ガンを防ぐ「ゾンビ」遺伝子、ゾウで発見
8/20(月) 7:11配信 ナショナル ジオグラフィック日本版
ガンを防ぐ「ゾンビ」遺伝子、ゾウで発見
大きな体と長い寿命を持つにもかかわらず、ゾウがガンになる確率は驚くほど低い。研究者たちはその理由を解明し、人間のガン治療に役立てたいと考えている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL NICHOLS)
壊れた遺伝子が進化の過程で復活、傷ついた細胞を予防的に殺す役目に
人間は30兆個ほどの細胞からできている。これらの細胞に加え、さらに多くの微生物が協調することで、心臓が脈打ち、消化系が機能し、筋肉が動いて、人間は活動する。細胞は時間とともに分裂し、新しいものが古いものに置き換わる。しかし、この細胞の入れ替えの過程において、遺伝子のコピーに失敗するのは避けられない。多くの場合、この変異がガンのもとになる。
ギャラリー:蘇生を願い、人体を冷凍保存する人々 写真16点
ということは、細胞の数が多い大きな動物ほど、ガンになる確率が高いはずだ。この理屈に基づけば、小型哺乳類の数百倍も細胞の多いゾウは、ガンになる確率がかなり高いことになる。しかし、実際はそうではない。
その謎を解く新たな手がかりを明らかにした論文が、2018年8月14付けの学術誌「Cell Reports」に掲載された。鍵となるのはゾウの進化の過程で復活を果たした「ゾンビ」遺伝子LIF6だという。
「進化生物学的に見て、とても魅力的な学説です。非常に幸先のよいスタートと言えるでしょう」と、米ユタ大学の小児腫瘍科医のジョシュア・シフマン氏は話す。同時に、発見を裏付けるためにはさらに検証が必要だとし、「これはまだ始まったばかりのことです」とも述べている。なお、氏はこの研究には関与していない。
医者のような役割の遺伝子
生物の大きさとガンになる確率が一致しない現象は、「ペトのパラドックス」と呼ばれている。2015年、シフマン氏の研究グループは、このパラドックスにまつわる重要な発見を発表した。彼らが突き止めたのは、ゾウにはガンを抑制するP53という遺伝子が多いということだった。人間の遺伝子には1組しか存在しないP53が、ゾウにはなんと20組も存在していた。
動物の細胞が分裂するとき、P53は遺伝子の良否を診断する医者のような役割を担う。この点は、人間でも、ゾウでも、他の動物でも変わらない。「P53はDNAが破損しているかどうかを見分け、どうするかを決めるのです」と話すのは、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の生物学者、エイミー・ボディ氏だ。軽度な問題を抱えた細胞なら修復できるが、破損の度合いが大きい場合は、細胞がガン化するリスクがあるので、P53はその細胞を殺すよう命じるという。氏も同じく今回の研究には参加していない。
今回の論文の著者である米シカゴ大学の進化生物学者ビンセント・リンチ氏によれば、ほとんどの動物では細胞を修復する方法がとられるが、ゾウでは細胞を殺すケースが多いという。「ゾウの場合はとても奇妙なんです。細胞内のDNAを傷つけると、細胞がただ死んでしまいます」。そこでリンチ氏は、理由を突き止めたいと考えた。氏は並行してゾウのP53遺伝子を研究するチームも率いていた。
傷ついた細胞を抹殺する殺し屋
リンチ氏のグループは、アフリカゾウ(Loxodonta africana)と小型哺乳類を対象に、他の遺伝子の違いについても調査を行った。特に注目したのは、複製が多い遺伝子だ。その結果、浮かび上がってきたのが、生殖能力を高める働きのある「LIF遺伝子」の1つ、LIF6だった。
「LIF遺伝子と聞いて少しばかり驚きました」とボディ氏は言う。生殖能力とガン予防はまったく別のことのように思える。しかし、リンチ氏はLIF6には別の機能、つまり傷ついた細胞を殺す役割があるのではないかと考えた。
小さなウサギから巨大なクジラまで、ほとんどの哺乳類にはLIF遺伝子が1組しかない。しかし、ゾウやその親戚、マナティー、ハイラックスなどには、たくさんのLIF遺伝子がある。リンチ氏によれば、ゾウには「数え方によって」7から11組のLIFがあるという。
なかでも、傷ついた細胞を殺す役割と関連があるのはLIF6だけのようだ。そして、これまでのところ、LIF6はゾウからしか見つかっていない。
今回の研究によれば、LIF6がゾウの遺伝子に登場したのは、約5900万年前だという。最初、これは役立たずの壊れた遺伝子でしかなかったようだ。しかし、ゾウの先祖が進化するにつれて、この遺伝子も進化し、やがてゾンビのように蘇った。ゾウがガンに悩まされない大きな体を手にすることができたのも、この復活のおかげかもしれない。
P53が遺伝子の診断を行う医者だとすれば、LIF6は傷ついた細胞を抹殺するいわば殺し屋だ。
リンチ氏のグループは、研究室でアフリカゾウの細胞のDNAを破損して、LIF6遺伝子の機能を調査した。その結果、破損を見つけたP53がLIF6遺伝子を作動させ、LIF6が破損した細胞を殺したと考えられる現象が観察された。しかし、LIF6の動作を抑制したところ、高い可能性で破損した細胞が処分されるというゾウ特有の現象は見られなくなったという。
ガンの克服に向けて
リンチ氏は、ガンを防いでいるのはこのゾンビ遺伝子だけというわけではなく、「LIF6は、もっと大きな仕組みの中で小さな役割を果たしているにすぎません」と言う。シフマン氏も同意見で、「ほぼ確実に、他の発見ももたらされるでしょう」と述べる。同氏のグループも、すでに今年そのような発見を発表している。傷ついた細胞を殺すのではなく、壊れたDNAを修復するゾウの遺伝子についての発見だ。
ゾウのガン予防機能を研究する究極の目的は、人間のガン治療への応用だ。LIF6の進化について、シフマン氏は「5900万年の進化が必要でした」と話す。「私に言わせれば、これは5900万年間の研究開発です。5900万年をかけて、自然がガンを予防する最善の方法を見つけようとした成果のひとつです」
研究者たちは、その叡智に触れることで、ガンを克服する方法を見出そうとしている。
文=MAYA WEI-HAAS/訳=鈴木和博
8/20(月) 7:11配信 ナショナル ジオグラフィック日本版
ガンを防ぐ「ゾンビ」遺伝子、ゾウで発見
大きな体と長い寿命を持つにもかかわらず、ゾウがガンになる確率は驚くほど低い。研究者たちはその理由を解明し、人間のガン治療に役立てたいと考えている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL NICHOLS)
壊れた遺伝子が進化の過程で復活、傷ついた細胞を予防的に殺す役目に
人間は30兆個ほどの細胞からできている。これらの細胞に加え、さらに多くの微生物が協調することで、心臓が脈打ち、消化系が機能し、筋肉が動いて、人間は活動する。細胞は時間とともに分裂し、新しいものが古いものに置き換わる。しかし、この細胞の入れ替えの過程において、遺伝子のコピーに失敗するのは避けられない。多くの場合、この変異がガンのもとになる。
ギャラリー:蘇生を願い、人体を冷凍保存する人々 写真16点
ということは、細胞の数が多い大きな動物ほど、ガンになる確率が高いはずだ。この理屈に基づけば、小型哺乳類の数百倍も細胞の多いゾウは、ガンになる確率がかなり高いことになる。しかし、実際はそうではない。
その謎を解く新たな手がかりを明らかにした論文が、2018年8月14付けの学術誌「Cell Reports」に掲載された。鍵となるのはゾウの進化の過程で復活を果たした「ゾンビ」遺伝子LIF6だという。
「進化生物学的に見て、とても魅力的な学説です。非常に幸先のよいスタートと言えるでしょう」と、米ユタ大学の小児腫瘍科医のジョシュア・シフマン氏は話す。同時に、発見を裏付けるためにはさらに検証が必要だとし、「これはまだ始まったばかりのことです」とも述べている。なお、氏はこの研究には関与していない。
医者のような役割の遺伝子
生物の大きさとガンになる確率が一致しない現象は、「ペトのパラドックス」と呼ばれている。2015年、シフマン氏の研究グループは、このパラドックスにまつわる重要な発見を発表した。彼らが突き止めたのは、ゾウにはガンを抑制するP53という遺伝子が多いということだった。人間の遺伝子には1組しか存在しないP53が、ゾウにはなんと20組も存在していた。
動物の細胞が分裂するとき、P53は遺伝子の良否を診断する医者のような役割を担う。この点は、人間でも、ゾウでも、他の動物でも変わらない。「P53はDNAが破損しているかどうかを見分け、どうするかを決めるのです」と話すのは、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の生物学者、エイミー・ボディ氏だ。軽度な問題を抱えた細胞なら修復できるが、破損の度合いが大きい場合は、細胞がガン化するリスクがあるので、P53はその細胞を殺すよう命じるという。氏も同じく今回の研究には参加していない。
今回の論文の著者である米シカゴ大学の進化生物学者ビンセント・リンチ氏によれば、ほとんどの動物では細胞を修復する方法がとられるが、ゾウでは細胞を殺すケースが多いという。「ゾウの場合はとても奇妙なんです。細胞内のDNAを傷つけると、細胞がただ死んでしまいます」。そこでリンチ氏は、理由を突き止めたいと考えた。氏は並行してゾウのP53遺伝子を研究するチームも率いていた。
傷ついた細胞を抹殺する殺し屋
リンチ氏のグループは、アフリカゾウ(Loxodonta africana)と小型哺乳類を対象に、他の遺伝子の違いについても調査を行った。特に注目したのは、複製が多い遺伝子だ。その結果、浮かび上がってきたのが、生殖能力を高める働きのある「LIF遺伝子」の1つ、LIF6だった。
「LIF遺伝子と聞いて少しばかり驚きました」とボディ氏は言う。生殖能力とガン予防はまったく別のことのように思える。しかし、リンチ氏はLIF6には別の機能、つまり傷ついた細胞を殺す役割があるのではないかと考えた。
小さなウサギから巨大なクジラまで、ほとんどの哺乳類にはLIF遺伝子が1組しかない。しかし、ゾウやその親戚、マナティー、ハイラックスなどには、たくさんのLIF遺伝子がある。リンチ氏によれば、ゾウには「数え方によって」7から11組のLIFがあるという。
なかでも、傷ついた細胞を殺す役割と関連があるのはLIF6だけのようだ。そして、これまでのところ、LIF6はゾウからしか見つかっていない。
今回の研究によれば、LIF6がゾウの遺伝子に登場したのは、約5900万年前だという。最初、これは役立たずの壊れた遺伝子でしかなかったようだ。しかし、ゾウの先祖が進化するにつれて、この遺伝子も進化し、やがてゾンビのように蘇った。ゾウがガンに悩まされない大きな体を手にすることができたのも、この復活のおかげかもしれない。
P53が遺伝子の診断を行う医者だとすれば、LIF6は傷ついた細胞を抹殺するいわば殺し屋だ。
リンチ氏のグループは、研究室でアフリカゾウの細胞のDNAを破損して、LIF6遺伝子の機能を調査した。その結果、破損を見つけたP53がLIF6遺伝子を作動させ、LIF6が破損した細胞を殺したと考えられる現象が観察された。しかし、LIF6の動作を抑制したところ、高い可能性で破損した細胞が処分されるというゾウ特有の現象は見られなくなったという。
ガンの克服に向けて
リンチ氏は、ガンを防いでいるのはこのゾンビ遺伝子だけというわけではなく、「LIF6は、もっと大きな仕組みの中で小さな役割を果たしているにすぎません」と言う。シフマン氏も同意見で、「ほぼ確実に、他の発見ももたらされるでしょう」と述べる。同氏のグループも、すでに今年そのような発見を発表している。傷ついた細胞を殺すのではなく、壊れたDNAを修復するゾウの遺伝子についての発見だ。
ゾウのガン予防機能を研究する究極の目的は、人間のガン治療への応用だ。LIF6の進化について、シフマン氏は「5900万年の進化が必要でした」と話す。「私に言わせれば、これは5900万年間の研究開発です。5900万年をかけて、自然がガンを予防する最善の方法を見つけようとした成果のひとつです」
研究者たちは、その叡智に触れることで、ガンを克服する方法を見出そうとしている。
文=MAYA WEI-HAAS/訳=鈴木和博