健康なときも同じであったが、人は、「苦しさがあるから楽しみがある」と言う。
確かに、それは間違いでは無いと思う。
その考え方には、
楽しみは、何かした後に与えられるもの。又は、人為的に作り出されたもので楽しむ。と考えられる。
精神障害者になっても、一般的に言われるのは、同じで、みんなに感謝しろ。お前一人のために仕事をしているんじゃないとか。何が出来るのかとか。「苦しさがあるから楽しみがある」というのに似ている。
それは、
その人間の為というよりも、みんなという得たいの知れない言葉か組織のためと行った方がいいかも知れない。また、それらの言葉は、俺には精神論に聞こえる。
お前の健康管理が悪いから病気になったんだ。だから、お前がやる仕事まで、俺たちがやってやってるんだ。だから、お前は、言われた事だけすればいいんだ。と言われて居るようなものだと感じる。
未だに、精神論でしか捉えられない人、態勢だけの体裁を整えただけで、メンタルヘルスと公言している人は、いつまでも、無意識の中で行っている「偏見と差別」から逃れられない人たちであると考えている。そして、その逃れられない人たちは、人間を使い捨てにしても、何も感じないのである。
『自然に楽しめる喜びがある』のは、人為的に作られたものに従って楽しいと感じる事でも無く、楽しさという餌を目の前にぶら下げられて、苦しさに従わせようとするものでも無い。
それは、美しい風景やさり気なく咲いている花を見て、あ~美しいなあ、と、自分自身の中から、自然に湧き出るものであると感じるし、それに触発されて、何か生きる気力(希望)が湧いてきた。
そういうのが、『自然に楽しめる喜び』と俺は考えているのである。
現代社会には、そのような、自然に楽しめる喜びが急激に減少してきているのも事実であろう。