18/15℃
今日の近畿地方は南からの温かい強い風と西からの低気圧が重なり神戸はお昼近く「春の嵐」が吹く予報だが最低気温が15℃と高く「暑さ寒さは彼岸まで」で春はもうすぐそこまで来ている。 姫路城の続きだが、姫路城は74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されているが、公開されている西の丸に回ることが出来る。 西の丸は渡櫓(渡櫓の城外側は幅1間の廊下が「カの渡櫓」から「レの渡櫓」まで長さ約121間(約240メートル)に渡って連なっており百間廊下と呼ばれている。 城外に向けて石落としや狭間鉄砲の煙出しの窓も付設されている。) 化粧櫓は内部は畳を敷いた御殿のような造りで、西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼ばれている。(サイト検索引用)
西の丸の121間に上がるには靴を持って2ヶ所の急勾配の手摺りが無い階段には我輩には一苦労だったが家内は難なく上る。我輩は減量しなければならぬと痛感した。
西の丸の百廊下は御殿を囲むように造られた長い廊下に城外に向けて石落としや狭間鉄砲の煙出しの窓も付設されている約240mの長い廊下に並ぶ多くの部屋には、千姫に仕えた侍女たちが住でいた部屋で姫路城の大奥とも呼ばれている。 以前に訪れた時と変わりは無いが部屋の説明看板と徳川秀忠と江の長女として生まれ徳川家康の孫であり、淀君の姪でもある千姫は人質同様に豊臣秀頼に嫁し、大阪城落城に先立ち、千姫は救助された。 戦国時代の末期の姫路城と千姫は小説・映画やTVドラマに良くとりあげられている。
その後本多忠刻と結婚し姫路城へ移封し、播磨姫と呼ばれた千姫の部屋は畳敷きとなっており、歌留多遊びの蝋人形は世界遺産登録後のもと思われる。 二の丸を出てたが、既に14時を過ぎているが城外出口へ向かった。
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