10/4℃
寒気をともなった低圧は東に去り良い天気となったが21日の大寒以降また寒気が入ってくる予報だ。 毎朝5時頃目が覚めるのだラジオは阪神淡路大震災から17年の追悼供養が東日本大震災を含めて神戸で行われるとアナウンスしていた。 TVをスイッチオンにしていと6436人の犠牲者の追悼の映像が流れていた。
(以上TV映像より)
後4ヶ月余りで定年退職する平成7年1月17日まだ暗い早朝金沢で寝床で大きな揺れの地震で目が覚めた。 震源地の情報は全く無く1時間ほどして神戸で火災をともなた大地震が発生した情報であるである。 即刻、神戸にいる長女家族に電話するが回線は寸断され安否は確認できない、当時はまだ携帯電話やPCなどは持っていなかった。 大地震の情報は首相官邸(鈴木内閣)へすら随分遅れて入ったようだ。 アナウンサーをやっていた次女から放送局のホットラインで長女の安全が確認され、家内に連絡され胸をなで下ろした。 もし、大震災の犠牲になっていたら毎年1月17日はどんな思いしぇいただろう。 11時過ぎに昨年同様、家内と追悼会場へ行ってみた。
(神戸市役所24F展望室より写す)
追悼会場へは犠牲者の関係者や観光客などが続々訪れてた。 17年経つ犠牲者は高齢者を中心に住宅などの問題で心身ともに立ち直れない人が多々あると聞く。 阪神淡路大震災では日本国の総力あげての急速な復興をなしたとさすが、東洋の経済大国と世界中がら絶賛絶賛されたが、昨年3月の東日本大震災は欧州の信用不安、イランの石油問題、ドルやユーローに対する円高で前途多難な上に野党は諸問題の協議に応じない構え、政治を放棄したと云われても仕方ないのである。 時計が12時になると神戸港に停泊している全船舶が東北にまで届けと長い間大きな汽笛音が響き渡った。
帰りのバス停で15分ほどあったたが大師震災の追悼行ってきた同じバスに乗る82歳のオールドレディと家内が話し込んでいたが「自分は阪神大洪水・神戸大空襲そして阪神淡路大震災を経験したがもはやこの歳になって怖いものはない。 「年老いても日本は元気で健康であれば何とか生きてゆける国ですよ」と励まされた次第である。
でも、今回の東日本大震災はプラス経験したことのない人災が加わっているので、17年後今の神戸のように復興できるのか、甚だ疑問を感じています。
その神戸でも、まだまだですものね。
ファイトです。
お早うございます。コメント
恐ろしいものを経験したり見たリすると確かに生きることに、大きな力と対応の方法を知ります。
ファイトで頑張りましょう。
淡路島へ旅行した際、爪痕の大きさを目の当たりにしてきました。
天災はどうにもなりませんね。せめて人災を起こさないようにしたいものです。
何時もコメントいただき有り難うございます。
東電の原発事故放射能汚染は自然災害なのか人災なのかまだ明確ではなようですが多分お殿様企業の盟主、人災と思っているのではないでしょうか?
電気料金値上げに飛び火しそうです。