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温帯低気圧が太平洋側の東日本を走り、関東、北日本では雪が降り東京の交通網が乱れる朝となった。昨日は平成7年1月17日の明け方淡路~阪神間で「阪神・淡路大震災」が21年をむかえ阪神間の各地で追悼行事が行われたが、今年は59ヶ所で行われたが行事数は最少だそうだ。「1・17のつどい」は神戸市中央区の「東遊園地公園」で発生時間5時56分から行われTVで同時間帯で全国ニュースで放映された。
例年どおり竹筒灯篭は変わりがないが「未来」を形取った灯篭がある。4
この後市役所の24Fの展望台から見ると「未来」の文字がハッキリする。
阪神淡路大震災から20年を経た現在、復興に一区切り着いたとして国、兵庫県、神戸市は災害復興予算を21年度予算を一部必要な支援を除き予算案に計上しない方針をきめている。「1・17のつどい」は市民団体が来年から開催運営は市民団体で継続開催されるようである。展望ロビーで休憩し1Fフロアー前で「三田太鼓」の演技が行われていた。
三田市は志摩国鳥羽藩(三重県鳥羽市)を拠点に九鬼水軍を統率し秀吉の九伐や朝鮮兵で水軍総督を務めた大名で伊勢湾や紀伊半島の沿岸部を統治した九鬼家で関ケ原の役では西軍に属し、敗戦後徳川幕府から恐れた藩で徳川家光の時代に九鬼家の内紛で分割され三田藩に移封された藩である。
演奏途中で鬼面を被った胴長大太鼓に乗り太鼓叩き始めた。
三田太鼓のフィナーレは鬼面の太鼓叩きの男性が紙投げテープで終わったが三田太鼓は旧三田藩以来の伝統太鼓かと聞くと、三田太鼓の歴史は30数年前からで九鬼家のなどの水軍の太鼓などを取り入れた創作太鼓演技だそうである。最後に三田太鼓の司会者は演奏は来年もこの「1・17のつどい」に犠牲j者の「鎮魂」を捧げに来ると約束した。
復興したとはいえ、行事は毎年続けてほしいですね。
震災を知らない孫が、成人式を迎えました、晴れ着を着て現われた孫を見て胸が一杯に成りました・・・
色々の思いが駆け巡りました・・・
良くお出かけになりましたね、私はテレビを見るだけで終りました。現場の様子を感じ取ることが出来ました
屋外の太鼓,聞いてみたかったです、迫力が有ったでしょうね三田太鼓初めて知りました
コメント
21年前の戦後最大の都市直下型の大地震はTV映像で放映され大吃驚でした。
この地震で全国から130万人者のボランテアが参加し日本の「ボランテア元年」とも言われています。
そして、日本の危機管理体制、災害予知体制や避難救助体制が整備体制されつつ、あります。
自然災害国日本の災害メモリー・デイとして忘れられる事は無いでしょう。
コメント
大震災のの時神戸の長女の家族の安否が確認されたのが15時頃でした。
神戸へ越してから毎年、集いに行ってます。23歳の孫は当時3歳でしたが全く記憶が無いと言ってます。
日本全国で和太鼓が盛んですが神戸には神戸太鼓や地域に色々な和太鼓サークルがありますが「三田太鼓」迫力がありました。
何年経っても阪神淡路大震災のことは忘れません。
あれだけの大災害が20年で良くここまで復興したものです。
被災地内に原発が無かったことも幸いしました。
私は地震発生時は高松のホテル宿泊中でした。
前日の最終便で伊丹から高松に移動していました。