えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

毎日1回は・・・

2006-06-30 | 日記
 あのね、あのね、
ここだけの話だよ

 keikoさんとsyoujiさんって、結婚はしたものの、離れて暮らしているでしょう?(裁判が終わるまでは地元で生活したいって、syoujiさんの希望だったし、keikoさんも仕事をやめるわけにいかなかったから・・・ね)

 結婚して、もうすぐ7年になるんだけど、ずーっと続いていることがあるんだよ。それは、一日1回必ずお互いのことを電話で報告し合うこと。
keikoさんより、syoujiさんが掛けて来る事の方が多いかな。
外に出ていることが多いから仕方がないんだけれど・・・。
ワタシも、7年間、二人の会話をぜ~んぶ聞いてきちゃった・・・!
(でもないか・・・最近耳が不自由になってきたから・・・)

 今ね、syoujiさん、全国キャラバンに行ってるでしょう?
これまでで、一番長く離れてのお互いの生活かもしれない・・・。
少しだけ、keikoさん、思ったんだ・・・。
「syojiさんに比べ、私はいったい何をしてるんだろう・・?
 『留守宅を守る』って言うなら、利根町にいなければならないのに・・・」って。
(keikoさんの仕事は水戸。昼は仕事、それに土日もほとんどなにかの行事が入っていたんだ・・・)

 でも、北海道に入ってからは、電話とあわせて、メールでも毎日報告が入り、送られてくる写真を見ながら、
「そっかー、これを受け取るのも、受け取ってみなさんに知らせるのも『私の仕事』だ!」って思えるようになったみたい・・・。
そして、写真を見ながら北海道を一緒に旅しているみたい・・・。

 今週末は、syoujiさん、まだ利根町には帰って来られないけれど、keikoさんはやっと利根町へ行けるようです。
行って、戸を開け、風を家の中に通し、庭の草取りもできたらって考えている。
土曜日の会議を終えて、それから、syoujiさんの車で。
何故って、長い間、乗ってないのでバッテリーの上がるのを防止するために・・・。
これも、立派に妻の仕事って言える・・・よね

 ワタシはひとり留守番になるけど一日だけだから・・・

 それにしても、早く二人一緒に、もちろんワタシも一緒にだけど住めるようになるといいなぁ・・・。
おかしいよ、そんなに長い間離れたままの生活なんて・・・。

テレビ

2006-06-23 | 日記
 最近、テレビがとても気になるの・・・
毎日々々釘付けになるくらい、ニュース、スポーツ、ドキュメント、天気予報など、何でも見るようにしているの。
なぜって?おもしろいから!面白いって思えるようになったから・・・。
分かってもらえるかしら・・・?

 syoujiさんが
「ごんは、『聞こえない生活』に慣れてきたんじゃないかな」って言ったけど、
自分でもそう思う。
もう、ホントに聞こえないの・・・。
でも、目は、まだ見えるから、できるだけ目を使おうって思ったの。
耳も、目も、嗅覚も、運動能力もしっかりしていたときは、何でもできたから、テレビなんてあまり興味持たなかったけれど、今は、時折ベランダに出て外を眺めることと、テレビを見ることが楽しみなの。
 朝もね、keikoさんが出勤するとき、ワタシがテレビを見ているものだから
気にしてくれるんだ。
「ごん、ごめんね。消すよ、また、夜にね」って。
「点けていってあげたいけど、そういう訳にも行かないの・・・」って。

うん、昼は「寝てるからいいよ」って答えるんだ・・・。

そういえば、そんなにテレビを見るネコって珍しいの?
syoujiさんも携帯のムービーで、一生懸命ワタシのこと撮っていたっけ・・・
ナレーション付だったよ。ハズカシイナぁ・・・。

 テレビって、いろんな事教えてくれるよね。
ワタシ、結構「知恵がついてきて」『進化』するかも・・・なんてね

流されないように

2006-06-21 | 日記
 keikoさんて、若いときから(ワタシは17年間しか分からないけれど・・・)とにかく、「自分らしく」「keikoらしく」ということにこだわって生きてきたんだ。
 負けず嫌いで、根性も意外とあって、いいのか悪いのか「自己責任」でなんでも決めて、なんでも行動してしまう。
自立心旺盛っていうのかな?
その分、失敗すると自分を責め、落ち込みも激しい・・・・けど

 syouji さんを「人生後半のパートナー」と決めて歩き出そうとしたとき、半年間、入部を迷っていた職場の茶道部に「入ります!」って、入ってしまったんだ。
「えーっ?!、おちゃー?!!」っとワタシはびっくり!
どうしたのー?って感じだった。

 でも、今になったら分かるような気がする・・・。
syoujiさんとの生活が始まったら、これまで何でも自分の判断で自分のしたいことを自由にやれてきたkeikoさんの生活が一変することになるんだ。
とにかく「自分を見失わないように」って、一番先に考えたんだ。
自分らしく生きるために、syoujiさんとの人生を選んだんだもの、当たり前だよね。
 
 忙しくなるだろうな・・・
 すべてが夫の活動を中心とした生活になるのだろうな・・・
 流されないようにしよう・・・
 keikoらしさを失わないようにしよう・・・って。

 だからなんだ・・・
活動からも、syoujiさんからも「離れた時間」、「離れた空間」を自分のために取って置きたいって・・・・。
syoujiさんは言ってくれたよ。
「いいよ、遠慮しないで、ちゃんとその時間をとりなさい」って。
でも、月3回のおけいこの日が、やっぱり予想通り取れなくなってきて休みがちになってきた。
決まって、おけいこの日に行事が重なってきたんだ・・・。
先生も、先輩方も、仲間もみんな
「いつでも、来られるときに来ればいいのよ」と言ってくれ、3ヶ月休み、半年休み、1年休むということを続けてしまい、とうとう昨年12月に退部届けを出したんだ。約6年の在籍だった。少し、淋しかった・・・。
全く進歩のない初心者のまま・・・。
 
 今日、先輩と廊下ですれ違い、あの頃のことを急に思い出してしまった。
なにやら、夜になってkeikoさん、お道具を出し
「6月は、もう夏茶碗よね~」とか言いながら、お茶を点てていた・・・。

 中途半端がだいっきらいなkeikoさん。
だから、やめたんだけど、またいつかきちんと再開したいなぁ・・・そう、考えている・・・。
だって、まだsyoujiさんに、「おいしい!」って言ってもらえないんだもの・・・

一生懸命のkeikoさんと、お茶にあまり興味のないsyoujiさんと・・・。
どちらも気の毒・・・

本当の姿

2006-06-18 | 日記
えん罪の恐ろしさ・・・。
 
 このことは、今だから言える事(syoujiさんが少しづつ克服しつつあると思うから)で、誤解や、必要以上の心配はかけたくないけれど、でも、このことを抜きにしてえん罪は語れないと思うようになったのでここに記すことを許してくださいね。
『Tea time』とは何ぞや?ですね。
重いテーマでゴメンナサイ


 いつも前向きで明るいSyoujiさん、その姿にえん罪の苦しさや暗さなど感じさせない。あまりに明るく、率直で、純粋すぎる・・・。
誰もが、第一印象で驚き、感動してしまう。そこで詩集や歌に触れると「なんて強い人なのだろう」と、心を揺さ振られる。Keikoさんも同じだった。

 だけど、Keikoさんは思ったんだ。
人間、もっと影の部分をもっているはず。自分を曝け出して生きられる、そのこと自体、幸せに思う反面、本当に人間それだけで生きられるのかって。誰だって、他人に触れられずそっとしまっておきたいことを持ちながら生きているのに・・・。
そのことにsyoujiさんは気付けていない。
すべてを曝け出して生きることでしか、身の潔白を信じてもらえないsyoujiさんは、生きるために身に付けてしまった止むを得ずの姿ではなかったのか、と。
この人の姿はどこか悲しい・・・と。

 こんなkeikoさんの疑問にsyoujiさんは明快に答えたんだ。
「俺は、これ以上も、これ以下もない。裏も表もない。このまんま、俺自身だよ!」って・・・。

 ところが、syoujiさんとしては、あまり公にして欲しくないことかもしれないけれど、keikoさんとワタシは、ある晩、突然、syoujiさんが不穏状態になって、
「心と体がバラバラになってしまう!俺、壊れてしまう!」と叫んで「苦しむ姿」を目の当たりにしてしまったんだ・・・。
keikoさんは、初めて目にする光景に驚いて「病院へ連れて行こう、鎮静剤がなければ!・・・」と考えた。
だけど、目の前で、苦しみながらもsyoujiさんは自分自身で必死に闘っていた。
突然の息苦しさから、ガラス戸を開けてベランダから飛び降りたい衝動を必死にこらえ、その苦しみをkeikoさんに訴え、助けを求めた。
ワタシは目の前で起きている二人の姿を見つめ続けることしかできなかったけれど、keikoさんが傍にいたことで、少しづつsyoujiさんは落ち着きを取り戻していったんだ。
「病院へ行く?!」
「うん!・・・いや、待って!大丈夫かもしれない・・・。朝まで、何とか頑張ってみる・・・」

   ・・・・

 発作的な行動、言動、身体に表れる異常・・・
 落ち着いてから、syoujiさん自身が分析した心理状態・・・
 
それは「29年間、無実の罪で投獄されたえん罪者を襲った後遺症」そのものだった。

keikoさんは、syoujiさんのそんな姿を誰にも言えないと思った。
だけど、1人で抱えるにはあまりにも大きな問題だった・・・。
syoujiさん自身、「また、起きたらどうしよう」と怯えていた・・・。

keikoさんはその日、一日中、仕事が手につかなかった。
悩んで、悩んで、たった一人だけ共通の知り合いで一番(水戸では)syoujiさんを理解してくれているはずのTさんに、思い余って相談したんだ。

黙って話を聞いてくれたTさん、少し間をおいて
「よかったね、keikoさん!
 大丈夫!syoujiさんは、辛いとか、苦しいとかそんなのとうに乗り越えてきた人よ。自分ひとりで29年間闘い続けてsyoujiさん自身を縛っていたものが、keikoさんというパートナーを得て、その喜びが本人の意識と離れたところで膨らんで膨らんで膨らみすぎてきたんだわ。何度も、何度も、期待しては裏切られ、そのたびに二度と「期待しない」よう、自分に言い聞かせて生きてきたのがこれまでのsyoujiさんよ。
仮釈放になって、社会での生活も始まって、結婚もし、大好きな佐藤光政さんのコンサートで一緒に歌えることになって、夢や期待がどんどん膨らんでいくのを、きっと体が受け止めきれずに、そんな反応したんだと思う。
きっと、いいことなのよ。
syoujiさんは、これから、大なり、小なりそんな発作のようなもの繰り返しながら、少しづつ「普通の人間」に戻っていくのよ」って
おだやかに言ってくれたんだ・・・。

keikoさん、Tさんの分析に、本当に救われた思いになった。
本当にそうかもしれないって、思った。
そして「29年間の重みとえん罪の恐ろしさ」を改めて認識したんだ・・・。
やっぱり、あの「明るいまんまのsyoujiさん」だけでない姿が現れてきたんだ・・・。

 その後、syoujiさんには、

「金属の腕時計」ができない(手錠を連想させてパニックになる)
「狭いところ」や「人ごみ」は「息苦しさ」でパニックになってしまう。
ゴム長靴、ビニルの手袋、きつい洋服、ベルトなど「締め付けられる感覚」がパニックを惹き起こす。
「うそをついた」「うそをつく」という言葉や、自分が「否定された」と思った時に過剰な反応をしてしまう。
「命令」、「支持」に異常な反発をし、「拘束される」ことにも、大きなストレスを覚えて必死に言葉で反論してしまう・・・。
 
など、「特異体験」が生んだ後遺症を持ち、またフラッシュバックによる不穏状態におそわれたり、と身体にまで苦しみを抱えていることを
keikoさんは、いろんな場で目の当たりにして行くんだ。
理不尽な長い拘束された生活の中で、「自己肯定」の総ては自分自身でしかなかったという現実だった・・・。

 だけど、
 だけど、
仮釈放になって、10年・・・
Tさんがあの時言ってくれたように、syoujiさん、今では、そんな苦しみから少しづつ解放されて、このところ本当に落ち着いて来ている・・・
そう言える様になったと思う。

 だから、syoujiさんとしては、あまり知られたくないことかもしれないけれど、
syoujiさんを表面的に見た人が、その裏にある苦しみにも少しでも気持ちを寄せて欲しいから、あえてワタシの立場で書かせてもらったんだ・・・。

 ワタシがsyoujiさんの胡坐の中で眠る姿に、syoujiさん癒されるんだって。
だって、ワタシ100%信頼しきって身を委ねちゃうんだものね。
お互いに何の疑いもない関係なんだよ。
それが、何よりsyoujiさんが求めているものなんじゃないかな・・・

元気な姿を見せてきなさい

2006-06-15 | 日記
  keikoさんとsyoujiさんが二人で初めて挨拶に行ったその時は、N家にとっての重大問題。長男のKさんが東京から呼ばれておばあちゃんの隣に座っていた。
おじいちゃんもおばあちゃんもKさんも、努めて冷静に聞こうとしている様子に見えたけれど、本当に心の中は大きく動揺しているのが良く分かった。おじいちゃんは、syoujiさんの目を見ようともせず、自分の思いを機関銃のようにsyoujiさんにぶつけてきたんだ。keikoさんは「どうして、そんなひどいこというの?!」と、胸が張り裂けそうな思いで、でも、黙って言い訳しないでじっと聞いた。
syoujiさんも「もっともです」と言って、とにかくじっと耐えた。
おばあちゃんは、最初から最後まで一言も発してくれなかった。
でも、最後には、「二人で決めたことなら・・・。でも、よーく考えてナ」と言ってくれたんだ。
keikoさんもsyoujiさんも、よーくわかっていた。
keikoさんが幼い子どもたちを一人で育ててきて、社会人になり、やっとこれからというときに、よりによってまた「苦労」を背負い込むような人生だけは、何としてもやめさせなくてはと、心配しての反対なのだという事を・・・。
 
 緊張して、緊張して挨拶に行ったsyoujiさんとkeikoさん、おもわず帰りの車の中で手を握り合ったんだ・・・。
分かるよね、その気持ち!
 
 なのに・・・
2週間後、keikoさんがワタシとKちゃんを連れて行った時のこと・・・
いきなり玄関先でおじいちゃんがkeikoさんに言ったんだ。
「何しに来た!」って・・・。
「何しにって・・・」って返答に困ってkeikoさんが見たそのときのおじいちゃんの目、すごく悲しそうだった。
それでも、keikoさん、いつものように居間に入ったら、おじいちゃんは
「気は変わらないのか?!」と言い、あれこれとkeikoさんに結婚しなくたって、応援する方法はあるだろう、と説得を続けたんだ。

そばにいたワタシはどうしていいかオロオロしてしまった。
隣の部屋に入ってKちゃんはひとりでTVを見ていたんだ。
こっちの部屋の雰囲気を感じて出てこられなくなっていた。
でも、Kちゃんは、18歳。
黙ってお母さんとおじいちゃん達の気持ちと、両方を受け止めようとしていたんだ・・・。
 
 keikoさんは、思った。
両親は「苦労が見えるから心配してくれているんだ」
「syoujiさんのこと、本当の姿を知らないから、ただ、心配の気持ちから言ってくれているんだ」
「今は、話し合っても、それだけでは分かってもらえない」
「いつか、必ず解ってもらえるときが来る」って。

そのとき、決めたんだ。
「大好きなお父ちゃんと、お母ちゃんのこんな悲しそうな顔を見るのはもういやだ。これ以上、怒らせたら、絶対、頭の血管が切れてしまう」って。
「必ず、安心してもらえるようにガンバル」って。

 水戸に帰って、keikoさんは、おじいちゃんとおばあちゃんに長い、長い手紙を書いたんだ。自分の思いをありのままに。
自分で信じた道を歩いて行きますって・・・。

 それから、息子のAくんと娘のKちゃんに言った。
「お母さんの代わりに、おじいちゃんとおばあちゃんのこと頼むね」って。
(その後、二人とも、ちゃんと言われたとおり、というより、それまでと変らず
 おじいちゃん達を大事にしてくれた・・・)

 その後、全く両親の話をしなくなったkeikoさんに、何度もsyoujiさんは、言ったんだ。
「行って、顔を見せてきなさい」
「でも、何しに来た?!って言われるよ」
「顔を見せに来たって言えばいい。」
「帰れ!顔なんか見たくない!って言われるよ」
「そしたら、分かりました。帰りますって帰ってくればいい。
 あんたの元気な姿を少しでも見れば安心するんだから」
「やだ!行けない・・・行かない・・・」

・・・・・

 今となったら、あの時の両親に感謝したい気持ちになる。
あんなにまで、両親を悲しませ、それでもっていう自分の思いを確認できたし、
決心して、気を引き締めて、
両親に絶対心配かけない覚悟ができたし、がんばる力をしっかり持ってスタートできたのだから・・・。

 keikoさんお盆の時、2年目だったかな、ご霊前を持って行ったんだ。
そしたら、おじいちゃん
「あがっていったら?」って、言ってくれたんだ。
keikoさん、嬉しくって涙が出そうになった。だけど、おじいちゃんに似て、『ごうじょっぱり』のkeikoさんは、
「うん、いい。また、この次にする」って玄関先で帰ってきたんだ。
もちろん帰りの車はハンドル握りながら涙流していた。

「私だけじゃなく、syoujiさんと二人一緒に、揃ってあの敷居をまたぐんだ・・・」
そう、強く思っていたんだ・・・。

 今、あの時のことを振り返ると、何故か遠い記憶になっている。
でも、絶対忘れてはならないことだと思う。
あの時の、一人ひとりの思いがkeikoさんの原点なのだと思うから・・・。

 それにしても、今のおじいちゃんとおばあちゃん、
syojiさんを家族の一員としてしっかり受け入れてくれているし、強力な支援者となっている。
時々、keikoさんが口にするんだ・・・
「今の変りよう、信じられない・・・。
 あの時のことどう思っているのかしら・・・」って笑いながら・・・。
そして、syoujiさん、
「keikoさんは、実家に行って両親の前にいるときが、一番自然のkeikoさんになれている・・」って・・・。


いつしか心が通じ合って

2006-06-12 | 日記
 syoujiさんて、何でも一生懸命なんだよ。
いつでも、真剣勝負。
大人にはもちろんだけど、子どもにも、赤ちゃんにも、動物にも?(ワタシにも厳しかったもの・・・)
遊ぶときも、怒るときも、手抜きということをしない。
だから、自分にも厳しいし、時には、人にもその厳しさを求めてしまうことがあった。
そんな生き方を傍で見ていてkeikoさん、
あまりにも「生きることを急ぎすぎて」いるようで少し不安になったこともあった。
もっと、ゆっくり歩いて行こうよ・・・そう思ったこともあった。
だけど・・・
 29年もの長い間、罪を犯してもいないのに「塀の中」に拘束され続けてきたんだ。
仮釈放とはいえ、syoujiさんにとって、本当に嬉しい「自由」の中での、生活が始まったばかりだったんだ。
そんな一生懸命さが、人に伝わらないはずがないよね・・・・。
 
 keikoさんも、少しづつsyoujiさんの性格も生活も分かってきて、毎日が充実し、いきいきとしていた・・・。
約2年間、実家へ帰ることがなかったけれど、
そんなsyoujiさんとkeikoさんの様子をちゃんと知らせてくれる人たちがいて、
何時頃からか、おじいちゃんもおばあちゃんもちゃんと許してくれていたんだ・・・。

 Eくん(keikoさんの弟)が亡くなったその日に、二人が揃って実家へ迎えられたことは嬉しいけれどそれって余りに悲しかった・・・。
もちろん、ワタシもAくん、Kちゃんと一緒にEくんのお別れに行ったけれど、本当は、本当はEくんの元気なときにみんなで一緒に食事なんかできたらもっと良かったのに・・・
って今でも思ってる・・・。

 何でも時間がかかるんだね。
 時間が必要なんだね・・・。

 だけど、自分の信念を貫いて一生懸命生きようとする姿は必ず人の心に通じるんだ・・・。

「ご両親は健在ですか?」

2006-06-11 | 日記
 keikoさんにとって、きっと一生忘れられないだろうって思う言葉があるんだ・・・
多分、プロポーズの言葉より・・・あれっ?もしかして、プロポーズの言葉はなかった・・・・かも・・・?
うん、なかった・・・。
syoujiさん、言ってたモンね。
「結婚なんてできると思っていなかった」って。
その代わり、ちゃんと別な方法でアプローチはあったとは思うけどね(ニヤニヤ・・・)

 そう、そう、今日の本題!

 あれは、二人の初めてのデートの時だったかな?これがまた、衝撃的なデートで・・・。と、また本題からそれそうなのでこのことはまた後日にすることにしましょう。

会話がまだまだぎこちなかった頃のこと。
お互いのこと話していたとき、syoujiさんが言ったんだ。

「ご両親は健在ですか?」って。
「はい!」ってkeikoさんは緊張して答えた。

 keikoさんは、syoujiさんのことを話すとき、いつもこの時の話をするんだ。
もちろんkeikoさんの両親、ワタシからみたらおじいちゃんとおばあちゃんのことだけど、二人とも今より少しだけ若かったし、病気もなかったから「健在そのもの」だった。

syoujiさんが言ったんだ。
「そう!それはよかった!」って、本当に嬉しそうに言ったんだ。

 syoujiさんのお母さんは、syoujiさんが東京拘置所にいた時で、まだ裁判中に亡くなった。お父さんは、無期懲役が確定して、千葉刑務所へ息子を捕られ、守る会の皆さんに励まされながら「無実の息子を助けてください」と裁判のやり直しに望みを託しながら亡くなられたんだ・・・。

 keikoさんは、思った。
両親が元気なことをこんなに喜んでくれている・・・。
きっと両親もsyoujiさんのこと分かってくれて、「いい関係」になれたらいいなぁって。
keikoさんは、信じていたんだ。両親は、必ず解ってくれるって。
それは確信に似た思いだった。
それまでの人生で、自分の生き方は100%両親の信頼を得ているって思ったし、keikoさん自身両親を誇りに思うくらい100%信頼していたから・・・。

 だけど、だけど・・・・。

現実はそんなものではなかった・・・
syoujiさんが、
「keikoさんの両親、大事にするよ」って言ってくれてたのに・・・。

 結局は、keikoさん「勘当」されて、それで却って自分の気持ちをしっかりと見つめなおし、やっぱり自分で選んだ道を行くって決めて新しく歩き出したんだ・・・。
その頃のkeikoさん、傍で見てて「本当にこの人迷ってない」って思ったよね・・・。なんか、カッコ良かった!


ありのままの自分に

2006-06-09 | 日記
 keikoさんとsyoujiさん
それからというもの、手紙と電話で毎日のようにお互いのことを語り合ったんだ。
keikoさんは、自分が歩んできた人生に自信が持てず悩んでいることを話した。
そんなkeikoさんに、とにかくsyoujiさんは丁寧にやさしく応えてくれたんだ。
syoujiさんのことばは、keikoさんにとって「目から鱗」状態で、どんどん心を明るく軽くしてくれた
 
 syoujiさんは、keikoさんが幼い子どもを抱え一生懸命生きてきたことをまるごと認めてくれた。子どもというのは、ちゃんと母親の背中を見ながら生きているということも、自分の体験から教えてくれた。
いつも、いつも、人に迷惑をかけてはいけない、甘えちゃいけないって頑張り続けてきて、疲れてしまっていたkeikoさんに

「もっと人に甘えてもいいと思うよ」
「弱い部分を見せていいんだよ」
「何か力になれないかなってすぐ傍で見守ってくれている人たちがいるはずだよ」って言ったんだ。

 syoujiさんの言葉は、本当に説得力があった。
だから、半年以上続いていたkeikoさんの「空の巣(燃え尽き)症候群」は、雲が晴れるように消えて行った。

「この人の傍にいるだけで『生きていることが楽しい』」
「この人の人生に比べたら、なんて些細なことで悩んでいたんだろう」
「この人の前でなら、ありのままの自分でいられるような気がする」
keikoさんは、いつしかそう思うようになったんだ・・・。

 
まだ、お互い二人だけで会うこともせず、電話と手紙だけの約1ヶ月が経過していた・・・


手紙が届いた日

2006-06-04 | 日記
 あの日、「初めての手紙」が届いたときのこと、きっと忘れないだろうな・・・

 あの日、keikoさんは仕事を終えてから、その日のうちに夜行バスに乗って友人と「尾瀬ヶ原」に行くことになっていたんだ。
6月の第2金曜日だった。
仕事が長引き、バスに乗り遅れては大変と、あせって帰ってきたkeikoさんはいつものように階段したのポストを開け、そこに見慣れない白い封筒を見つけたんだ。
それは、syoujiさんからのものだった。
keikoさん、すぐにも開封して読みたかったけれど、とにかく時間が無かったんだ。
読みたい気持ちを抑えてその手紙をリュックに押し込んで、出かけて行った。
バスに乗り込んではみたけれど、友人には話してないことだったし、みんなの前で開けるわけには行かない・・・。
 結局、その「初めての手紙」は水戸に届けられてから、車中泊し、尾瀬ヶ原をkeikoさんのリュックの中で開封されることなく一緒に旅をしてきたんだ。
keikoさん、読みたくて、読みたくて旅行どころの気分ではなかったらしい・・・

 実は、keikoさん、完全に舞い上がっていたんだ。
救援美術展が終了し、その3日後、syoujiさんからハガキをもらったんだ。
「美術展ではお世話になりました」って書かれてあった。
「えっ!?なんで?どうして私のところに?!」
住所はどうして分かったの?

 疑問がいっぱいあった。
けれど、「返事を書かなければ!」と思ったんだ。
だって、あの1月の「新年会」のとき、『恋をしてしまって』、5月初めには日本テレビが『えん罪で29年も無実を叫び続けているふたりがいる』というドキュメント番組を放映し、その中にsyoujiさんがいて、
『こんな恐ろしいことが本当にあるんだろうか』って心が凍り付いてしまったことなど、どうしても伝えたかったんだ。
それより、なによりkeikoさんは「私にハガキをくれたんだもの!」と思ったんだ・・・。(後になって分かったことだけれど、syoujiさんは、お世話になった人には全員、すぐにお礼状を出すのが『しごと』だったことを知って、大笑い!)

 だから・・・
きっと、あの時の手紙には、どんなに冷静に書いても、keikoさんの「恋心」がでてしまったんじゃないかなぁ~・・・

 そんなふうだもの・・・
syoujiさんが、どんな返事をくれたかドキドキして舞い上がるのも仕方ないのかもしれないけれど・・・

 手紙の中に
「時間があったら電話ください」ってあったんだ・・・。「○○時頃には帰っています」って・・・。
keikoさん、益々胸の高鳴りを押さえられなくなってしまって、あの時は本当に
もう、10代の「恋する乙女状態」だった・・・。

syoujiさんがはがきをくれなかったら・・・
keikoさんが手紙を書かなかったら・・・
syoujiさんが返事を書かなかったら・・・
「電話をください」ってかいてなかったら・・・
keikoさんが電話をしなかったら・・・

 今のsyoujiさんとkeikoさんはなかったかもしれないのに・・・

でも、あれから8年・・・
やっぱり出会うようになっていたのかなぁ・・・
やっとこの頃「夫婦らしく」なってきた・・・そんなふうにみえるから・・・