夫が北海道に行っている・・・
そんな時に、夫が住んでいた利根町の家の解体が行われることになった。
夫からは、全部頼んであるからわざわざ行かなくてもいいと言われていた。
でも、そう言う訳にもいかないだろう、と思い、朝早く、義父母の写真に
「中田切に行って来ます」とあいさつしてから、
解体をしてくださる業者さん(夫の知人・先輩)、近所へのあいさつのため、私は利根町に向かった。
8時40分。
家に着いたら、すでに仕事は始まっていた。
業者さんは5人。あいさつを済ませ、近所3軒、親戚2軒を急いで回った。
近所からは、
「わざわざ水戸から来たの?大丈夫だよ、しょうじさんからも電話あったし、業者さんも昨日のうちにあいさつに来たから」と言われたが、
でも、でも、でも・・・
やっぱり、来てよかった・・・と思った。
解体は、悲しいくらい早い時間で進められていった。
戸が外され、物が運び出された後の、壁、床、天井のあまりに歪んだいつ壊れてもおかしくない位に傷んでしまっていたその様に驚いた。
夫が
「いつ天井が落ちてくるかと怖かった」・・・と言った言葉通りだったのだ。
それでも、義父が入院し、亡くなって7年近く無住状態だった家を、夫が仮釈放で帰って改修し、住み始めた家だった。
「この家は、おやじとお袋の思いで守られている。裁判が終わるまでもってくれたらいいんだけど」と
夫が願ったとおり、「再審・無罪確定!」までの15年を持ち堪えてくれた。
夫がこの現場にいたら、きっと両親や兄弟と過ごした思いや、仮釈放で29年ぶりに帰ってきた当時、
「自分の家」で仮の自由とはいえ、誰にも束縛されない自由な時間を過ごすことのできたことなどが溢れ出て、
きっと涙してしまったろう・・・。
それでも、自分の目で確かめられないとなると、それも残念に思うだろう。
そう思って、夫からの電話に、
「写真を撮っておく?」と聞いたら、「いや、いい!」との答え。
それでもよく考えたら、やっぱり、私の一存で撮っておくことにして何枚かシャッターを切った。
屋根も壁も床もなくなり、隣の家と青い空と庭に置かれた木材の小さな山を見たときには、私も胸が熱くなった。
14年前、初めて夫の家を訪れ、その綺麗さに驚いたこと、庭に草を生やしたくないと一人、夏草と格闘したことも思い返された・・・。
10時のお茶の準備をして、少し皆さんと話をし、
「もう、水戸へ帰っていいよ。あとはやっておくから」と言われ、いる場所もないことから、お昼までいてあとはすべてをお願いして帰途についた。
途中で、夫からのメールに気付いた。
「やはり、携帯で撮ってメールで送って」というものだった。
何だか、夫の気持ちが伝わってきた。
メールをくれたのは、9時34分になっている。私との電話を切って、間もない時間だ。
私は、
「ごめんなさい。メール、今、気づきました!
カメラでは撮ったけど、携帯では撮らないんじゃった。
後で(帰ったら)ね」
と、返事した。
すると、
「気になっていたので、行って貰って嬉しかった」と・・・。
このあとはいったん更地にして、ここからまた新しいスタートです。
夫の気持ちにも、また新しい区切りとなる今日の出来事でした・・・。
圏央道から見えた筑波山も、今までほどの回数は見られなくなるのかな・・・
そんなことを考えながら常磐道に入りました・・・。
そんな時に、夫が住んでいた利根町の家の解体が行われることになった。
夫からは、全部頼んであるからわざわざ行かなくてもいいと言われていた。
でも、そう言う訳にもいかないだろう、と思い、朝早く、義父母の写真に
「中田切に行って来ます」とあいさつしてから、
解体をしてくださる業者さん(夫の知人・先輩)、近所へのあいさつのため、私は利根町に向かった。
8時40分。
家に着いたら、すでに仕事は始まっていた。
業者さんは5人。あいさつを済ませ、近所3軒、親戚2軒を急いで回った。
近所からは、
「わざわざ水戸から来たの?大丈夫だよ、しょうじさんからも電話あったし、業者さんも昨日のうちにあいさつに来たから」と言われたが、
でも、でも、でも・・・
やっぱり、来てよかった・・・と思った。
解体は、悲しいくらい早い時間で進められていった。
戸が外され、物が運び出された後の、壁、床、天井のあまりに歪んだいつ壊れてもおかしくない位に傷んでしまっていたその様に驚いた。
夫が
「いつ天井が落ちてくるかと怖かった」・・・と言った言葉通りだったのだ。
それでも、義父が入院し、亡くなって7年近く無住状態だった家を、夫が仮釈放で帰って改修し、住み始めた家だった。
「この家は、おやじとお袋の思いで守られている。裁判が終わるまでもってくれたらいいんだけど」と
夫が願ったとおり、「再審・無罪確定!」までの15年を持ち堪えてくれた。
夫がこの現場にいたら、きっと両親や兄弟と過ごした思いや、仮釈放で29年ぶりに帰ってきた当時、
「自分の家」で仮の自由とはいえ、誰にも束縛されない自由な時間を過ごすことのできたことなどが溢れ出て、
きっと涙してしまったろう・・・。
それでも、自分の目で確かめられないとなると、それも残念に思うだろう。
そう思って、夫からの電話に、
「写真を撮っておく?」と聞いたら、「いや、いい!」との答え。
それでもよく考えたら、やっぱり、私の一存で撮っておくことにして何枚かシャッターを切った。
屋根も壁も床もなくなり、隣の家と青い空と庭に置かれた木材の小さな山を見たときには、私も胸が熱くなった。
14年前、初めて夫の家を訪れ、その綺麗さに驚いたこと、庭に草を生やしたくないと一人、夏草と格闘したことも思い返された・・・。
10時のお茶の準備をして、少し皆さんと話をし、
「もう、水戸へ帰っていいよ。あとはやっておくから」と言われ、いる場所もないことから、お昼までいてあとはすべてをお願いして帰途についた。
途中で、夫からのメールに気付いた。
「やはり、携帯で撮ってメールで送って」というものだった。
何だか、夫の気持ちが伝わってきた。
メールをくれたのは、9時34分になっている。私との電話を切って、間もない時間だ。
私は、
「ごめんなさい。メール、今、気づきました!
カメラでは撮ったけど、携帯では撮らないんじゃった。
後で(帰ったら)ね」
と、返事した。
すると、
「気になっていたので、行って貰って嬉しかった」と・・・。
このあとはいったん更地にして、ここからまた新しいスタートです。
夫の気持ちにも、また新しい区切りとなる今日の出来事でした・・・。
圏央道から見えた筑波山も、今までほどの回数は見られなくなるのかな・・・
そんなことを考えながら常磐道に入りました・・・。