えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

友だちと「朝めしを一緒に」して、いよいよ・・・

2008-10-26 | 日記
gonです。

いよいよ今日がkaoriさんと過ごす最後の日。
明日には、成田から飛行機に乗って遠い遠い南の国へ行ってしまうんだって・・・。

「しばらく帰って来ないよ~」って・・・。

先月、成田のお仕事を辞めて、水戸へ帰って来て、ずっとその準備の毎日だった。
車のことや、来年の確定申告のことや、年金や保険のことや、転出届など・・・

昨日の夜、kaoriさんが、
「明日、朝ごはんを友達と一緒に食べるから、朝から出かけるね。友達が迎えに来るから」とkeikoさんに言った。
「はい~ィ!?なに!?
 昼食一緒に食べよう・・・とか、夕食を一緒に、という約束なら分かるけど『朝ごはん一緒に食べる』って何?そんな関係の友達がいたの?」

「だって、もう時間がないの。午後は、最後の準備もあるし、落ち着かないからって、午前中なら時間開けられるよって言ったら『じゃ、アサメシを一緒にしよう』ってことになって・・・。2時間ぐらいで帰るから。」

   ・・アサメシ・・・?ってことは、相手は男性?!!・・・

「どこで!?」

「ファミレス!」

「ふ~ん、今どきはそんな会い方があるんだね~・・・」
keikoさんが、妙に感心していた・・・。

高校を、男子が9割という工業系へ行ったことからか、kaoriさんは結構その頃の男子の「ともだち」との交流が今でも続いているのだ。
「そのなかに好きな子はいないの?」とkeikoさん、ときどきカマをかけるのだけど、kaoriさんは、
「う~ん、それが、いないんだよね~」とにこにこしながらこれまで答えてきた。

予定通り、約束の時間に車が迎えにきて、出かけて行って、昼前には帰って来た・・・。


 午後は、救援会の仕事から戻ったkeikoさんをつかまえて、
「○○はここに置いとくね、印鑑はここ。もし、絶対ないと思うけど、万一の時は・・・」とか、いろいろ申し送っていた。
そして、
「帰ってきたら、gonちゃんに素敵なお家を買ってあげるからね」とwatasiに言った。

いつ帰ってくるのかな・・・。
それまで元気でいられるかな・・・。

「成田に見送りに行ってやるか?」と心配していたsyoujiさん。keikoさんもakiraくんもお仕事だから、送って行けないのだ。
でも、「大丈夫!!」って笑ってた・・・。
明日は、大きなスーツケースを持って、若宮からバスで行くという・・・。

「成田になんだかいっぱい友達が来てくれるって。恥ずかしいよね・・・」と、メールが届くたび、覗いてはそう言っていた。送別会の写真は、仲間の中で、とてもいい顔で写っている。

新しい旅立ちのkaoriさん、自分の夢に向かってがんばってね。

この一ヶ月間、いっぱいいっぱい甘えさせて貰った。嬉しかった・・・。

今夜は、kaoriさんのお布団で一緒にねよう・・・。



故郷の仲間

2008-10-24 | 日記
 故郷の同級生から知らせが入った。
「イシカワのお父さんが亡くなったんだ。どうする?俺たちは、○○の家に一度集まって一緒に行くことにしたんだけど・・・」

 私は、中学を卒業してすぐに高校進学のため水戸に出てきてしまい、そのままさらに進学、就職、結婚と住み着いてしまって、車で一時間弱の実家には時々帰る、そんな生活がずっと続いている。
故郷では、家から通える高校へ行った仲間や、一度故郷を出た人も今は実家に帰っている人もいて、27年生まれ、28年生まれの仲間ということで「辰巳会」という親睦会を作って互いに交流が続いていると以前に聞いていた。
「ゴルフ大会もやるんだよ。一度来てみない?」
そんなお誘いを受けたこともある。
でも、まだ一度も実現していない・・・。
なぜって・・・ゴルフの経験が私にはまったくないから・・・。
はからずも、私の故郷はゴルフ産業で村が潤い、仲間もそこで収入を得ている人も多くいるのだ(でも、・・・今は、斜陽?かな・・・)
事実、私の弟も帰省後はそこで働き、ゴルフの腕も磨き、よく大会ではトロフィーや景品をもらって来ていたように聞いている。今は亡き人となってしまったけれど・・・。

 5年前だったろうか、今では6年前になるだろうか・・・
1泊泊まり込みの同窓会があり、行けば「夫のこと」を話さなければならない。と言うより、話せない同窓会なら行きたくない、と思って迷っていたら、夫に

「行って来なさい。同級生はいいよ~。オレのことは無理に話すこともないし、だからと言って隠すこともない。成行きに任せればいい。それより、久しぶりにみんなと楽しんで来なさい」

と、言われて参加した。結局、同室になった女性同士5人で近況を報告し合い、で、結局話さずにはいられなくなって私は一生懸命熱弁?を振るっていたのだった・・・。

 あの時、みな真剣に受け止めてくれた。一緒に喜んでくれた仲間がいた。
やっぱり話してよかった、同窓会に参加してよかった、そう思った・・・。

一部の仲間にだけど公認となった私の今の生活。
時折入る仲間の情報は、親の訃報であっても私を「仲間の一人」として認めてくれている証しかな、と思うとやっぱり嬉しい・・・。
辰巳会のメンバーではないのだけれど、同級生の仲間のぬくもりを感じずにはいられない・・・。

イシカワ君は
小学校も一緒に通った仲間だ。
「親終い」は何歳になったって、つらく悲しいはず・・・。
同級生の顔がひとつでも多ければそれだけ励ましになるだろうか…。

日々忙しく

2008-10-19 | 日記
10日間という夫のジュネーブ行きもあっという間にすぎようとしている。
先日、成田空港で見送ってから、私の生活は…と言えば、
なんとお悔みが多かったことか・・・。
二人の同僚のそれぞれの実母、夫の町内のお世話になった方、元同僚の実母・・・
利根町へも行ったり来たり、いつもより回数が増えた。

救援会の会議もあった。
そして、今日は水戸母親大会。
「布川事件のこれまでの経過と現状、裁判員制度導入にも少しふれ、国連要請についても報告を・・・」と、全大会の中で時間をいただいて発言した。
ふだん皆さんにお世話になっていながら、なかなか一緒に活動できない気持もあり、短い時間だったけれど署名コーナーの担当を引き受けた。
ちひろ美術館館長・松本由理子氏の記念講演は、残念だが、同時刻に行われた茨城県医学会総会の記念公演・落合恵子氏の
「母に歌う子守唄…この国で老いるということ」を聴講するため、自分の発言が終了次第、そちらに直行した。
軽快、巧みに話される落合氏の内容は、自らが母を介護・見送った体験から、今の医療の現状、その根本はどこにあるかに触れた時折涙も誘われ、まだ親の介護を必要としていない私にとっても切実な現実を教えてくれた。
そして、そこだけにとどまらない、
今、何をすべきか、一人一人が今日からでも「遅くない。気づいた人から行動すること」を説いていた。

「生まれてきてよかった」と子どもが言える社会
「長生きしてよかった」とお年寄りが言える社会
でなければならない・・・

大人は語らなければならない
気づいた人から行動しましょう・・・と

一つ一つ胸にすとんと言葉が落ちて行った。
このところ、立て続けに、私の両親と同年代の方たちが亡くなられていったこともあって、強くそう感じるのかもしれない・・・。

現在、認知症の実母を働きながら介護している同僚は、
「何度も我が身と重なり泣いてしまった。今日は、母にやさしく声掛けをしたい」と言っていた・・・。



・・・・

明日の朝、夫が帰国する。
夫のブログを見ると、要請団のみなさんととても心豊かな時間を過ごすことができたらしい。
国連というところから、改めて日本の人権を取り巻く状況を見つめなおす機会ともなったはずの今回のツアー。
帰国後、夫はまた自らの闘いと併せて、えん罪を改めさせる先頭に立って活動を始めることだろう。

明日の朝、成田に帰ってくる。
今日は、イタリアから再びスイス・チューリッヒへ。そのまま乗り継いで成田へ向かっている。
総飛行時間(移動時間・空港待機時間をを含め)は、17時間ぐらいになるのだろうか・・・。

これから、私も、利根町に向かいます。
そして、明日、成田で
「お帰り~!お疲れ様~」と迎えよう・・・。


真の勇気

2008-10-17 | 日記
先日

戦争は罪悪である
~ある仏教者の名誉回復~

という、TV番組を見た。

日中戦争がはじまった1937年
「戦争は罪悪である。この戦争は侵略である」と説いて検挙され、
厳しい取り調べにも毅然と節を曲げずに貫いた「竹中彰元」という高層の名誉回復がされたという内容だった。

 真宗大谷派に属していたが、本山そのものが「多くを生かすため、少しの殺生はやむを得ない」と仏教の解釈を捻じ曲げて戦争に加担して行ったことから、それに反対する竹中氏は、本山より布教使としての資格を奪われ(破門?)、終戦間もなくひっそりと亡くなって、以後、語られることがなかったという。
ところが、昨年、2007年になって、本山が彼の「名誉回復」を行った。
若い層が、取り調べの記録などを読み、彼が一貫して「仏教の教えは、すべての殺生を禁じること」と解きつづけ、戦争に絶対反対を貫いたことが証言者などからも明らかになったことが理由らしい。

 私は、「竹中彰元」氏の肖像画を観ながら、「まさに毅然と生きた方」であると思った。
テレビの中では、特高の取り調べのシーンは、あんなものではなかったろう・・・と思ったけれど、真実は何か、正義は何か、人はどう生きるべきかをしっかりと見極めていた方なのだろう。戦地に行く若い人たちに心を痛め、死ぬことを勧めなかったという。
それ自体、感動を覚えたが、それ以上に私の心を動かしたのは
真宗大谷派東本願寺の姿勢だった。
過去に戦争に加担したことを過ちと認め、二度と同じ過ちをしないようにと、たぶん私の知るところでは、現在、「憲法9条を守り、戦争は二度としてはならない」という表明をしているはずである。
その本山が、過去に誤った判断をして竹中氏の人権はく奪したことを「当時はそれで仕方がなかったのだ」とあいまいにして、責任回避、責任放棄をせず、「名誉回復」という形できちんと対処されたその勇気に、とても心を動かされたのだ。

 それでこそ真の仏教を唱える人たち…そう思った。

同時に、日本政府もこの人たちのように、「過ちを認め軌道修正のできる」政府になってほしい・・・と心からそう思った。

初めて最高裁へ

2008-10-17 | 日記
 夫がジュネーブに行っていることもあり、私は、今日、初めて最高裁へ要請に行った。
そして、
「今、夫は国連へ自らの体験を通して、日本の裁判の異常さを訴えに行っています」と前置きし、
「無実の者が、裁判のやり直しを求めて41年間叫び続けているのです。地裁も、高裁も『再審開始』を言っているのに、なぜ検察の特別抗告が許されるのか。一日も早く、『特別抗告棄却』の決定を出してください。そして、夫とSさんに本当の自由の日々を返して下さい。「明日の闘い」ではなく「将来を語れる」日々を返して下さい」と訴えてきた。


 最高裁というところを、もっと権威を振りかざし威圧感を与えるそんなところと聞いていたが、あまり緊張を覚えなかった。
何故なのだろう・・・
守衛さんや部屋へ案内してくれた人が親切だったからだろうか・・・
担当の事務官が誠実に応対してくれたからだろうか・・・
地裁、高裁と勝利決定を得ていることで、要請そのものをおどおどする必要はなく、むしろ当然のことを堂々と述べればいいという確信が私の中に生まれたからだろうか・・・

 今日は、参加された15名(東京・千葉・茨城)全員がそれぞれの思いを述べた。署名も、東京、茨城から合わせて3600筆以上が提出された。
その重みを私自身も力にして、来月も必ず行くことにしよう。
最高裁での審理の時間を一日でも、一時間でも短くしてもらうように。そして、「特別抗告棄却」を絶対勝ち取るために。

 帰路途中の土浦駅頭宣伝は、水戸・はばたき事務所から2名、取手・ゆらゆら春の会の事務局長・鈴木さんご夫妻が新たに加わって下さり、8名でチラシをまき、署名、ハンドマイクを使って駅の乗降客に訴えた。
暗くなるまでの行動、みなさん本当にありがとうございました。

今、ジュネーブでは

2008-10-16 | 日記
 7月14日の東京高裁の『勝利決定』、7月22日のなりふり構わずやってきた東京高検の『特別抗告』・・・

 やっと、今度こそ「再審が始まる!」という喜びもつかの間、ふたたび審理を最高裁に持ち込まれ、夫とSさんの「真の自由の日々」はまたもや先送りにされてしまった。
そして、あっという間に、8月、9月と時間が経過し、その間にも、救援会全国大会、全国現地調査、北海道で行われた「裁判員制度を考えるシンポジウム」、大学や司法試験合格を目指す人たちが「えん罪・布川事件」の裁判の実態を演題や題材として取り上げ、その「異常さ」に怒り、不公正な裁判を改めさせようとする声が全国に広がりつつあることを実感してきた。

 現在、夫は国連で行われている「自由権規約審査」の傍聴と審査委員へ「直訴」
するためジュネーブ・国連欧州本部に行っている。
この審査そのものも、実を言うと国連ではもっと早く行われる予定だったが、これ自体も日本政府が報告期限を4年も遅れて提出したために、10年ぶりの審査となったと聞いている。
 昨年の、拷問禁止条約日本審査の時と同じように、自らが批准した国際条約のルールを守らない、そしてその遅れたことを全く反省することもなく、その上で平然と「国内法に従って適切に対処している」「国内において、条約に違反するような事例はない」と政府代表団は答弁するのだろうか・・・。
人権侵害を受けてその回復のために闘い続けている当事者たちを目の前にして・・・。

 それにしても、昨年私自身も感じたことだけれど、審査委員たちは私たちNGOをとても歓迎してくれる。政府報告とは別に、NGOから発信する(訴えた)情報を本当によく吟味、調査し、取り入れて、政府側に実例をあげてその真偽を問いただし、そして必要なことはきちんと、緊急性のあるものはその旨はっきりと勧告と言う形で求め、フォローも怠らないのだ。
それは「条約がめざす内容が1日も早く確立されるよう、ともに建設的な意見を述べ合い、協力し合っていきましょう」と挨拶されたその言葉にも表れていたように思う。
そして、「NGOの参加を歓迎し、感謝する」という言葉にも・・・。

昨日、今日とジュネーブでは審査会が開かれた。
審査会の前には、「映画・志布志事件」の上映が日弁連主催で行われ、自由権規約副委員長も観に来てくれたという。
そして、公式ミーティングの場では、夫も訴えの時間を頂けた様子・・・。

夫は、ジュネーブに入ってすぐに
「やはり、来てよかった」と感想を言って来た。

今日は、電話で
「報告したいことがいっぱいあるよ」とも言っていた。

 私が、昨年、国際会議傍聴に参加させていただいて、自分の中の「意識が変わって」、夫たちの闘いの意義をより強く確信できたように、夫もきっと大きな力を得て帰って来ることだろう・・・。


 

日光へ

2008-10-13 | 日記
12日、天気もいいので日光の紅葉を観に行こうと、朝6時45分に家を出ました

この時点で、すでに予測が甘かったようです。
計算上は、日光市まで9時15分に着く筈でした。
なのに、なのに・・・
水戸から、国道123号線を走り御前山経由で栃木県に入り、宇都宮から「宇都宮日光道」へと順調に進んで行ったものの、終点清滝ICの10キロ前ぐらいから渋滞が始まり、それでも根性?で何とかトロトロと動く流れに乗って降りた時は、すでに午後1時近くに・・・。
ところが、降りたところから「いろは坂」方面は全く動かず。
とうとう根性?は、ここで限界。
同行した(させた?)娘が、
「ぜんぜん紅葉になってないじゃない!」と言うので、
「いろは坂を登って、中禅寺湖、その先の奥日光まで行けば観られるから・・・」と言い続けながら、やっぱりあきらめざるを得ませんでした。

お腹も空いて、食事もしたい、けどその前に
「温泉に入って行こう!」と、和の代温泉のやしおの湯に入って、ソフトクリームを食べて少し不満が解消!
こうなったら「せめて食事は豪華に行こう」、と向かったところも交通渋滞で入口までふさがれていて入れず、それからやむなく霧降の滝に向かいました。
滝を見て、また少し気分が軽くなったけれど、食事がとれないストレスは増すばかり。
「明治の館 西洋料理 山のレストラン」で、「とちぎ和牛のステーキコース」を食べようとしたら、「一時間以上お待ちいただくようになりますが・・・」の返事・・・。
ほぼ満席で、予約を見たら10組以上が待っている様子でした。

もう、もう、こちらも我慢の限界!
「帰ろう!宇都宮のギョーザを食べて帰ろう!」と言うことに。
ところが、帰り道の日光杉並木街道も渋滞が始まっていてこちらもトロトロトロトロ・・・。

宇都宮市内に入ってやっと目に入ったラーメン屋さん
なんと「宇都宮手作りギョーザ実演販売中」とのこと。すぐに飛び込んでしまいました。時間は、午後4時近くなっていました。
でも・・・
おいしかった!
ギョーザも、ラーメンも、鳥のから揚げも。
やっと満足!
テイクアウトで、ギョーザと唐揚げをお土産に買ってしまうほど、なんだか一日の中で一番満足できたのは、このラーメン屋さんでした。

秋の行楽シーズン、「そんな遅い時間に出かけるほうが○○だ」なんて言われそうな、そんな一日になってしまいました・・・。

それにしても、あの渋滞ぶりは異常です。
NHKニュースで、いろは坂渋滞の様子をやっていましたが、引き返して来て正解だったようにも思います。

運転は、娘と交替でしましたが、それでも つかれました~
もう、二度と行楽シーズンの行楽地なんか行かない・・・・ゾ・・・

元気に初日の行動に出たようです

2008-10-12 | 日記
夫のブログが更新されていました。
 元気に第一日目の行動に出られたようです。
 
よろしかったらぜひ↓見てください。

    http://blog.goo.ne.jp/syouji0124

私には、現地での写真がメールで送られてきました。
フリータイム(もちろんグループ行動ですが)なので、
作務衣に綿入れのちゃんちゃんこ、手編みのマフラーをして
さながら「日本人のおじさん」スタイルでした

ご報告 無事スイス入国できました

2008-10-11 | 日記
11日、午前10時25分
 「国連・自由権規約審査傍聴」の要請団(成田から20人、関西空港から15人が発ってチューリッヒで合流する)の一員として、夫も自らの体験と日本の司法に対する意見を持ってジュネーブに向かって成田を発って行きました。

 そして、先ほど午後11時15分(日本との時差は7時間遅れ)、
「チューリッヒに着いて移動中だよ。飛行機の中も、何も問題なかったよ」と連絡が入りました。

 成田からチューリッヒまで12時間30分。そして、チューリッヒで国内線に乗り継ぎ、そこからジュネーブまで空路で50分。さらに専用車で国境を越えフランスのシャモニの宿泊地まで2時間?かけて向かうという。
とにかく、大分解消されてきているとはいえ、理不尽な長い拘禁生活による後遺症を持つ夫が、長い飛行時間と移動時間を無事に行けるか、それが最大の心配でした。
でも、先ほどの「大丈夫だったよ」の声にほっとしました。
もう、あとは皆さんと一緒に実り多い参加、そして時間の過ごし方をして来て欲しいと願うばかりです。

 昨年、夫がそんな自分の体調に「自信がない」ということで、私がジュネーブで行われた「拷問禁止条約日本審査」に参加させていただきました。
今年、引き続いて「自由権・・・」が行われると聞いて夫は
「オレが行きたい」と言いました。

 それは、7月14日、水戸地裁土浦支部に続いて、東京高裁までも「再審開始」を決定したにも拘らず、またも検察が抗告してきたことに夫は怒りでいっぱいでした。
不正をしてまで無実の者を「有罪」とし、その誤りを正すよう裁判所が命じたのですから、

よもや「特別抗告」はないだろう。
いよいよ「裁判のやり直し」が行われる!

と、41年間叫び続けてきた思いが通じた喜びを、またも踏みにじった検察が許せなかったのです。そしてそんな検察の行為を許す法律の見直しも、今や国際世論に訴えてでも実現したいという強い思いだったのだと思います。

 今回も、たくさんの支援者の皆さんのお力添えを頂いて参加させていただいております。本当にありがとうございます。
お陰様で、無事現地に入国できましたことを、皆さんにご報告させていただき、このあとも現地からの報告を待ちたいと思います。
よろしくお願いいたします。

 

安眠妨害

2008-10-05 | 日記
今朝も
「眠い~」とsyoujiさんとkeikoさん・・・。
原因は、watasiだって・・・。


昼にしっかりsyoujiさんの膝の上で寝ちゃったからかな?
syoujiさんが、
「これじゃ、今夜起こされるな」って言っていた・・・。

なんだか深夜12時過ぎると、寝てられなくなってつい、つい、起きて欲しくなっちゃうんだよね

今日は、
syoujiさんは、救援会都本部大会へ
keikoさんは 救援会の支部ニュース作りです・・・

今夜は寝させてあげなくっちゃ