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昨日は京の三大祭りの「葵祭り」で生憎の曇り時々雨の予報だったが「葵平安装束に身を包んだ大行列が祭りHPで本日、決行」とあり、9時前に阪急電車京都線、四条川原町駅で下車すると10:00頃で葵祭りの平安装束に身を包んだ大列が大行列は10:30京都御所の建礼門をスタートし、都大路の川原町通りを練り歩き、11:40に下賀神社へ社頭の義のため立ち寄ると予定表にある。
(上画像は他サイトを引用アップしたもの)
鴨川四条大橋を渡り京阪電車に乗り換え「出町柳駅」で下車し社頭の義を行う「下賀茂神社」へ向かった。 ずいぶん昔のことだが昭和41年~46年まで下賀茂神社北の「北山通」付近に社宅があり住んでいた。 下賀茂神社付近には日本初のノーベル賞受賞の「湯川秀樹博士」の居宅があり、また次女はやはり神社近くの産婦人科医院で出生した思い出深い神社でもある。
1400年も続く「葵祭り」は平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさしており、いわば貴族の祭りで王朝衣装の雅やかな祭りであった。 平安時代 この祭に奉仕した未婚の内親王(皇族女子)を「斎王」と呼んでいたが、現在は一般京都市民から公募された20代の女性が選ばれており、言わば京都の「ミスお祭り」嬢であろう。
京阪電車終点の出町柳駅へは行列の着く30分以上前に着いたが 下賀茂神社の参道はすでに立ち入り禁止で行列の通る沿道も交通整理に入り、移動も禁止になると警察官は指示していた。 ならば、鴨川川を渡り、行列が川原町から東に進んでくる沿道に向かっていると移動のストップとなった。
暫らくすると皇居護衛の京都護衛署の騎馬警察官が先導する平安貴族の行列が川原町通から下賀茂神社に向かってきた。 撮影ポジションから移動は不可で行列の横からの画像を少しサイトが長くなるがピックアップする。
まだ、傘のいらない程度の雨がポツリ、ぽつりと降ってきた。
平安衣装の行列は神社へ「社頭の義」のため向かう。
行列は、本列と斎王代列に大別され、本列は勅使代を中心にした列だ。 馬の歩む蹄が舗装道路にぽっくり、ポックリと響き、久しぶりに聞き心地よい。 行列の馬は調教されているから列は乱れない。
(サイトが長くなるので次回の書き込みとなる。)
そして、パトカーで無くて騎馬警察官の先導はさすがです。
まるで時代劇の一場面を見ているようですね、馬の歪めが聞こえるようです。
私も大昔、嵐山の方で船でお食事をしながら鮎釣りを見たことを思い出しました。
京都の方面も又行きたいです、後半も楽しみにしております。
コメント
京都には乗馬クラブがあり、新馬調教・古馬再生調教もあるそうで、また馬の頭数や調教のインスストラクターも多いと聞きます。
京都の祭りは馬の出番が多い祭りがあり、東映映画村で作成する時代映画やTVドラマでは馬の出番が多いので盛んだそうです。(京都皇居護衛警察署の馬は別)
10月の「京都時代祭り」には相当数の馬が出ます。
金沢「百万石祭りで」利家役で高橋英樹が乗馬し、馬が多くの見物客に驚き落馬しました。
ヒョットしたら山形・米沢の「上杉祭り」の川中島の合戦で京都の馬が出前で出演しているかも知れませんねー
(いや、「福島相馬野馬追」の立派な
応募しましたがNGでした。
葵祭りを観るのは4度目だと思います。
最後に観たのは約40年前で時が経過するとどの様に変わったのか観たくて行きました。
平安貴族の行列の歩く光景はやはり違っていました。 以前は鴨川の土手と下賀茂神社の「糺の森」の参道で観た平安の装束の気分は半減です。
世界遺産となった境内も整備され「立ち入り禁止」が多く「昔は良かった」のはこの辺でしょうか。
コメント
白装束の人はそのようですね
拙者がはじめて観たのが昭和41年、富山の田舎から京都にきて初めて観たのが葵祭りです。
当時は学校も地場企業等はお休みでした。絵本や美術書でみたものが、そのまゝ肉眼で観たので吃驚仰天でした。 特に花傘や花飾りの牛車と平安装束の平安貴女人です。
今やTVの映像で流れるので、そんなに驚かないでしょう
現代のパレード祭りも歳をとると、そんなに驚くことも無いが、初めて見る子供たちは吃驚するでしょう。
明日の「神戸祭り」には東京デズニーランドの人気者「ミッキーマウス」が7年連続でパレードに協賛参加します。 子供たちやまだ見たこと無い高齢者は楽しみになるでしょう