健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

法要に参列途中、長徳寺に寄る

2013年10月16日 | 5.Weblog

22/19℃
 前夜、新発田に着くと気温が17℃と肌寒く13日の朝、目が覚めると雨だったが1時間ほどで雨は上がり秋晴れの行楽日和となった。 ホテルで朝食を済ませ9時前に長姉の家へ行き仏壇にワンカップのロウソクで手土産を仏壇に置き手を合わせた。 長姉は変わった蝋燭と珍しいと喜んだ。 法事は10:30から長姉から5分ほどで近い大善寺だが小学校、中学と悪たれ仲間の友人を訪ねるも町の商工会の仲間の孫の結婚式に招かれ新潟へ行き不在だった。
 法事の寺へ行く途中、中山(堀部)安兵衛 の菩提寺、長徳寺(写真)であるので60数年ぶりに立ち寄ってみた。 寺門をくぐると正面に堀部武庸(1670~1703年)の生家、中山家の菩提寺である。 武庸が新発田から19歳で旅立つ時に植えたとされる石台松(現在は二代目)がある。

 松の寿命は概ね200年とされているが忠臣蔵が歌舞伎や講談などで世に知れ渡ったのが江戸城の殿中刃傷後の約50年後の頃であり、どうも安兵衛が江戸旅立 の「手植えの松」も疑問が残るのである。 中山家の菩提寺ではあったのは間違いないが、安兵衛 の父、新発田藩、溝口家家臣の中山弥次右衛門(200石)は城の櫓の失火の責を負って家禄を召し上げられ、お家断絶となり藩を追われたというから、武家社会の厳しい掟で墓まで追い出されたのか、お墓は無いようである。 長徳寺には赤穂四十七士の木像が収められている義士堂があり毎年、吉良邸討ち入りの12月14日に彼(安兵衛 )を偲び義士祭が行われている。 法要が行われる大善寺は長徳寺から数分で10時前に着いたが法要関係者は数人集まっていた。(文中、一部 ‎Wikipedia引用)



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3 コメント

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楽しまないとね-・・・・・ (もこ)
2013-10-17 08:55:42
法要に、ワンカップの、蝋燭とは、洒落ていますね。
                        

どんな事でも、楽しみながらすれば、2倍楽しくなりますね。
                        

堀部安兵衛手植の松とか、どこのお寺にも、物語が色々な

楽しみ方が有りますね、楽しいです。
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堀部安兵衛手植の松 (Uchan)
2013-10-17 16:26:30
<もこサンへ>
何処の地域でも偉人の植樹木が見受けられますが、数百年前の事で眉唾ものゝでは無いかと疑います。しかし、偉人・有名人だと本気になります。
 
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赤穂浪士 (ひろし爺1840のGooブログ)
2013-10-17 17:13:00
!('_')!こんにちは~!
法要にお出掛けでお疲れ様でした。
忠臣蔵の四十七士の一人ですね。
此処より安兵衛が出立したとは知りませんでした。
良い勉強をさせて頂ました!
またのご招待をお待ちしてます
それではまた!・・・バイ:バ~ィ!
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