居合道の段位審査、50年にわたり不正か 有力者に現金

2018年08月18日 | 社畜奴隷の二ホン、、世界で稀な勤勉な馬ヵ
居合道の段位審査、50年にわたり不正か 有力者に現金

8/18(
 全日本剣道連盟(張富士夫会長)が主催する居合道の昇段審査などで不正な金銭授受があった問題で、受審者が合格させてもらう目的で審査員らに現金を渡す行為が、昭和40年代ごろには始まっていたことが18日わかった。約50年にわたって不正が続いていた可能性が浮上し、伝統ある武道の段位や称号の信頼性が大きく揺らいでいる。

 全剣連関係者によると、居合道の昇段審査に影響力がある有力者に現金を渡す行為は「○○詣で(○○は影響力のある人物の氏名)」と呼ばれ、昭和40年代ごろには始まっていたとみられる。全剣連の調査に対し、高齢の有段者から「昔は審査を受ける時に有名な人のところへ行かなきゃいけなかった」という証言も出ていて、不正が世代を超えて受け継がれてきた疑いがある。

 全剣連は2012年と16年に、受審者から審査員や指導者らに対して計2件の金銭授受があったと認定。「審査に近接した時期に金銭を授受する不適切な慣行が古くから存在していた」とも認めているが、2件以外は「証拠がなければ処分できない」としている。新たな調査についても「今後このようなことが起きないようにフォローしていく。現時点では、これ以上の調査や処分は考えていない」としている。



mak***** | 1時間前
高段者で昇段審査の審査員もやっていて、武道具を販売している人の店で、頻繁に防具他を購入すると、昇段に有利になるのは、有段者ならみんな知ってますよね。

por***** | 35分前
華道も茶道も書道もみんなやってます。
何を今更。。。

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... | 22分前
これからも似たような事はずっと続いていくと思いますよ
表沙汰にならないように深く潜るだけで








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是非ドクターは、患者の激痛を停めると言うことを最是非ドクターは、患者の激痛を停めると言うことを最優先で考えていただきたい優先で考えていただきたい

2018年08月18日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
この先生は酷だな、morphineが効かない激痛など地獄! 鎮静剤で眠らせて逝かせてあげることが思いやりだ。

これは安楽死という事になるので「本人の意志と家族の意思確認が要件だ」

この強力な鎮静剤は、リウマチ激痛の際に自分が経験した。ドクターは嫌がったが普通の痛み止めでは全然効果がないので点滴から入れてもらった。

結果は、即座に激痛が無くなりものすごく楽になった。すると段々意識が無くなり呼ばれないと意識が無くなり昏睡状態に成った。この感じは実に気持ちが安らぐ状態で不安も苦しみなど皆無。

自分は、何とか意識が段々戻ったが、あの状態で死を迎えるなら全く問題ない。

因みに父親は癌でmorphineで最後は昏睡で死亡したのを見ている。morphineが効く患者はドクターも楽な方だ。

是非ドクターは、患者の激痛をとめると言うことを最優先で考えていただきたい。




end***** | 44分前
私はしゃべれるぐらい意識が清明なままに死にたくない。例えるなら墜落する飛行機で地面に衝突する瞬間まで意識があるということだよ。残酷だよ。

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kak*****
その場合は、心臓が急停止する状態で死亡するのでやはり痛みはないと思います。いきなり脳が酸欠と同じで意識がなくなる。

意識混濁で死亡する場合は、臓器などが不全となり血液内に尿毒などがまわり意識が混濁して脳が先にやられて心停止しますので多くの場合、苦しみはありません(私が寸前まで経験した)

一番最悪は、激痛で苦しみながら死ぬことです。ドクターに知識や妙な日本人ドクターに多い麻酔使用は悪というような古い観念がある場合に悲劇があります。







「愛してる」と言って亡くなった小林麻央さんの最期を作り話だという医師たち――2018上半期BEST5
8/18(土) 17:00配信 文春オンライン
2018年上半期、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ライフ部門の第1位は、こちら!(初公開日:2018年3月13日)。

【写真】市川海老蔵さんに「愛してる」と言い遺して息をひきとった小林麻央さん

*  *  *

 大切な家族やあなた自身がどんな最期を迎えたいと考えているか、赤裸々に話し合ったことはありますか? 「自宅でなら安らかな死が迎えられる」と美談ばかりが語られてきた在宅医療に様々な問題があることが明らかになりました。ドラマや映画の中ではない「リアルな死」を知らない人が多い現代の日本社会。家族も本人も後悔しない“平穏死”を迎えるには、元気なうちから死を自分の事として考えておくことが大切です。

 兵庫県尼崎市で20年以上にわたり在宅での看取りに取り組み、著作 『痛い在宅医』 (ブックマン社)が話題の長尾和宏医師に、医療現場に詳しいジャーナリストの鳥集 徹さんが「在宅医療のリアル」を聞く最終回です。

#1 、 #2 から続く

◆◆◆

鳥集 モルヒネなどを投与しても耐えがたいほどの苦痛を訴える末期がんなどの患者さんには、鎮静薬でウトウトと眠らせる「鎮静」という方法もあります。長尾先生はどうお考えですか?

長尾 大病院やホスピスでは鎮静率50%と聞いたことがあります。しかし、僕らはほとんど鎮静しません。去年も100人のうち1人やったかどうか。鎮静を積極的に行うべきかどうかについては、実は緩和ケア医のあいだでも議論があります。確かに鎮静をすれば患者さんは深い眠りにつき、苦痛を感じることはありません。ですが、意識がなくなって、無理やり起こさない限りしゃべることができなくなりますし、命が縮んでしまう可能性もあります。これは倫理的に正しいことなのか、日本では犯罪とされる「安楽死」に当たらないのかどうか、慎重に考える必要のあることなんです。

「愛してる」と言って亡くなった小林麻央さんの最期を作り話だという医師たち――2018上半期BEST5
在宅診療中の長尾さん 写真提供:長尾クリニック
鎮静をあまりやらないのは最期の言葉を残せないから
鳥集 長尾先生は、どうしてあまり鎮静しないんですか?

長尾 若い人のほうが痛みに敏感で、とても苦しむことが多いので、そうした方には鎮静することもあります。といっても、鎮静薬を点滴で入れて深く眠らせる方法ではなく、ラムネのような睡眠薬を口から飲んでいただき、浅く眠らせる方法をとることが多いです。僕は大病院やホスピスで鎮静率が高いのは、点滴のしすぎで溺れているような状態になり、息苦しさを訴える人が多いせいではないかと思っているんです。それに僕は、やはり意識は大切だと思っていて、せっかく目が覚めてるなら、しゃべってもらったほうがいいと思うんです。小林麻央さんだって、海老蔵さんの帰りを待って、最期に「愛してる」って言い残して亡くなったでしょう。もし病院でたくさんの点滴を受けて鎮静をかけられていたら、最期の言葉を残すこともかなわなかったはずです。

医師までが「作り話だ」と……みんな平穏死を見たことがないだけ
編集担当 ネットの一部では、「死ぬ間際の人が『愛してる』なんてドラマのように言えるはずがない。こんなのは作り話だ」とまで言われて、心ない反応もありました……。

長尾 そう。ある医師限定の医療サイトでも、ほとんどの医師が「作り話だ」と言って、僕が「作り話じゃない」と書いたら炎上したんです。別に炎上するのは構わないんですが、みんな平穏死を見たことないから、知らないだけなんです。僕は麻央さんと同じような人を在宅で実際に見ている。小さな子供がいる30代の乳がんの女性を看取った経験も2例ありますが、死の直前まで訪問看護師や僕と話していました。ですから僕は事実だと思っています。多くの人が亡くなる直前までしゃべってますよ。そういうことを知らない。多くの医師や看護師は自然死、平穏死をまだ一度も見たことがないんです。

鳥集 ご本人が、「眠らせてくれ」と言った場合はどうするんですか?

長尾 睡眠薬をある程度強めに飲んでもらうということになると思いますが、鎮静の判断は本当に難しい。欧米には「パリアティブ・セデーション(緩和的鎮静)」という言葉があり、安楽死とは違うとされているんです。仮に死期が早まっても「何がおかしいんですか? 全然何も問題ないです。どっちみち死ぬでしょう」と。でも、日本だと人為的な薬剤投与でちょっとでも命が縮まったら、「安楽死をやった」と言われかねません。だから、在宅での看取りをする医師がなかなか増えない。

安楽死を認める国も多い欧米との文化の違い
鳥集 欧米ではスイス、オランダ、ベルギーなど安楽死を法律で認めている国も多いですが、肉体は滅びても魂は残るというキリスト教的な考えが強いからでしょうか。

長尾 欧米人は、自分が正常じゃなければ人間じゃない、正常でないなら意識を消してしまってもいいという考え方が強いようですね。でも、日本人には、もともとはっきりした自分がないせいか、死に方も簡単には決められないんです。今日亡くなった患者さんも、昨日、「娘さんは、最期は病院でって言ってるけど、家と病院とどっちがいいの?」って聞いたら、「どっちでもいい」って言って、結局奥さんが家で看取ることを選びました。

鳥集 今の日本社会は「死」というものをすごく遠ざけていて、自分がどんな最期を迎えたいかあまり考えないし、家族とも話をしません。やはりそれはやるべきことでしょうか?

長尾 これが難しくて。僕も一人暮らしの母親に聞いたんですよ。「お母さんもう86歳だし、だんだん動けなくなるから、施設に入るか?」「最後は病院がいいの? 家がいいの?」って聞いたら、「なんてこと言うの!  親にそんなこと聞くものじゃない!」って、えらい怒られて。結局、車にはねられて即死だったんですけど。

鳥集 エーッ。

長尾 あらかじめ元気なうちから、命の終わりについて患者・家族や医療者たちと一緒に話し合っておくプロセスのことを「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と言って、日本でもやっておくべきだと思うんですが、まだまだ難しいと感じる人が多いのが現実です。「もしバナゲーム(Go Wish Game)」という、「もしもの時にどうケアしてほしいか」「どこで誰にそばにいてほしいか」といったことを話し合える米国発祥のカードゲームがあって、日本では亀田総合病院(千葉県鴨川市)の緩和ケア科が中心となったiACPという団体が普及活動をしています。そうした遊び感覚で、ちょっとずつ家族で死の心づもりをしておくことは、いいことだと思うんです。

鳥集 地域の老人会なんかでも、「自分はどう死ぬか」を話し合ってみる会を開くといいかもしれませんね。

長尾 それもいいですね。そうした町づくりに関わることこそ、医師会の仕事なんです。医者嫌いで、在宅医療を受けてないおじいちゃん、おばあちゃんだっていっぱいいます。そういう取り組みを上手にやって、在宅で平穏死を迎える土壌を作るのが、本当は医者の仕事なんです。


高校3年生の時に父親が自殺したトラウマ
鳥集 確か、棺桶に入る体験会なんかもありましたね。

長尾 ええ、僕が理事をしている日本ホスピス・在宅ケア研究会のイベントで入棺体験できるコーナーがあって、僕もしょっちゅう棺桶に入ってます。棺桶に入ると、死との距離が一気に縮まる感じがします。そうやって、死を「自分の事」と考えられるようにしておくことが大切なんです。でも、みんな怖いんですよ。お年寄りの人も入らない。入るつもりで来ているのに、入らない(笑)。ですが、それどころか僕、今度7月7日に生前葬もやるんですよ。

鳥集 え?  まだ早くないですか?

長尾 僕は今年還暦になるんですが、そこまで生きられるとは思ってなかったんです。自分の中では、すごくめでたいことだなと。実は、高校3年生のとき、親父がうつ病で自殺しました。それもあって、自分は長くは生きれない運命にあると思ってきたんです。死に関する本を書くのもその辺に理由があって、要はトラウマ(心の傷)、PTSD(心的外傷後ストレス障害)なんです。

鳥集 そうだったんですか……。

長尾 なぜ自殺がよくないか。それは残された子どもがPTSDになるから。だから、やっぱり死に関してはナーバスになる。でも、それでも60歳になれそうなので、よかったなということで、盛大にやります。しかし、本当に死ぬ時は逆にひっそりと、誰にも分からないように完全消滅するような死に方をしたいなと。

1人でガンジス川に行って死にたい
鳥集 大切な家族に見守られたいという気持ちはないんですか?

長尾 全然ないです。今ここで言っちゃったらバレるけど、たぶんインドに行って、1人でガンジス川に行って、行方不明になってそのまま帰ってこないみたいな。

鳥集 えー、ガンジス川ですか? 僕なんて1人で死ぬなんて考えられないです……。いずれにせよ、いつか自分も死を迎えると自覚できる仕掛けがないと、死について考えたり語り合ったりするのは、なかなか難しいですよね。


一人暮らしでも在宅死はできる
長尾 死の受容と言うと、『死の瞬間』(1969年発表)を書いた米国の精神科医、キューブラー・ロスの五段階モデル(終末期の患者は、1.否認と孤立、2.怒り、3.取り引き、4.抑うつ、5.受容、と段階を踏んで死を受け入れるという考え方)が有名ですが、実は本人よりも「家族の死の受容」が一番大変なんです。本人は覚悟が出来ていて「もういい」と思っているのに、家族がなかなか受け入れられない。実は日本の終末期医療の問題は、8割ぐらいが家族の問題なんです。だから今、家族に向けた本ばっかり書いています。この本(『痛い在宅医』)も、本人より家族に読んでほしいと思っています。とくに遠くに住んでいる息子さんや娘さんたちに。

鳥集 家族の問題は、よく聞きますよね。せっかく在宅で死を受け入れる準備ができているのに、「なんで病院に連れて行かないの」って、離れて暮らしてる娘や息子がやってきて怒り出すという。実は、在宅医の先生方にうかがうと、一人暮らしの患者さんを看取るほうがかえって楽なんだと言います。家族のいる人はいろんなことを言う人がいるので、意見がまとまらず困ることが多いと。

長尾 そうなんです。病院の方々も「一人暮らしの方は、在宅は無理です」って言うんだけど、私たちからしたら「なんでできないの?」って思います。だって、世の中一人暮らしの高齢者だらけじゃないですか。65歳以上の人の独居率は3割近くにもなっています。長生きすればするほど、いつか一人暮らしになって、しかも認知症になるんです。それが普通のことなので、町を挙げて包み込み、柔らかく見守る。建物でなく町が病院になる。そんな社会になるべきです。でも、医者が一番頭が固い。とくに病院でわかっていない人が多いんです。病院の医者が「在宅の看取りなんてインチキだ」と思っている限り、なかなか世の中の空気は変わらないですね。

それでも家で死ぬのは幸せなこと
鳥集 今回のテーマは、国が在宅医療に本腰を入れて10年以上たち、そろそろ美談ばかりでなく、ダメな現実も見るべきだという話だったわけですが、インタビューの最後ぐらいは希望を持てるような終わり方にしたいと思います。いろいろ問題はあっても、やっぱり在宅で看取るほうがいいんですよね。

長尾 はい、在宅死は非常にご家族の満足度が高く、「死んだのにこんなにありがたがられるのか」というぐらいご家族から感謝されます。別に自慢しているわけじゃないけど、家で死んで後悔する家族って僕らは知らないんです。人類はみな「遺族」ですから、僕らはお看取りした家族は遺族とは言わず、家族と言うんですが──みんなで思い出を語り合う家族会をすると、たくさんの方が来られて、みんな「よかった」って口々に言いますよ。家で看取って、悪いことなんて一つもないからです。

鳥集 逆に病院ではたくさんの管をつけられたあげく、心停止した瞬間に蘇生措置をするために、「ちょっと病室から出てください」と言われて、家族が患者さんの死の瞬間に立ち合えないと言った話もよく聞きました。そのような無理な延命治療や蘇生措置は減っただろうとは思いますが……。

「こんなに楽に逝くとは思いませんでした」
長尾 なんで在宅死をよかったと思うかというと、病院での死をみんな知っているから。お母さん、お父さん、兄弟などが病院でえらい目に遭って、えらい死に方をして、あれだけは嫌だと思っていた。だけど、家では全く違った。「まさかこんなに楽に逝くとは思いませんでした」「先生、思ったよりずっと楽に逝きました」。ほとんどの人がそう言います。2人、3人と在宅での平穏死を経験した家族は自信満々になりますね。もう分かっているから。でも、初めての人は全員ビックリする。「人ってこんな楽に死ねるんですか」と。異口同音に言うんです。だから、死んだ瞬間に笑顔になる。「先生、朝ご飯食べませんか?」。そう言われることもある。ほんとに、そんな感じなんですよ。

鳥集 まさに、死が日常の中にあるという感じですね。この『痛い在宅医』の中には、〈正しい在宅医選び10カ条〉も記載されています。

長尾 はい、まずは看取りの実績が多い医師を選ぶことが大切です。それには、僕が監修した『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』(週刊朝日ムック)が参考になりますので、精読することをおすすめします。また、24時間対応の内容や、診療所の医師数も確認してください。それから、家族だけで受診して在宅医と話し、医師との相性を確認することも重要です。可能なら、訪問看護師さんやケアマネージャーさん、それから実際に在宅看取りを経験したご家族から話も聞いてみてください。

鳥集 多くの人が「よかった」と思える看取りができるよう、在宅医療のレベルアップを望みたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

長尾和宏(ながお・かずひろ)

医学博士。医療法人社団裕和会理事長。長尾クリニック院長。一般社団法人 日本尊厳死協会副理事長・関西支部長。関西国際大学客員教授。2012年、 『「平穏死」10の条件』 がベストセラーに。近著に 『痛くない死に方 『男の孤独死』 『薬のやめどき』 『抗がん剤 10の「やめどき」』 (以上、ブックマン社) 『病気の9割は歩くだけで治る』 (山と渓谷社) 『犯人は私だった!』 (日本医事新報社)など。

鳥集 徹




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絶版名車のススメ──フェラーリF355を普段使いする

2018年08月18日 | モーターサイクルメーカーなど
絶版名車のススメ──フェラーリF355を普段使いする

8/11(土) 21:12配信 GQ JAPAN
絶版名車のススメ──フェラーリF355を普段使いする
最新フェラーリにはない可憐ともいえる色気を漂わせる
絶版名車とは「今もその当時の存在感や魅力があせることなく、現在のクルマにはない“味”をもち続けるクルマ」である。クラシックカー市場が高騰し続けるいま、そんな先取りしたい絶版名車を紹介する。

【写真を見る】F355なら買える!?

普通の人にもフェラーリは買えるのか
フェラーリを普段使いする。や、さすがに「ちょっとコンビニやスーパーまで」という目的にはそぐわない類のクルマであるゆえ、言い直そう。「フェラーリを所有し、そしてたまに運転する」

一部の富裕層はさておき、比較的オーディナリーな暮らしをしている人間にとっては夢物語にも聞こえるかもしれない。

だが実際はそうでもない。フェラーリを所有している普通の勤め人の数は、たぶんあなたが想像しているよりはずっと多い。事実、筆者が主宰している草野球チームの一塁手も実はフェラーリオーナーである。

一塁手の職業は地方公務員。そして一塁手が(たまに)乗っているフェラーリの名前は「F355」という。

フェラーリF355とはいかなるクルマなのか? そして我がチームの一塁手をはじめとする多くの勤め人諸兄はなぜ、フェラーリF355という曲がりなりにも「スーパーカー」を買えているのだろうか? 以下、順を追ってご説明しよう。

フェラーリというブランドについての過剰な解説は不要だろう。イタリア人の元レーシングドライバー、エンツォ・フェラーリが1947年に創設したレーシングカーおよび超高級スポーツカーのマニュファクチャラーだ。スクーデリア・フェラーリ(英語で言うならTeam Ferrari)としてF1に参戦するかたわら、「フェラーリ488GTB」「フェラーリ812スーパーファスト」などの王侯貴族および長者向け市販スポーツカー各種を製造販売している。

そしてF355とは、1994年から1999年にかけて販売されたV型8気筒エンジンを搭載するミドシップレイアウト(エンジンをフロントではなく車体中央に搭載し、後輪を駆動する方式)の2シータースポーツだ。

フェラーリの市販車は、そのエンジン気筒数によって「V12モデル」と「V8モデル」に大きく分かれる。スーパーラグジュアリーなのは当然V12のほうだが、一般的な人気はV8モデルに集中している。で、F355というのはV8フェラーリとしては4世代前にあたるモデルで、今となっては「セミクラシック」とも評せるニュアンスの1台である。

だがセミクラシックでありながら、いや「セミクラシックだからこそ」と言うべきかもしれないが、F355の人気は今なお絶大だ。1994年当時の新車価格が約1500万円であったのに対し、それから24年もの歳月が経過した現在の中古車相場はおおむね1200万円。なかには新車時価格より高額な中古車もあるほどだ。

絶大な人気の理由は「最後の可憐なフェラーリであること」なのだろう。

F355以降のV8フェラーリは、各種性能が大幅すぎるほど大幅な向上を遂げるのに連動して、そのデザインやボディサイズも大仰なものへと順次変わっていった。それは「異次元レベルの大パワーを受け止めねばならなくなった」という物理法則との兼ね合い、および世の中のトレンドに応じたゆえの変化であるため、非難すべきポイントではない。

だがF355は、1960年代から1980年代頃までのフェラーリ市販車に共通していた「どこか女性的で可憐なデザイン」が適用された最後のモデルだった。そしてその性能も、もちろん十分速いスポーツカーではあるのだが、670psもの最高出力を発生するに至った最新V8モデル「488GTB」と比べるならば牧歌的で可憐だ。最新フェラーリの速さはもはや生身の人間の手には負えないレベルにまで達しているが、F355ならばギリギリなんとかなる。

つまり「新車では絶対に味わえない類の魅力」がそこに詰まっているからこそ、フェラーリF355というクルマはいまだ一部の男たちの憧れであり続けているのだ。


1年あたりのコストは50万円
で、そんな素晴らしき絶版スーパーカーであるフェラーリF355になぜ、失礼ながら一介の地方公務員であるウチの一塁手や、そのへんの勤め人各位が乗れているのか?

答えは「リセール価格が鬼のように高いから」だ。

普通、クルマの価値というのは役場で登録した瞬間から怒涛の下げ展開となる。それはカローラだろうがメルセデスだろうが同じことで、3年から5年、あるいは7年も乗ったクルマの売却額というのは絶句するほど安い。イメージとしては250万円で買ったカローラが7年で20万円になり、1000万円のメルセデスが同じく7年で150万円になる……ぐらいに思っておけばほぼ間違いないだろう。

しかしF355はまるで話が違う。

仮に貴殿が今、走行2.5万kmのフェラーリF355ベルリネッタを総額1200万円で買ったとしよう。そしてそれを4年後に(比較的低走行なまま)手放すとすると、その際の売却額は……未来のことゆえもちろん断言はできないが、これまでの実績から推定すると「1000万円」は下らないはずだ。

つまり車検代やらガソリン代やら保険料やらを含めても、4年間で200万円ちょい、1年あたりで考えると50万円ちょい程度のコストで、人も羨む「伝説の美女」との日々を営めてしまうのである。

そしてこの鉄板すぎるほど鉄板なリセールバリューを背景に、多くの勤め人たちは「長期ローン」を組んでF355を購入している。具体的な支払い方はもちろん人それぞれだが、筆者の取材に基づく典型的なそれは以下のニュアンスだ。

・頭金:500万円
・ローン元金:700万円
・支払回数:120回
・金利:2.9%
・ボーナス月加算額:なし
・月々支払額:6万7270円

……クルマに月々約6万7000円と考えれば高いのかもしれない。だが「男の夢に対しての6万7000円」と考えるなら「意外と安い」という見方も成り立つだろう。

だが、もしも何らかの事情でその支払いがキツくなったら? 答えは簡単で、「売却して残債を清算すればいい」というだけのことだ。

もちろんその際、多少の「足」は出るだろう。しかしその損失額はF355の場合、前述のとおりきわめて少額でしかないのだ。せいぜい200万円か、最悪でも300万円程度。つまり国産実用車1台分程度のコストでしかない場合がほとんどなのだ。

とはいえ以上はちょっと特殊な買い方ではあることは間違いないゆえ、決して万人に勧めたい話ではない。だが……もしも貴殿が「その気」になった場合には、決して夢物語レベルで終わる話でもないことだけはおわかりいただけたと思う。

あとの判断は、もちろん各位にお任せする。

文・伊達軍曹 編集・iconic







ニッポン在住の頃、シェビーバンを売りに行ったところに<<デイアブロ1000キロしか走行していない新車同様のが850万!!安い!!あり思わず現金買いしようとしたら>>

店のスタッフが前オーナーは千葉のヤクザでソープランド経営。パワステがついてなくて幅がありすぎで運転できないと委託販売うけたそうだ。

経緯聞いて止めた事がある。
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海外語学留学など三ヶ月では身につきませんわ。観光自己満足遊び。

2018年08月18日 | 旅行
生まれた時からとは言わないが、幼稚園から英語で特定科目を教える。
それもネイティブから!!ニッポンにだけ住んでた日本人英語教員では駄目。

海外語学留学など三ヶ月では身につきませんわ。観光自己満足遊び。

成人したパーソンなら海外に何年か住んで仕事でもすれば0k。喋れないと生きていけないからさ(笑)頑張んなさい。

以上、海外在住25年の経営者




英会話が上達するために、日本人に絶対必要なこと
8/18(土) 13:00配信 現代ビジネス
英会話が上達するために、日本人に絶対必要なこと
写真:現代ビジネス
日本人の英語上達に必要なもの
 僕はいま、南太平洋に浮かぶ島国、フィジー共和国で語学学校を2校運営しています。北半球が夏休みの今は一番学生が多い時期なのですが、日本人を中心に韓国人とかロシア人とか500人くらいが南の島で英語を学んでいます。

 語学学校を初めて14年、2万人くらいの卒業生がいます。その実績を買われて、なぜかフィジーの国立高校2校の運営もフィジー政府から任されています。

 フィジーは英語のみを公用語としていて、物価が途上国レベルという、いまや世界でも本当に珍しい国です。

 教育レベルにおいても高等教育進学率95%の日本にまでは及びませんが、軒並み60%を切る欧米を遥かにしのいだ85%の進学率を持つなど、とても教育熱心な国でもあります。

 それよりなにより、2018年ギャロップ社発表の『世界幸福度指数』ナンバーワンに選ばれているのがフィジーなのです。

 気候も人も温かく、とにかく明るいホスピタリティーにあふれた人たちの国。フィジーの人たちは道を尋ねられれば、手を引いて目的地まで連れて行ってくれたり、ついでに自分の家にお茶に招いたりする。イギリスの旅行雑誌でも長年、世界一ホスピタリティーの高い旅行先に選ばれています。そしてかなりの親日国です。

 こんなフィジーで日本人を中心に、韓国、ロシアなどから来る高校生、大学生、社会人に英語を教えるようになって、僕には一つ確信していることがあります。

 日本人が英語を使いこなすのに本当に必要なのは、ただの「英語学校」ではなく、英語を教える「性格矯正学校」だということです。

 といっても、なにも洗脳するわけではありません。ひと言でいえば、心のスイッチを入れてあげる学校が必要だということ。ちょっとした意識改革で日本人はあっという間に英語が上達すると思うのです。

ガラパゴス化している日本の英語教育
 日本人が英語教育の問題を語る際、「日本の英語教育は文法重視だからダメだ!」とか、「発音が矯正できなくなるから、幼少からの英語教育が必要だ!」などという話をよく聞きます。

 これらの意見は本当に的を射ているのでしょうか? 
 日本国内には、お馴染み駅前の英語教室はじめ、オンラインの英会話教室があり、書店やネットにはCD・DVDなど英語教材が溢れています。それでもそれらの学習手段を使って、「英語力がものすごく伸びました」という人に、僕はほとんど出会ったことがありません。

 また、「日本人にはグループレッスンよりも(料金は高いけれど)マンツーマンレッスンが!」などという宣伝文句もよく耳にします。これも怪しい。

 口数の少ない日本人が、1時間のマンツーマンレッスンで、耳にする英語、口にする英語よりも、グループレッスンで、日本人が犯しがちな英語のミスなどの指摘を、グループ内の他の生徒の間違いも含めて、教師から受けるほうがずっと理に適っています。

 ズバリ言うと、世界の語学学校のスタンダードと比較して評価するなら、日本の英語教育は“ガラパゴス化”しているのです。

 世界の英語教育(英語以外の言語教育も)は、年々、教え方・カリキュラムともに向上しているにもかかわらず、日本国内の英語教育はどこかおかしなベクトルに進んでいるのです。

 僕は仕事柄、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オセアニアなど、世界のいろいろな語学学校を視察してきましたが、テキスト・教材は、どこの学校でも同じようなものを使っています。

 イギリスの「ケンブリッジプログラム」というものがほぼスタンダードで、世界の語学学校のほとんどがこのプログラムを採用しているのです。もちろん、カリキュラムの3割程度は、文法、読解、発音の授業など。それも世界でもスタンダードです。ところが日本でこのプログラムを採用しているところは本当に少ない。

 会話重視(中には教材も使わないものも多い)の長所のみを強調した日本国内の英会話教室に通い、容姿がイケメンなだけの文法も理解していない外国人教師(有資格者は少ない)から英会話を学んだとしても、正直、それは目の保養だったり、趣味の域を出なかったり……。

 本当に英語を使えるようになるには、どう学ぶべきなのか? 

世界一「シャイ」な日本人
 世界の語学学校で、日本人の学生と他の国の学生を比較すると、解決の糸口に気が付きます。

 まず、手を挙げて自分から発言する外国人の学生に比べ、日本人の学生は口数も少ない。教師が言っていることがたとえ理解できなくても、恥ずかしくて質問することすらできないのです。

 それに、せっかくの外国生活の機会にもかかわらず、同じ日本人の学生同士が固まって行動することが多いというのも日本人の特徴です。

 これは語学学習のプログラムの問題でしょうか? 
 それとも我々日本人が根元的に持つ内気な性格の問題でしょうか? 
 僕の経営する語学学校では、13年前からまずこれらの点に着目し、人前で話すことを『恥ずかしがる』日本人の学生に、人前で英語の歌を唄わせたり、ダンスを踊らせたりということを入学当初にさせてみることにしました。

 少しスパルタですが、そうすると、こちらが期待していたよりもはるかに良い結果が得られたのです。

 彼らは12名くらいが1つのクラスで一緒に学ぶのですが、まずその小さなコミュニティの中で、『恥ずかしがる』ことがなくなりました。誰もが積極的に発言するようになり、ディベートレッスン(討論の授業)などでは、日本語では、こんなに意見を主張しないだろうと思えるおとなしそうな日本人学生が、自分の言葉で自分の意見を言うようになったのです。

 もちろん、まだたどたどしい英語を使って、です。

 恥ずかしがることがなくなると、授業が終わった後の時間の使い方も大きく変わりました。バス停で帰りのバスを待っている間に知らない現地の誰かに話しかけたり、話しかけられたり。

 自分がホームステイしている家族以外の、例えばスーパーマーケットで普通に買い物している知らない買い物客にも英語で話しかけるようになったのです。

 我々日本人は他の外国人と比べると、比較的というよりは、断言できるレベルで確実にシャイ(恥ずかしがり)です。日本語でコミュニケーションを取っていても、自分の意見を言うべきか考えた末、発言しなかったり、本当は質問したいのにできなかったり――みなさんにも身に覚えがあるのではないでしょうか。

 性格矯正にはどのような環境が必要か? 
 これを日本国内でやろうと思っても、かなり難しいでしょう。目立てば打たれる的な文化のあるこの国では、自分がいくら性格を矯正したくとも、やはりそれは多勢に無勢です。

 短い期間でも構わないので、凝り固まったシャイな性格を“壊す”ために、やはり海外で過ごす必要があると思うのです。

 で、ここからは宣伝臭~くなってしまうのですが、正しいこと、タメになることだと信じているからビジネスをしているわけで、どうかご容赦を。
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中国人の街「西川口」の変貌っぷりが凄すぎる中国人の街「西川口」の変貌っぷりが凄すぎる

2018年08月18日 | 国際紛争 国際政治 
中国人の街「西川口」の変貌っぷりが凄すぎる

8/18(土) 5:00配信 東洋経済オンライン
中国人の街「西川口」の変貌っぷりが凄すぎる
芝園団地の全景。約4500人の住民に占める中国人の比率は50%を超えている(筆者撮影)
 東京から荒川を隔てた埼玉県南部に「西川口チャイナタウン」と呼ばれる一帯がある。JR蕨(わらび)駅からの徒歩圏内に位置する芝園団地に一歩足を踏み入れると、すれ違う人のほとんどが中国人だ。

【写真】芝園団地商店会では、アジア系のレストランや商店が元々の地元店に取って代わっている

 隣のJR西川口駅周辺では、本場の味が楽しめる中国料理店が雨後の筍のように誕生している。ここは中国なのだろうかと錯覚してしまうほどの生活感だ。この地域で根を張る中国人はいったいどこからやってきて、どこへ向かおうとしているのだろうか。現地を取材してみた。

■芝園団地の中国人比率は50%

 2013年に芝園団地に住み始めた王琳さん(39歳、本人の希望により仮名)の顔には日本人女性と見紛うような白いファンデーションと真っ赤な口紅が浮かんでいた。話してみると日本語もほぼ完璧。それもそのはず、彼女が留学目的で東北部・遼寧省から来日してきたのはもう17年前のことだという。

 この団地で暮らしている日本人について聞いてみると、「日本人の影はないですよ。老人ホームみたいに(アパートの)部屋から出てこない」と答えた。約4500人が住むこの団地の中国人比率は50%を超えており、日本人住民は脇役となりつつあるのだ。

 芝園団地に住む中国人居住者の職業で目立つのはIT企業勤務。30代以上の中年層が家庭を築いているパターンが多いという。

 その一方で、1978年に完成した当時に入居した日本人住民らは年老いて、1人暮らしをしているケースが少なくない。1990年後半の「都心回帰」以降、中国人をはじめとする外国人が次々と空き部屋を埋めていった。団地内にある十数件の店舗もアジア系のレストランや商店が元々の地元店に取って代わっていった。あたかもオセロゲームのように。

 「中国人は日本語を話せないふりをする」「私物を公共スペースに置く」「敷金を払わないでいいようにと居抜きしている」などなど日本人住民からのクレームは尽きない。当然、昔ながらの住民は中国語を話すことができない。なにか注意しようにも怖くて声がかけられないという。

 在住歴40年の日本人の未亡人は「昔は優雅だった。1人も『向こう』の言葉を話す人はいなかった」と懐かしむ。国籍だけでなく、世代の違いが日中両住民のボタンのかけ違いの原因になっているのだ。


昼間団地の中を歩いていると、中国人の子どもが1階の渡り廊下を無邪気に走り回っているのをよく見かける。観光ビザなどで訪日しているのであろう、お婆ちゃんたちが見守っている。王さん自身も、中国人男性との間に生まれた7歳と2歳の女の子を育てる忙しい日々を送っている。同じ団地に住む中国人ママ友には、日本語がうまく話せず、子育てで悩んでいる人も多いという。

■SNSを使って育児相談

 中国人コミュニティといえるようなものはまだこの団地にはないが、ネットワークは徐々に形成されつつある。たとえば、メンバー数が350を超える微信(ウィーチャット、LINEに似た機能を持つSNS)グループでは育児についての相談が行われている。「子どもが病気になった。どの病院がいいかな?」といった具合に。このグループは元々は中古品を売り買いする目的で始まったが、今ではビザの手続き、不動産仲介業の情報も飛び交っている。

 王さんとは違うもう1つのパターンとして、日本に留学せずに中国から転職で直接やってくる中国人たちがいる。山東省臨沂市の農村出身のシステムエンジニア(SE)である姜啓民さん(36歳、男性)もその1人だ。

 聞くと、芝園団地への引っ越しがスムーズで助かったという。芝園団地はUR都市機構が管理する物件で、保証人や礼金、更新料がない。彼のケースでも、公的証明書を何枚か提出するだけで、2週間で手続きが完了した。この入居のしやすさが中国人住民を引きつける大きな魅力になっている。

 地元の専科(注:日本の短期大学または専門学校に相当)でコンピュータを学んだ姜さんは卒業後に中国の地方都市を転々とした。北京、上海、広州などの大都会が窮屈だと感じ敬遠した。日本への移住を考え始めたのは、日系企業在職中に東京へ出張に来たときだった。

 彼にとって芝園団地はまさに理想の住処だった。「初めて来た頃は週末にすることがなく寂しくなるかと思ったけど、(団地では)中国語が聞こえてきてとても温かい気持ちになった」。


在日歴がもうすぐ5年になるにもかかわらず簡単な日本語しか話せない姜さんは中国語でそう明かしてくれた。日本語を上達させるため、週末には団地内にある公民館で開かれるボランティアの日本語講座に通う。それでも、日本語は言葉一つをとってもさまざまな意味があり、難しく感じる。日本人とのやりとりでは「空気を読むこと」が求められることもあり、なかなか日本社会に溶け込めずにいる。「日本人はどのSNSを使って友達を作るの?」と逆に聞かれたほどだ。

 中国人住民にとって特に関心が強いのが子どもの教育だ。昔は団地直結の小中学校があったのだが、日本人の子ども減少を受け随分前に閉校になっている。今は一般的な幼稚園と中国人向けの保育園を残すのみだ。

 団地で出会った9歳の中国人男児は、福建省の福清から1年半前に引っ越してきたばかりだが、すでにこなれた日本語を話していて驚かされた。父親によると、通っている公立小学校で特別な日本語授業を受けたり、公文で国語を習っているのだという。

 日本の教育を選んだ理由について、「日本の教育は生活に関するものが中心で、(中国と比べて)より西洋に近い」こと、空気がよりきれいなこと、子どもが日本式の礼儀が好きなことを挙げた。だが、中国人の教育観は一筋縄でいかず、他の中国人住民によると、祖父母が孫の「日本人化」を心配するケースもあるとのことだ。

■新華僑の住まいは「郊外化」している

 正確には昼夜の流動人口を考慮に入れる必要があるが、JR京浜東北線が通る川口市西部の一部は神戸・長崎両中華街はもちろんのこと、横浜中華街のある横浜市中区などを中国人人口密度という点で凌駕しつつある。中国人を筆頭に川口市の外国人人口は3万3279人(比率は5.5%)に上り、全国屈指のレベルにある。

 これだけ中国人が密集するようになったのは、どのような経緯があったのだろうか。

 中華街について詳しい立正大学の山下清海教授は最近になってこの一帯を「西川口チャイナタウン」と呼び始めた。「中華街」という言葉はそもそも、1955年に今の横浜中華街に建てられた牌楼門にそう書かれたことに由来している。

 日本人にとっての観光地というイメージの強いその「中華街」と区別するために、山下教授はあえてこのエリアを「チャイナタウン」と定義した。


2003年に池袋北口周辺を「池袋チャイナタウン」と命名したのも同様の論理に基づく。山下教授によると、1980年代、つまり中国で改革開放が本格化し、日本政府が留学生10万人計画を始動させたころから、まずは上海人そして後には福清人が「池袋チャイナタウン」へ流入した。1990年代後半には、朝鮮系を含む東北部出身者がそれに続いた。


これらの人々は当初日本語学校が近い、そしてアルバイトの口があるといった理由で、都内の池袋や新大久保に集まり、安アパートに住んでいた。今起こっている現象はこれら新華僑のさらなる定着であり、郊外化だ。

 「より広い住宅が欲しい。結婚して、子どもを持って。そういうふうなときにやっぱり都心近くには住めない。なので、だんだん郊外のほうに移っていく」

 東京に住む日本の人々が西川口に対してどれだけネガティブなイメージを持っていようと、外来の中国人にとってはほどんど関係がない。むしろ、便利さが最優先だ。実際、姜啓民さんは平日仕事で都心に向かうが、通勤は1時間以内で済む。

 確かに、『週刊新潮』が2010年に「チャイナ団地」と称してセンセーショナルにこの団地を取り上げたころはゴミや騒音などの問題が山積していた。だが、自治会の岡崎広樹・事務局長は「目に見える問題はなくなってきた」と話す。

 この間、UR現地事務所に対して中国語を話すスタッフを駐在させるよう要求したり、新しくやってくる中国人住民に注意事項を中国語でまとめたパンフレットを配布するといった対策をとるようになった成果といえる。

 自治会は「芝園かけはしプロジェクト」を推進中で、大学生ボランティアの支援を得つつ、フリーマーケットといったイベントを月1回のペースで催している。太極拳や交流カフェに実際に参加したが、中国人参加者は十数人程度で、中国人住民の関心はそれほど高くない。

 自治会に入っている中国人世帯は現在約60にとどまっている。なお、自治会の幹部にはかろうじで中国人がひとり入っている。中国人には「下からの」自治会という概念自体がなかなか理解できない。岡崎さんは「別に無理やり日中友好がよい、と双方に押し付けるのではなく、前向きにいろいろと交流などに取り組める仕組みや環境があればよい」ということが見えてきたという。

 川口市協働推進課の川野道広課長は日本人と外国人の習慣の違いで、「夜まで外国人がたむろしている」といった苦情を受けることがあると認める。しかし、外国人を「資源」というよりは「課題」と捉えがちな多くの保守的な自治体と違い、川口市は独自の対策を少しずつ進めようとしている。市は今年独自に定めた「多文化共生指針」を改定し、来年には外国籍生徒の日本語学習需要などに対応することを目的に夜間中学を開校することが決まっている。


■本格的な中華料理店が林立

 このように変化の著しい西川口チャイナタウンのもう一つの顔は、本格的な中華料理店の林立する西川口駅周辺にある。

 駅近くの蕎麦屋「二幸」の主人、小久保亮治さんは「飲んで、打って、食う」ためのこのエリアが徐々に変貌していくのを目の当たりにした。過激な風俗店の数が一時は200を超えたが、2000年の半ばの摘発をきっかけにそのほとんどが消えた。

 その後に増加したのが中国料理店だった。今ではこのエリアのあちこちで「麻辣湯(マーラータン)」「鴨脖(注:鴨首のスナック)」「油条(注:細長い揚げパン)」といった看板が躍っている。

 北京でも滅多にお目にかかれない東北料理・鉄鍋炖を提供するのが「縢記熟食坊」だ。店員が巨大な鉄鍋の中に川魚や野菜をテキパキと放り込むと、頃合いを見計らってさらに鍋の際に黄色のパン生地がペタペタと貼られていく。これを眺めるのが楽しい。

 スタッフによると、この店のオーナーはこれまでも東京で日本の好みにあった「台湾料理」店を展開していたが、このような本格路線は初めての試みだったそうだ。予想外の成功で、店には日本人ファンも駆けつける。年内に同じエリアに2号店を開くことが決まったほどだ。

 同じく中国駐在経験のある日本人の間で評判となっているのが蘭州料理店「ザムザムの泉」。昨年夏にオープンした。ご主人が注文を受けてからカウンター席の前で麺を引いてくれる。「池袋だったら回転率が高く、家賃も高く、味に集中できないから」と彼は西川口で実験的に開店した理由を明かす。

 他にも、馬堅さん(32歳)は故郷の味を再現したくこの地でウイグル料理店「火焔山」を開いた。ウルムチでスマホ修理を生業としていた馬さんは、奥さんの親戚が日本にいたことをきっかけに2007年に来日。当初は弁当工場で惣菜を作る仕事に就いていたが、そのうちにその経験を生かして店を出すことを思いついた。「東京や千葉方面から客が来ることもあります」。試行錯誤で味を改良しており、お客がいっぱいになるときが一番楽しいと言う。

■チャイナタウンの「進化」

 中国人移民の社会ステータスの上昇とともにチャイナタウンの進化は続きそうだ。それを暗示するように、芝園団地に住む中国人住民の流動性は高い。より良い教育環境を求めて別の場所へ移っていく傾向がある。

 山下教授は、アメリカの例をあげつつ、中国人が今後さらに遠い郊外、または都内の高層マンションに移っていく可能性を指摘する。たとえば、元来ロサンゼルスのチャイナタウンはダウンタウンにあったが、より豊かな新華僑の到来で、第2のチャイナタウン(モントレーパーク)、さらには第3のチャイナタウン(ローランドハイツ)へと次第に郊外化が進んだ。上述の王琳さんも「いつかはマイカーやマイホームが欲しい」と漏らす。

 自然発生的に誕生しつつある西川口チャイナタウンの現場を歩いていて実感するのは、国の存在のなさだ。中国人の定住化は留学生の受け入れを推し進め、最近では外国人IT人材を確保に動き始めている国の諸政策と密接に関係しているにもかかわらずである。先駆けて浮上した日系ブラジル人の定着問題と同じで、政府は入り口だけを議論し、あとは地元に「おまかせ」の格好だ。

 今夏、外国人単純労働者受け入れの制度設計に向け議論が展開されているが、相変わらず企業の経済的打算に基づいたニュースしか聞こえてこない。移民政策の事実上の開始とも言われる今回の制度をきっかけに、外国人の統合政策についても大いに議論されるべきではないだろうか。西川口チャイナタウンで垣間見える日中住民の不和、そして交流へ向けた努力はそのことを端的に示しているように思える。

舛友 雄大 :ジャーナリスト




tora | 11時間前
この先、外国人参政権だけは絶対与えてはならない。必ず数が増えてくるとある時点で環境改善を訴えてくる。パヨクや在日も一斉に騒ぎ出す。そのときかわいそうだからという面で、世論が流されてしまい、時の自治体長がパヨク思考であればとても危険。オーストラリアの都市や米サンフランシスコあたりをみれば、一目瞭然。 危険極まりない。

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返信42
mam***** | 10時間前
完全に独断偏見な意見ですが、中国の方の会話って常にまくし立てる感じがして、全然日本人と合わないと思います。街中、公共交通機関でも、普通に会話してるだけかもしれないけれど、とにかくうるさくて仕方ない。波長が合わない。聞こえるだけで疲れます。

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返信91
dk406ca2017 | 11時間前
こういう下らない政策を進めた政府を応援しません。

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返信77
his***** | 11時間前
長期滞在がなぜ、出来るのか?

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返信27
pcg***** | 11時間前
危ない危ない!
侵略されちゃう。

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返信19
古事記好き | 11時間前
消費税10%導入と実施移民受入れ拡大はいかんだろ。安倍さん。

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返信14
yuk***** | 10時間前
スパイもいるよねー

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43
返信13
以前のコメントを表示(3件)

一言いいですかね。 |9時間前
中国人は全員国家の所有物。
なので、正確にはスパイが「いる」ではなく全員スパイ要因であり、所属先や団体によって情報を共産党に報告するスパイ行為を「やる」というのが正しい。
情報が手に入る立場にいる中国人は漏れなくスパイ。
何故なら中国人はどこに住んでいようが中国当局の影響下にあるから。

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1
nop***** |9時間前
中国には海外居住者も含めた国家総動員法があるからな。逆らえば親族が拘束

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1
della |8時間前
何で迷惑をかける外人に限って銃殺okにしてくれないのか。
法改正しろ。

46
5
dc |8時間前
スパイと言っも色々あって、
情報収集だけじゃないんだよね。
例えば彼らの国に不利な政権な場合には、
その政権の邪魔をしたり、
その政権の反対組織や政党に資金を与えたりと、
日本に混乱を与えているんだよ。
そんなんがわさわさ繁殖しているわけ。
怖いのはそんな連中を知らないうちに手助けしていること。

48
1
pop |7時間前
スパイと犯罪者と厄介者しかいないのが
中国人

要らないんだよ中国人

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3
nip***** |6時間前
中国人が一番ヤバい。圧倒的に他国よりもスパイの割合が高いと思われる。

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0
ewx***** |6時間前
留学生は、イコール移民なのか?
よく永住者は、もともと留学生として来たと言うが。
ならば留学生30万人受け入れ政策は、移民予備軍受け入れ政策なのか?
日本人が減少して行く中で、外国人永住者がこうしてどんどん増えて行くと、日本の人口構成が急速に変わっていく。

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1
moo***** |5時間前
この団地の所有企業。ホイホイと住居させんじゃねえよ・・・(;゚Д゚)

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0
gsh***** |2時間前
留学生30万人計画は、完全に失敗。奨学金返せなくて破綻する若者を救済するべきだろう。留学生と日本の若者どっちが大事か素人でもわかる。

6
0
fsopm65***** |1時間前
ヤフコメ、知恵袋にも、
中国共産党のネットサポーター、五毛党が
日本の世論を左右しようとスパイがたくさんいる。
皆、惑わされないことです。
五毛党で検索頂ければ、
中国共産党の魔の手が目の前まで迫りつつあることが
実感頂けるはずです。

6
0

コメントを書く
kan***** | 11時間前
つまらない街になってしまった

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64
返信7
わからんちんどもとっちめちん? | 11時間前
ヨーロッパであれだけ問題になっているのに日本で外国人受け入れを推進しようとする理由が分からない。

1421
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返信6
iisan | 11時間前
長い


kyo***** | 37分前
彼らは、税金や自治会費などを負担しない、医療をタダで受ける、
犯罪者も少なくない、マナー・モラルの概念を持たない、
など、ろくなことがなく、私の住む蕨市は、もはや、日本人が中国人
のために暮らしているかのようです、

rwr***** | 46分前
この2年で2回も転職し2回とも経営者が中国人

中国人には日本の常識は通用しない!
絶対に信用してはいけない!
騙すのが得意だから
中国人だけど良い人に思わせるのが得意だから注意!



cho***** | 49分前
こうやって中共の侵略が、着々と進んでいるのです。
万が一中共と戦争になった時、この連中が獅子身中の虫となって侵略行為の先兵に成るのですから、これを放置している政府は職務怠慢、無能集団としか思えない。

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返信0
chy***** | 53分前
外国人に参政権絶対に与えてはならない。
帰化するのにもものすごい税金かけるべき。
社会保障もものすごい税金かけるべき。
生活保護なんかもってのほか。

もしそうしなければ、
戦争なしに日本は中国や韓国にされるぞ。

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返信0
car***** | 53分前
このような問題は、もっとニュースで流さないと。特にNHKは!

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返信0
aff***** | 58分前
隣に中国人引っ越して来たが1週間も経たないうちに通路に生ゴミの袋
不法投棄は置いた時点で逮捕して欲しいよ。
勿論、日本人・外国人関係なくね。それ位しないと駄目だ。



_l****** | 1時間前
新宿にも一棟全員中国人、韓国人、ヤクザといったマンションが昔からあるけど
棟数も増えて夜間は近寄るのも怖い。
あと20年もしたら西川口に日本人は足を踏み入れることが難しくなりそう。
中華人民共和国西川口自治区みたいな。


saw***** | 2時間前
外国人の土地購入や日本語が話せないのに就職できる環境、さらに留学後いつまでも日本に在住、これらの法律はどうなっているのか。政府は緊急の課題というが、そのわりには憲法改正ばかり唱えている。ここまで外国人の流入が激しく、共生が必要な事態の中で人口の多い中国人やインド人など地方は結構多い。政府はこの現実に対応すべき法整備をしないと治安の維持が難しくなる。雲の上の生活者が多い、2世議員た力に限界がきているのではないだろうか。それを自覚し、今後議員立候補者を幅広く集約し、しっかりした議員を確保してほしい。

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返信0
*** | 2時間前
この団地内のスーパーに行ったことがあります。
国内資本のチェーン展開しているお店ですが、この店舗だけ、同一チェーンの他の店舗とは全く違います。品揃えの違いはもちろんですが、店内のポップが基本中国語。日本語が申し訳なさそうに添え書きされています。
店内の案内放送は当然に中国語。レジも中国人。

早々に退散しました…。


ウィロー | 2時間前
以前にもコメントしたが、これは実効支配じゃないかな。
竹島と何が違うの?どうせ住み着いた人間でマフィアみたいなものが
構成されて常駐、巡回しているんだろう?
銃の所持、刃物の携帯も認められず、警察官すら発砲をためらう国ですから
暴力への忌避感が著しく薄い諸外国の方々には楽な土地でしょう。
将来の日本人に顔向けできない事態になりつつあるな。
憲法改正して防衛力強化って、内部から食い荒らされつつありますけど?
どっちもやってくれよ、内憂外患じゃないか。

2
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ba***gw*ra* | 2時間前
これが市長の望んだ形ですか?

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xiv***** | 2時間前
年間120万人の日本人が死亡して40万人の外国人が流入する移民大国日本。人口構成の入れ替えが起きている認識が不足している。日本の福祉サービスや医療サービス、生活保護等を目的に滞在する外国人も多い。不法滞在、偽装難民、教育実習生失踪、偽装結婚による国籍取得、外国人生活保護受給、犯罪増加等の問題認識が社会全体で不足している。北海道は東京ドーム1000個分の土地が中国人に買い漁れている。中国では北海道を中国の省にしようと言っている。単純労働者の受け入れは日本語出来ない住民を作り独自のコミュニティを作り将来は分断と文化崩壊、治安悪化を招く。もはやそこは日本ではない。規制が甘すぎる!人口の殆どが中国人という事もありえる。ちなみに外国人生活保護受給者は7万人超えで増加中で殆ど日本語を話せない。



島根漁民を惨殺した韓国人を許すな | 3時間前
大阪の鶴橋、東京の新大久保もそうだけど、政府は中国人や韓国人が日本を侵略するのを手助けしているのか?路上生活者のテントの撤去とかはするけど、敵国民を撤去させないんだな。こういうのを対策したほうが日本の治安にもつながる。

cmf***** | 3時間前
入居を許した市が悪い 日本で無く 中国化 遣りたい放題
税金も払わん 保険は使う 酷い物だよ メディアは絶賛
本場の中国料理が食べられると?擁護の始末
道徳も無い 税金は払わん 国籍が違うから払う義務も無い
監督省庁は、何もしない 法律が騙すぎる その数2万人
如何すんですかね 世界各地で、街を占領し、中国人化
日本国籍なら解るが、入国審査甘い 強制送還しないのが??不思議
また、独裁犯罪国中国擁護のメディアは騒がない 奪われた町ですね

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返信0
mki***** | 3時間前
移民禁止の日本で、何故、こんに多くの中国人が生活しているのか?
特に、最近は中高年が目に付く。

平日の昼間、街中を歩いているとアチコチから中国語が聞こえる。

コメント
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朝方晴れで午後から雨のフィリピン移住生活

2018年08月18日 | フィリピン永住生活、、天国か地獄かな
朝方晴れで午後から雨のフィリピン移住生活

朝起きると太陽が強い、、、今日は暑くなるなと思っていると<<午後から突然激しい雨が>>

そして曇と天気が変化。

まあ、、酷暑よりは過ごしやすい。


天気の変化が激しい今日このごろ。



先日ミシュランパイロットに交換したスクーターだが<<妻に、新しいタイヤは気持ちがいいね~~>>などと2回聞いたら、うるさいよ!!と怒られた。

こういう人種は<<走ればいいだけでタイヤがどうのこうのなど考えたことがないのだ>>

但し、エンジンだけは分かるようで先日オイル交換してクソホンダだがヤマハのスクーター用高級オイルを入れたが<<妻が、エンジンがよく回るな~~>>と感想を述べていた。


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認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」

2018年08月18日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」――2018上半期BEST5

8/18(土) 11:00配信 文春オンライン
認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」――2018上半期BEST5
長谷川和夫氏(認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長) ©文藝春秋
2018年上半期、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。ライフ部門の第4位は、こちら!(初公開日:2018年5月6日)。

津川雅彦の長女が明かす「認知症の母、朝丘雪路と父の絆」

*  *  *

 社会の高齢化に伴い、認知症患者が急増している。厚労省の発表によれば、2012年時点で国内の65歳以上の認知症患者数は462万人にのぼり、2025年には約700万人、高齢者の約5人に1人が認知症になると推計されている。

 精神科医の長谷川和夫氏(89)は、1974年に認知症診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表した、認知症医療の第一人者だ。認知症ケア職の人材育成にも尽力してきた長谷川氏は、昨年10月の講演で、自らも認知症であることを明かした。

 半世紀にわたり認知症と向き合ってきた長谷川氏が、当事者となったいまの思いを率直に語った。

◆ ◆ ◆

 私は50年以上、認知症を専門としてきました。認知症がどのようなものか、大体のことは分かっているつもりでした。

 その私が認知症になって痛切に感じたのは、「確かさ」がはっきりしなくなったことです。

 医師として、私は認知症は次のような段階を進んで「確かさ」が失われていく、と説明してきました。まず、今がいつなのかが明らかでなくなる。次に、今どこにいるかがはっきりしなくなる。最後に、目の前にいる人が誰なのか、分からなくなってしまう。

 私の場合は、自分が話したことを忘れてしまうことから始まりました。話したと思うんだけれども、どうもそうでないような気もする。さらに、昨日の日付は分かっていたのに、翌日になると、今日が何日か分からなくなる。自宅を出るとき鍵を閉めても、鍵を閉めたことがはっきりしないから、来た道を戻って確認しなければ気が済まない。ひどいときは、一度確認したことを何度も確かめたくなる……。

 こうしたことから、自分が認知症ではないかと疑いはじめました。


ありのままを受け入れる
 私は当初、自分をアルツハイマー型認知症ではないかと考えました。アルツハイマー型認知症は、脳の神経細胞に「老人斑」というシミのようなものが広がることなどで起こる、認知症の中でも最も多いものです。

 そこで、認知症専門病院である和光病院(埼玉県和光市)で、さまざまな検査をしてもらいました。

 認知症の診断では、私が開発した「長谷川スケール」(1991年に改訂)を用います。長谷川スケールは、「お齢はいくつですか」「今日は何年の何月何日ですか、何曜日ですか」といった9つの質問によって構成されており、それぞれの得点を合計して、認知症の有無を診断します。しかし、開発者の私は、この質問項目を全て覚えているので、正しい診断ができない(笑)。なので、難しい心理テストをいくつも出してもらうことになりました。

 その結果、私は「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断されました。

認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」――2018上半期BEST5
©iStock.com
 60代から70代の患者が多いアルツハイマー型認知症とは違って、この認知症は80代以降の人に起こることが多いものです。特徴は、正常な状態と認知症の状態とを行ったり来たりすること。午前中はしっかりしているけれど、午後になって疲れてくると、認知症の症状が出てくる。80代、90代という、人生の晩節期に起こる認知症です。

 ただ、認知症の中では、ひどい症状を引き起こすものではありません。忘れ物はたくさんするけれども、一晩寝れば治ってしまう。毎日がその繰り返しです。だから、診断を受けたときも、そんなに心配しなくて良いだろうと考えました。

 認知症は、長生きすれば誰にでも起こり得ることです。だから、ありのままを受け入れるしか、仕方がありません。まずは、自分でできる範囲のことをやる。その上で、少しでも人の役に立つようなことができたら、それ以上嬉しいことはない――。そんなふうに考えながら、日々を送っています。

 自分が認知症になって初めて体験したことの1つは、週に1回、デイケアに通うようになったことです。私はこれまで、患者さんに「ケア職の人に接するのはとても良いことだから、週に1度や2度でもいいから行ってごらんなさい」と勧めてきました。それが、いまでは勧められる立場になったわけです。

 デイケアに通うようになって、まず驚いたのは、スタッフ一人ひとりが、利用者の情報をよく知っていることです。スタッフがそれぞれ何人かの利用者を受け持っている、というのではなく、スタッフ全員がみんなのことを把握している。こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。利用者としては、大きな安心感があります。

 それに、こちらが少しでもボーッとしていると、「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかります。すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とかね。

 簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心しました。


恥さらしとされた認知症
 いま振り返れば、私はとても恵まれた境遇に置かれ、大いに学問的な刺激を受けてきました。

 私は1929年、愛知県の東春日井郡牛山村で生まれました。祖父は村の庄屋で、終戦のときには祖父の家の大きなラジオで、村の人たちと一緒に玉音放送を聞いたものです。

 戦後間もない1947年、私は東京慈恵会医科大学に入学し、そのまま精神神経科に入局しました。

 私は18歳のころにキリスト教を信仰するようになったのですが、当時はキリスト教徒であれば、1年に10人ずつ、全国から選ばれて留学することができました。私はその試験に受かって、アメリカの東海岸にあるセント・エリザベス病院という大きな精神病院に留学しました。

 当時の日本では、大きな病院といってもせいぜい700床でしたが、その病院は7000床。敷地面積はモナコ公国に匹敵するそうで、お医者さんが回診で別の病棟へ移動するのに、クルマに乗っていたのには驚かされました。そんなスケールの大きな病院で、私はとても刺激的な時間を過ごしました。

 その後、2度のアメリカ留学を経て、慈恵医大の医局長を務めていたころのことです。私は新福尚武教授と一緒に、東京都内の老人ホームの利用者を対象とした、健康調査をすることになりました。このとき、私は初めて認知症の方の診断をすることになったのです。まだ「認知症」という言葉が一般的ではなく、「痴呆」と呼ばれていた時代でした。

認知症医療の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」――2018上半期BEST5
©iStock.com
 調査にあたり、教授がこう言いました。

「長谷川くん、君はこれから僕と一緒にお年寄りが痴呆であるかどうか、診断しなければならない。誰が診断しても同じ結果になるような尺度、スケールをつくりなさい」

 こうして私は、診断のために必要な項目を作り、結果が数値化できるようなスケールを発案しました。当初は不安だったけれど、実際に使ってみると、誰が検査してもほぼ同じ結果になる。その後、いろいろな研究を重ね、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」として発表しました。

 スケール作りのために各地を回ったさいには、認知症の人がひどい扱い方をされているのを、たくさん目にしました。

 ある家では「恥さらし」「役立たず」とされて、納屋に閉じ込められていました。家で面倒を見られなくなると、精神科病院や老人病院に入れられるのですが、入院したところで病棟では何もすることがないから、隔離するだけです。さらには、手や腰を縛られて、拘束される。いまでこそ在宅介護やグループホームが一般的となりましたが、当時はそういう時代だったのです。

 戦争が終わってから歳月が経って、国民一人ひとりを大切にしようという理念が、日本の社会に少しずつ浸透していった。こうした風土が、今日の認知症ケアの土台となったのではないかと思います。



 2000年には、認知症ケア職の人材育成を目的とした高齢者痴呆介護研究・研修センター(現・認知症介護研究・研修センター)が東京、宮城県仙台市、愛知県大府市に新設され、長谷川氏は東京センター長に就任。それまでは認知症患者を診療する立場だった長谷川氏が、ケア職の育成に関わるようになった。

 長谷川氏が考える、認知症ケアに必要なものとは何なのか。



 私が認知症ケアで大切にしてきたのは「パーソン・センタード・ケア」という考え方です。認知症の人を中心に考えるという理念で、イギリスのトム・キットウッドという臨床心理士が提唱したものです。

 認知症の人を中心にすると言っても、ちやほやしたり、言いなりになるのが良い、というわけではありません。必要なのは「認知症の人と自分は同じだ」と考えること。同じ目線に立って話すことが、とても大切です。

 また、衛生や食事、排泄などを援助する従来のケアに加えて、「その人らしさ」を尊重することも重要です。「その人らしさ」とは、明るい、几帳面、綺麗好きというような、単なる性格や性質のことではありません。それは、人生での経験や、周りの人々からの影響で作り上げられた、その人独自のユニークなものです。

 表面的には同じ性格に見えても、それを形成した背景は、人それぞれ異なります。その背景を粘り強く推し量り、「その人らしさ」を理解して、お互いに代えがたい存在であることを認め合う。認知症ケアには、そんな姿勢が求められると思います。

 では、認知症の人と接するとき、具体的にはどのようにしたら良いのでしょうか。

 話をするときには、こちらから何か話しかけるのではなく、相手が話し始めるのを待って、何を欲しているのか、耳を傾けるのが原則です。

 例えば、認知症の人が「今朝はとても寒いから、朝ごはんはいつものパン食じゃなくて、温かいお粥にしてもらいたいな」と思っているとしましょう。ところが、こちらが先に違う話を始めてしまうと、それに一生懸命答えようとして、自分が言おうとしていることを忘れてしまう。認知症の人は、頭のスイッチの切り替えがスムーズにできないのです。

 だから、何か言いたいことがあるんじゃないかな、というときは「どうしたの?」「何がしたいの?」と問いかける。これで良いのです。

 本人の願望を注意深く聞き取り、大切にしてあげること。これが本当の「パーソン・センタード・ケア」なのだと思います。

 私は、こうした日本の認知症ケアを、世界に広めていくべきだと考えています。

日本はいま、世界有数の長寿国です。その分、認知症の有病率も、世界一高い。だからこそ、日本は認知症への対策が一番進んでいる国でもあり、世界中から注目を集めています。

 特に日本に熱い視線を注いでいるのは、東南アジアの国々です。東南アジアでは、衛生環境の改善などで、社会の高齢化が加速度的に進んでおり、認知症対策が待ったなしの状況です。

 日本ではこれまでも、東南アジアの認知症医療を支援するための取り組みをしてきました。現地の看護師やケア職の人を日本の介護施設などで受け入れ、働きながら訓練を受けてもらって、帰国させる。日本で得た知識を、現地の医療に生かしてもらう試みです。

 ですが、この方法には無駄も多いように思います。日本で介護を学ぶには、「鬱病」や「褥瘡(じょくそう/床ずれのこと)」といった専門用語まで、覚えなければならない。でも、インドネシアやベトナムの人たちが、こんな難しい日本語を覚えたところで、母国では何の役にも立ちません。

 むしろ、日本にいる専門の医師やケア職の人を、現地へ派遣するのが良いと思います。派遣された日本人は、その国の事情を勉強しながら、「日本ではこういうことをやっています」ということを現地の人に教える。その国の実情にあわせて、日本の認知症ケアを輸出するのです。そうすれば、難しい言葉を覚える必要もない。現地の人々もずいぶん助かるのではないでしょうか。

「認知症の人も私と同じ」
 これからの認知症ケアには、専門職や家族だけではなく、地域の人たちの理解や接し方もとても大切になると思っています。

 高齢者の数が多くなったいまでは、どこの地域でも、必ず近所に認知症の方が何人かいらっしゃるはずです。少しずつでもいいから、認知症とはどのようなものか、みんなが学ぶ。そして、「認知症の人の心は、私の心と同じ。あの人も私と同じように、楽しみたい、幸せになりたいと思っているんだ」という気持ちをもって、本人に接してみる。

 こうして、認知症になっても安心して暮らせる社会をつくっていくことが、これからの日本に求められているのではないでしょうか。

 私はいま、子どもたちに認知症のことを理解してもらうための絵本を作りたいと考えています。海外には、すでにそうした絵本があります。認知症の症状が進んでいくおじいちゃんを目の当たりにした孫が、いろいろな工夫をしながら、一緒に生活していく様子を物語にしたものです。僕はそれを真似して、おじいちゃんのところをおばあちゃんに変えて作ろうとしているんだけど(笑)、なかなかはかどりません。なんとか、今年の夏ごろまでには完成させたいと思っています。



 長らく適応薬がなかった認知症だが、1999年には製薬会社のエーザイが開発した認知症治療剤「アリセプト」が認可されている。アルツハイマー型認知症の進行を抑制する薬だ。長谷川氏は、臨床治験が始まった1989年から治験統括医に任命され、治験を成功裡に導いた人物でもある。

 認知症を根治させるための薬の開発を願う患者や家族は多いだろう。しかし、長谷川氏はいまの新薬開発に対する懸念を口にした。



 かつての認知症は、診断しても、医師にできることがほとんどない病気でした。それが、アリセプトの登場で、アルツハイマー型認知症の進行を遅らせることができるようになった。医師が「一緒に考えていきましょう」と声をかけられるようになったのは、大きな出来事でした。


アルツハイマー型認知症は、本人にとっても家族にとっても辛い病気です。

 発症すると、まず「時間」の見当がつかなくなります。先ほど私の症状として申し上げたように、今日が何月何日か、いつも確認しなければならないような状態です。

 さらに症状が進むと「場所」、さらには「人間」についても、はっきりしなくなります。

 場所の見当がつかなくなると、近所で買い物をするために外出しても、自宅に帰ることができなくなります。自宅を探して大慌てで走り出し、あっという間に遠いところまで行ってしまう。山林に分け入って、そのまま行方不明になってしまうこともあります。

 さらに、人間が分からなくなると、自分の奥さんの顔さえも忘れてしまいます。

 こうして、時間、場所、人間についての記憶が、それぞれ約3年ずつかけて失われていく。そんな症状の進行を遅らせることができるアリセプトは、たいへんメリットの大きい薬でした。

 ただし、症状の原因を取り除く「原因療法」になるような薬ではありません。状況を元に戻すことはできない。それで満足するしか、いまのところは仕方がないのです。

 そのために、原因療法のための新薬の開発が期待されています。それに近い薬が発表されると、新聞で取り上げられることもあります。ですが、こうした新薬の副作用については報じられません。これは、非常に危ないことだと思っています。

 アルツハイマー型認知症を発症させる犯人は、脳に蓄積されたアミロイドβというタンパク質です。これを取り去るような薬ができれば、認知症を根治できるかもしれませんが、副作用も必ず起こります。ですから、それを抑える薬も、同時に必要になるはずです。

 しかし、原因療法のための薬ばかりが求められ、副作用を抑えるための薬が蔑ろにされている。いまの日本には、そんな風潮があるような気がしてなりません。これは、いまのアルツハイマー型認知症の治療をめぐる大きな問題点だと思います。


笑いを絶やさず、前向きに
 長谷川氏は2010年に刊行した 『認知症ケアの心』 (中央法規出版)の中で、認知症とともに生きるオーストラリア人女性、クリスティーン・ブライデンさんの言葉を引用している。

〈認知症の人はそれぞれがかつて自分を定義した複雑な認知の表層や、人生を経験するなかでつくられた感情のもつれから離れて、自分の存在の中心へ人生の真の意味を与える魂の核に向かって進んでいく旅の途上にいる。この旅を支えてください〉

 この「旅」をよりよいものにするためには、何が必要なのだろうか。そう尋ねると、長谷川氏はゆっくりと語りだした。



 一言で言うのは難しいけれども、私が認知症の人やその家族とたくさん語り合ってきた中で、1つ、感銘を受けた出来事があります。

 それは、ある講演会でのこと。自分は認知症だという男性が、こう言ったのです。

「笑いましょう。笑うということがとても大切なのです」

 それを聞いて私は、本当にその男性は「笑い」を大切にしているのか、知りたくなりました。住所を教えてもらい、了解をとりつけて、自宅にお邪魔したんです。その男性とは面識もなかったのに、いまになって考えると、ずいぶん大胆なことをしたものです。

 はっきり覚えていませんが、その家は確か、東京の下町のほうにあったと思います。実際に伺うと、男性は本当によく笑っていた。「先生がわざわざ来てくれたんだから、コーヒーでも淹れようか、ハッハッハ!」という具合です。奥さんも「ああ、そうだね。アハハハハ」と、こちらもよく笑っている。そうやって、夫婦で明るく楽しい時間を過ごしていたのです。これは、と思いましたね。

 認知症になっても、本人やその家族が笑いを絶やさず、前向きに生きていく。そのことが、とても素敵に感じられた出来事でした。

長谷川 和夫


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手術が翁長氏の死期早めたか…膵臓がんこそ治療選択が重要

2018年08月18日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
手術が翁長氏の死期早めたか…膵臓がんこそ治療選択が重要

8/18
手術が翁長氏の死期早めたか…膵臓がんこそ治療選択が重要
膵臓がんで亡くなった翁長雄志知事(C)共同通信社
コラム【Dr.中川のみんなで越えるがんの壁】


 翁長さんが、膵臓がんを公表したのは今年5月15日。その1カ月ほど前に膵臓に2~3センチの腫瘍が見つかり、県内の病院で切除手術を受け、退院したその日、県庁で記者会見されました。

「再発や転移を抑える治療を受けながら、12月まで任期を全うする」と公務に強い意欲を示していました。その言葉通り、最期まで普天間基地移設反対に人生をかけていた姿が印象的です。

「手術が成功したのに、なぜこんなに早く」

 そう思われた人は少なくないでしょう。報道によると、膵臓がんが肝臓に転移し、肝機能が低下。今月7日から意識が混濁していたそうです。意識の混濁は、恐らく肝不全による肝性脳症などが原因と思われます。

 結果論ですが、開腹手術が、死期を早めたのではないか。私は、そう思います。

 膵臓がんは、早期発見されると、手術が第一。教科書的には、それがセオリーです。患者さんは、そう説明されます。その説明は、決して間違いではありませんが、手術が死期を早めたと思えるのは、なぜか。理由を説明しましょう。

 診断時点では、肝転移ははっきりしなかったはずですが、ミクロの世界では肝転移があったはず。1ミリの腫瘍は100万個のがん細胞からなります。それが、診断できるのは1センチ程度になってからなので、画像検査で見つけられないような肝転移があったとしても不思議ではありません。

 その根拠の一つが、術後の痩せられた姿。3年前、女優の川島なお美さん(享年54)は、胆管がんで亡くなる直前の記者会見で、激ヤセぶりが話題になりました。2人に共通する激ヤセの背景にあるのが、がん悪液質だと思うのです。

 がん悪液質とは、簡単にいうと、がんが引き起こす栄養障害で、多くのがん患者さんが経験します。がん細胞は増殖するエネルギー源として、全身の筋肉や脂肪を分解。その過程でできる糖を取り込んでいきます。がん患者が痩せるのは、そのためです。

 しかし、そこに至るのは多くが末期。翁長さんはステージ2でしたが、開腹手術をしたことで免疫力が低下し、潜んでいた転移が一気に増大したことで、がん悪液質を早く呼び込んでしまったのではないでしょうか。そう思えてなりません。

 そんな悲劇を食い止める手段が、高精度放射線治療です。トモセラピーやサイバーナイフなどの高精度放射線は、がんの形に合わせて線量強度を変えながら、より集中的に照射でき、正常組織へのダメージを最小限にできます。開腹することがなく、体の負担はきわめて軽い。つまり、がん悪液質に陥るまでの期間を先延ばしできます。

 やり遂げたい思いがある人にとって、この点は重要でしょう。そんな観点で見ると、難治がんの膵臓がんこそ、治療選択が大切。高精度放射線治療が意味を持つのです。

(中川恵一/東大医学部附属病院放射線科准教授)

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居合道不正の当事者語る カネで段位、後悔ない居合道不正の当事者語る カネで段位、後悔ない

2018年08月18日 | 事件
fin***** | 2時間前
身心を鍛え、人格を磨くはずの道が、権威を傘にきた金銭欲にまみれた連中のビジネスに堕落したさまは醜悪なことこの上ない。
恥を知らない連中が多すぎる。
金を要求する方もクズだし、唯々諾々と金を払って段位をもらう方も精神が腐っている。
そういう連中が子どもたちにしたり顔で「武道とは」などと精神論をぶっているのだと想像すると、なんというタチの悪い冗談なのか。




居合道不正の当事者語る カネで段位、後悔ない

8/18(土) 7:55配信 産経新聞
 ■「何十年も知らず頑張る七段がかわいそう」

 全日本剣道連盟(全剣連)の「居合道(いあいどう)」部門の八段昇段審査などの金銭授受による不正合格は、昭和40年代から横行していたことが明らかになった。一昨年の審査に絡む“不合格騒動”を機に全剣連が昨年1月から内部調査に乗り出し、不正が露見した。発端の金銭授受に関わった当事者が産経新聞の取材にあしき慣習の実態を明かし、「自分もカネで段位を買った」と吐露した。

                  ◇

 ◆250万円受け取るも…

 「お金を用意した方がいいんじゃないか」

 平成28年春。5月に迫った八段への昇段審査を前に、九州地方に住む男性は、自分の道場に通っていた後輩に、そう声を掛けた。

 男性は当時、居合道最上位の八段と最高位の称号である範士を持っていた。何度か八段試験に落ちていた後輩に「(審査員に)つてがある」と現金の用意を提案した。

 後輩も「合格するためには『必要かな』と感じ始めていた」といい、250万円を男性に渡した。

 しかし、事態は前に進まなかった。

 5月の審査を終えた後輩の元に届いたのは「不合格」の通知。激怒した後輩の親族らが、居合道部門を統括する居合道委員会に直談判し、顛末(てんまつ)を説明。問題が露見する契機になったとされる。

 なぜ、不合格という結果に終わったのか。男性は産経新聞の取材に対し「現金を受け取った後、自分の中で『こんなことをしてはいけない』という気持ちになり、何も働きかけをしなかった」と説明した。

 ◆後輩に仁義のつもり

 男性は当時、居合道の普及や振興を一手に担う居合道委員会の委員に就いていたが審査員ではなかった。

 ただ、「自分が(審査員に)口利きすれば後輩の昇段を有利にできると思った。稽古によく顔を出していたし、仁義のつもりだった」と打ち明ける。

 しかし、不正合格は「3年がかりの作業」(男性)。毎年、合格者枠は一定数が決まっており、直近の審査前にいきなり現金を配ったところで、すぐ昇段できるわけではないという。

 男性は「盆暮れの付け届けも欠かせない。複数の関係者にそういうことを重ねるのは大変なことで、やり遂げられないと思った」。250万円を受領した3日後には後輩に全額を返却したとしており、後輩の親族らはそうした経緯を知らずに居合道委員会に駆け込んだ可能性がある。

 また、男性は自身の八段への昇段審査でも、金を支払ったことを認めた。金銭で得た段位にも「後悔はない」とし、「そういうシステムだった。実力だけで八段になった人なんて、ほぼいないのではないか」と吐露した。

 さらに「(金銭授受による不正の)仕組みを知らず、何十年も真面目に頑張り続けている七段の人が一番かわいそうだ」とも話した。

 ◆責任押しつけられた

 一方、八段への昇段審査で不合格になった後輩は「もう終わったこと」とした上で、「悪いことだと思ったが、地元の範士八段からの誘いに応じないわけにはいかなかった」と振り返った。

 後輩の親族らの訴えを受けて昨年1月から調査していた全剣連側は同11月、男性に対して八段と範士資格の自主返納という重い処分を下した一方、後輩については口頭注意処分にとどめた。

 男性は居合道委員会の委員も辞任に追い込まれたといい、「自分に全ての責任を押しつけようとしている」と全剣連への不信を口にした。



メタリオン | 2時間前
他にもいっぱいありそう。

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返信3
wez***** | 1時間前
全ての武道が、この仕組みでも、全く驚かない。

240
7
返信6
dar***** | 2時間前
ほとんどの競技でそうなんだが、試験内容は大差ないのに例えば3段試験を受ける金額と4段試験を受ける金額では全然違う。これが5段になると更に上がる。
自分はそういうことが当たり前になってることからおかしいと思う

246
12
返信9
rin***** |1時間前
審査を受ける前から、受審料、登録料、年会費とかはきちんと公開されている。それらと、こういうウラ金のことを一緒にしないでもらいたい。

13
54
tes***** |1時間前
↑コメ主さんはそういう事言ってるんじゃないと思うよ。

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2
dam***** |1時間前
>審査を受ける前から、受審料、登録料、年会費とかはきちんと公開されている

いや、支払った金額の、その内訳がどうなっているかに疑問を感じているのであって、金額設定がどうなっているかが公開されていた所で何の意味もないのだが。

43
2
take***** |1時間前
俺もそう思う。あらかじめ額を公開しているから皆平等であるし、別に受けなくても武道を続けることはできる。ただのビジネスだと割り切ってみれば別に問題を感じない。

プロの将棋みたいに勝ち星総数や大会成績でのみ評価する方法が一番いいんだろうけどね。ただ武道は勝ち負け以外の要素があるか。。。

13
11
すきお |1時間前
>自分はそういうことが当たり前になってることからおかしいと思う

この部分を汲み取ってあげないと
議論にならないでしょう?

なぜ金額に開きがあるのか、
どういう意図があるのか、
とう話が言いたいのだと思いますが・・・。

41
0
山本二十八 |1時間前
ユーキャンみたいなもんだろ(笑)

7
3
j |34分前
ものやサービスの金額ってのは、本質的には需要と供給によって決まるものであり、サービスの提供側は原価を公表する義務はない。だから公表されている金額であれば、問題ない。

一方、公表されていない事実を伏せて審査料を取って審査を取るのは問題。だから、裏金は問題。

そういう整理だと思います。

5
3
no***** |26分前
>審査を受ける前から、受審料、登録料、年会費とかはきちんと公開されている

5段の受験料を3段と同額にすると
どんな不都合があるのかも公開されてますかね?
ただ数字がでかくなるから増やしとけ程度の金額設定にしか見えん

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0
***** |17分前
その金で食おうとするからオカシクなる。
一子相伝・北斗の拳。
授業料は要らなかったのか?

1
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コメントを書く
kir***** | 1時間前
剣道連盟だよね。
剣道も昇段試験で40万円かかるから2年置きしか受けられないって聞いたけどこれは普通の話なの。

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返信5
kokoron |40分前
道場開いていると、別に看板料もおさめてるんだろう多分
なんか、893の世界みたいだな

28
4
ans.......... |18分前
剣道三段だけど、高校生の時に取得した。

剣道五段の当時の顧問に聞いたら、
「七段、八段なんぞ、名誉職みたいなもんだ」
「七段、八段、それ以上は、皆、爺ばっかだ」
「強い奴は、大概三~五段クラス」
「三段取ったら、一般でも十分」…と。

昇段試験、金かかり過ぎ。
中学で普通にやれば初段までは取れるが、試験費用に2~3万位はかかったはず。試験用に木刀もいるし。

だから四段の昇段試験、受けなかったな。

16
2
***** |11分前
六段どこいったという無粋なツッコミ
普通にやってれば二段までとれるだろ
木刀も普通に貸し出し無料であったし
三段から難易度あがってたな・・・

2
0
k09***** |8分前
師範制の業界はどこもそんなもん。

1
0
mar***** |7分前
多分それは遠征、宿泊費も入れてだと思う。
上位段になると会場が大阪・東京ぐらいしかないし。

とりあえず剣道の場合は、

初段→1年→二段→2年→三段→3年→四段→4年・・・

って流れだから、ほんと続けてないと取れないし合格率もどんどん下がるから大変w

金額も合格後の段位取得も段位×1万円のイメージだったから結構掛かります。


dft***** | 1時間前
この国の全てのスポーツ、格闘技団体は利権で埋め尽くされている。腐りきった滅亡国家。

3
0
返信0
***** | 1時間前
結局老害にやらせるとロクなことがないんだな。
戦後日本を復興させた真面目な人たちはどんどん亡くなる年齢で、
甘い汁を吸って努力しなかった層がいま権力を持ってる。

そして、老害たちの尻を拭かされている若い世代が
洗脳されて働かされている。

国会議員を見てると判るが、
今の日本は本当にクソ老害共で構成されている。

金を払って段位買った奴らは最初からやり直しだな。
金を受け取ってたやつらは、打ち首、市中引き回しの上
三条河原にうちすてだろ。

2
0
返信0
このコメントは非表示対象です。投稿内容に関する注意

kyo***** | 49分前
それでも日本人の武士道精神の積りか?
腐り切ったこんな団体は即刻解散してやり直せ、
情けない連中で日本人の大恥だ。


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『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』

2018年08月18日 | 社畜奴隷の二ホン、、世界で稀な勤勉な馬ヵ
nuk***** | 52分前
牟田口はインパール作戦の批判を一身に受けたスケープゴートだった。

というが、立案、実行したのは彼だし
普通に退役して罰せられず恩給もらい
議員にもなったんじゃないかな?


key***** | 1時間前
行き詰まって退却した部隊長を杖で滅多打ちしたり、自分の葬儀の参列者に自己がいかに正しかったかと言う書面を配らせたりした。
愚将だけでなく、クズです!


kur***** | 9時間前
佐藤師団長が独断で命からがら撤退して鬼の形相で牟田口を斬ろうとしたのも良くわかるってもんさ。馬鹿共のお陰で現場の人間が苦しむのは今も同じだ。私は独断で撤退命令を出した佐藤師団長に敬意を表する。




shu***** | 10時間前
作戦の一翼を担う師団長として参加した佐藤幸徳中将(独断で師団を撤退させて解任された)は作戦後「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」という言葉を残した。

こんなばかげた作戦を承認した上層部の責任は重いが、牟田口がスケープゴートだったというのには同意できない。
作戦発案者で現地(後方だが)で指揮した牟田口の責任が一番重いのは間違いない。

一作戦で3万人もの戦死者。 戦死と簡単に言うがそのほとんどは直接戦闘による死ではなく餓死、疫病死だ。 インパール作戦に限らず退却時には弱って動けない兵は置き去り、見捨てられた。
生き残るために動ける兵が弱った兵から略奪した。 さらには人肉をむさぼった。

牟田口を筆頭に軍上層部の連中は万死に値する。






yut***** | 4時間前
陸軍って無能な働き者の巣窟なんか?
他にも辻政信、服部卓四郎も最悪。
ロシアとモンゴル敵にまわして何千人と言う
部下を見殺しにした。

2
0
返信0
lit***** | 4時間前
東條、河辺、牟田口の三馬鹿トリオのせいだろう
日本の憲法制度の欠陥がそうさせた
企業の中にもこういう連中がいる
そいつらを主流にさせないことが経営陣の仕事
陸軍にも石原莞爾のようにまともな戦略をもったひともいれば
根本博のようなまともな人間もいる
そういう人達が軍の主流になるようにしなければならないんだよ

軍部は天皇の名前を悪用し
天皇が口出しすると日本は立憲制だからと意見を封じるという
チグハグなことをやっていた。




インパール作戦を立案・指示した「陸軍最悪のコンビ」の深層心理
8/17(金) 11:00配信 現代ビジネス
インパール作戦を立案・指示した「陸軍最悪のコンビ」の深層心理
写真:現代ビジネス
不祥事の「責任」は誰にあるのか?
 昨年から今年にかけて、日本では組織内で何らかの不祥事が起きたとき、誰がどのように責任を取るのかという問題が注目を集めた。

 そのひとつが、いわゆる森友学園問題である。これは、学校法人森友学園が小学校新設に際し、不当に安い価格で国有地を手に入れたことに端を発する。政界を巻き込む大スキャンダルとなり、最終的に問題に関わっていた財務省側の局長クラスの幹部らが懲戒処分を受けた。

 もうひとつ、私たちの記憶に新しいのが、日本大学アメフト部悪質タックル問題である。今年5月6日に開かれたアメフトの試合で、日大選手が故意に相手選手にタックルし負傷させた。その後、日大選手にタックルするよう命じた監督とコーチからが責任を取って辞任した。

 しかし、どちらの問題も責任者の処罰だけで終わらせてよいのかという声が今でも根強い。

 組織の誰かが不祥事の責任を取って終幕を図るというやり方は、今に始まった話ではない。過去の事例をひとつあげる。

 筆者は、今年7月に『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』(星海社新書)を上梓した。そのなかでは、主人公である陸軍軍人の牟田口廉也中将と、彼の上司にあたる河辺正三(まさかず)大将の関係に着目した。

 このふたりは、アジア太平洋戦争期の日本陸軍のなかでも、「最悪のコンビ」として一部で評されている。

インパール作戦を立案・指示した「陸軍最悪のコンビ」の深層心理
牟田口廉也(Photo by gettyimages)
「最悪のコンビ」の誕生
 牟田口廉也は、1888年佐賀県に生まれた。陸軍大学を卒業すると、陸軍参謀本部に入り、その後、近衛歩兵連隊長、陸軍省軍務局員、参謀本部庶務課長などを務め、陸軍エリート将校として順調に出世の階段を登った。

 しかし、1936年に東京で陸軍若手将校の軍事クーデターである二・二六事件が起きると、牟田口は、クーデターの支持派とみなされ、陸軍中央から中国北京に駐屯していた前線部隊の連隊長に「左遷」された。

 その前線部隊で牟田口の上官となったのが河辺正三だった。

 河辺は、1886年富山県生まれ。牟田口の上官とはいえ、ふたりの年の差はわずか2歳であった。河辺は陸大卒業後、参謀本部や連隊長職を歴任し、牟田口と同じ1936年、支那駐屯軍北京旅団長に任じられた。

 牟田口は強気で勇猛果敢だったのに対し、河辺は大人しく学究肌と、対照的な性格だった。実戦経験のなかった牟田口は、河辺から連隊長としてのイロハを学び、河辺も慕ってくる牟田口に目をかけた。

 ふたりがコンビとなってからほどなくの1937年7月、北京近郊で盧溝橋事件が発生した。

 日中戦争の火蓋を切ったこの戦いで、牟田口は北京を留守にしていた河辺に代わって、事件処理の陣頭指揮をとった。しかし、事件の穏便な解決を望んでいた河辺に対し、牟田口は実力行使で臨み、事態を悪化させた。

 本来、上官であるなら、部下が意に沿わない行動をしたら叱責するなどして命令に従わせればよい。

 しかし、牟田口のもとに現れた河辺は、叱責することなく「一言も発さない、一言も発さないで口を結んで、「余計なことをした」と言わんばかりの表情」をしただけだった。それはなぜか。

 河辺は牟田口がすでに前線に発した命令を撤回することは、「如何に見解の相違とは謂え、高級指揮官として採るべき策ではなかった」と考えたからだった。

 これは、今まさに戦闘が繰り広げられている前線を混乱させたくないとする河辺の高度な判断であったといえる。しかし、結果的に戦火が拡大したことを考えると、日本軍の現地責任者として河辺の判断が正しかったかどうかは疑問符をつけざるを得ない。

牟田口の「悔恨」が招いた無謀
 強硬姿勢を貫き独走する牟田口と、部下を抑えることなく放任した上官の河辺。このいびつな関係のふたりが、再びコンビとして相まみえた場面が、日本軍の稀代の「愚策」とされるインパール作戦だった。

 インパール作戦とは、アジア太平洋戦争後期の1944年3月、ミャンマー(当時はビルマ)にまで支配を広げていた日本軍が、隣国インドの北東部にある都市インパールを攻略するために始めた戦いをいう。このとき、河辺は現地日本軍トップのビルマ方面軍司令官、牟田口がその直属の第十五軍司令官を務めた。

 ミャンマーとインドの国境は、切り立った山々の連なる密林地帯で、そのなかを進軍することは容易でなかった。それにもかかわらず、なぜ日本軍はインパールを攻めようとしたのか。

 その理由のひとつが、インドから中国へつながる援蔣ルートを遮断することだった。

 援蔣ルートとは、日本と戦いを続ける中国国民政府(蔣介石政権)への米英からの物資支援のことをいう。日本軍は日中戦争が長期化した原因に援蔣ルートの存在が大きいとみなし、複数あったルートを次々と遮断していった。

 しかし、米英はインドから飛行機でヒマラヤ山脈を越えて中国昆明まで空輸するルートを新たに開き、中国への支援を続けた。日本軍はインパールを支配下に入れることで、インドからの援蔣ルートを完全に抑え込もうとした。

 また、インパールを攻略するもうひとつの理由として、いわゆる対印施策(印はインドのこと)の実現があった。対印施策とは、インド独立派のスバス・チャンドラ・ボースらを支援して、インドをイギリスの植民地から「解放」させる方策をいう。これは当時日本政府首相を兼務していた東条英機陸相の肝いりで進められた。

 あるとき、ビルマ方面軍高級参謀の片倉衷(ただし)大佐は、対印施策について河辺から次のように告げられた。

 「自分が着任前、東条首相と会談したが、その節、ビルマ政策は首相として対インド政策の一環として関心があり、また大東亜戦全局の戦局指導上、ビルマ方面に期待すとの話合があり、私、河辺も対印施策に関心がある」

 東条の意を受けた河辺は、ビルマ方面軍司令官として対印施策の実現を目指した。そして、東条と河辺は、インパール作戦は対印施策のきっかけをつかむものとして期待した。

 もともと、インド方面への進攻は、「二十一号作戦」という名で計画された。この作戦について、はじめ意見を問われた牟田口は、作戦の実行が困難であるとして消極的な考えを示した。

 しかし、これまで強気な態度を見せ続けた牟田口は、このとき自分が初めて弱気な一面を表してしまったことを悔やみ、何としてでも作戦を実現させようと心に誓った。そして、意地でもインドに攻め込むという牟田口の執念が、無謀なインパール作戦の計画が立てられる発端となった。


河辺は唯一、作戦を支持した
 作戦は雨季に入る前の春先一ヶ月間とされた。しかし、上述のとおり、インパールまでの道のりは険しく、正攻法で挑んでも作戦を達成することが難しかった。

 そこで、牟田口は行軍を少しでも早めるため、作戦に参加する将兵に持たせる食料や装備をできるだけ少なくした。そして、作戦中に将兵の食料が足りなくなったら、道端に生える野草を食べるか、作戦部隊が引き連れてきた羊や牛などの家畜を殺して食べるよう命じた。

 この計画を、牟田口はかつてモンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンが家畜を率いて戦いに出た故事から「ジンギスカン作戦」と名づけて自賛した。

 この荒唐無稽な作戦計画は、当然ながら軍司令部の誰もが反対した。しかし、そのなかで、唯一、牟田口の計画を支持したのが河辺だった。河辺の存在は、インパール作戦の実現に邁進する牟田口の心の支えとなった。

 1944年3月、日本軍は兵力約9万人を擁してインパール作戦を発動した。しかし、多くの軍司令部幕僚の不安は的中し、インパール作戦は日本軍に3万人あまりの戦死者を出して失敗に終わった。食料を失った日本軍将兵は、撤退途中で次々と倒れ、命を落とした。屍が並んだ道は別名「白骨街道」と呼ばれた。

 牟田口は、インパール作戦の責任を取って、第十五軍司令官の職を解かれた後、陸軍を退官し、召集先の陸軍予科士官学校で敗戦を迎えた。

インパール作戦を立案・指示した「陸軍最悪のコンビ」の深層心理
写真:現代ビジネス
あなたも「牟田口」にされるかもしれない
 戦後、牟田口はインパール作戦を実行した敗戦の将として、世間から猛烈に批判され、「愚将」という不名誉なレッテルを貼られたままこの世を去った。

 インパール作戦は、牟田口が勝手に始めたのでなく、上官の河辺、さらには東条首相の支持がなければ実現できなかった。よって、本来であれば、インパール作戦の敗北の批判は、牟田口だけでなく、河辺らにも向けられなければならなかったはずだった。

 しかし、河辺はインパール作戦後、ビルマ方面軍司令官の職を退くが、特に作戦の責任を問われることなく、終戦前に陸軍大将にまで進んだ。そして、河辺は世間から「愚将」と罵られた牟田口とは対照的に、戦後静かな余生を送った。

 河辺にとって、牟田口はインパール作戦の批判を一身に受けたスケープゴートだった。

 昨今、様々な不祥事が起き、誰かひとりが批判の矢面に立つと、加熱する報道やSNSでの書き込みも手伝って、国民総出でそのひとりを徹底的に追いつめる風潮がある。みんなが集まりよってたかって敵を叩く習性は、よそ者に厳しい日本人独特の「島国根性」の表れなのかもしれない。

 しかし、敵を批判することに熱中するあまり、私たちはその不祥事がなぜ起きたのかという問題全体を見通す視野を失っていないだろうか。しかし、実はその「敵」はスケープゴートに過ぎず、「敵」の裏に潜んでいるのが、本当の批判の対象かもしれない。

 愚かな判断の裏には、それを黙認し、かつ支持しながら、いざ失敗が明るみになると、「自分は関係ない」と姿を隠す人間が必ずいる。

 いま、あなたは気づかないうちに「牟田口」になっているかもしれない。もしそうなら、あなたの後ろには「河辺」がいる。

広中 一成



sho***** | 22時間前
見栄とか面子が入ると大概失敗するね。
牟田口とかもお勉強はできたのかも知れないけど、自我が強い性格だったんだろう。3万人も無駄死にさせといて死ぬ勇気もなかったしね。

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返信20
eag***** | 21時間前
陸軍だったら

牟田口廉也
辻政信
木村兵太郎

の指揮下は絶対に嫌だな。
よく後ろから撃たれなかったなと思う。

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返信34
lak***** | 22時間前
辻政信と服部卓四郎のコンビもひどいよね。共通しているのは戦犯として裁かれなかったこと。

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返信29
ado***** | 21時間前
インパール
まだまだ知らない人、いっぱい居ると思う
ドラマとか映画でキチンと残して欲しい

BSの番組では伝えきれてないと思う

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返信24
dig***** | 21時間前
トップが責任取らない背景がわかりやすいです。政治家が流れを継いでますね。庶民がいつも痛い目みます。

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返信8
sat***** | 21時間前
山本長官と南雲中将の関係とか、この手の話はたくさんあるかな。
ただ、インパール作戦はハナから勝算もないので、牟田口さんの最後の花道の意味合いで作戦を承認したんじゃなかったっけ?こんな理由で軍を動かすなんて、兵士はたまったもんじゃない。
誰もが反対してるのに、鶴の一声で合理的常識的な判断も吹っ飛ぶ。そういった話がインパール作戦の問題。

man***** | 7時間前
確かに、牟田口をスケープゴートにし餓死者続出のインパール作戦について思考を終わらせることは、間違い。

その上の河辺、東条の責任も追及は正しいが、この兵站無視のあの戦争の全体像の追求も行うべし。

即ち、あの戦争の210万人の兵士の死者のうち、140万人が餓死者、そしてこの兵站(食料、武器の補給ー戦争遂行のイロハのイの字)無視の作戦を立てたのが、天皇がトップにいた大本営だ!

天皇こそが、真のインパール作戦をはじめとする最高責任者、戦後最もその責任を追及されなければならないはず。
これについては、「日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた 鬼塚英昭 U-Tube」で明らかに。

同じように日大の事件も、その上の最高責任者の田中理事長の責任逃れー会見を一切開かないーまるで昭和天皇ノごとし、監督などがスケープゴート。

「内田前監督を守る日本大学のドのン闇社会・・・リテラ」検索へ。


無名の一般人 | 7時間前
7万の将兵を死に追いやっておいて
自決する潔さも無い。

大本営は、ノモンハン以降、
作戦の責任の所在を
明確にすることもない。

東芝の不正会計とか、日産の検査飛ばしなど
一連の不正で法的責任を取らないのは
日本組織の典型例な例。

真の悪人は表に出てこない、黙認主義の
責任ある立場の人なのかもしれない。


reg***** | 10時間前
牟田口レンヤはクズ!
日本陸軍もクズ!

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返信0
日本の終末期に向き合おう! | 10時間前
名前は格好良いが犬死に作戦。
無駄に日本兵が死んだだけ。
歴史を勉強すれば後にも先にも
無い愚策。今の日本人は絶対に
やらない。(^-^)

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返信0
kar***** | 10時間前
これを現代の政治にこじ付ける辺りが浅い人間の書く記事、本という感じが溢れ出ている。

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hir***** | 10時間前
いまだに、あほのトップが君臨してるなぁ。
ボクシングは朝鮮人やけど

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NHK受信料委託業者はヤクザ | 10時間前
神風特攻隊と同様、愚策。食料、武器は
現地調達で村を襲って中国からインドを
目指した。補給も無く10万人が前進
あるのみ。死体が道の両脇に積み上がり
結局、イギリス軍への攻撃は出来なかった。
人類史上最悪の作戦。馬鹿なA級戦犯の過ち。
┐(´д`)┌




kur***** | 11時間前
特殊な人間ではない。
会社で、サービス残業をせざる負えない雰囲気を作り出す、猛烈社員から上司になった人間は、戦時中なら玉砕指揮官になるのである。

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tut***** | 11時間前
日本人は撤退することを知らない。イケイケドンドンで突っ走る。おまけに補給の知識もないからたいていの戦争で負ける。
その伝統は戦後もしっかり受け継がれている。戦略もなく市場調査もしないで企業が出たとこ勝負で外国に進出する。そして膨大な赤字を抱えて逃げ帰る。まことに無様で、こういうのを撤退とは言わない。日本人は昔からかようにお粗末なのである。

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ac***** | 11時間前
>この荒唐無稽な作戦計画は、当然ながら軍司令部の誰もが反対した。しかし、そのなかで、唯一、牟田口の計画を支持したのが河辺だった。河辺の存在は、インパール作戦の実現に邁進する牟田口の心の支えとなった。

こういうのが多すぎる。
誰もが反対したとかいうけど、どうして誰も止めなかったんだろう?
自分の範疇じゃないから他人事だったということ?
無能な人たちの誤った判断のせいで、どれだけの命が失われたか。
本当に腹立たしい。

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返信0
ぽんぽこ | 11時間前
帝国陸軍の所謂参謀たちが無能以前に作戦指揮系統すら把握せずに戦禍を拡大していった結果が敗戦でしかない。
辻のような理論と理想を踏み間違えた男を生み出したことが帝国の問題だろう。

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djk***** | 11時間前
私の祖父も、インパール作戦で亡くなった。こいつらを末代まで怨みたい気持ちだ。

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ii……… | 11時間前
憲政史上最悪のコンビが今の日本にもいますね。

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atamikousuke2 | 11時間前
会社でもあるね

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lil***** | 11時間前
日本人の「もったいない」「贅沢だ」「我慢しろ」が兵站を軽視するという悪弊に繋がっているな。
常の美徳が反対に作用する。

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井ヶ田代作 | 11時間前
安倍総理も牟田口だよ。勇ましい事は言うが大した事はない。

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派遣の雇い止め増加へ=来月末で3年期限到来―法改正後も正社員転換に壁

2018年08月18日 | 政治社会問題
派遣の雇い止め増加へ=来月末で3年期限到来―法改正後も正社員転換に壁

8/17(金) 7:07配信 時事通信
 改正労働者派遣法の施行から丸3年となる9月30日を機に、派遣労働者が契約更新を断られる「雇い止め」が増えそうだ。3年の期限を越えて同じ人を同一部署で働かせることができなくなるためだ。好景気とはいえ、雇用の調整弁として使いたい企業のニーズはまだまだ根強く、同法が目指した正社員への転換には壁がある。

 同法は「常用雇用の代替になることを防ぎ、労働者のキャリア形成を図る」(厚生労働省)ため、2015年9月末に施行された。

 派遣から3年経過した労働者に引き続き同じ仕事をさせるには、派遣先の企業が正社員などとして直接雇用するか、派遣会社が労働者と期間の定めのない無期雇用契約を結ぶことが必要になる。簡単には解雇できなくなるため、二の足を踏む企業や派遣会社は少なくない。

 企業の受け入れ期間の制限は撤廃され、労働組合の意見聴取の手続きを踏めば、3年単位で人を入れ替えて派遣労働者を使い続けることができる。労働組合「派遣ユニオン」(東京)の関根秀一郎書記長は「いい(法)改正ではなかった」と指摘する。

 派遣ユニオンには今月に入り、1日数件の雇い止めの相談が寄せられている。金融機関に10年間派遣されていた40代の女性は、現在の派遣会社に移って3年になる来年2月以降、契約を更新しないと通告された。「今後も同じ職場で働きたい」と希望しており、派遣ユニオンを通じて派遣会社と交渉に入る予定だ。

 一方、人手不足の流通や運輸業界では直接雇用の動きも見られる。ファッション関連の販売員らを派遣するiDA(東京)は7月、3年の期限を迎える派遣社員320人を希望すれば正社員に登用すると発表した。

 08年のリーマン・ショック後には雇い止めや、企業の都合で契約を途中で打ち切る派遣切りが続出。「年越し派遣村」ができるなど社会問題化したが、厚労省幹部は「そういう事態にはならないのではないか」とみる。

 ただ事務職の求人倍率が0.45倍(6月)にとどまるなど、むしろ余剰感の強い職種もある。企業の方針によっては、雇い止めの発生は避けられない見通しだ。 



mat***** | 1日前
そうなることくらい法律作るときにわからなかったものかね
法律が逆効果になったら意味がないと思うが

10221
340
返信319
以前のコメントを表示(309件)

tob***** |1時間前
ピンハネ。これを許す国は国民に対して謝罪すべき。
建設業も派遣もどこもかしこもブローカーが一番儲かる。
技術なんていらないんです。
この国がよくなる訳が無い。

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@ |1時間前
そもそも派遣法改悪の小泉がブレーンとしていたのが今は派遣の親玉である竹中と言う事実。
少なくともあの当時から竹中の存在を危惧する声はあったのだが、小泉の威勢の良さと北朝鮮拉致被害者奪還の勢いで莫大な人気と権限を与えてしまった。
まあ、小泉が拉致事件発覚後でさえ北朝鮮に対する食料支援や朝銀に公的資金一兆四千億も投入したのを見れば拉致被害者奪還でさえ小泉人気を盛り上げ、派遣法改正や郵政民営化利権のための北朝鮮との出来レースだったと思えるがな。

1
0
ich***** |1時間前
旧民主党政権は無能だった。

本人たちは、まともな政策のつもりでやっているから、余計に始末に悪い。

時限爆弾は破裂した。

企業の雇い止めはもっと激しくなる。

クビだ、クビ、クビ。

旧民主党政権の悪行の罪は万死に値する。

3
2
ich***** |1時間前
人生の負け組である非正規雇用労働者たちは、全てを安倍総理や政権与党のせいにして、愚にもつかない言い訳ばかり(爆笑)

言い訳がいくら上手くなっても、現実は何も変わらない。
他人や環境を変えることは難しいが、
自分の行動を変えることは、自らの意志だけで直ぐにできる。
やるべきことは言い訳ではなく、自ら動くこと。

他人より10倍努力して、結果が出なかった、100倍努力する。
100倍努力して、結果が出なかった1000倍努力する。

王貞治語録
『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べない』

結果が出るまで、何十年でも努力し続ける。

幸運の女神は、努力し続けた者だけに微笑むものだ!

そして、最後は自己責任(笑)

0
5
建て替え立て直し学者 |1時間前
アメリカ文化では転職しやすいような仕組みとなっているが、

日本は、派遣先のたらい回しで、個人の技術の蓄積、前職の応用が利かない。製造ラインの歯車でしか無い。

これが日本政府が掲げる「働き方改革」の成果です

3
0
iue***** |1時間前
日本はいまだに石の上にも三年とかいう奴はたくさんいるからな。
経団連(当時はキヤノンの御手洗)は自分たちが雇用の流動化や自由な働き方を推進しておきながら、それを適応したのは下層だけで他には拡大しなかった。
要は高卒やフリーターをうまく使うための仕組みにしただけ。
今となっては転職はすればするほど「上手くやっていけない人」「面倒な人」という転職は悪という流れになり、職歴や学歴が多いと就職すら困難になった。
この国が求める努力ってのは、どんなに嫌な事があっても一つの処でしがみつく精神力。日本人が好きな精神論です。
こんな事求めるからどんどん日本企業は買収されていくし、破綻する。バカな国だな

4
1
ひとこと言う太郎 |52分前
竹中平蔵のせい

1
1
hoe***** |29分前
財界と労働組合の思惑通りの
竹中に対する認識の誤りが、
日本国民の愚かさ。
いい様に、財界と労働組合・連合の想定通り。


竹中は、終始、同一賃金を前提にした労働改革が訴えたが。

財界と労働組合が、同一賃金を骨抜きにして、
非正規を犠牲にする形で、
竹中を戦犯にして、
規制緩和を進めた。



労働組合・連合が情けない。
マスコミや学者から批判を受けて、
今更、非正規の待遇改善を訴えているが、単なる建て前。
情けない。

1
1
hoe***** |29分前
いい加減に、身分制度は、止めた方がよい。

0
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gef***** |10分前
政治の負け組である自公政権、経済の負け組である経営者たちたちは、全てを失業者や非正規労働者のせいにして、愚にもつかない言い訳ばかり(爆笑)

言い訳がいくら上手くなっても、現実は何も変わらない。
失業者や非正規労働者を変えることは難しいが、
自分の行動を変えることは、自らの意志だけで直ぐにできる。
やるべきことは言い訳ではなく、自ら動くこと。

他人より10倍努力して、結果が出なかった、100倍努力する。
100倍努力して、結果が出なかった1000倍努力する。

『政治や経営は必ず変われる。もし変われない政治や経営があるのなら、それはまだ政治や経営とは呼べない』

結果が出るまで、何十年でも努力し続ける。

幸運の女神は、努力し続けた者だけに微笑むものだ!

そして、最後は政治や経営責任(笑)






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“アパマン坊主”で「お坊さん離れ」加速? 住職たちが明かした業界の問題点

2018年08月18日 | 社畜奴隷の二ホン、、世界で稀な勤勉な馬ヵ
葬儀屋もボロ儲け。

冷静に考えれば葬式に何百万もかかるわけがない=葬儀の花や装置など終われば回収する。まさにボロ儲け!!

因習、習慣などクソくらえだが、うるさい親戚や近所の手前やってしまう。





“アパマン坊主”で「お坊さん離れ」加速? 住職たちが明かした業界の問題点〈
8/17
“アパマン坊主”で「お坊さん離れ」加速? 住職たちが明かした業界の問題点〈AERA〉
近年、“墓じまい”をする人が増えているが、離檀料として100万円請求されるケースも。檀家制度は崩壊しつつある(撮影/今祥雄)
 檀家関係の煩わしさなどから、菩提寺を離れ「墓じまい」する人が増えている。そうした“寺離れ”や“お坊さん離れ”の原因とは何か。業界の現状や問題点などを3名の現役住職が匿名座談会で明かした。

*  *  *
●座談会参加者
住職A(50代)=19歳で出家。中国地方の真言宗系のお寺で修行した後、数年前に近畿地方で別院を開き、住職に。檀家はほとんどなく、仲介サービスを広く活用

住職C(40代)=伯父の後を継いで数年前に関西のお寺の住職に。いち早くHPにお布施料を明記するなどの先進的な試みに着手。ペット霊園なども運営

住職B(30代)=18歳で出家し、高野山で修行。若くして祖父のお寺を継ぐ。お祭りや行事ごとに積極的に励んで、檀家を獲得。現在、2人の弟子を抱える

──近年「墓じまい」というかたちで、菩提寺と縁を切る檀家が増えていますが、その原因はどこにあると考えていますか?

A:お寺の世襲制に尽きるでしょうね。信仰心がなくても、まとまった檀家さんがいるお寺を継げば、左うちわの生活ができたんですから。檀家も代替わりしたら、嫌になりますよ。仲介サービスを利用する喪家の方から、頻繁に聞きますもん。「壁を修繕するので一律100万円の寄付をお願いします、みたいなハガキが何度も届いて檀家制度が嫌になった」と。

B:本来、お布施をもらう行為は“布施行”といって修行の一つなんです。葬儀も僧侶にとって、亡くなった方を仏として送り出すことで弟子(仏)を増やす修行の一つ。だから、檀家に限らず、広く宗教活動を行うことが僧侶として本来あるべき姿なんです。そういう本質に目を向けず、檀家からのお布施収入に胡坐をかいて、広く供養心を育もうとしなかった業界の責任は重いでしょう。なぜ、通常の戒名よりも院号居士のほうが高いお布施を要求されるのか、わからないという人が大半じゃないでしょうか? 院号は僧侶の住む「お寺」を意味する言葉。故人に院号をつけるということは、「お寺を背負って旅立ってもらい、仏様になる」という意味合いがあるのに、今ではただ単に「レベルの高い戒名」という認識が広まっています。だから、「親戚から院号居士をつけてもらわないと恥ずかしいと言われたので……」とお願いしてくる喪家の方が非常に多い。通常の戒名でもまったく恥ずかしいことはないのに。院号居士をブランド化すれば、戒名代だけで100万円はもらえると考えた業界の悪しき慣習と言わざるを得ません。




***** | 17時間前
うちの実家のお寺は、古くからの檀家を多くかかえいて、正に左団扇。
ても、娘が結婚して跡継ぎができた途端、それまで雇ってたお坊さんを使い捨てにした。母はそれに怒って、毎月のお経は追い出されたお坊さんに頼んでる。
離檀すればいいのにとは思うけど、お墓がお寺の敷地内にあるので、それは難しいらしい。
母が元気なうちに離檀したいと考えてるけど、法外な離檀料を請求されたらと思うと、二の足を踏んでしまう。

765
52
返信12
msu***** | 15時間前
いやいや、最後さ、おかしいだろ
インターネット坊主が増えて坊主が信用されなくなったじゃなくて
従来の坊主が信用なくしたからインターネット坊主が増えてるんだが?

656
21
返信4
ac2 | 16時間前
まず、きちんと課税しましょう。寺の坊主が豪邸に住んでいるのは、根本的に違和感がある。

728
47
返信11
iss***** | 15時間前
昔は出家して真面目に仏教修行してる僧侶も多かったんだろうけど。

今や、肉食う、酒飲む、女抱く。
結婚して妻子あり。豪邸住まい。
これのどこが出家なのか。

604
30
返信16
gvp***** | 16時間前
最近の寺社は金に汚いところが多いよ。
生臭坊主だらけで 坊主離れが多いのは必然ですね。

607
20
返信4
pak***** | 16時間前
普通のお寺は昔はみんな赤貧、信仰とみんなが嫌がる死体を処理、修行してお金のない庶民から物品を貰って生活してたんじゃない?今は普段普通に働いてて、お布施もたくさんもらって性格も最悪な坊主も多いよ

459
29
返信1
gag***** | 16時間前
俺は戒名不要。
葬式もしなくていいと
家族には伝えてある。
戒名なんていらん。
親からつけられた
その名前だけでいい。
まあでもいわゆる
キラキラネームの人とかなら
嫌かもね。

436
29
返信13
sta***** | 15時間前
今朝のテレビでカトリックの神父の性的虐待の話しをやってたけど、宗教従事者なんて、宗教宗派の関係なくこんなもん、どうにも信用ならないわ、理屈じゃないのよ。

duo***** | 22分前
有って無いような金額。故人の名誉と思いお金は出すが、テロを起こさないオーム真理教とどこか違うのか。

0
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返信0
vjr***** | 30分前
離檀料なんて、なんで払う人がいるのかちょっと何言ってるのかわかんないんですが。なんら法的拘束力もないですし、裁判所から紙切れでも来るんですか⁇
暴走族やめるのに、先輩らに退会費払うようなもんでしょ?
坊さんなんて、やってることそこら辺のヤンキー以下ですよ。

4
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返信0
mar***** | 41分前
本来のの葬式、法要とは坊主の仕事とは関係ないはず!檀家制度の異物が生み出した商いでしかない。正しい宗教関を知らないといいようにお金だけ取られるだけ!

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返信0
rm***** | 44分前
この坊主らビジネスの観点でしか話してなくて草
アパマン坊主やamazon坊主は、寺をしめるための人がほとんど。
檀家離れだ檀家システム崩壊するだ、そんなあくまで寺の収益しか見てないで話してるのに違和感を感じる。
本来の理由は「檀家の子息に仏教を浸透させられず、無宗教者が増えてしまった」のが原因だ。
にもかかわらず、核家族による負担額や檀家同士の互助会がなくなり、高額なお布施を要求する住職とは疎遠になる。と、自分たちの不明瞭会計を棚に上げて批判するとは生臭坊主。
中古のベンツが何なんだ?
そのエピソードで尊敬されてると思う人はいない。
それを、人から敬われてる住職のエピソードとしてくるあたりが歪んでる。
ちなみにわたしの実家は、戦前に自前の土地にたてたもので寺敷地内に墓を作っていない。
にもかかわらず、寺の建て替え時に寄付を要求された。
これが今の坊主だ。

0
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y | 52分前
父の実家のお寺さんは 正に生臭。外車のキャンピングカーまである。高価そうな外車ばっかり何台も。
父の生前からの意向により 遺骨は本山に永代供養しました。一人っ子で嫁に出ている私を思っての親の思いに感謝しています。本山にお参りに行ってます。

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ghfgjbfjb | 1時間前
そもそも葬式のあり方も変わっている以上、
お寺も今までのままではいかないのが当たり前。

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西陣 | 1時間前
一般人より、煩悩あるお坊さんが多いイメージ。

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nykobatyan | 1時間前
まともにやっているだけでは食べていけないお寺が増えているのも事実ではないでしょうか。
お寺やお坊さんも損得勘定ではないにしろ、檀家に支持されて檀家が増える様な布教をしなければ食べていけないと言う事でしょうね。
お寺やお坊さんがしっかり活動しないと、妙な宗教団体や老人を狙った犯罪者がのさばる様な気がしてなりませんがね。

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aya***** | 1時間前
大谷派……修繕費いらね〜だろ?本山京都かと思ったら東京になってるし…

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