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先月末から始まった五月雨(さみだれ)の大型連休も五月晴れで昨日で終了したが昨日神戸市新開地音楽祭へ10時過ぎに湊川公園出かけた。福原、新開地といえば、昭和40年代初めころ関西に初めて来たとき福原とよばれ、映画館、寄席、演芸場、大衆飲食店など関西有数の遊郭街(赤線地帯)だと同僚に聞いたことがある。その後も飲食店の後、ソープランドなどのある風俗営業の関西最大級の歓楽街として知られいたが平成7年に発生した「阪神・淡路大震災」で復興と共に新開地として交通も整備されきれいな街街として一遍し、昔の面影はなくなった。湊川公園に着くと少し早すぎたので公園内を歩いていたが公園内にはニケ所の音楽を演奏する舞台があった。メイン舞台では若者の「そうらんよさこい」踊りが始まり公園南舞台では「ジャズ演奏」始まった。
演奏ステージは公園のほか新開地商店街やメトロ地下街計8ステージがある。ジャズ演奏を2曲ほどきいて商店街へ向かった。街のフォークソングの歌い手や語り引きの演奏をやっていたが神戸市や兵庫県内大阪府からのアーチェストの参加も多い。
商店街南3ケ所のステージがあり、スケジュール毎に演奏されている。多門通りの商店街はジャズの演奏で賑やかだ。
この近くのレストランで昼食を摂り再び湊川公園広場に戻ったがメインステージや南のステージ演奏が続いて賑やかだ。
メインステージの北にはご老人達が将棋や囲碁を打ちながら楽しんでいる。
その北には朝廷の臣下、大楠公(楠正成公)の馬像銅像があり皇居の外苑と他にも神戸に一ヶ所あるようだが何処にあるか不明である。14世紀に九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との新しいタイプの国創りの戦じゃろうか」と吃驚ポンぽんポンポン
と落馬しそうだ。「新開地音楽祭」で約2時間過ごして帰宅した。
私もこの銅像は、よく見ました。
この日も相当歩かれたのでしょうね。
今年から老眼大学に行っています、講義を聞いています、
コメント
湊川公園へ行く途中新開地商店街の若い店員さんや公園内の「新開地音楽祭」の運営する若い人達に「大楠公」の騎馬乗の銅像はどの辺にありますかと聞くと全く答えが返ってこない。すると、やはり若い人がメインステージの裏の「冑を被ったお侍のの事でしょうか。」と答え返ってが来た。大楠公さんってどんな方ですか?と逆に質問された。
イヤハヤ、時代が変わり、戦前生まれの同輩はこんな時代に生ているんです。
現代の出来事や生活様式について行きましょう。
31回目だそうです。
コメント
昔、福原と言ってましたが神戸へ来て平成25年「湊川神社の武者行列」以来2度目です。
旧神戸港の港町の下町で汚い街のイメージがあります。
復興でスッカリ町のイメージが変わりました。
「大楠公」は我々の世代は天子様の朝臣で絵本でも教科書、浪花節や講談でお馴染みでした。
21世紀では、もはや存在しません。
現代では新年の初詣の幸運の
新開地の商店街も綺麗で「
コメント
TV映像で「音楽祭」なるものは見たことは有りますが実際見るのは初めてです。
新開地の
東京、横浜や大阪、名古屋から比べると小さな「音楽祭」だろうと思っています。
音楽祭には高齢者も多く来場していましたがリズムに合わせスイングと手拍子で「ジャズの街神戸」の実感がしました。