えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

きょうから・・・

2011-09-30 | 日記
夫が先週末から、判決報告とお礼にきゅうしゅうに行っていました。
そして、今夜からさっぽろへ。

私も、いばらきくうこうからしんちとせくうこうにむかい、あすからの「ほっかいどうほんぶたいかい」に参加します。

そのあと、ちょっとだけ「あきのほっかいどう」を楽しんできます。

行って来ます。

(もじにゅうりょくごの、漢字変換がうまくできなくなってしまいました。よみにくくてスミマセン・・・)

あと10年?

2011-09-29 | 日記
私は、自分の年齢を全く意識してない。
そのことに気づいたら、ひとり、おかしくって笑ってしまった。
「アラカン」だから…と言いながら、10年後がいくつか意識することなく、
パスポートは、迷わず10年で申請したのだ。
理由は、前回5年にしておいたら、行く機会がなくやっと行けたのが有効期限切れ半月前という状態だったからだ。

パスポートセンターに受け取りに行って、手渡される時に、有効期限の確認がされた。

「10年ですので有効期限は2021年9月・・・です」

「はい!間違いありません」

・・・・・

家路につくハンドルを握りながら、はたと気付いた。
10年後、私はいくつになってるの?
えっ?69歳?
夫はその時、いくつ?

あら~ァ・・・。
持っていて無駄にはならないと思うけれど、どれだけ行く機会があるかしら?と
我ながら考えなしの自分に笑っちゃいました・・・・・。


心境の変化…

2011-09-28 | 日記
久しぶりに「芸術館に行ってみよう」と思い立ち、出かけて行った。
ちょうど、震災復旧後初の現代アート展

「CAFE IN MITO 2011 かかわりの色いろ」が行われていた。

正直、私が芸術館に足が向かなかったのは、現代アートが自分には合わない、という気持ちがあったからだ。
どちらかというと「具象画」を好んで鑑賞してきたほうだった。

でも、今回、30人以上の方の作品に触れながら、いくつか足を止めて見入るものがあって、
作品を「面白い」と感じている自分の心の変化に気づかされていた。
長い間、「現代アートは好きじゃない」と言い切るくらい受け入れられなかったのに今回は、素直に受け入れ、感じ、楽しむことができていたのだ。
私の明らかな心境の変化、心の成長のようなものを感じた。
やはり、夫と出会い、夫を支えてくださる人たちに出会い、ともに歩いてきた時間が、明らかに私を変えてくれた、そんなふうに思えてならなかったのだ。

その中で面白い出会いもあった。

実はツイッターで知り合った(ショージとタカオを観てくださった)方が、芸術家であることはわかるのだがその方の作品がどうも私の感性とは合わず(すみません)、お名前を聞いてもその分野の方を誰一人知らない私にはどれだけ「えらい」方かもわからない。
それでも、毎日々々ツイートされるたびにその方の作品がついて来て、実は、フォローをやめようとクリックしたのは昨日の朝のことだったのだ。
なのに「ツイッターの異常で・・・」のメッセージが出て、やめられなかったのだ。

そしたら、アート展の会場に入り、ほどなくして
「あっ!あのツイッターのあの絵の雰囲気と同じ!?
 えっ?えっ?えっー!」

そこには、同じような雰囲気の個性的な技法と表現の子どもの絵や写真、またレイアウトがあり、その一角はまさにその方の意図する独特の空間があって、私の足を釘づけにしてしまったのだ。
私は、自分の朝までの心境とその瞬間の出会いの偶然さ、また、作品に魅入らされた不思議さにドキドキしていた。
プロフィールはなく、いよいよどんな方なのかと興味をそそられ、やっとその疑問が解決したのはミュージアムに入った時だった。
写真集でお姿を拝見。作品集もたくさん並んでいて、絵本もあった。
確かに見たことがある・・・「なっとく!」となったのだ。

それにしても、こんなことってあるんですね。
『奈良美智(ならよしとも)ワールド』との出会い…

しばらくハマりそうです・・・


仲間とこれからも…

2011-09-28 | 日記
久しぶりに元同僚4人と会って食事をし、近況報告をしあった。

私よりも早く退職して家にいる人、ほかの病院で頑張っている人、現在も私のいた病院で頑張っている人、みんな一時同じ部署で一緒に同じ仕事をした仲間だ。

だから、一年に1回ぐらいの再会でもすぐに打ち解けて楽しいおしゃべりになる。

「keikoさんが落ち着いたら会いましょう?
 時間がとれたら、連絡して。すぐにみんな集まるから」と言われていて、本当は4月頃を考えていたのが、なかなかそのじかんがとれず、今になってしまったのだった。

会って、話して感じた。
そろそろ自分たちの時間が取れる時期を迎えつつあるのかな?・・・と。

姑を看取ったばかりの人、
オカリナ教室に通っていて、近々発表会があるという人もいた。
私以外の4人は、みんな家で犬を飼っていて、その愛犬の話で盛り上がったり、
逆に「孫」のいる人は、携帯の写真を披露したり・・・。
もちろん親の介護中のひともいる。
でも、前回会った時よりもそれぞれが大変な中にも別の喜びを見出しながら生きている、そんなふうに感じられた。

私も、これからまた違った生活、違った生き方を探しながら進んでいく。

「やっぱり無理してでも出てきてよかったな。気分転換できたよ」と言ったのは、仕事と親の介護でいっぱい。参加できないと言っていたKさん。

「楽しかったよ。また、会おうね」とメールをくれたIさん。

みんな守る会の会員さんだった・・・。
ありがとう。
これっきりにならないお付き合いを私も心がけていくつもりです・・・。

みんなが「お祝いに」とくれたドラセナ(幸福の木)は、車には、立てて入らない位の大きなもの。
それに重かった!
でも、みんなの思いを感じながら4階まで抱いて上がった。

今は狭い玄関にしか置けないけれど、新しい家のリビングに置くのに最高です!
これからは、みんなに来てもらえる、そんな家にできたらいいな・・・

断水なので

2011-09-27 | 日記
(団地の)貯水塔の定期清掃のため、今日9時から夕方まで断水です。

今まで、仕事に出ていたので、こんな日でも何の不都合も感じて来なかったが、家にいるようになった私には、
なんとも苦痛です。
9時までに、お風呂の水を替え、洗濯を済ませ、台所に水の汲み置きをし、掃除も終わりました。
夫の残していった「いろいろ」もPCに入力して、整理が終わりました。

なので、これから出かけて来ます。

まずは、パスポートセンターに「受け取り」に行きます。

そのあと、新しく入ってくださった救援会員のご自宅に「入会時の資料」を届けに行きます。

夕方、元の職場の仲間と久しぶりに会います。

その間の時間は・・・
ちょっと「私時間」・・・

   行って来ます。

美容室で

2011-09-27 | 日記
私はお世話になっている美容院が二か所ある。

時間に追われた生活で、自分の空いた時間に駆け込むようなことが多く、おる時、いつものサロンが混んでいて止む無く次のお店に行ったら
「予約でいっぱいです」
と、断られ、また市内を運転しながら、車の停め易いお店をと探して飛び込んだことがあった。
このお店が、その後お世話になることになったのだが、やっぱり慣れるまでは緊張する。

お店の方でも「初めての客」として丁寧に対応してくれたが、私には緊張し通しの時間だった。
またスタッフが担当ごとに入れ替わり、それもどちらかというと私には苦手だった。
それまでの美容室は、個人経営のところだったのでスタッフの方とも先生とも本当に親しくなり、それはそれで楽しかったし、すべて「おまかせ」で来られたのだった。
だから、やむを得ない状況だったからと言っても、ほかのお店を利用したことには後ろめたさがあって、なんとも自分の中で辛いものを感じていた。

その後、前のお店は、スタッフの方がやめられ、いつも先生の手がふさがっていることが多く、時間に余裕のない私は自然に大きな美容室を利用することが多くなった。
それでも「決まった方」にお願いし、
「ごめんなさいね。いつもお世話になっているところがあるので、私の都合で、こちらも時々来させていただきますね」と断りを入れながら。

次第に雰囲気にも慣れ、また少しづつ会話をしながらコミュニケーションがとれて来たら、そこが
「心地いい場所」「心地いい時間」
と、感じられるようになってきて、少し複雑な気持ちを抱えながらも、
「あのお店でちょっとぜいたくな時間を過ごして来よう」
と、考えるようになった。

私の素性?は、もちろんはっきりとは伝えてなかった。
けれど、私が「指名」する方は、のちに
「テレビで報道されているのを観て、『お客様』だと気付いていました。でも、こちらから話題にすることはできませんから」と控えめに話してくれた。
その方は結婚されているが、まだ、お子さんがいらっしゃらないことなど本人から聞いていたが、最近産休を取られていて、その間、別のスタッフの方たちにお世話になるようになっていた。
それだけ私自身がその美容室になじんでいたということなのだが、昨日、無事出産されご自分で美容室を始められるために退職されたと聞いた。

無事の出産に「よかったなァ」という思いと、これから育児とご自身の開業と大変だろうけど頑張って欲しいという感情を私の中に感じていた。

この間、私も夫のことで一緒に報道されたことにより、たぶん皆さんの知るところとなっているのだろう。
何人かの方が
「おめでとうございます。よかったですね」
と、声をかけてくださり、私にとってさらに「構えなくてもいいところ」となった。
そして、昨日担当してくれた方は、技術も高くまた接客も出すぎず控えすぎずの「プロ」を感じさせてくれるもので、
心地よさを残しながら店を後にすることができた。

これで
北海道本部大会、釜山国際映画祭に参加するための「頭の準備」は完了・・・。


旧友

2011-09-26 | 日記
学生時代の友人に久しぶりに会った。

「もう、私たち還暦いっぽ前なんだよね~。信じられないね~!」というのが、最初に出た言葉だった。
そして、お互いに
カンラ、カラカラと大きな声で笑ってしまった。

そんな言葉を交わしながらも、友人と過ごした二十歳のころに一気にタイムスリップ。
あの頃と同じ空気を感じながら、それから、話した、話した。
どちらからと言えば、私の方から、10年分ぐらいを経過を追って話したほうが多かっただろうか。
会う機会はほとんどなかったが、ずっと守る会会員として私の人生の選択を応援してくれていたから・・・。

保育の仕事を志し、ともに学んだあの頃に得た友情が今も変わらず存在していることに感激!の時間となった。
私は、自分が出産を機に一時退職し、その後現場復帰を希望しながら家庭の事情で叶わなかったことで、いつも現職で働き続けている仲間に会うたび自分に寂しさを感じてきた。
でも、今回は、今も頑張っている彼女の話を聞き、「すごい!えらいな~」と素直に思えた。
明るくパワー全開で話す彼女にはまだまだ余力が感じられた。
でも、彼女は言った。
「すごいね~。kekeちゃん(ニックネーム)、ちゃんと自分で選択して人生を歩いて来て、今が一番いい時なんじゃないの?うらやましいな~」と。

そう、きっと、私自身も夫と歩んできたこの13年をやっと振り返れるし、また、新しい計画も持って今を生きている実感が持てるから、彼女はそんな私に今までとは違うものを感じてくれたのかもしれないなと思った。

彼女は庭でなった柿、自分で作ったという野菜などを持って来てくれた。
たくましいおかあさん、おばあちゃんだ。

「私はね、孫の話や家族の話は自分からはしないの。聞かれれば何でも話すけれど、人によって抱えている事情はみないろいろでしょ?
 孫のいない人の気持ちも、両親の介護や家族のことで頑張っている人にも、こっちの事情は関係ないもんね。相手が話したいことを聞いて、それから自分のことは状況を見て話すようにしている」

と、言った。

ちょっと、感動!
その心配りが彼女の魅力そのものなのかもしれない・・・。

私は、持っていった夫の詩集「CDブック」を彼女に渡した。
「ありがとう!家族で、みんなで読ませてもらうね」
そう、ずっと会うことがなくても家族みんなで私たちを応援してくれていたのだ。


近く開かれる同窓会に参加できないという友人との久しぶりの再会。
何だかとても元気をもらえた時間だった。



感謝…

2011-09-25 | 日記
実家の最後の稲刈りが済んだ。

今日は、私たち家族が毎年続けてきた父と母との最後の稲刈りとなった。

「もう体がきつくてこれ以上コメ作りは続けられない。今年で最後だな」と言われたのは、つい先日だった。
跡取りのいない農家に必ず訪れる決断の時期が訪れたのだ。

でも、今日一緒にできたのは、残った仕事が「もち米の刈り取り」ということもあり、
父と母と
私の息子と私の4人だけ。

これまで、私の息子、娘、私が、毎年、田植え、稲刈りには必ず手伝ってきた。
(私には、勘当の2年間のブランクがあるが・・・)
弟が元気だった時は弟が、弟が亡くなってからは、私の夫が、そして、父が体調が悪くなってからは東京から兄が来た。
そうして、私たちはずっとお米を購入することなく父と母が作ったお米を食してきた。
うかつにも私は、お米つくりは「田植え」と「稲刈り」だけでないこと、頭ではわかっていたつもりだったが、その現実の厳しさをつい最近まで知らないで来た。
夫には「当り前だろう」と言われても、正直、そんな状態だった。
それだけ、お米は、当然実家からもらうべきものであって、それも一年に数日手伝うだけで得られるものという程度の認識だった・・・。

父は「せめて家で食べるだけでも」(これまで、少しではあるが供出していたので)と言ったらしいが、母の「私はもう無理だよ」との言葉で今年限りと決めたようだ。
父は長い間公務員として勤務しながら、休日に田畑に出る生活だった。
農事のいっさいは母がやってきたのだった。
その母が、今回の手術で一気に体力を落としてしまったことは、父にとっても大きな不安となって残っていた。
父自身も、この夏から急激な体調の変化を訴えていたのだ。
弟が元気だったら、と考えても仕方のないことを思ったり、
私たち家族の誰かが同居できればと思いながらも、それが叶わない現実をそれぞれが受け止めなければならないのだと思った。

きょう、父の姿、母の姿を見ながら、
本当に長い間私たちのために、ここまで頑張って来てくれてありがとう、
という感謝の気持ちでいっぱいになった・・・。

きれいに刈り取った田んぼで記念写真をと考えたが、両親の疲労度と私の息子しかいなかった寂しさに、つい
「写真、撮ろうよ」という言葉を飲み込んでしまった・・・。

父も母も、今夜は何を考えて眠りについただろうか・・・。

4月に両親をゆっくりと温泉にでも連れて行きたいと考えてたことが、地震、母のがんの発覚と手術などでいまだに実現していない。
二人の体調をみて、無理のない範囲で出かけられないだろうか・・・
一人そんなことを考えている私です。


初めての韓国・・・

2011-09-24 | 日記
「ショージとタカオ」が釜山国際映画祭で上映されることになり、急きょ釜山に行くことになって準備を始めたが、直前に北海道へ夫と出かけることになっていて、なかなか頭が両方の準備にと回らないでいる。

そんなこんなの状況の中、夫は今日、福岡へ発った。
夫は今月末に、九州から羽田に戻り、そのまま自宅に戻らず札幌に向かい、茨城空港から発つ私があとから合流する、そんな予定になっている。
夫に比べたら、ほとんど茨城県内を出ることの少ない私にとっては、飛行機で出かけること自体がまず大変なこと。
それなのに、北海道から帰ってすぐ初の韓国入国となるのだ。

行きたいと言ったのは私なのだが、それでも、なかなか頭を切り替えての準備は私にとって大仕事となっている・・・。

周囲では、「韓流ブーム」と言って知人も何人か行ったり来たりしているようなのに・・・。
どうも、私はそんな人たちとは違った思考の持ち主のようである・・・。
どの旅行本を見ても、ごちゃごちゃといろんな情報が満載で、どこをみればいいのだ?!!と投げ出してしまいたくなる。

成田空港で勤務する娘に、
「手続きにも時間がかかるし、両替もしなければならないから時間に余裕をもって来た方がいいよ」と言われ、

「あっ!そうだよね。でも、韓国の通貨って何だっけ?・・・」の状態の私。

昨日、マップルマガジンを買ってきて、やっと情報収集を始めた。
幸い監督の井手さんと同じホテルに宿泊が可能ということで、守る会のYさんと一緒に行動できれば何とか行って来られるだろう・・・と依存度80%の私・・・。
後の20%は、お二人より二日早く帰国するので、その時は、夫仕込みの

「なるようになる。ならないようにはならない。」の考えで乗り切れるだろう、と考えている。

いざとなったら私だって


それにしても、 100W =約7.3円 ???(2011年2月現在)

       1000W =73円
       10000W =730円
       100000W =7300円・・・・・

  なんだか頭が痛くなってきた・・・


井手監督は10月10日の守る会解散総会に参加するため、韓国に滞在中なのにわざわざ一時帰国をされるらしい。
そして、守る会のYさんも、この総会の準備があり、無事に終わったことを見届けて翌日11日に出発。
現地での二度目の上映が11日の夕方?ということで、3人で駆けつけることになるらしい。
忙しいスケジュールを調整してくれてのお二人に本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

お二人のお荷物にならないよう、私は私なりに自分の思いの貫徹、夫の代理という役目を務めて来よう。

花束が!

2011-09-24 | 日記
朝からさわやかな秋晴れ。

そんな朝に、大きな宅配便が届いた。
クール便のその中味は「きれいなバラの花束」だった。

メッセージが添えられていて
「長い闘いの中、たくさんの方々のエネルギーを引き出す中心にいたsakuraiさんのご苦労と、
 それを傍にいる者しかわからないご苦労をしながら支えきったkeikoさんに
 ありがとうを言わせてください」
とあった。

Nさん・・・

「ボクが支援した事件はすべて勝利してきました。
 布川事件も、勝ちます!」

初めて参加された時の挨拶は今でもはっきりと覚えています。

「すごい!そうなんだ・・・。そうなったらいいなぁ」と思ったあの時の自分の心も思い出されます。

お元気だったNさんがその後体調を崩され、なかなか私がお会いする機会は減ったが、事あるごとに夫にお手紙や
カンパを寄せてくださった。

メッセージには
「改めて思います。生きて天下国家の真赤な嘘を白日の下に引きずり出せたことは奇跡的です。
 生き抜くこととはを考えさせられる大勝利です」
ともあった。

Nさんの想いが伝わってくるメッセージと贈り物でした。

薔薇の色はとてもやさしいピンクとやさしい赤が入っていました・・・