関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

2010年12月のコラム

2011年07月05日 | コラム
#25=2956
2010年12月20日付
《集まって話し合えば》
 2010年もあとわずかになりました。記録的な猛暑や竜巻、津波といった自然現象に加え、デフレや円高など世相も波瀾万丈でした。中小業者のみなさんの営業を守る努力も、ひとかたならぬ苦労の年だったのではないでしょうか▼猛暑の影響では、野菜が高値になる一方で、コメは安値で農家に大打撃。青森では養殖ホタテに壊滅的被害。国内産食材に依拠する飲食店など頭の痛い状況です。製造業も円高を理由にした大企業の海外生産によって、仕事減少、単価引き下げの流れが続いています▼こうした中で迎える大みそか。誰もが年末の支払い、資金繰りの悩みを抱えているのではないでしょうか。全国各地の民商では、「生きることが優先する」という立場から、自治体の制度融資活用や返済条件の変更、税金や国保料などの減免、分割納付などで営業を守る相談活動に全力をあげてきました。多くの方が相談に訪れ、元気を取り戻しています▼一人で考えるより、集まって話し合えば、何かヒントがわくはずです。声を掛け合い、新しい年を迎えましょう▼気がついてみると、21世紀も10分の1が過ぎることになります。来年は全商連創立60周年の年です。中小業者が安心して営業に精をだせる世の中づくりが一段と前進する気がします。

#24=2955
2010年12月13日付
《忠臣蔵と民主主義》
 12月は忠臣蔵。といっても最近はピンとこない気もしますが、各地で義士祭が行われ、テレビや映画も赤穂浪士モノが流行るのが例年のことです▼今から308年前の12月14日、前年起こった江戸城中の刃傷事件で切腹となった播州赤穂藩主浅野内匠頭のあだ討ちと称し、赤穂藩浪人47人が、旗本の吉良上野介の屋敷に討入ったという元禄赤穂事件に端を発します▼内匠頭が斬りつけた真の原因は今でも解明されていないようですが、当時から庶民は赤穂の浪人たちに喝采を送っていたようで、約50年後には『仮名手本忠臣蔵』として人形浄瑠璃や歌舞伎で大ヒット。しかし、47人を義士と呼んだのは明治中期以降のこと。もちろん現代社会は、赤穂の浪人たちが行った「私的制裁」を認めていません▼それでも人気が落ちないのは、「生類憐みの令」などで庶民を苦しめていた、幕府という権力の思惑を超えた行動が痛快なのでしょうか。そして、封建制という閉塞社会、元禄という爛熟期、世の中は変わらないと思わされていた時代の中で、禄を離れた武士の生き方の発露が「仇討」という「大義名分」付「不法行為」に行き着いたのかも知れません▼現代の権力の理不尽をただすのは民主主義的諸権利の行使です。それが社会を変える力になるべし、です。

#23=2954
2010年12月6日付
《たたかいは続く》
 普天間基地撤去、辺野古への移設反対、県外への移転という沖縄県民の総意を実現する県政の確立を求めてたたかわれた沖縄県知事選挙(11月28日)が終わりました。民商・沖縄県連は、伊波洋一氏を推薦し、基地撤去による地域経済振興と中小業者応援の県政をめざして大奮闘しました▼当選に至らず残念でしたが、この選挙を通じて相手候補も普天間基地の県外移設を主張せざるを得なくなりました。伊波さんへの高い支持(得票率46%)、同時に行われた宜野湾市長選挙での安里猛氏の勝利からも、現職知事は、もはや沖縄県民の総意から逃れることはできない状況になりました▼悲惨な戦争の体験、長い占領下、復帰後も日本中の米軍基地の74%が県内にありつづける苦悩を抱えながら、平和を求めてきた粘り強い運動によって確実に変化がつくり上げられ、移設問題での沖縄の意は決しました▼しかし、日米合意に縛られている菅政権は執拗に辺野古への移設を押し付けてきます。米軍基地問題は改めて日本全体の問題として先鋭化し、今回の選挙を通じた全国と沖縄の連帯強化も力になり、より大きな運動が広がります▼沖縄の皆さん、支援に奮闘された皆さん、ご苦労さまでした。たたかいは続きます。私たちは必ず勝利するでしょう。