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延歴時代の幟を掲げ「武官行進列」が見えてきたが、延歴時代もどんな時代なのか分からず調べると、平安初期の、桓武天皇の時の年号(782年~806年)で平城京から長岡京に遷都した時代とある。
「武官行進列」笠後の列の思ったが「京都市女性地域連合」の平安時代に活躍した女性列が進んできた。
画像は巴御前と清少納言で他にも紫式部や小野小町もいたように思う。
続いて神饌講社を先頭に各列の行列が最後だが東の丸太町の河原町通へ列をみながら写真を撮りながら歩いた。
「白川女」頭の花篭のお花が大きくて綺麗な花だった。
「白川女」とは京都の白川地区で独特的な衣装で、花などを頭にのせて売り歩く女性。
錦市場へ行きかったので途中で寺町を下り新京極予行と思ったら、寺町の『寺町美術まつり』の観光客で賑わっている。夷川へ行くと河原町に☓ば見えたので市バス乗り、四條河原町行ったが、時代祭の平安神宮列が終わったのかバスも満員、バスを下りても河原町と四條通りの歩道は歩くのが難儀で小路を通り、豊臣秀吉が約400年前に「錦市場」を再開発し、全国から京の都へ山海の珍味や産物が売られている。
時計をみると16時を過ぎているが、うどん屋の店で空席があったので「ネギ塩うどん」を昼食として食べたが久しぶりの京うどん、美味しかった。柳の番場から、阪急電鉄の地下道を河原町駅まで歩き始発の特急電車も座る事が出来て帰宅したのが19時過ぎで「京の時代祭」の見物もこれが最後だと思うお出かけだろう。
最後までご閲覧いただき恐縮です。
過去数度みているのですが何時もビル街の」市中ばかりで今回は京都御苑か平安神宮近辺とと思っていたのですが御苑の参道はカメラを持った見物客でいっぱいで、止む無く丸太町通の南側でせめて、御苑の木々背景で撮ったのですがバス停を考慮しなかったのは残念でした。
家内は大喜びでたが、おそらく、時代祭見物は最後でしょうか
長時間の取材とレポートご苦労様でした。
何時か機会があれば是非見物したいものです。
コメント
時代衣装が昔、観た映画や大河ドラマと同様で興味深く見物しました。
平安時代1200年の日本歴史の大半が京都が舞台です。
山国少年鼓笛隊から朝廷軍による超、封建制度の江戸幕府武家政治から討伐で明治維新そして、西洋文明の導入から150年「アット云う間に」日本は世界有数の文明国家の現代日本の宇宙開発・・・・、と驚きです。
歳毎に歩行が鈍くなり移動が困難になり、現世を見物したいが長距離移動はもうソロソロ限界です。この日は12,447歩(3.7km)でした。