・。

 そんなことを強く感じる二日間だった。

日本政府は不誠実

2007-05-10 | 日記
 審査会二日目。
委員会からの80項目の宿題に、日本政府が76項目の回答。それだけで、1時間40分かかってしまい、2時間で終わらせる時間を延長。3時間で休憩は5分だけ。通訳の女性2名(政府側)が疲労でできなくなってしまったくらい過酷な状況が続きました。
 今日は、取り調べは「推定無罪を基礎に」「可視化、録音化を」「代用監獄の見直しを」「死刑制度は廃止に向けて努力を」「取り調べのシークレットハンドブックは事実か?」「捕縄の使用目的は?」「受刑者の不服申し立ての状況は?」などの質問が強調されました。
 
 議長が最後に、76項目の回答を評価しながらも「失望した。最も野蛮な絞首刑について、回答がない」と指摘。1週間後には日本政府に勧告を出しますと。

 日本政府の不誠実さがますます露呈する一日でした。明日11日の朝、こちらを発ち、12日朝日本に帰ります。おすみなさい!

涙がでたよ

2007-05-10 | 日記
つづき・・・。嬉しくって泣いちゃいました。だって、審査委員は全員が、自白の強制を問題にしてくれて、スペインの委員は、代用監獄制度によって自白が強制される危険性がきわめて高い。フカワ・ケースもそのひとつと思われる」ってはっきり言ってくれたんです。
 それとね、笑っちゃったことがありました。だってね、
議長が最後に、「美しい法律」よりも、しっかり数字を示し、具体的に回答しなさい。明日を期待します。簡潔に、分かりやすく、短時間でって。政府側回答が楽しみです。本当に、山のような質問、宿題をだされたんです。

審査会一日目

2007-05-10 | 日記
 審査会一日目は、10:00~13:00まで、休憩なしで行なわれた。議長(キプロス、委員)から、政府代表団とNGO代表の参加に感謝します、の挨拶があり、政府代表団を代表して、藤崎スイス大使が挨拶。続いて、外務省木村人権人道課長が日本政府報告を 延々と、ただ読み上げていた。2005年に提出していたものですでに審査委員のみなさんは十分読んでいるのに・・・。
もっと、詳細を何故言わないのだろう・・・そう思って聞いていたら、案の定各審査委員からたくさんの質問が出た。
明日の会議で、どのような回答をするのだろうか・・・
「憲法に則り、人権を尊重して・・・」というようなきれいな報告ばかりだったけれど・・・。

ハプニング有り、でも無事終了!

2007-05-09 | 日記
八日、私の役目が、終わりました。10名の審査委員(モロッコ、セネガル、アメリカ、エクアドル、チリ、ロシア、スペイン、キプロス、ノルウェー、中国)の前で、夫の写真を示し、本人がなぜ来られないのか、獄中日記を示し、当時どんな思いで綴ったか、暗号まで使って書かれている訳、そして40年経って今も正されない現実を訴えました。でも、議長がなぜか最初から不機嫌。発言前に名前を言わなかった人を注意したり、杉山さんと私の発言(被害者)は予定されてない、ここはNGOの話を聞く場だ、と意見したり。でも、議長の言っていることの理解できない私たちは、いいから進めて、という声で続行。結局、議長の意見をよそに、他の委員が直接当事者の声が聞けてよかった、と支持してくれました。前夜の日弁連主催の映画「それでも僕はやっていない」には六十名が参加。中に、三名の審査委員がいたらしく、その内の一人、ノルウェー人が本当なのか?と尋ね、「クレイジーだ」と言ってくれたようです。それに、あんなに何回も公判を重ね、時間も、お金
の面からも非効率だ、とも。私たちが発言した布川の「29年」もかなりショックだったようです。明日、明後日は審査の傍聴です。そうだ!今朝、タイムリーにこちらの新聞に、大きく「志布志事件」が掲載されたようです。すれ違った政府関係者は、厳しい表情でした。予想以上に影響が大きいかも知れません。と、言うことで一段落の報告でした〓こちらは、今、午前零時半です。寝ます。Keiko

記者会見と映画「それでもボクはやってない」上映会

2007-05-08 | 日記
 日弁連と、現地NGOの方たちの協力で日本の「映画上映会」が準備されていた。
「それでもボクはやってない」・・・
これこそ、日本の司法の現実。

 映画に先立ち、日弁連の先生と杉山さん、そして国際人権活動日本委員会の現地マスコミへの記者会見があった。内容は、代用監獄のこと。そして、夜の映画会のこと・・・。私も、同席して、流れで発言することに。結局、明日の発言とほぼ同じことを話した。でも、「よかったよー!」って言ってもらえて、少しほっとした。

 だけど、スイスの人たちは「映画」をどのように受け止めてくれるだろうか・・・。これが、現実と思ってくれるだろうか・・・。
不安いっぱいの私だった。

 夜の映画会場には約60名が集まってくださった。
主催者の重責を果たした弁護士のK先生は、「当日、開場するまで何人来てくれるか不安でいっぱいだった」と言った。
でも、でも、会場の椅子が、ほぼ埋まっていた。拷問禁止委員の方もマスコミの方も何名か来て下さったと聞いた。
「成功だ!」私はそう思った。「すごい!」と思った。