時々28/23℃
今週は台風8号が発生して日本に接近しまた、梅雨空が戻って今週は梅雨空が続きそうだ。今日午前中玄関ドアーのチャイムが鳴り「商品のお届けです。」と告げられ開錠したらいやに大きな包みである。 早速家内が荷物を開けてみると「傘寿祝」とあり、元勤務先のOB会本部からであった。 ご挨拶としてOB会員約7000名中、今年数え歳80歳の長寿を迎える会員に「夏掛け毛布」のお祝い品として送ったとある。 吾輩には思いもよらぬお祝い品で嬉しく、この上ない気持である。 入社した当時、社是に「親切な会社・温かい会社」と記憶しているが入社してみると仕事は厳しく、学閥。社内閥ありで社是と相反していると思っていたがどこの会社も同様であった。 リタイアしてみるとOB会(任意加入)があり主要区分で区切られた支部組織がありリタイア後も楽しく生き合いあいしてしている。 数え歳80歳なるともう会社と縁が切れたなーと思った矢先のプレゼントである。 もう夏の季節なのにまだ羽毛の掛布団だが夏本番にはタオルケットだがこの歳になるとタオルケット+もう1枚と思っていたが「夏掛け毛布」とはタイミングの良い傘寿祝(傘寿の色は紫で夏毛布も薄紫色)と喜んでいる。 やはり「親切で温かい」会社が生きていたのである。 今月初めに郷里の卒業した新潟県立新発田高等学校の創立120周年版「同窓会名簿(申込制有料)」が送られてきた。
母校の新潟県立新発田高校は明治29年(1896年)に新発田町外67ヵ町村組合立北蒲原尋常中学校として開校し旧制新発田中学校を前身で第1回目の卒業生は明治33年に12名が卒業生とある。
平成26年度までの卒業生は28,391名で我輩は昭和29年(1954年)新制高校の6回卒で約2センチ(A4版)の分厚いページの前頁の方に列記されている。 29年卒の同窓は229名で物故者57名、追跡住所が確認でいない者37名とある。 今年、同じ傘寿を迎える同窓会の新発田の幹事が「芝高(新発田高)二十九会傘壽祝賀会」を9月に企画してくれて案内状が届いた。 神戸と京都に同窓がいるので連絡したら、参加の意向である。 卒業して60年、元気な同窓が何名集まるか想像もつかないのである。
でも、OB会員が7000人とは、歴史のある大企業なのですね。それとも、お役所ですか。
私の勤務していた会社は、近年学生の間では「楽な会社」で有名だそうです。嘘かと思ったら、早大卒の娘さんが受験された知人もそういっていました。
結果は、駄目だったようです。
会社は楽でも、入社は難しいとは、これいかに。
まあ、楽な会社ですが、どうして広まったのか不思議です。ネットのせいでしょうか?
社是?記憶にありません。社歌なんてのもありませんでしたね。
コメント
明治時代の創設ですから古いのが自慢でした。現代は自慢にもなりません。
社是は入社後3年もすると消えたも同様で社歌もありましたが歌ったことはもなく覚えていません。
OB会は僅かな任意の年会費制ですが年金支給開始年齢引き上げで新規加入社が少なく減少傾向だとか
傘壽祝を貰うと「嬉しい」
世間並みに長寿なのかと実感しまーす。
吾が母校は明治30年の創立で、117周年になり1期生は明治35年卒業で40名です。(同窓会名簿より)
新発田がちょつと歴史がありますね
コメント
定年退職後は夏には扇子一対、暮れには手帳とカレンダーを送ってきましたがリーマンショックご親会社の経費削減で補助額が削られ、今は年2回の「会員(各支部)便り」だけです。
OB会にはHPがあり、そちらら情報見ることが出来るのですがアクセスする人は20%程度だそうです。(年々アクセス数は増えている)
後は長寿のお祝い品のようで、次は米寿かな?(とても自信がありません。)
高校の歴史は似たりよったりで設立当初は校舎が出来るまで3ヶ所のお寺だったそうで、「寺子屋高等中学校」です。
それにしましても、丁寧な会社ですね。友達は大切にしなくてはいけないと思いました。
これからも益々お元気で、ご活躍されますことを心より願っております、色々楽しみに待っております、この度は本当に、おめでとう御座いました。
おはよう御座います。コメント
80歳で遠く離れた同窓と会えるとは思っていませんでした。(これ本当にお目出度い。)
欲を言えば遊び中心の小~中学生の少年期の同窓会があれば世の中の苦しい時代を過ごした男女の旧友に会えればでハッピーなのでしょうか