時々12/8℃
近畿地方は昨日も雨、今日は北から寒気が入り朝から冷たい雨で甲子園の選抜野球も午前中は危ぶまれていたが第1試合は鳴門高校と洲本高校の鳴門海峡を挟む対決が始まった。 21日の開会式を終えたところで外野席出入り口通路を出ると70歳前後の老人が敦賀氣比高校のプラカードもった老人いたので声をかけると「敦賀の応援ですか」と云われた。 北陸にいたので懐かしく思ったのでと応じた。 やはり甲子園で勝利することは地域の知名度を高めるのである。 40数年前関西に来た時郷里を聞かれ「新発田(シバタ)」 と答えると何処の県ですかと再度尋ねられ読みも変な読みと首を傾げられた。 それが夏の甲子園で新発田農業高校が春夏の甲子園大会で通算7度も新潟県から代表で甲子園出場するとによって新発田を「しばた」と正しく読める新潟県外の人々が増えるようになたのである。 今でも甲子園の1勝は地域の発展にはおおきな貢献となるのである。 右翼席を出ると素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)があるが別名甲子園神社あるいはタイガース神社と云った方が分かりやすい。
日本神話では素盞嗚尊(スサオウノミコト)は暴れん坊で天照主神により出雲の国に追放されたがヤマタタノオロチを退治した強者として祀られた神社が全国各地にある。 神社の社務所の前に甲子園土産を大きな袋に買った二人の女性がいたが話を聞くと東京から開会式観たさに来たようで関東第一校の関係者らしくこれから神戸観光へ行く様子だった。 家内も社務所へお守りを観ていたが、必勝祈願者が多く、「甲子園神社」「タイガース神社」とも言われている。 「勝ちあがり守」を始めとして野球のボール型・ベース型やユニークなお守り、タイガース絵馬がある。 社務所の人によると第2次大戦で阪神間の大空襲で神社も焼け、球場のアルプススタンドも一部焼け落ちたが関係者の努力で再建されたが阪神淡路大震災で一部崩れ一昨年耐震工事が終わり現在の甲子園球場が湧きかえっている。 阪神淡路大震災前までは高校球児が滞在する旅館が多くあり滞在する高校チームは試合当日早朝から必勝祈願に参拝するチームが多かったが震災後旅館も老朽化し大阪・神戸や隣接する街のホテルに押され、僅か2軒となり必勝祈願の高校も少なくなり、阪神タイガースも星野監督や岡田監督の時代はプロ野球開幕前に祈願していたが最近は広田神社へ祈願しているようだ.
(岡田彰布氏:現オリックス監督が寄贈した野球塚碑)
阪神甲子園球場がホームのプロ野球のセ・リーグタイガースの藤村・若林・土井垣選手もすでに逝き、吉田・村山・田淵や江夏選手も高齢者前後年齢となり、拙者も現在の阪神の人気選手が誰か判らなくなったが甲子園の高校野球大会は毎年、新時代の野球界の中心選手を生み出してゆくが、現代スポーツは技量も重要だが精神統一が左右すると言われている。 甲子園でゲームをするならば暴れん坊の神様を祀る素盞嗚神社”必勝祈願で勝ち抜く気合を持たせたいものである。
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今日、
倉敷商業は咲く進学学園に逆転負けしましたが
タイガースの後ろには神がついていたのですね。
素盞嗚尊をお祭りしているのですか。
あやかって今年こそ頑張って欲しいですね。
色々な事をご存知ですね。
頭が下がります。
昭和60年から3年間、甲子園球場から南(右翼席)徒歩5分位の所に社宅があり球場の前を通り大阪まで通勤していました。