江戸初期の僧で書画家でもあった中沼昭乗が、農家の種入れ(仕切り箱)として使用していた、箱の内側を十字に仕切った器をヒントに、茶会で使用する煙草盆や絵の具箱として使用したようです。この田の字に仕切られた真四角の箱が松花堂弁当の基になっています。
中沼昭乗は、晩年、現在の京都府八幡市にある男山で過ごしましたが、自らの方丈(小さくて簡素な家)を松花堂と名付けたことから、松花堂昭乗と名乗るようになりました。
昭和の初め、日本料理「吉蝶」の創始者が昭乗の好んだ「四つ切り箱」からヒントを得て、
煮物、焼き物、お造り、ご飯などの食材同士の味や香りが混ざらず、縁を高くして美しく盛り付けすることが出来る器を工夫し、茶会の「点心」等に出しました。
こうして作られた弁当は、四つ切り箱を好んだ昭乗に敬意をはらって「松花堂弁当」と名付けられ、同様のスタイルの弁当が「松花堂弁当」の名で世に広まっていきました。
松花堂弁当は正式には「松花堂好み縁高」と呼ばれ、中に盛り込まれるのは「点心」と呼ばれる簡素な懐石で、椀物をつけるのが基本です。
中沼昭乗は、晩年、現在の京都府八幡市にある男山で過ごしましたが、自らの方丈(小さくて簡素な家)を松花堂と名付けたことから、松花堂昭乗と名乗るようになりました。
昭和の初め、日本料理「吉蝶」の創始者が昭乗の好んだ「四つ切り箱」からヒントを得て、
煮物、焼き物、お造り、ご飯などの食材同士の味や香りが混ざらず、縁を高くして美しく盛り付けすることが出来る器を工夫し、茶会の「点心」等に出しました。
こうして作られた弁当は、四つ切り箱を好んだ昭乗に敬意をはらって「松花堂弁当」と名付けられ、同様のスタイルの弁当が「松花堂弁当」の名で世に広まっていきました。
松花堂弁当は正式には「松花堂好み縁高」と呼ばれ、中に盛り込まれるのは「点心」と呼ばれる簡素な懐石で、椀物をつけるのが基本です。