えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

利根町の家

2011-10-31 | 日記
夫が北海道に行っている・・・
そんな時に、夫が住んでいた利根町の家の解体が行われることになった。

夫からは、全部頼んであるからわざわざ行かなくてもいいと言われていた。
でも、そう言う訳にもいかないだろう、と思い、朝早く、義父母の写真に
「中田切に行って来ます」とあいさつしてから、
解体をしてくださる業者さん(夫の知人・先輩)、近所へのあいさつのため、私は利根町に向かった。

8時40分。
家に着いたら、すでに仕事は始まっていた。
業者さんは5人。あいさつを済ませ、近所3軒、親戚2軒を急いで回った。
近所からは、
「わざわざ水戸から来たの?大丈夫だよ、しょうじさんからも電話あったし、業者さんも昨日のうちにあいさつに来たから」と言われたが、
でも、でも、でも・・・
やっぱり、来てよかった・・・と思った。


解体は、悲しいくらい早い時間で進められていった。

戸が外され、物が運び出された後の、壁、床、天井のあまりに歪んだいつ壊れてもおかしくない位に傷んでしまっていたその様に驚いた。
夫が
「いつ天井が落ちてくるかと怖かった」・・・と言った言葉通りだったのだ。

それでも、義父が入院し、亡くなって7年近く無住状態だった家を、夫が仮釈放で帰って改修し、住み始めた家だった。
「この家は、おやじとお袋の思いで守られている。裁判が終わるまでもってくれたらいいんだけど」と
夫が願ったとおり、「再審・無罪確定!」までの15年を持ち堪えてくれた。

夫がこの現場にいたら、きっと両親や兄弟と過ごした思いや、仮釈放で29年ぶりに帰ってきた当時、
「自分の家」で仮の自由とはいえ、誰にも束縛されない自由な時間を過ごすことのできたことなどが溢れ出て、
きっと涙してしまったろう・・・。
それでも、自分の目で確かめられないとなると、それも残念に思うだろう。

そう思って、夫からの電話に、
「写真を撮っておく?」と聞いたら、「いや、いい!」との答え。
それでもよく考えたら、やっぱり、私の一存で撮っておくことにして何枚かシャッターを切った。
屋根も壁も床もなくなり、隣の家と青い空と庭に置かれた木材の小さな山を見たときには、私も胸が熱くなった。
14年前、初めて夫の家を訪れ、その綺麗さに驚いたこと、庭に草を生やしたくないと一人、夏草と格闘したことも思い返された・・・。

10時のお茶の準備をして、少し皆さんと話をし、
「もう、水戸へ帰っていいよ。あとはやっておくから」と言われ、いる場所もないことから、お昼までいてあとはすべてをお願いして帰途についた。

途中で、夫からのメールに気付いた。

「やはり、携帯で撮ってメールで送って」というものだった。

何だか、夫の気持ちが伝わってきた。
メールをくれたのは、9時34分になっている。私との電話を切って、間もない時間だ。
私は、

「ごめんなさい。メール、今、気づきました!
 カメラでは撮ったけど、携帯では撮らないんじゃった。
 後で(帰ったら)ね」

と、返事した。

すると、
「気になっていたので、行って貰って嬉しかった」と・・・。

このあとはいったん更地にして、ここからまた新しいスタートです。
夫の気持ちにも、また新しい区切りとなる今日の出来事でした・・・。




圏央道から見えた筑波山も、今までほどの回数は見られなくなるのかな・・・
そんなことを考えながら常磐道に入りました・・・。


39年目のクラス会

2011-10-31 | 日記



39年前・・・。
保育士(保母)の資格をとって、私たちは希望する仕事に就ける喜びで、胸ふくらませ社会人としてのスタートを切った・・・。
そして、見えてきた「定年」という一応のゴール。
誰もがここまで現役で続けられたわけではないが、集まって語り合う仲間の中で思ったこと。
「アラカン」と言われるのは、決して一つの仕事を続けてくることばかりでなく、長い人生の中でこの時期こそ本当に「一区切り」、そして新たなスタートの時期なんだということだった。

皆は、私の
「火中のクリを拾いに行くような人生を選んだといわれましたが・・・」の挨拶を、うん、うんと頷きながら、それでも
「おかげさまで、夫の無罪判決を勝ち取るという目的が達成し・・・」に
「よかったねえ」と笑顔で応えてくれた。
だけど・・・
続くみんなの話を聞くと、本当に誰もが主人公。
誰もが、それぞれにドラマを背負った人生を歩んで来ていることがわかる。
私のように、一区切りとなって「今の時間」を自分のものとして使っている人もいれば、まだまだ渦中で忙しくしている人もいる。
それでも、
「あと2年したら、今よりはみんなもう少し『自由』になれるように思います。現役組も、定年を迎えてるでしょう。
 2年後には、愛知在住者に幹事を任せ、県外に出てクラス会をしましょう!みなさん、それまで元気で。また会いましょう!」
と言うことで散会となった。

久しぶりの合唱は、

      「保専のうた」(替え歌)

 ♪私は水戸中でいちばん  美人と言われた娘
 
   どこの学校と聞かれたら 胸張って保専と言った

 ♪夏は水泳で真っ黒  冬はスキーで真っ黒

   どこの学校と聞かれたら  小さく保専と言った

 ♪保育の実習で泣いた  ピアノと合唱で泣いた

   どこの学校と聞かれたら  意地かんで保専と言った

 ♪夏のキャンプは楽し  冬はシュプール描く
  
   どこの学校と聞かれたら  声弾み保専と言った

 ♪背中がひりひり痛む  唇はカサカサ乾く
  
   どこの学校と聞かれたら  小声で保専と言った

 ♪朝早く帰りは遅い  アベックを横目でにらむ

   どこの学校と聞かれたら  うらめしく保専と言った

 ♪井の中の蛙にならず  大きく高く伸びよう

   どこの学校と聞かれたら  胸張って保専と言おう  


                              「荒城の月」も自然に学生時代のパートに分かれて合唱・・・
                              ハーモニーは、あの頃に劣らず?
                              きれいで、
                              「仲間とハモる」楽しさを味わいながら私も歌った・・・。


     みんなで歩いたひたち海浜公園も、真っ青な空の下、コキアの丘を登って太平洋を見下ろしたり、バラ園をみたり
      約9000歩のウォーキングを楽しんだ。


 


井手洋子監督授賞式

2011-10-29 | 日記
平成23年度文化庁映画賞授賞式が、10月22日に行われました。
井手監督から、メールで報告がありました。
事前に、授賞式に参加できないかとお誘いを受けたのですが、私用で出席できませんでした(残念です)
「ショージとタカオ」公式HPで紹介されていましたので、ここからも・・・
      ↓
http://shojitotakao.blog39.fc2.com/

夫の預金通帳

2011-10-29 | 日記
夫と出会ったころ、夫は貯金通帳は持っていたが、銀行には用事がないから預金通帳は持っていない、と言った。
そのうち、私が夫から時々お金を預かるようになり、私の収入と一緒にしてしまう訳にもいかず、銀行に夫の口座を作った。
そして、そこに預かったお金を入れ、記帳されたものに薄く鉛筆書きで出し入れの理由を書きながら私が管理していた。
10年近くそうしていて、3年ぐらい前に、
「俺って、銀行口座ってあったんだっけ?今度、使いたいんだけど・・・」と言われてその管理を夫にそのまま任せた。
その時、印鑑とカードと暗所番号も渡した(つもりで今もいるのだが・・・)。
夫は口座番号だけが分かればいいという状態が少し続き、私も自分の管理から離れたことで、すっかり暗証番号も印鑑のことも忘れてしまっていた。
夫は、「暗証番号を新しくする。改印届けもしてくる」と言っていたのだが・・・。

先月末、出先から携帯電話で、
「家賃をあの通帳から、振り込んでくれないか?」と言って来た。それも「すぐに!」と。
だけど、キャッシュカードが夫の言う場所にない上、印鑑もなくて、結局その口座からは送金できなかった。

そして今回、また、携帯電話で同じ指示が来た。やっぱり、月末だ。約束は絶対守りたいと言う・・・。
「カードはあの時見つけて見せたろう?あそこにあるよ」と。
「暗証番号は?」と聞いたら、
「○○○○か××××のどっちかだと思う」

言われたとおりにメモを取り、通帳とカードと振込先を確認して私は銀行に向かった。
キャッシュコーナーで自動でできるはず・・・なのに、
またしても、聞いた暗証番号は二つとも違うとメッセージが出た。
窓口に行って振り込もうとしたら、印鑑がない!
通帳と、カードと、「私の印鑑」と身分証明書もあるんですが・・・と頼んだが、「ご登録の印鑑がないと・・・」と受け付けてもらえず(当然ですよね…)

結局別の銀行を利用している私は、そこから移動してまたしても私が建て替えて送金することに・・・。
何だか夫の借りている部屋の家賃のことで二度も続くと、
「お願いですから、自動引き落としの手続きをしてください」と言いたくなる。

それにしても・・・
これって、やっぱり私が管理すべきかな・・・
夫に任せる方が間違っているのかな・・・。

今年の笠間菊祭り

2011-10-28 | 日記
「子どもころ、菊祭りに来たのはいつも11月23日だったね」と私が言ったら、

「そうだなぁ」と母の返事。

私が母と一緒に行った思い出は、小学生の時の「西茨城地区の児童美術展」を見た帰り・・・
どういうわけか、6年間、毎年私も「絵を出品」し続けた。
稲刈り、脱穀、供出も済んだ農家の主婦にとって出かけられるのはその時期しかなかったんだろう。
秋の11月23日。母はいつもバスで私を笠間まで連れて行ってくれた。
そして、絵画が展示されている会場で絵を見て(当時は中学校の体育館だったような気がする・・・)帰りは笠間稲荷の菊祭りの会場へ。
でも、会期の最後の時でいつも枯れかけた菊の花を纏った人形を観て、子ども心に
「もっときれいな時に来たいな・・・」なんて感じていた。

道路脇に咲くピンク色のかわいい花が、木枯らしの中で咲いているのを見て、母が「山茶花だよ」と教えてくれたのもあの頃だったような気がする…。

・・・・・・

昨日は、母の外来受診日。
そんなに待ち時間はなく早く終わるだろうからと、父に、
「笠間の菊祭りに行ってみない?」と誘った。
「病院、一緒に行こうよ。帰りに笠間稲荷に回って来よう?」と。

「そうだなぁ、行ってみるか」と父も一緒に家を出た。

母は、主治医がほめてくれるほど、この1か月「がんばり」、それが結果として出たため、またひとつ気持ちも楽になったみたいで、父もほっとしたようだった。

そして、3人で笠間稲荷へ。
菊祭りは始まったばかり。
菊のつぼみも固く見ごろにはまだ数日、必要に見受けられた。
入口から境内にかけて陳列されたいろんな菊を一通り見たところで、
「もういい。帰ろう」
と、父も母も言った。
「人形は観なくていいの?」と言ったら、いい、と言う。

二人とも、どうも疲労が大きかったようだ。
父は、杖をつきながらやっと歩いた、という感じだった。
写真を撮るよと言ったら、
「2人そろっての最後の写真か?」と笑いながら父が言う。
私も、
「そう思いながら撮って、来年、去年もここに来たね。最後だって写真撮ったねって笑って話したいね」と返した。

父も母も、菊を3本仕立てや懸崖など毎年作り続けてきた。
見事に展示品として出せるほどにきれいに咲かせた年もあり、嬉しそうに自慢する父の顔も何度か見てきた。
でも、今年は大事な時期に母が入院中とあって、やっぱり気力を無くしたままの菊作りとなった。


それでもきれいに咲いてくれた大輪の菊。

父は、陶板浴に来る人のためにと、その鉢をRAKUAの入口に置いて、水やりを続けている・・・。





私の役割?

2011-10-26 | 日記
夫が留守の間、自宅には郵便物、メール便、Faxなどいろんなものが届く。
今回の不在期間は長く、行き先が関西から、関東、北陸、北海道へと移動しながらとなる。
その、行く先々の主催者さんから、照会や確認、通知が連日送られてくる。

先日は、
「当日のタイムスケジュールです。ご確認ください」とあり、
今日も、
「当日配布予定の資料です。訂正がありましたらご連絡ください」とあった。

今回のような場合は、本人が直接確認できる機会はもうない。だから、出先に、この情報を送らなければならない。

今日は、明らかに訂正していただかなければならない箇所がいくつか確かにあった。
先方から届いた全文を、打ち直して夫にメールで送った。
夫は、
「そのままでいいよ」との返事。
しかし、私から言えば、
「訂正があったらご連絡を」と、事前に言って来てるのだ。
当日、本人が、会場の皆さんに
『実は、ここは違っていまして・・・』なんて言って、済むものではない。まして、内容もそういうものではない。
それでは、主催者に大変失礼になる。
だから、夫の返事に、私はもう一度メールした。
そしたら、

「そうか」とあり、「俺が電話する?」とあった。

先方の肩書を見たら、やはり本人からの連絡がいいだろうと思い、そう返信した。
そして、

「連絡したよ」の返事。

私も家を留守にしていたら、こんな連絡も滞ってしまう。
自宅と実家を行ったり来たりの私だけど、
接近したスケジュールをこなしている夫に、私もかろうじて今日は役立ったかな・・・

そんなことを思っている・・・。

母が自転車で買い物?!

2011-10-26 | 日記
実家にいると、母の姿も、父の姿も時々私の視界から?消えることがある。
そんなとき、決まって寝室の戸がしまっていて、どうも体調が悪く、蒲団に入っていることが多くなった。

父も、母も、お互いに姿が見えなくなると
「寝てるのかな」というようになったいた。

昨日、私のところに来てくれた来客のために、母が、

「これ、お茶菓子を買って来たから、出してやりな」と言ってお菓子の入った袋を私に渡してくれた。

えっ?買って来た?
どうしたの?わざわざ行って来てくれたの?

庭に出たら、久しく見てなかった赤い自転車があった。

「えっー?これ、おばあちゃんの自転車?これで行って来てくれたの?」と聞いたら、さらっと

「そうだよ」と言った。

まあ、まあ、まあ、85歳になって、大きな手術をして、疲れるとすぐに横になる生活をしているのに、まだ自転車現役とは!
母の頑張りには頭が下がる。

それに、来客があるたび、畑に行って何かをとって来る。
昨日も、私の来客に、

「サツマイモはどうしているんですか?買って食べてるんだったら、どうぞ。今とってきたばかりのものだから」などと言って、手渡してくれた。

父と母と二人きりの生活よりも、私が出入りし、私の友人などが出入りすることは、かえって張りがあるのかもしれない。
無理をしすぎてないのだろうか・・・・と心配な面もあるが、少なくても母の昨日の姿は生き生きとしていた。
このまま、手術をせずにいる膵臓のがんが悪さをしないでほしい、と願うばかりである。

明日は、泌尿器科の受診日。
この1か月、本当に自己導尿で記録をとりながら頑張った。
あす、少しでもDr.から、その努力と今後の良い方向が示されるといいのだが・・・。


やっぱり、いいって・・・

2011-10-26 | 日記
陶板浴のできるミニハウス(RAKUA)を作って、3か月が過ぎ、メンテナンス?で竹屋さん(設置してくれた工務店さんで、私たち夫婦がハマってしまった竹屋陶板浴の経営者さん)が来てくれた。
特に、困っていることはない、と電話では言っていたものの、実は前日、知人を二人入浴に誘い、父に電話をしたところ、

「お前、この前帰る時に電源切ってっちゃったのか?なんだか、お前が帰ってから、自動で電源が入んなくなっちゃったんだぞ。だめだ、やっぱり陶板浴入んないと塩梅悪くなって・・・」と言う。

「えっ?そんなはずない!」と、お誘いした2人にお詫びして、慌てて帰って確かめたら、自動設定されていたはずのものがリセットされていて、確かに床のみならずハウス自体が驚くほどひんやりとしていた。

母に聞いたら、
「電話しようと思ったんだけど、何か考えがあって消して行ったのかなと思ってさ」・・・とのこと。

どうも、私が無意識にボタンを押し間違えたらしい・・・。
ごめん!

自動じゃなくたって、母には手動でできるように教えてあったのだから、電話さえもらえたら・・・。
(父は、赤緑色盲のため、ボタンの色の識別が難しいので母に覚えてもらったのだ)
ま、両親を責めても仕方ない。私のうっかりミスなのだから・・・。

と、いうわけで、結局竹屋さんに来てもらい、しっかり再設定をしてもらい、ドアの開閉も少し硬かったものを修理してもらい、一件落着。

午後は、私の元同僚が二人来て「体験入浴」していった。
入浴後、丸テーブルとイスを出し、戸外で3人でおしゃべり。
2人とも
「きもちいいね~」と連発。
やっぱり、そう言って貰えて私もうれしかった。

夜になって、友人からメールが来た。

「今日は、とても気持ち良い思いをありがとうございました。
また(実家に)帰る時に連絡ください。時間が合えば是非また入りたいと思います。
よろしくお願いします」と。

そう、・・・
継続して来てもらえる環境作りをしなければ・・・少し気持ちが焦っています・・・。

父も母も、
「私らに気を遣うことないから、自由に来て、自由に入ってもらったらいいよ」と言ってくれているのだが・・・。



夫と一緒の生活・・・

2011-10-23 | 日記
煙探知器(火災防止用)の電池が切れ、交換しなければ…と思っていながら数日そのままにしていたら、夫が、

「掲示板、見たか?故障らしいぞ。不具合が生じているところは、連絡すれば無料で交換するって書いてあったよ」という。

確かに・・・
じゃ、連絡しなければ!と、思っているうちに、今度は、台所の換気扇が回らなくなった。
そのうち…と思っていたら、食事の後片付けを毎回してくれている夫がすぐに気付いて、さっそく
「去年の暮に、掃除しないんじゃったからな」と朝から掃除を始めてくれた。

毎日家にいる私としては、
「いいよ。私が後でやるから」と言ったが、こんな時、夫は私の言うことを聞かない。
「だって、出掛けなくっちゃならないんでしょ?」と言っても・・・。

居間に戻ってしまった私に夫から声がかかった。
「ダメだ、これ。モーターが回んない。業者に連絡するしかないな」

「ありがとう。わかった。じゃ、とりあえず、電池交換の件だけでも」と、住宅管理センター(公営住宅なので)へ電話をし、その件を済ませた後、

「すみません。換気扇のモーターが回らなくなってしまったんですが、どこに相談すればいいんでしょうか?」と聞いたら、

電話口に別の方が出て、

「わかりました。あとで、業者さんから直接電話してもらいますから待ってください」とのこと。

という訳で・・・

とんとんとんと話は進み、その後、私の留守中に業者さんからの電話を夫が受け、

「21日の午前中に来てくれるって。アンタ、大丈夫だろう?」・・・と。


煙探知器の交換用電池もまもなく届けられ、夫が改めて天井に取り付けてくれた。


・・・・・・

そして、21日の朝、
 工務店の方が見えて、20分ぐらいで新しい換気扇に取り換えてくれ、一件落着。

 私はモーターだけの交換かと思って、換気扇の部品全部、夫がきれいにしてくれていたものをとっておいたが、
「それは、持ち帰ります」と言われ、汚れたままのものを渡すのではなく、きれいになっているものを返せるほっとした気持ちで、夫にありがとう…という気持ちになった。

そして、この間の夫の仕事の速さに感謝!でした。

でも、工務店の方から仕事が終わって、

「じゃ、サインをお願いしていいですか?」と言われ、

世帯主は私・・・私の名前を書きながら、
夫は、と言えば毎朝日課の「朝風呂中」・・・。
玄関横にある風呂から出てくるわけにもいかないで、顔も出さないまま・・・。

電話で日程の打ち合わせをしたのは夫で、男の声・・・

「朝風呂ですか~、いいですね~」と返してくれた言葉を聞きながら、なんか誤解されてないかな・・・なんて考えてしまった。

夫が世帯主となっての新しい生活はいつごろ始められるのか・・・。