昭和40年の日本ダービー馬キーストンは5歳春から6歳夏まで脚部の故障で長期休養を取ったこともあり、関係者は遠征を避け、中山の有馬記念ではなく地元の阪神大賞典を6歳最後のレースに選びました。僅かに出走頭数は5頭。
木枯らしの吹きすさぶ阪神の3100m戦で、キーストンは1番人気の支持を受けました。
そして元調教師の山本正司を背に、軽快なピッチでレースを引っ張ったキーストンでしたが、ゴールまであと300メートルのところで落馬してしまいました。
落馬の衝撃で意識を失った山本騎手。コース上に佇むキーストンは、左第一指関節完全脱臼、左前脚が皮膚だけでつながった状態でした。
キーストンは残った3本の脚を使い、コース上に横たわる山本騎手の様子を気遣うように一歩一歩近付いていき、その安否を気遣うように鼻先を山本騎手の顔にすり寄せました。
一時敵に意識が戻った山本騎手が、両手でキーストンの顔を抱いたとき、二人は何かを伝え合ったのでしょう。
キーストンはその日のうちに、安楽死の措置がとられました。
冬枯れの芝生の上のあまりにも悲しく、そして美しい光景でした。