えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

旅立ちの季節に

2020-02-27 | 日記
 懐かしいお名前の着信があった。
えっ?もしかして、もう卒業?と思いました…。

その方は、我が家の近くに住んでいると聞いていた茨大生(女子)のMさん。
「ご無沙汰しています。あのう・・・緊張しています…。
今年4年生で、卒業します。就職も決まって、間もなく引っ越します。以前に、ご自宅に伺わせていただくと約束していたのに一度も行けず、このまま引っ越してしまうのも気になり、お電話しました…。私にできることは、署名ぐらいですが引っ越す前にお会いできればと思って…」と。

なんと嬉しい😃🎶こと!

 Mさんとの出会いは4年前。
救援会が中心で行った映画「ふたりの死刑囚」(名張事件の奥西勝さん、袴田事件の袴田巌さんを描いたドキュメンタリー:東海テレビ制作)に
「友達を誘ったけど、みんな興味がなくて…。冤罪のこと、知りたくて一人で来ました」
と、もともと内気な性格もあったのかもしれませんが、入学したばかりの大学1年生というイメージそのままの女の子でした。
 その日、袴田巌さんのお姉さんの秀子さんとお話ししたり、夫と話したりとの場を作ってあげ、「また、何かあったら連絡をし合いましょう」と、連絡先を交換していたのです。

 その後、救援会行事などショートメールでお知らせしたり、茨城大学内で裁判員の模擬裁判が行われるときに連絡を取り合ったりしていたのですが、会ってじっくり話す時間もなく、4年が過ぎてしまっていたのです。
Mさんは、引っ越してしまう前に連絡をしなければ、と思ってくださったとのこと。
その気持ちが嬉しいですね🎵

 どんな女性になっているのかな?
幸い、Mさんの希望の日は、夫も在宅の日なので家に来ていただくことになりました。
夫と、どんな話をするのかな?
私も、楽しみです🤗

寒風の中で

2020-02-18 | 日記
 今日は晴れていても冷たい風が肌に刺すような、そんな寒い一日だった。

冬の間、あまり気にかけずにいた花壇だったが、クリスマスローズが咲いていることに気付いた。
「あ~!やっぱり、いいなぁ」と思った。
優しい花色も好きだけれど、何より寒風にさらされながら咲いている様子に、元気をもらえたような・・・。

出かける前で、余裕なく写真に撮ったから、ピンボケだけど(;'∀')






1日4000歩!

2020-02-14 | 日記
茨城県が推奨する「元気りいばらき」
に挑戦中。

毎日「お日様にあたり、意識的に歩くようにしてください」という指導を、茨城保健生協まつりの健康チェック時に言われた。
問題は血圧が高めであることと筋量の低下防止、骨密度もわずかにボーダーライン以下だったのだ。
あれは、11月の初旬だった思う。

その後、水戸市の特定健康診査でも、血圧が高めであることから、毎日意識して歩くこと(有酸素運動)を勧められた。

その会場で配られたチラシが県の広報物で、内容は、
「元気アっプ!リいばらき」だった。
スマホアプリでエントリーし、ゲーム感覚で、自分の健康管理を意識づけることが目的らしい。

よし!それなら、毎日理想の5000歩以上は難しくても、3000歩は歩けるだろう、と中間の4000歩を目標にきめた。
毎日、血圧を測定することも、
毎日、体重を図ることも、
食事に気を付け、塩分の制限、野菜を350グラム以上取ることなども掲げて始めてみた。

ところが、
毎日続けるということがなかなか難しくて、思い出したようにやってみては休み、また「やらなくちゃ!」と思ってやって、その繰り返しの日々が続いている・・・。

車を使うと、1000歩も歩いていない自分に気付き、私にとって「4000歩」という数字が如何に難しい数字だったか・・・と3か月目に入って、自分の飽きっぽさも含めて反省中・・・(;'∀')
そういう今日は、3033歩だった(達成率75%)。まだまだだなぁ~

でも、アプリを入れたことで、「あっ!やらなくっちゃ!」と気付かされる毎日が続いています

対決

2020-02-09 | 日記
 先の「黒い巨塔」の中で、主人公笹原判事補(最高裁判所事務総局民事局付)と絶対的権力を持つ須田最高裁長官が対峙する場面がある。
そのやり取りが印象に残った。

須田「戦後、新憲法の下で三権分立が制度上も確固としたものになり、また、違憲立法審査権が与えられたことによって、司法は、権力の一部を担うようにもなった。すなわち、戦後の裁判所は、権力の一翼を担うものとして、政治の一環に組み込まれた。わしは、そう考えている」

笹原「・・・失礼ながら、どうもよく理解できないのですが、今のお言葉からすると、長官は、司法と行政に本質的な相違はないとお考えなのでしょうか?」

須田「少なくとも戦後はそうだ。違憲立法審査権を得たことによって、裁判も政治の一部になったのだ」

笹原「お言葉ですが、そのお考えには承服できかねます。司法は、三権の一つとして立法、行政をチェックすべきものです。憲法の番人、法の番人という言葉の意味もそこにあると思います。司法が行政とその本質において同じだという考え方は、司法の権力チェック機能を見失わせるものではないでしょうか?」

須田「しかし、司法にも、行政同様のバランス感覚は必要だ。若造の君にも、それくらいのことはわかるだろう?」

笹原「バランス感覚が必要だということまでは、否定いたしません。司法には、これは動かしてはならない、ここは譲ってはならないというプリンシプル、原理、原則もまた必要です。人権にかかわる事柄はその典型です。そうした事柄について司法が行政と同様の機会主義的な『政治』を行うとしたら、行政のほかに司法を置くことに、何の意味があるのでしょうか?」

須田「君の言うことには、理屈としては正しい部分があるだろう。だが、日本の裁判官にそんな立派な司法を担う気概があるのだろうか?わしは深く疑うね」

笹原「そうですね・・・。確かに、日本の裁判官には、昔から、ここぞという所できちんと踏みとどまって司法の役割を全うする気概が、足りないように思います。でも、たとえば、戦後、1960年代までの裁判所には、そういう部分もかなりあったのではないでしょうか?
 たとえば、多数の公安事件や大規模な疑獄事件で、政治や世論に迎合することなく無罪判決を出したという例もありますし、行政訴訟も、その時期の方が、しっかりした、見識のある判断をしていたのではないかと思います」

・・・・中略・・・・

須田「・・・君の言うことは、1から10まで、全て理想論だ。そういう理想論で日本の社会が動くなら、大変結構なことだがな。だが・・・」

笹原「だって、司法が理想論を吐かなくてどうするんですか?司法の役割というのは、やせても枯れても理想論を吐き、筋を通すことにあるのではないでしょうか?司法が立法や行政と一緒になって『政治』をやっていたら、法の支配だって、正義だって、公正だって、およそありえないと思いますが」

・・・中略・・・

笹原「・・・そのように、人間というのは、自分の運命を決定することができるよう人物の前でさえ、その意に沿わないことを、どうしても言いたくなる時があるのです。きわめて弱い立場にある人間にでも、なお、そのようなことはありうるのです。
・・・
私が申しあげたいのは、人間の行動や考えにはそのような面が否定しがたくあるのですから、それをただ一つの枠組みで統制、制御し、ひいては支配しようとするような試みは、たとえその意図に正しい部分が含まれているとしても、いつか必ず破綻をきたすのではないか、・・・そういうことです」
「・・・もうひとつあります。
それは、長官の行われていることが、まさに『政治』であって『司法』ではなく、右と左の真ん中を行くというその御方針も、確固とした原理、原則によるものではなく、ただ、その時々の権力の方向にみずからの御方針を合わせておられるにすぎない、そうした、きわめて日本的なバランス感覚にのっとった『政治的感覚』によるものにすぎない。そうなのではないかということです。
 その意味では、まことに失礼ながら、長官もまた、ひとつの『権力の駒』にすぎないのではないでしょうか?長官の仰るような中道は、結局、司法を古い国粋保守の基盤、根城にするという結果に、行きつくことになるのではないでしょうか?大変失礼ながら、私には、そのように思われます」

・・・・・

 笹原は辞職を覚悟していたが、須田長官の報復人事を受けることなく、東京地裁へと異動になった。
それだけ、笹原の言葉は痛烈だったが、道理ある進言だったと言えるのかも知れない・・・。

やっと読みきる

2020-02-09 | 日記
「黒い巨塔」最高裁判所 瀬木比呂志著(講談社)
を、やっと読み終えた。
当初、小説だから、と言う思いがあった。
でも、読み進むうちに何とも言えない「気分悪さ」が襲ってきた。
作者は東京地裁、高裁、最高裁で裁判官として勤務してきた元裁判官。現在は民事訴訟法、法社会学等の研究者でもある。

以前に、著書に「絶望の裁判所」という本があることは聞いていた。でも、夫が裁判中と言うこともあり、タイトルを見て、少し避けたい気分が働いた。

 同じ作者が「小説」として書いたという今回の本。夫の数ある本の中に見つけ、「読んでみよう!」と思ったのだが、小説だと分かっていても、読み進むうちに、その内容があまりにリアルで心が凍りついて、なかなか先に読み進むことができなかった。
最高裁長官の権力の乱用について、人事権を持って、一人一人の裁判官を威圧し、逆らえないようにする卑劣な行為や、長官が政権党の意向に沿って、下級裁判所の担当裁判官を集めその「方針」を導き出して(押し付けて)いく方法、など、など・・・。
嘘でしょう⁉️という思いより、
実際多くの裁判を見聞きしたり、一部とはいえ裁判ごとに会ってきた裁判官の姿、そしてかつて夫の裁判で何度か訪れた最高裁の建物やその内部(もちろんこれも一部だけど)を知る私は、「これは小説ではない!事実だ!」と思えて、怖くなってしまったのだ。

「絶望の裁判所」というなら、この本はまさにそうさせている『最高裁の闇』をフィクションという形であぶりだしたものと言えた。

最近続いている最高裁の、予想だにしない判決(決定)や、今まさに最高裁に係属している「袴田事件」、「北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件」、「今市事件」の事を思わずにはいられなかった。

 ただ、ここには、行政、民事の題材として「原発裁判」が引用されている。
小説だから、と気軽に読めるようなものではない。想像ができないわけではなかったが、ここまで統制されて裁判が進められている内容を知ると、「司法権の独立」「裁判官の独立」などありえない、本当にむなしい現実となって返って来る。(現在、原告・国民の意に沿った公平、公正な判決が下級裁判所でいくつか出されていることにかすかな救いを覚えたが、それすら担当裁判官が自らの良心、良識に従い、左遷を覚悟してのものなのだろうと推しはかってしまう・・。被告側の控訴により、この後の勝てる保証はまだ何とも言えないが・・・)

 途中で読むのをやめようと思ったが、絶望のままでは、今、裁判所を相手に闘っている私たちに希望がないことになってしまう。最後には、何らかの光を感じさせて完結するのだろうという淡い期待と、どこかに、「冤罪」に触れる部分があるのではという興味で先に読み進んだら・・・。


最高裁長官が、任期を半ば過ぎ、節目として、司法行政を司る事務総局各局長、課長、裁判部門の主席、上席の各調査官など幹部職員を集め宴を催す場面がある。そこで、最高裁長官が言う。
「・・・前略・・・
 我々は、先の戦争に敗れた。そのことは否定できない。しかし、わずか40年余りで、焼け野原からここまでの復興と成長を成し遂げた。そのこともまた事実なのだ。
この輝かしい日本民族の成功の下にあって、司法も、また、戦後、長足の進歩を遂げた。
…中略・・。
近年、経済発展の陰で、行政組織の弱体化、また、行政官僚の劣化傾向が指摘されている。わしも、そのことは否定しがたいと考えるし、おそらく、今後も、ますます、その傾向は進むことだろう。
 しかし、それは、我々にとって、飛躍のまたとない機会でもある。司法が、司法こそが、裁判所こそが、来るべき日本の未曽有の繁栄と覇権の時代にあって、その礎とならなければならないのだ。
 その意味で、ことに、今後の民事裁判のあり方は、極めて重要だ。純粋な民事訴訟、通常訴訟のみならず、行政訴訟、労働訴訟、国家賠償請求訴訟、憲法訴訟、そして、原発訴訟等も含めて、それはいえることだ。諸君には、日本司法の司令塔としての役割を、存分に果たしていただく必要がある。…後略・・・。」

次に、総務局の一課長が、
「…私は民事裁判のみならず、刑事裁判もまた、国家の安寧秩序保持のためには、きわめて重要なものであると考えております。…中略…
日本の刑事司法は、精密司法は、まさに、世界に冠たるもの、誇るものであり、日本が刑事司法の分野で最も先進的な国の一つであることには、疑う余地はありません。
これまではわずかに冤罪事件も存在し、再審開始決定、再審無罪判決も、微々たるものではありますが、下されて参りました。しかし、私は、さらに日本の刑事司法が進化した結果、今後、日本では、冤罪などというものは、事実上消滅するのではないかと考えております。私どもが、厳格な訓練を受けたキャリア裁判官が、厳正な審理を行った結果として、有罪の判決を下せば、その被告人は有罪なのです。もはや、その事を疑う余地などありません。今後、日本には、冤罪などというものはなくなる、なくなってゆくだろうと、私は、考えております。…略」

こう来たか…と、私は尚一層気分が落ちていった。
でも、作者は、この2人の言葉を借りて、司法の荒廃と崩壊を知らせたかったのだろうと思った。

作者のあとがきに、
「この作品は、架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係ありません」
「これは、この世界の出来事ではない。あるパラレルワールドの物語である」と最初に断り、純然たる物語として書いたとある。
「ただ、裁判所の戦後の歴史、その概要についていえば、現実の日本におけるそれから示唆を得た部分が、全く無いとまではいえない」とも…。

だとしても、
2016年10月の刊行だと思っても

単なる小説として受け止められない私が、まだ、ここにいる…。