えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

救援美術展

2007-09-30 | 日記
 「無実の人を救う・救援美術展」が取手市・ゆらゆら春の会や救援会の方々のお力で実現した。
著名な画家、書家、彫刻家などのみなさんが裁判支援のためにご自身の作品を提供してくださり、全国各地で美術展を開き、事件支援を訴える大切な運動のひとつなのである。
茨城では、これまで県都水戸を中心に行われてきたが、今回初めて県南の取手市で実現したのである。

 取手市は、布川事件のあった利根町とは隣同士。布川事件支援の運動が、こんな形でも行われている、そのことを地域の皆さんに理解していただくのに最適の場所だった。

 9月7日~9日までの3日間のうち、私は土、日の二日間、会場に夫とともに参加した。(夫は6日の夜の搬入・展示から最終日の搬出・打ち上げまで全日程を参加した)
 私は、救援美術展が大好きだ。なぜなら、こんなにたくさんの方々が事件支援のために心を寄せてくださる。作品を提供してくださる人、会場に足を運んでくださる人、事件支援の目的を理解され、署名、カンパに応じてくださる人。みなさんの「思い」の集まる企画だからだ。
それに、個人的には「絵が好き」ということもある。たくさんの絵に囲まれてすごす時間が、私にとってとても心が満たされる時間となるのだ。

 そんなこんなですごした救援美術展。夫と相談して絵を1点と、知人の結婚のお祝いに夫婦茶碗を1組、決めた。

 実行委員の皆さん、大変お世話になりました。
今までになく、新しい方々の来場に励まされています。
きっと、この企画も「布川の力」となってくれることでしょう。

(この原稿はkeikoさんが書きました。keikoさん、この連休に新しい絵を部屋に架け替え、少しだけ模様替えをし、なんだかちょこっと部屋の雰囲気が変わったよ

コンサートにた~くさんのひとが

2007-09-30 | 日記
 千葉県我孫子市に相島芸術文化村というところがある。
ここには、江戸時代から続いた豪農?庄屋さん?だったという井上邸がある。
建物はまさしく江戸時代のもの。そして、調度品も当時のものがそのまま保存されている。倉も石造りでたくさんある。今も井上さんのご子孫が住まわれ、保存、管理、一般開放されている。
shoujiさんたちは、以前にその倉をお借りして「佐藤光政コンサート」を行った。今回は、shoujiさんのコンサートだという。地元守る会の人たちが主催で準備に当たってくださった。
 光政さんとは違う、shoujiさんのだという・・・
どれくらいの人たちが来てくれるのだろうか・・・
「歌もいいけどトークがいいよね」とは、これまで東京で2回ほどやらせていただいたときのの皆さんの感想。
トークは確かに獄中での思いなど、興味は尽きず、話し上手のshoujiさんの世界に皆さんが引き込まれていく。
トークとともに獄中で作詞、作曲した歌を自ら歌って披露する。
前に、
「あんたがいると、ちょっとやりにくいよ」とshoujiさんに言われたkeikoさん。一度だけ聴いて、「うん、分かった。もう、会場には行かない」と決めたkeikoさんだった。
 とにかく、ステージからみんなに気配りしながら進行していくのだけれど、keikoさんにも気を遣うんだ・・・。
(話題によっては、涙を見せてしまうところがあるからかな?それとも、keikoさんのことも話題のネタにしちゃうからかな?ほかの女性の名前もたくさん出てくるからかな・・・?)
 
 だからkeikoさんは、shoujiさんの気持ちが分かったから、「自分の思うようにやってほしい」と、心からそう思ったんだ。だって、shoujiさんの思い出の中の人たちは数限りなくいることが分かったし、本当にお世話になった方ばかりなのだから。話題は尽きることなくあるようで、一応頭の中で進行は決めているけれど、その日の会場の雰囲気に合わせてトークは行うんだという。

 9月22日、keikoさんは終了後の懇親会のお料理の準備(チーフの指示通りにカナッペ、野菜サラダ、豚の角煮などの盛り付けを少々お手伝い・・・。和食は別の方が担当してくれたので)と、車の運転手に徹した。
そんなわけで、裏方として結構忙しく動き回った。
ところが・・・
会場には、50名ぐらいかな、と予想していた人が80名近くも来てくださり、コンサート会場は満席、倉に入れなかった人もいたようだ。交流会会場も席が不足、何よりお料理が足りない状況だった。

 Sさんの国連報告も予定されていたので、たくさんの方が交流会に残ってくれたのだった。料理が少なかったのに、苦情もなく和気あいあいとなごやかな雰囲気で一日が終わろうとしていた・・・。

 そんな風だったから今回はずっとkeikoさん、そんな大勢のかたがたにお出でいただいたのに、どなたがいらっしゃったのかほとんど分からないまま、夜になってshoujiさんに聞いた状態だった。
ほとんど、ごあいさつができなかったことが悔やまれた。
そして・・・
shoujiさん、keikoさんにひとつひとつコンサートの雰囲気や、自分が何を話題にして、どんな風に言ったかをていねいに報告したんだ。
「聴いてくれなかったの?」と言いながら・・・。

  あれ~?だって、「いないほうがいい」って言ってたジャン・・・(独り言)

keikoさん、笑って答えた。
「うん、大丈夫。あなたのコンサートだけは、裏方に徹するわ!」

きんもくせい

2007-09-30 | 日記
今年も「きんもくせい」の季節が来たね。
1967年10月10日…。
shoujiさんの人生が大きく狂い出した運命の日だ…。でも、shoujiさんは負けなかった。それどころか40年後の今の姿、誰が想像できたろうか…。
「人間としての誇り」を失うことなく、社会を見つめ、自己を見つめ、未来を信じてぶれることなく生き抜いてきた。見事に詩や作詞、作曲など自己表現の術を得て、もしかしたら社会で生きてきた人達以上に充実した時間を過ごしてきたかも知れない。
shoujiさんをそこまで強くしたのは、何か?と考える。それは、もちろん本人の強い精神力もあったろう。しかし、やはりそれを支え続けてくれたのは「出会い」だった。shoujiさんの無実の訴えを信じ、「人間を信じるこころ」がshoujiさんを支え続けてくれた。
「獄中にあっても幸せでした。」と言ったshoujiさんの言葉が思い返される・・・。

 仮釈放で社会に帰って10年が過ぎ、二十歳だった青年は還暦を過ぎた。
早く、裁判のやり直しが行われ、裁判官が『無罪!』って、言ってくれること、本当にwatasiも一緒に願っている…

稲刈りが終わったよ

2007-09-22 | 日記
毎年、おじいちゃん家の稲刈りをみんなで手伝う。これが、毎年秋の恒例になっている。

 今年も、1日はkeikoさんとsyoujiさんとakiraくんとそれにwatasiもついて行った。ぜ~んぶ機械でやってしまうから、昔と比べると本当に楽な稲刈りで「レクリェーション」みたいなんだ・・・。
力仕事は、男がやるし、本当にkeikoさんはぷ~らぷ~らしているだけなんだ。
昔(私が知っている10年ぐらい前まで)は、天日干しがいいからって「おだがけ」していたんだけど、あのころは本当にきつかったね。
懐かしいけどね・・・。watasiも田んぼの中を走り回り、イナゴや赤とんぼを追いかけたりしていっぱい遊んだっけ・・・。

 今は、刈り取りも脱穀も乾燥も1日の工程なんだ。だから、乾燥機がいっぱいになったらその日の作業はおしまい。

というわけで、2回目は今度はkeikoさんもsyoujiさんも行けず、代わってkeikoさんのお兄さんが東京から、成田からkaoriさんが、水戸からまたakira君が行った。
今度は、前回の乾燥のすんだお米搗き(精米)もあって、akira君がしっかり新米をもらってきてくれた・・・。

 おじいちゃんたちが85歳にもなるのに、いまだに米つくりをやめられないのは、子供や孫たちにお米をあげることと、作るときにみんなが集まって来ることの楽しみを失いたくないせいかもしれないね。

なんだかわかるような気がする・・・。

watasiも、みんなが集まって楽しそうに?働く姿見るのすきだもん・・・。
きっとおじいちゃんもおばあちゃんもおんなじだよ。

 二人とも元気でいてね。watasiもがんばるから

繰り返すようだったら・・・?

2007-09-20 | 日記
 最近のkeikoさん、おかしい・・・
PCには振り回されているし、時間も上手に使えず、何事にも集中できてない・・・。
頭の中が「へん」だ!

 昨日は、たまたま脳外科のDr.と階段で一緒になり、5階から3階に降りるはずのところ、4階でウロウロ・・・。まちがった!と階段にもどったら前を降りていくDr.が、
「どうしたの?」・・・と。
「まちがえました!」とkeikoさん。
「繰り返すようだったら・・・」と笑いながらDr.
「は、はい!繰り返すようだったら受診します!」

 普段あまり話したことのないDr.との「笑い話」だったはずなのに
なんと、なんとその日のうちに同じ場所で、同じようにその後2回もやってしまったんだって・・・。
keikoさん、やっぱり「へん」だよ・・・。

 やっぱりMRI検査でもしておいたほうがいいかも・・・なんてね

 そういえばwatasiも、いつだったか動物病院の若い先生に言われたっけ・・・
「脳腫瘍があるかもしれません。検査をすればはっきりするのですが、年齢も年齢なのであまりお勧めしません。あとは最後をどうするかご家族で・・・」って。

はははっ!
あれから何年watasi生きているだろうね。
あの先生に、このしぶとく生き残っているwatasiの姿みせてあげたいね~

 たまにはおかしいこともあるさー・・・ネ!

 さあ、keikoさんは、これから土浦駅に向かいます。
今日は、東京高裁要請日だったんだけど半日しか休みが取れなかったので、東京組みと土浦駅で合流して宣伝行動なのだ。
syoujiさんは、利根町から東京高裁へ、そしてマリオン前宣伝みたい。
相変わらず「バラバラ」のふたり。
早く何とかならないのかな~

もうすぐ誕生日

2007-09-05 | 日記
もうすぐwatasiの誕生日が来る

今度の9月14日は、watasiが病院の駐車場近くで迷子になって、声を嗄らして鳴いているのをkeikoさんが見つけて、この家に連れてきてくれた日なんだ・・・。

あれから、もう19年。
本当に、ながく生きてきたなぁ・・・。
akiraくんが5年生。kaoriさんが3年生。それに、今よりもう少し若かったkeikoさん・・・。
syoujiさんと出会ったのは1998年だった・・・。

それに、おじいちゃん、おばあちゃん、
それとeiji君もいた・・・

 いろんなことあったね~。
 み~んなと全部一緒だね。ず~っとwatasiもみんなのこと見てきたよ。

もう少し、みんなと一緒にいたい・・・
だから、20年目もヨロシクね!

リフレッシュしたくって

2007-09-04 | 日記
 keikoさん、なんだか忙しい毎日が続いている。
この前なんか、「どうしてこうなっちゃうの~?!
って、ばたばたしてた。
原因は、ちゃんと計画立てて少しづつこなしていけばなんでもないことだったのに、悪い癖は「土壇場になるまで取りかからない」こと。
「月末までに」という原稿依頼を受けていたものがあって、それを始めたのが、お盆が過ぎてから、そこへ茨城の会ニュース作りが入って、重ねて救援会の支部ニュースと、全部が月末に集中した。
「水戸へ帰るから・・・」というsyoujiさんのことばに、
「ごめん!徹夜になりそうだから・・・」
「寝てる頭の上、煌々と電気付けっぱなしになるかも・・・」と、帰ってきてもゆっくりできないよ、と電話で言ってたっけ・・・。こんなの今までで初めてだったね。keikoさん反省してた。もう少し、何とかしなくっちゃ・・・って
それにね・・・。1年に1回の定期健診もあったんだ。検査の後、少し体がきついんだ・・・。だから、今までになく「体も気持ちもきつかった」それを、きちんとsyoujiさんに伝えられなくって・・・。
冗談のように
「つるのおんがえし」の「おつう」のようだった!って笑って言ったけど、本当にそんな状態だった・・・。
 だから、それらが一段落した9月始めは、今までになく開放感があって、keikoさんは普通に戻ったけれど、ついでに「ゆっくり、自由時間が欲しい」って思ったんだ。
ちょっと、syoujiさんが、「利根町には来られないのか・・・」みたいな雰囲気だった。でも、「無理は言えないか・・・」と遠慮し、keikoさんは「私だって、少し自分のために時間使いたいよ・・・」「でも、こんなのって決していいことじゃないよなぁ・・・」と心の中でつぶやき・・・
びみょ~な空気が流れたんだ・・・(watasi、気付いたモン・・・)
お互い一緒にいられない分、それだけに言葉で伝えあわなければならないんだけど、顔の見えない電話では上手く伝わらないことが多く、かえって話題がかみ合わず「むなしく」なっちゃうみたい・・・

 「リフレッショしてきます」
keikoさん、千葉県へ行っていたsyoujiさんに、そうメールを打って街へ出かけて行った。めったにはかないスカートをはいて、ヒールのある靴を履いて。
久しぶりに美術館へ行きたいって・・・。

涼しくなった朝に

2007-09-04 | 日記
 咲いたよ!
きれいな、かわいいピンクの朝顔も。
涼しくなって、なかなか花を開くことができなくってね。
もう開くかな?って見てるんだけど、
なかなか開かないんだ。
蕾の先が少しだけ開き始めて・・・
大きく開ききるまで三日もかかってる・・・。
朝顔だってちゃんと分かってるんだね。
「もう、私の季節じゃないんだ・・・」って。
それでも、一生懸命、咲こうとしている。
咲ききろうとしている。
だから、声を掛けてあげるんだ。
「おはよう!
  ありがとう!」って・・・。

今日も、涼しい朝だね