えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

洗濯機の中から

2011-08-31 | 日記
夫が、谷川岳から帰ったその日、自ら洗濯機を回してくれたのは良かったのだが、終了後、
「干して差し上げましょうか?」
「さしあげましょうか?じゃないだろう!」
なんて、冗談言いあいながら洗濯機を覗いたら、

ありゃりゃー!

愛用の万歩計まで洗っちゃったみたい

あれから3日。
中に入ってしまった水が抜ければ…と、振ったり、干したりしたけれど、やっぱりダメのようです…。

あの時、夫は、
「あ~、ダメだわ。これ、死んだわ」と言い、
『死んだ』という表現にどきっとさせられて…。

普通だったら、夫のそんな表現、「…らしいな」と、聞き流せたのに、
母のこと、父のことで私も過敏になっていたのかも知れない。
何とか元に戻せないかとやってみて、どうにもならなかったと、やっと今日になって自分が納得できた…。

気持ちって本当に複雑です

新しい万歩計?
あと一つ残ってたかな?
未使用のものが。色が気に入らない?と言っていた黒だけど…。

手紙

2011-08-31 | 日記
久しく手書きの手紙を書かなくなったな、とそのことを気にしつつもパソコンに向かっていた私に、
友人から手書きの手紙が届いた。

中に、先日の、映画「ショージとタカオ」を観た感想が書かれてありました。

「8月10日、息子と2人で拝見させていただきました。(中略)
 息子なりに、後に思い出して何かを感じ取ってくれるといいと思っています。
 私は、自分の生きてきた時間を思い出しながら観てました。
 それから、桜井さんか泣いているところが印象に残っています。職場では
 笑顔の桜井さんしか知らないので、『あっ、泣いてる~ぅ』とびっくりです。
 (中略)
 勇気を頂きました。でかけて良かったです。」

手書きって本当に不思議です。
書かれている言葉以上のものを感じさせてくれるんですね。
友人の、「手紙を書こう!」の気持ちが強く伝わってきました

私も、手書きで返事を書きました・・・。

夜遅くに

2011-08-30 | 日記
アイスクリームを食べちゃいました。
お風呂上がりに…。

このアイスクリーム、先日、夫が、
「あんたの分だよ」と買って置いていってくれたもの。

美味しい!

でも、こんなに遅い時間に…

PCの引っ越し

2011-08-30 | 日記
夫がPCを新調したことから、これまで利根町で使っていたものを私が使うことになった。
ところが、夫は、メールの受信送信のほかにはワードしか使っていなかったので、ほとんどソフトのインストールから始めなくてはならない。

昨日は、家計簿ソフトの引っ越しを、と頑張ったが、結局、バージョンが古く新しいバージョンでエントリーするしかなかった。情報は、年度途中だが9月1日で切り替えることにした。
プリンターのインストールもし、今日ははがきソフトのインストールを必要とし、行った。
そして、住所録の引っ越し。
他にも、救援会の文書等、夫と私のスケジュール表などなど。
HPのお気に入りの設定も改めてした。

PCを変えるたびに思う。
もっと簡単にできないかな・・・と。
基本の知識も持たないまま、職場のPCに明るい方から何度も何度も教えていただいて、無我夢中で覚えてきただけの私。
そういうわけで、なかなか人に教えてあげることもできない。
夫のように、気の短い人に教えるのは本当に苦手だ(笑)

明日は、メールアドレスも移さなくては・・・。

自分にもっと厳しく

2011-08-30 | 日記
夫を見てると、本当によく頑張っているな、と頭が下がる。
だから、時々、逆にこちらが落ち込んでしまう。

夫に比べたら、なんと自分は甘いのか・・・と。

昨日も、群馬県での3日間の休養(友人たちと、葉留日野山荘でお世話になり、谷川岳登山を体験)を終えて、車で水戸に帰宅。
夕方には、今日の鹿児島行き(大崎事件・再審追加請求があったため)のため、朝が早いからと常磐線で北松戸に帰って行った。

谷川岳登山で「山デビュー」できたことで、「山に開眼した!」とか興奮気味で報告してくれた。
そうですよね。この間の、天気の良さは最高ですものね。
でも、やっぱり「雨」に遭遇・・・とか。
「俺って、団体行動は無理だとわかったわ」・・・とも。
何となく、想像はついたが、でも、山ほど単独行動は危険なこと。
次の山行きはいつになるか・・・。


私が、今までに「山って気持ちいいよ~」と言っても、
「あんまり興味ないから」とか言って、すげなく返されていたのに、やっとこれで一緒に行ける展望が持てたかな?

それにしても、今の私の体力ではついていけないかな・・・?
(最近、ひざの痛みを感じ始めているので)

夫は、「筋肉痛が明日あたりでるかも?」と言いながら、元気に帰って行ったけれど、今頃は鹿児島で大崎事件の記者会見場にいるだろう。

今朝、フャクスで9月29日、同じく大崎事件の「宮崎の会総会」のご案内が送られてきた。
全国区で動く夫のエネルギー、もう少し分けてもらわなくては・・・。

今日の私の仕事は「手紙で御礼状を書くこと」
でも、これは私の関係のみ。たくさんの人に書かなければならないのに、私事に時間をとられできないできたので、気持だけが焦って、あまり進んでいない。

その前に、夫から依頼されている「はがきでの挨拶状」作成がある。
気合いを入れて、本気で取り組まないとますます億劫になってしまいそうで、これにも焦りを感じている。

う~ん、それでもやらなければ!!

こんな私も・・・

2011-08-29 | 日記
長く確かめることなく過ぎてきた押入れの奥の方・・・。

そのうち、そのうちと思いながらズルズルと来てしまったが、今朝目覚めた直後に

「今日は月曜日!ゴミ出しの日だ。よし、今日こそ!」と、布団から飛び起き、押入れを開けた。

ところが、開けて驚いたのは、意外と整理されていたこと。
前回はいつの時期にしたのか、ほとんど記憶がない。それくらい、奥の方までは覗いていなかった。
使わないものばかりが入っていたといえば言えるけど、まずは「前回捨てられなかった」ものを手にし、
「もういいよね」と自分に訊いてみる。
「そうだね。もういいね」とあっさりと認めてしまう自分がいた。
あんなに拘っていたはずのものが、時間の経過は、自分の気持ちの整理をつけるのに十分すぎるほど費やしていたということだろうか?

処分するものは燃えるゴミ(小袋)3個と燃えないゴミ1個になった。
残したものは・・・
きっと夫は
「あんたのそんな姿、見たことないよ」と言われそうだけど・・・

パッチワーク材料、編み物材料、刺しゅう糸、キルト地、染色した絹糸、折り紙、和紙、布地、画材など、など・・・。
ほとんど夫の前ですることのなかったものばかりだ。
それだけ時間がなかった10年だったとも言えるのだが、一つ一つ手にしながら、
「時間ができたら、また、やりたいな」と思った。

場所を取っていた古くて重いミシンも、横目で見ながら「どうしよう・・・」と悩んだ。
時間ができたら、使うかな・・・?と。

そうこう、悩み始めたので途中で片付けをやめた。
次にするときは、もしかしたら、
「もう、いいかな」と気持ちが変わっているだろうか?

夫は、私が針を持つのは、ボタン付けと裾上げぐらいしかないと思っているだろうな・・・。
ふっとそんなことを思った。
私だって、やるときはやるんだよ。あんまり上手ではないけどね

秋晴れの朝

2011-08-28 | 日記
久しぶりの晴れた朝。

月一回の団地一斉清掃が行われ、今日は皆さんと気持ちよく一仕事を終えた・・・。

気持いい朝だったこともあり、終わってからも皆さんなかなか家に戻らず、私も1時間も談笑にお付き合いしてしまった。


いつ引っ越すの?

いいよ。そんなに慌てて出て行かなくたって。
いられるだけいればいいよ。

この前、サンジャポに出てたね。娘と観たよ。
おー!この団地が出てるよー、なんて言いながら、ね。

・・・・・

皆さんの言葉が嬉しかった。
本当にこの団地にきて、長い年月が過ぎた。
思い出がいっぱいいっぱいの場所だ。
どれだけ、この棟の方たちにお世話になったか・・・。
子供会の役員も、団地自治会の役員もさせていただいた。
棟長を引き受け、自治会、地域の連絡員としての任もさせていただいた。
夫と一緒に活動するようになって、ここ10年余はほとんど行事にも参加できなくなり、申し訳なく思ってきたが、
それでも、月1回の清掃だけはおろそかにしないように、と心掛けてきたつもりだ。
今日も、10月に行われる運動会の参加確認をとられたが、「欠席」とさせていただいた。
夫が「団地デビュー」をしたのは、1999年の10月の運動会だったことを思い出しながら・・・。


・・・・・

利根町の家を一時的とはいえ、整理をすることになって、地域の皆さんと離れることになる。
(12月、女性陣だけの食事会の幹事は私なので、それはさせていただくのだが)
そして、この団地もいずれ出なければならない。

いろんなことが、新しい生活に向けて動き出している。

でも、皆さんに言った。

「もう少し、ここに居させてください。準備は、少しずつ進めていますので」と。


本当に、この棟の人たちってあったかいなァ・・・
別れるの寂しいな・・・

一安心できたけど

2011-08-27 | 日記
25日、母の退院後初めての外来受診の日でした。

まず泌尿器科外来で言われたこと。

「切り取ったガンを検査しましたが悪性度の低いガンでした。おそらく長い時間を掛けてあそこまで大きくしてしまったのでしょう。
もう、左腎臓を摘出したことで、がんは心配ありません。お薬も必要ないでしょう」

そして、外科外来では、

「大腸がんの検査結果は、ステージ2でした。通常ステージ3が抗がん剤治療を必要とする基準なので、リンパへの転移もみられないので、nakataさんは、抗がん剤も、薬も必要ないでしょう。」

それを聞いた母は、

「薬も何も出ないんですか?」と、拍子抜けしたような質問をしてしまったくらいだった。

でも、家に帰って、
「抗がん剤をやるなんて言われなくて、良かったよ~」って、本音をポロリ。

「何だか、陶板浴が効いたような気がすんだよな…」とも。

父が、
「薬も出ない、なんてことあるのかな。不思議だな~。
 抗がん剤も必要ないなんてこともあるのかな~。不思議だな~・・・。
 本当に陶板浴が効いたのかな。確かに、じいちゃんも『むくみ』がなくなったもんな~」と言った。

父は10年以上ガンと付き合ってきた。
初めは前立腺がんだった。
ホルモン療法とお薬で治療中に、今度は「直腸がん」で、肺、肝臓、リンパ節にも転移。すでに「手術は出来ない」と言われたのは一昨年の秋だった。
「余命6ヶ月」まで言われたが、あの時、夫が必死に陶板浴を勧めて、同時にお薬の効果もあったのか、転移層の影が消えた。ところが、どうしても「取れない腫瘍」は自力での排便を困難にし、ちょうど一年前に人工肛門という対処療法でしのいできた。
もちろん内科のお薬は続いている。
そんな父から見れば、母の今回の「ガン宣告」、それも術前検査で新たに二つも見つかり、それなりの覚悟もし、母以上に不安を抱えた3ヶ月だったはずだ。

父の「不思議だな」のことばは、それだけに父の思いを感じる言葉なのだ。

陶板浴が、母にも、父にも効果を感じてもらえているということは、私たち夫婦にとってこんな嬉しい事は無い。


でも、外科の先生は
「nakataさんは、強運の持ち主ですね~」と笑って、
「ところで、すい臓は、どうしますか?」と来た。
「10日に手術したので、3ヶ月後の、11月10日ではどうですか?」と。

「少し病気のこと忘れて、日常の生活を取り戻してください」ぐらい、どうして言っていただけないのかな・・・?

母の体重は34kgまで落ちちゃっているのに・・・。
すい臓は、急がなくても、と退院のときにおっしゃってたのに・・・。