関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

2011年7月のコラム

2011年07月29日 | コラム
#53=2984
2011年7月25日付
《東電は牛の前で頭をさげろ》
 読者からこんな投書が届きました▼「テレビニュースで牛肉の汚染が繰り返し報道されています。番組では、牛舎を写し、東京の食肉処理場を通し全国に流通した地図を出し、その後県庁担当者が『飼料の管理指導をしてきた』とコメント。これでは出荷した農家が悪者になってしまう。農家が放射能をまいているとでも言うのか? 一方、公園や学校でも放射能が検出されているが、これは無害だと繰り返している。子どもたちの健康を心配し正常な生活もできないと、特にお母さんたちは神経質になっている。人間には無害で牛肉は汚染されていると言うのか?真犯人は原発ではないのか。本当に人間も含め動植物と地球のため、牛の前で東電に頭を下げさせて欲しい。私はNHKに抗議の電話をした」▼そのとおりです。畜産農家と稲わらを提供した農家は新たな被害者というべきです。投書の主は、この間、放射能汚染で自殺者まで出した「原発禍」による、新たな犠牲者が出かねないと心配しているのです▼マスコミは、危険な原発を国民に押し付けたのは政府と東電であることを、隠そうとしている。2004年の鳥インフルエンザの時も、姫路で養鶏業者が悪者にされ、夫婦で死に追いやられました。悲しみを繰り返してはならない。

#52=2983
2011年7月18日付
《大津波の年の「海の日」》
 きょう7月18日は「海の日」です。祝日法によれば「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日となっています▼03年にハッピーマンデー方式で毎年7月の第3月曜日になる以前は、1996年から7月20日に固定されていました。それまでは、祝日ではない「海の記念日」でした。この日が設けられたのは1941年(昭和16年)、日本がハワイの真珠湾攻撃を行った年です▼この制定過程にはかなりのこじつけがあるようです。まず、言い出したのが時の逓信大臣。逓信省は交通・通信・電気を幅広く管轄していた戦前の官庁ですが、海事・海運の立場から戦時態勢の船員や船舶の徴用を策したと見られています。そして、1876年(明治9年)7月20日に明治天皇が、東北巡幸から軍艦ではなく汽船で横浜に帰港したことを、ことさら取り上げて日を決めたと言われています。単純に「感謝」と「願う」日にしていいものか疑問も湧いてきます▼四方を海に囲まれ海洋資源に恵まれている日本。あらためて海とわが国の成り立ち・歴史に学んで考える日にしたい。さて、千年に一度といわれる大震災と大津波を受けた今年、その海が人災・放射能で汚染、漁港は存亡の危機。私たちは「何に感謝し、何を願えばよい」のでしょうか。

#51=2982
2011年7月11日付
《世界遺産の中での暮らしの持続》
 先日、小笠原諸島と奥州平泉のユネスコ世界遺産登録が決まりました。1993年に法隆寺周辺、姫路城、屋久島、白神山地が登録されて以降、日本では16カ所になります。「世界の宝」を持つにふさわしい地域として発展していくことが求められます▼「発展」といってもただの観光地としてではありません。なぜなら選ばれた理由そのものに、地域の文化と歴史を重視する考え方があるからです▼例えば2007年に登録された石見銀山は、「山を崩さず、木を伐採せず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという点が特徴で『21世紀が必要としている環境への配慮が、すでにこの場でなされていたこと』が、登録への大きな決め手」という選定理由です。地元では地域を守るために、観光用自動車の乗り入れをやめています▼それだけなら「文化財」「自然」を守るにとどまってしまいますが、求められるのは、「世界の宝」を育んできた人間の営みもあわせて保存し、持続させていくことです。すなわち、そこに生きる人の暮らしの発展です。▼それは、経済効率とは別次元の哲学が必要なのでしょう。しかし、地球環境や原発問題も合わせて考えれば、挑戦するにふさわしい課題です。地域で生きてきた中小業者の存在意義にもかかわるように思います。

#50=2981
2011年7月4日付
《被災地の夏を思う》
 暑い夏が近づいてきました。梅雨はまだ明けないけれど、気温は30度を超えました。私たちは節電を気にしながらもクーラーかけることでしのげますが、被災地では、ちょっとした気候の変動なども、生活を脅かしていくことを忘れてはならないと思います▼震災から3カ月を過ぎ、避難所や仮設住宅の人々の「普通の暮らしにもどりたい」という当たり前の願いは、具体的に実現されるべき段階にきているはずです。目に見えぬ放射能の恐怖と向き合う福島ではなおさらのことです▼阪神淡路大震災では6月から7月にかけて仮設住宅での孤独死が相次いで発生しました。生活環境の激変とコミュニケーションの断絶の中では、目の前に見える困難や不満にさいなまれる苦しい日々が続くと思われます。家族や地域のつながりのなかでこそ、厳しくても希望を持って、復興の主人公になっていけるのではないでしょうか。我慢をせず「普通の暮らし」を求める声を大きくしていきましょう。その願いは、被災者全体、そして国民すべてが共有し連帯できる要求なのですから▼復旧が進まないのは被災者の責任ではありません。生活再建を後回しにして、大企業の利益に沿う復興を唱え、災害を政争の具にしている一部の政治家と財界筋こそが問題です。