27/20℃ 中秋の名月
昨夜は十五夜(中秋の名月)で今日は満月だそうで昨夜のお月さんも綺麗な月が輝いていた。28日の今夜は十五夜より一層丸いお月さんで月が地球に最も近づいたときに、満月もしくは新月の形になった月スーパー・ムーンが西日本~東日本は快晴で観られるそうだ。
大阪駅から大阪市営地下鉄「御堂筋線」に乗り一つ目の駅が淀屋橋駅で下車淀屋橋へ上がった。大阪は旧淀川は新淀川から分流して大川(天満川)となり、そして堂島川と土佐堀川の両河川から分流した水の都の商都と知られている。旧勤務先の大阪事務所は淀屋橋駅から御堂筋の南へ数分歩いた所にあった。大阪の橋や町名に個人の名前を冠した多いが「淀屋橋」も米商いの豪商‟淀屋”も大阪奉行所に命じられ橋や中之島の整備にしたものだそうでその淀屋橋で獅子像のある橋は何処ですかと聞くと「ライオン橋の事ですか土佐堀川を東に二つ目の橋です。」と教えられ淀屋橋を北へ渡り、大阪市役所の南側の人気の少ない遊歩道を東へ散策した。
大阪市中央子公会堂(重文)、東洋磁器美術館があり「木邨(村)重成表忠碑」があった。木村重成は小学生の頃、講談絵本で読んだ記憶があり、豊臣秀頼の乳母の子で秀頼と同い年で乳兄弟であり元服後に豊臣秀頼の重臣で、徳川家康の謀略で淀君を取り巻く重臣たちが死亡などで離脱した豊臣家が孤立した中、唯一人秀頼公を補佐し奮戦した若き武将である。真田幸村、後藤又兵衛や塙団右衛門など旧豊臣方の大阪の陣で活躍した武将はこれも講談絵本に熱中したものだ。 暫らく歩くと大阪証券取引所前の橋の両側に獅子像が見えてきた。
橋に着くと難波橋とあるが通称ライオン橋とも呼ばれている。北浜界隈へは初めてである。橋に着くと橋の両サイドみ獅子像ががあり「阿吽」の表情をしている。
「阿吽」はサンスクリット語(梵字)で阿吽の呼吸とは「二人以上の人が何かをするときの、微妙な気持ちや調子。また、それがぴたりと合うこと。」とあり株式の売りと買いの取引で阿吽の判断で取引すればヒットし大儲けすると云うのだろうか?
大阪証券取引所前には「五代 友厚」の像があったが、この方は薩摩藩士で官吏で実業家で文明開化の大阪経済を活性化に貢献された偉人だそうである。北浜界隈は普段は賑やかなのだろうが土曜の休日でひっそりしている。昼食時なのでブラブラ歩いていると「大阪会議」で名高い老舗の料亭「花外楼」があった。
隣のビルには明治8年(1875年)、大阪会議のメンバー伊藤博文・大久保利通・板垣退助・木戸孝允・井上肇の銅版彫刻が飾られていた。
花外楼の大阪会議は日本の立憲体制の礎となる大阪会議の舞台となったとされている。花外楼の命名は加賀の国の出身で伊助が開いた「加賀伊」から会議後、伊藤博文が命名したそうである。西に向かって歩いていると京阪電車の北浜駅と地下鉄谷町線があり、梅田までは南森町乗り換えだがJR東西線もあったので梅田へ出ても人々ばかりだろうと思い、JR尼崎へ行くことにした。大阪の街も少し歩いただけでも特に戦国期~維新の明治・大正昭和の歴史を感じさせる街だと感じたのである。
異人像が有ったり 獅子像が有ったり 20年大阪に住んで居ましたが、本当に無知ですね
唯一知っているのは、中ノ島公会堂だけです、10代の頃よく歌謡ショウを見に行きました
これは大阪市中央公会堂とは違うのですね ちょっと似ていますね 最初の写真、雲がとても綺麗ですね
賢くなりました
爺様が愛飲している焼酎の銘柄は”五代焼酎”です。 五代友厚 との関係は無さそうです。
中之島公会堂=大阪市中央公会堂は同じです。(大阪の方は中之島公会堂と言った方が判りやすいようです。)
「北浜の風雲児」と呼ばれた相場師・岩本栄之助が建設基金を出資して出来た公会堂です。
国指定の重文になってから登録名が「大阪市中央公会堂」が正式名になったようです。
梅田スカイビルへ行く積りがやはり爺様同様にTV放映を思いだし土佐堀川を東にヨタヨタ散策しました。
五大友厚翁、薩摩には西洋の文明開化に貢献した薩摩武士魂の偉人が多いですね。薩摩の芋焼酎を飲んでのことでしょうか。
文明開化後の商都大阪は五大友厚翁なくしては語られないそうです。
これからどう展開するのか楽しみです。
お月様の写真どうしたのでしょう。
高価なカメラなのに、残念です。
カメラは高価なものは買いません。何時も中古かアウトレットのカメラです。
朝ドラ「アサがきた。」のヒロイン幕末、明治、大正の女傑の実業家で女子教育に熱心な物語で当時の金融、保険(大同生命)や炭坑事業を手掛けた実在の女性です。
朝ドラの3日目にピストルを携えた「五大友厚」が出てきたので吃りです。
ヒロインとの関わり合いが興味津々です。