メガリス

私の文章の模倣転用は(もしそんな価値があるなら)御自由に。
私の写真についての“撮影者としての権利”は放棄します。

篤姫の銅像建立へ

2009年08月20日 20時18分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 天璋院篤姫の銅像が鹿児島に建立されるそうだ。鹿児島市で開催されていた「篤姫館」の余剰金で建てられるとのこと。
 
鹿児島出身の歴史上の著名人なのだから結構なことだ。

 NHK大河ドラマ『篤姫』での彼女の言動や活躍の殆どは作り話だ。例えば、小松帯刀と幼馴染で恋愛感情が有ったとか、西郷隆盛の心を動かして江戸城無血開城を導いたという話も完全なフィクションである。彼女が書いた嘆願書も新政府軍に何の影響も与えなかった。そもそも、NHK『篤姫』の監修をした鹿児島大学の原口泉先生によると、そもそも其の嘆願書は西郷の手に渡らず彼はそれを読んでいない可能性が高いそうだ。

 実在の篤姫の業績・偉さというのは、嫁ぎ先の徳川家の人間になりきり自分の故郷薩摩が中心になって起こした大変動の波から徳川家を見事に守り抜いたことにある。宮尾登美子の原作もそういう古典的「婦道」の体現者として篤姫を描いた作品である。

 

 同余剰金の中から、鹿児島出身の俳優:榎木孝明氏が企画・主演する映画「半次郎」に3000万円が助成されるそうだ。
 
同映画では“西郷さんの犬”のオーディションを予定しているそうだ。
 
リチャード・ギア氏の「HACHI 約束の犬」を観て年齢相応にボロ泣きした私は「あの秋田犬を出して欲しい!西郷さん役にリチャード・ギア氏を!」とバカなことを思ったのだが、“和犬・雑種の中型犬”という条件だった。残念である。

 以下、南日本新聞(鹿児島市)サイトより引用。
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=18779
(引用開始)

 篤姫の銅像、鹿児島市に建立へ 「篤姫館」実行委、余剰金使い
(2009 08/18 23:50)
 3月に閉館した「篤姫館」の実行委員会(会長・森博幸鹿児島市長)が18日、市役所であり余剰金が1億4300万円余りと報告された。余剰金から4000万円かけ、篤姫の銅像を年度内に建立することが決まった。
 篤姫に関しては市内に形として残る史跡や記念物はなく、実行委で昨年から記念物の設置を求める意見が出ていた。
 像は40歳前後の写真を参考に高さ1.5~2メートル、台座は高さ1~2メートル。徳川家、島津家の了承も得た。制作は同市の彫刻家中村晋也氏(83)を第一候補として依頼する。場所は鶴丸城跡、大龍小学校校庭、中央公民館前など候補地9カ所から選ぶ。
 ほかに、俳優榎木孝明さん(53)が企画・主演する映画「半次郎」制作に3000万円助成することも決まった。

(引用終了)

 







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『篤姫』では創作し放題だったのに。何で?

2009年01月29日 00時50分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 篤姫と小松帯刀が友人で恋愛感情があったとか、13歳で将軍になったはずの家茂が何故か立派な青年(松田龍平)だったりとか、篤姫の働きかけで西郷隆盛が“改心”して武力討幕路線を放棄したとか、江戸城無血開城のあと北陸・東北・北海道では戦争は一切無かったとか、『篤姫』では創作し放題だったのに。
 登場人物の年齢の辻褄が少々合わないくらい、どうだって良いんじゃないのか、NHKさん?

>NHKは、原作の設定を変えたことについて、ドラマをより盛り上げる意図があったと説明しているが

 全然、意味がわからない。姉を妹に変更すると、何がどう「盛り上」がるの?

 以下、iZaより引用。

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NHK、大河で長澤まさみさんの設定変更

2009/01/28 21:18更新
 NHKは28日、放送中の大河ドラマ「天地人」で長澤まさみさんが演じる役の設定を、原作に従って真田幸村の妹から姉に変更したと発表した。大河ドラマの放送開始後に、主要キャストの設定を変更するのは異例。ホームページに掲載している人物説明も同日、変更した。
 長澤さんが演じる初音は、25日の放送で織田信長が上杉謙信の元に送った使者として登場。初音は架空の人物だが、主人公の直江兼続と幸村の年齢差を考えると、初音は当時、10歳未満になり、視聴者から「年齢の設定がおかしい」などの指摘があった。
 NHKは、原作の設定を変えたことについて、ドラマをより盛り上げる意図があったと説明しているが、「幸村の年齢がはっきりしていることもあり、視聴者の混乱を避ける意味で原作通りにすることにした」(広報局)としている。

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篤姫と小松帯刀は会ったことが無い。多分。

2009年01月15日 09時50分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 篤姫と小松帯刀は一度も会ったことが無い。
 両者の交流・恋愛はNHK大河ドラマ『篤姫』の中にしか存在しないフィクションである。

 “会ったことが無い”と断言したが、正確に言うと“会ったことを示す資料が一切無い”だ。だが、恐らく、二人は直接的な面識は無い。
  特に、篤姫が江戸に行き大奥に入ってからは、二人が住むのは完全に別世界である。
 可能性が僅かでも有るのは、小松帯刀が薩摩藩の家老になってからだが、その時代に会っていたなら何らかの記録等が残っているはずだ。御台所と薩摩藩家老の会見なのだから。だが、その事実を示す資料が一切無い。

 二人が親しく交流し恋愛感情があったというNHK大河ドラマ『篤姫』の描写は、『篤姫』製作陣のフィクションだ。

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北陸・東北・北海道の戦は無かったことに。NHK『篤姫』

2008年12月15日 03時17分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 「戦にこだわる西郷様を篤姫様が改心させたお陰で江戸城無血開城が成り、それ以後一切戦は無いまま平和のうちに明治の世を迎えることになったのでございます。」

 さすがに、そういうナレーションこそ入らなかったが、NHK大河サヨクプロパガンダドラマ『篤姫』では江戸城開城後の関東・北陸・東北・北海道での戊辰戦争は“無かった”ことにされてしまった。平成20年12月14日の最終回「一本の道」でも、一切触れられなかった。

 “何よりも平和を願い戦を嫌う篤姫が、西郷の心を動かし武力討幕方針を捨てさせ、江戸と日本を滅亡から救った。” そんなNHKのフィクションの辻褄合わせの為に、江戸城開城より後の戦争は無視されてしまったのだ。

 関東・北陸・東北・北海道の戦場になった地域に住む人々は果たしてどう思っただろう。自分たちの先祖が払った犠牲や味わった辛苦を、ウソ話に都合に悪いからとバッサリ切り捨てられてどう感じただろうか。

 彼らから苦情が来たら、製作陣らはどう答えるつもりなのだろう。

 「無かったことにしたわけではありません。構成の都合上、描かなかっただけです。」

 そう言うのかもしれないが、映像でも科白でもナレーションでも一切登場しなかった以上、NHK大河ドラマ『篤姫』の世界ではそれらの戦争は間違いなく“無かった”のである。

 近代日本誕生の過程で数多くの犠牲が払われ血が流された。今の日本があるのはそのお陰である。近代日本誕生の捨石となった人々に対する感謝と敬意を、我々日本人は抱き続けねばならないはず。戊辰戦争の犠牲者はその人々の多くの部分を占めている。たとえ創作物であっても完全無視されていいのだろうか?







江戸城開城後の戦は無かったことに?NHK『篤姫』

2008年12月14日 16時17分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHK大河ドラマ『篤姫』では、江戸城無血開城以後の関東・北陸・東北・北海道での戦争は無かったことにされるかもしれない。

 平成20年12月7日放送の第四十九回「明治前夜の再会」では、時期的には関東あるいは北陸・東北で戦をやっていたはずなのだが、ナレーションによる説明すら無かった。
 最終回まで観てみないと断定はできないが、そうなる可能性はある。そんな滅茶苦茶なと思うが、何しろ、第四十八回「無血開城」で“篤姫の努力によって西郷隆盛が武力討幕路線の非を認め改心したので江戸総攻撃は中止になった”というふうに描いてしまったから、それ以後の物語に整合性を持たせるにはそういうことにする以外無い。“反戦平和”路線に転じた西郷や官軍が戦をするわけにはいかないのだ。

 北陸・東北・北海道の戦場になった地域の人々にとっては、明治維新とはまさにあの戦争だったのではないか。もし、NHKが“反戦平和篤姫”の虚像を描き出すに江戸城開城以後の北陸・東北・北海道での戦を全く無かったことにしてしまったら、この地域の視聴者たちはどう思うのだろう。
 彼らから苦情が来たら、製作陣らは、どう答えるつもりなのだろう。

 まあ、まだ確定したわけではない。14日の最終回に注目したい。

 それにしても、NHK小松帯刀は、“リベラル”のくせして女性の「人権」は平気で無視するとんでもないヤツだ。
 正妻がいて妾との間には子供をもうけているのに、昔好きだった女性(篤姫)のところに押しかけて行って“昔、好きだったんです”と未練がましい告白をする。みっともないというしかない。

 小松帯刀の子孫の皆さんはNHK『篤姫』を観てどう思っておられるのだろうか。
 少年時代に篤姫と交流があったとか、西郷・大久保と後に袂を分かったとか、その他様々な史実と全然違う話を世間に喧伝されたら、私なら怒って抗議しているだろう。とにかく世間に名前が広まればそれでいいとは考えないと思うが。


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NHK西郷隆盛、「反戦平和」の軍門に降る。

2008年12月04日 13時08分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 「こん国を新しくしたかちゅう殿のご遺志を受け継ぐつもりが、いつの間にか、オイは、日本国を滅ぼそうちしておったとかも知れもはん。」

 NHK大河ドラマ『篤姫』第四十八回「無血開城」で、篤姫が勝海舟に託した島津斉彬公の手紙で公の「ご遺志」を思い出した西郷隆盛が江戸総攻撃中止を決断した後に勝海舟に向かってそう言った。
 NHK西郷隆盛は自分たちの武力討幕路線の誤りを悟りNHK篤姫・勝・小松ら反戦平和主義者の軍門に降ったのである。

 馬鹿馬鹿しい。

 もし江戸総攻撃が「日本国を滅ぼ」すことになるという認識を西郷が持ち自らの武力討幕路線を否定したのなら、その後の北陸・東北・北海道での戦は何故起きたんだ。”江戸と徳川家を攻撃すると日本は滅びるかもしれないが、徳川氏以外の旧幕府勢力との戦争なら問題ない”と西郷たちは考えたということか?馬鹿な。話の辻褄が全然合わなくなるじゃないか。

 もしかして、NHK『篤姫』では北陸・東北・北海道での戦争は無かったことにされ、“斉彬公の手紙で西郷様の心を動かした篤姫様のおかげで戦は回避され平和裡に明治の世を迎えることになったのでございます”ということになるのか。
 まさかとは思うが、有り得ないことではない。

 NHK『篤姫』では、西郷と勝はこの官軍江戸攻めに関する談判が“初対面”である。だが、史実の西郷と勝は以前から面識があった。元治元年(西暦1864年)9月11日の会談が有名だが、勝や其の使用人の話から、島津斉彬存命中にその引き合わせで会ったことがあるらしい。







NHK小松帯刀、何故かトーンダウン。

2008年11月27日 23時25分16秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 “戦”と聞いただけで条件反射的に「戦だけは避けねばなりません!」と金切り声をあげていたNHK大河ドラマ『篤姫』の小松帯刀。

 ところが、第四十五回「母からの文」で“何故反戦平和でなければならないか”の理由を解説するようになり、ついに、11月23日放送第四十七回「大奥の使者」では、「“無益な戦は”避けねば」というふうにトーンダウンしてしまった。
 どうした、NHK帯刀?情勢分析も戦略も駆け引きも大義名分も何も関係無しに、ただ反戦平和主義者の馬鹿の一つ覚えで「戦だけは避けねばなりません!」と絶叫してこそのキミじゃないか。
 それとも、“戦争はしないほうがいいに決まってるが、避けて通れない戦争もある”という人類普遍の当たり前の真理に、キミも、四十七回目にしてついに気づいてしまったのか?だとしたら、遅すぎる。

 前回「大奥の使者」の終わり方や第四十八回予告編をみると、どうやら物語は、“江戸城無血開城は、勝海舟に西郷隆盛との直談判を命じ其の談判の席で西郷に江戸総攻撃を思いとどまらせることになる何かを託した篤姫の手柄”という展開になりそうな気配だ。
 実在の天璋院(篤姫)もあの世でビックリだろう。現代風の言い方なら「えー!?私、そんなことしてないわよぉおお!」と言ってるだろう。
 テレビドラマや小説や萬画の内容を真実だと思い込む◯◯が沢山いるんだがね。。。どうするんだ。


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坂本龍馬は反戦平和主義者ではないよ。NHK『篤姫』

2008年11月16日 23時33分30秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

「どうすれば戦にならずに済むか。坂本(龍馬)さんはそればかり考えていた。」
 NHK『篤姫』第四十六回「慶喜救出」でNHK小松帯刀がこう言った。ただの作り話である。

 幕臣大久保一翁(おおくぼ いちおう)や福井藩主松平春嶽(まつだいら しゅんがく)らが発案提唱した大政奉還策を、坂本龍馬は地元土佐藩浮揚の一手として後藤象二郎に示した(と伝わるが、この話にもちゃんとした根拠は無い)。ただそれだけで、龍馬は大政奉還に関して他に何もしていない。何もしていないどころか、大政奉還建白に走り回っている後藤が知らないところで、木戸孝允への手紙に“(武力討幕派の)乾(板垣)退助に相談し、後藤は土佐か長崎に引っ込める”などと土佐藩政に何の影響力も持たない龍馬に出来るはずの無い出鱈目なハッタリをかましたりしている。
 龍馬は所謂「武力討幕派」と「大政奉還派」の間を状況次第で右往左往していて、「結局、キミはどうしたいワケ?」と聞きたくなるようなみっともない尻軽男ぶりである。

 坂本は「どうすれば戦にならずに済むか」ばかりを考えている“反戦平和主義者”ではない。だいたい反戦平和主義者がピストルなんか持ち歩いて、奉行所の捕り方を二人も射殺したりするか。

 この番組において坂本龍馬や小松帯刀を反戦平和主義者であるとするのは製作陣らの作り話である。
 何のための作り話か。
「反戦平和主義者である坂本龍馬や小松帯刀は早く死に、彼らと違って好戦的な西郷・大久保らが近代日本を造った。近代日本は最初から好戦的な“間違い日本”だったのだ。“好戦的間違い日本”がアジアを侵略したのは当然なのだ。」このように明治維新・近代日本誕生にケチをつける為だろう。

 NHKは、そのプロパガンダを再来年の大河ドラマ『龍馬伝』でまたしつこく繰り返すつもりでいるのだろう。






反戦平和を”解説”する篤姫・小松帯刀

2008年11月14日 23時04分16秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 最近NHK篤姫・小松帯刀が反戦平和の“解説”をするようになった。

 「戦はもう嫌にござりますね。」
 「戦だけは避けねばなりません!」
 NHK大河反日サヨクプロパガンダドラマ『篤姫』に登場するNHKサヨク篤姫・小松帯刀は、以前は、条件反射的にこう言うだけだった。

 だが、平成20年11月9日20時より放送の『篤姫』第45回 「母からの文」 から、なぜ戦だけは避けるべきなのかの“解説”をするようになった。
 薩長と徳川が武力衝突する可能性を勝海舟から示唆されたNHK篤姫がこう言う。「戦はならぬ。戦だけは避けねばならぬ。」「勝とうが負けようが、戦とは決して人を幸せにはせぬもの。それだけは私にも判る。」
 また、薩摩の計略に乗った旧幕府方による薩摩藩邸焼き討ちにより双方の軍事的衝突が確実な情勢に至ったことを知ったNHK小松帯刀は悲嘆しこう言う。「戦が起これば人が死ぬ。日本国の行く末が見えぬままの戦なら、その者たちは皆無駄死になる。そうせぬ為に必死に闘ってきたはずだったのに。」

 興味深い変化だ。
 「戦争反対!と叫びさえすれば、一人残らず黙って賛同し拍手してくれるはずだったのに。。。どうも、最近そうじゃないみたいだ。。。」
 「反戦平和主義」信仰で頭が凝り固まった製作陣らも、さすがに、やっと世間の空気を察したのではないだろうか。

 「これではいけない!反戦平和・暴力反対・人命第一の真理を愚かな国民どもに再教育しなければならない!」
 お節介にもそう思い、ご丁寧に“解説”を付け加えるようになったのだろう。

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突然、足痛発症NHK小松帯刀

2008年11月14日 13時59分23秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHK小松帯刀が足痛を患った状態で登場した。

 平成20年11月9日20時より放送のNHK大河ドラマ『篤姫』第45回 「母からの文」 で、突然、小松帯刀が足痛により歩行困難な状態で登場した。視聴者の多くが「彼の身に突然何が起きたのだろう」と当惑したに違いない。

 実在の小松帯刀は元来病弱で、彼の足は以前から調子が悪かったのだ。(美食家だった彼は糖尿病を患い足痛もそれによるものという説がある。)大政奉還の後に急病を発したわけではない。
 事前に“病で足の状態が思わしくない”という状況を描き込んでいればよかったのに、何故そうしなかったのか。

 そう言えば、物語がまだ序盤の頃、薩摩時代の篤姫が幾島(松坂慶子)と初めて会った時、それまで今で言う共通語で喋っていた篤姫が突然薩摩訛りに変身するという奇妙な場面があった。後に続く「姫様の言葉には薩摩訛りがある」と幾島が注意するセリフと辻褄を合わせる為の泥縄式演出である。

 この番組の製作陣は“伏線を張る”というごく基本的なことも出来ないほど無能なのかな? 

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大河ドラマ『篤姫』に関する私の「下司の勘繰り」

2008年10月02日 21時44分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHK大河ドラマ『篤姫』に関し、私は下記のような「下司の勘繰り」をしている。

 一般にその人物像があまり知られていない篤姫と小松帯刀を、反日サヨク好みの反戦平和・暴力反対・人命第一の進歩的人物であったという嘘まみれの虚像に仕立てて持ち上げ、一方で、西郷隆盛や大久保利通といった従来広く知られてきた維新の志士達を、人命軽視・好戦的・暗愚な連中だったのだという出鱈目な描写をして貶める。
 そして、開明的な小松(や坂本龍馬ら)がせっかく実現させた反戦平和路線(大政奉還)を、好戦的で暗愚な西郷らが無理やり潰し不必要な戊辰戦争を起こしたという印象付けをする。

 そしてこう言うのだ。
 「日本はかつて誤った道を歩んだが、それは明治に入って以降に道を誤ったのではない。明治維新自体がそもそも間違っていたのだ。間違わせた犯人は愚かな西郷や大久保らだ。
 進歩的開明的な小松帯刀や坂本龍馬が長生きし活躍していたら、アジアを侵略したりしない反戦平和・暴力反対・人命第一の“正しい日本”を創っていたはずだ。
 近代日本は最初から“間違い日本”だったのだ!」

 そういう反日サヨク史観を『篤姫』で国民に植付け、再来年に(つまり、たった1年しか間を置かず)放送する『龍馬伝』で完全に定着させる魂胆なのではないか。

 これは私の「下司の勘ぐり」だろうか。
 NHK大河ドラマ『篤姫』の今後の放送を観ればそれは判ってくるだろう。




脅しがいけないならどうすべきだったと?『篤姫』

2008年09月21日 02時02分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHKの大河ドラマ『篤姫』をほとんど惰性で観ている。

 先週分の録画を今日観た。
 プロデューサーも演出家も脚本家も何も考えていないのか?と思った。
 幕政改革を要求する勅命を拒否し続ける幕府役人を、“受入れなければ斬る”ことをちらつかせるという強引なやり方で薩摩藩が言うことをきかせる。
 このことに対して篤姫は怒り、準主役ともいうべき小松帯刀は「こういうやり方には納得いきません」と言い、勝海舟までが「力で人を動かそうというのは下の下。心で動かすべきだ」などという青臭い薄気味悪いセリフを吐く。
 では、そういう脅しがいけないというなら、あの時どういう手段を用いて幕府に改革案を呑ませれば良かったのか。それとも、この時の幕政改革自体が不要のものだったのか?肝心なそれらの点については全く語らない。
 戦後世間に広まった空疎なお題目である「暴力反対・絶対平和」思想に無批判に追従しているだけだ。うんざ
り。

 






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突然、薩摩訛りになった篤姫。

2008年03月08日 22時11分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHK大河ドラマ『篤姫』。一応毎週見ているが、面白いからではなく、関心ある幕末維新モノなので成り行きを見守っているだけだ。良いとは思わない。
 「幕末ホーム&青春ドラマ」を目指すというのは、大河ドラマらしいしっかりした幕末物を作る気も能力も無いので、替わりにありふれた現代劇的方針に逃げて誤魔化しているだけのような気がする。
 その方針と関係が深いが、時代の習俗や史実をあまりに軽視し過ぎだ。姫が少年と二人きりで外出して茶屋で話をしたり、野太刀自顕流で「手合わせ」をしたりと、細かい所を数え上げたらキリが無い。特に問題だと思うのは、少女時代の篤姫が西郷や大久保や小松帯刀らと交流を持つという点。これも完全にNHKの創作である。娯楽作品だから、全て史実に忠実にやるべきとは言わない。しかし、篤姫や小松帯刀のように世間一般に広く知られるのがほぼ初めてと思われる人物について、そこまで大胆に史実と異なる描写をしていいのかという疑問を強く感じる。
 全体的に雑で、ちゃんと考えて創られていないのではないかという印象も抱いている。
  この前、篤姫が松坂慶子の演じる教育係“幾島”と初めて会う場面があった。篤姫が何か言った後に、幾島が篤姫の話し方について「薩摩訛りがある」と指摘する。それは、宮崎あおいが登場して以来ほぼ初めての一定の長さのある薩摩訛りの台詞だった。それまでは篤姫の台詞は殆どが薩摩訛りの無い江戸弁だったのだ。幾島の台詞、そして、その後の篤姫が江戸弁の稽古をさせられる場面と辻褄を合わせる為、篤姫は突然薩摩訛りに変身したである。プロデューサーと演出家の失敗である。

  良いところもある。
 ペリー来航は「欧米列強の武力による恫喝である」と、そして、「外国の恫喝に屈しない為に日本は武力を備えねばならない」と、登場人物の台詞を通して、言い切っている。
 薩摩藩主島津斉彬を始めとする幕末維新期の偉人達は、単に日本が遅れているからという漠然とした理由で近代化の道を急いだのではなく、アジアを蹂躙する欧米列強の魔手から日本の独立を守るという切迫した目的の為に必死の努力をしたのだと強く訴える内容になりそうな“気配”がある。これは、私が勝手に期待しているだけかもしれない。今後、注目したい。

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今週もファンタジー。NHK『篤姫』第2回

2008年01月14日 04時32分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHK大河ドラマ『篤姫』第2回を見た。
  先週に引き続きファンタジー路線をひた走っている。

  第1回で於一(おかつ、のちの篤姫)の父親に直訴に来た西郷吉之助が、そのことを詫びに来る。父は許すが、於一の兄が「父上がお許しになっても俺は許さんぞ」と言い、太さ5センチ弱ほどの木刀で殴りかかる。
  薩摩の実戦剣法として有名な野太刀自顕流(のだちじげんりゅう。薬丸自顕流)のつもりかもしれないが、本来なら裂帛の気合を込めて絶叫する 「ツェーッ!」という声が実に弱々しい。ただ「ツェーッ」と“言っている”だけ。全く迫力の無い腑抜けジゲンリュウだ。そのせいなのか、西郷は計3回も肩を強打されたのに、平気でスタスタ歩いて帰っていく。
  有り得ない。
  本当なら第一撃「一の太刀」で西郷は肩を砕かれ地べたに這いつくばり、下手をすればショック死である。
  物語の展開上、ここで自顕流での乱闘場面を織り込む必要があったらしいのだが、脚本の田渕久美子氏が馬鹿なのか、演出の佐藤峰世氏が馬鹿なのか、とにかく自顕流というものを全然判っていないか或いは軽視しているため、まるで見当違いの間抜けな場面になってしまっている。
  この後に自顕流がらみの場面が再び登場する。
  西郷とその仲間数人が子供たちと自顕流の稽古をしている所に、肝付尚五郎少年が通りかかる。尚五郎は西郷に「手合わせをお願いしたい」と申し出る。
  自顕流には「手合わせ」など無い。自顕流は「一の太刀」による一撃必殺を目標に稽古をする。「手合わせ」なんかしたらどっちかが大怪我するか死ぬ。
  結局、大久保正助(のちの大久保利通)が「手合わせ」の相手をして、尚五郎は肩を打たれ負けるのだが、大久保の家で肩を冷やしてもらう程度のことで済んでしまう。有り得ない。
  自顕流は他の剣術とは全然違うのだということをさっぱり判っていない、か、完全無視している。
 
 鹿児島には「明治維新は薬丸流が叩き上げた」という言葉があるそうだ。泰平の世に“平和ぼけ”していた他藩の武士たちにとっては信じ難いほどの野太刀自顕流の圧倒的な強さが幕末維新期における薩摩藩士の活躍を支えたのだ。脚本田渕久美子氏と演出佐藤峰世氏は、多分そういうことも知らないのか、無視している。

  今週も、於一は尚五郎と一緒にお出かけをしている。有り得ない。

↓参考文献。『薩摩の秘剣 野太刀自顕流』著:島津義秀(新潮新書)






正直がっかり。NHK『篤姫』第1回

2008年01月09日 00時13分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHKの大河ドラマ『篤姫』の第1回を見た。
 正直がっかり。
 主役の宮崎あおいの初登場場面は、少女時代の於一(おかつ、のちの篤姫)が男装して武士の子弟(男ばかり)の論語の授業に潜り込み、先生に見つかる、という内容。出来のまるでショートコントだ。
 江戸時代に、特に、薩摩藩でそんなことをしたら、間違いなく“気狂いの姫”の烙印を押され座敷牢に幽閉である。また、女子が紛れ込んでいることがわかっ たら、教室内は大変な恐慌状態になったはずだが、子弟たちの反応は「何でおなごがいるんだ」という程度の軽いもの。時代の空気というものを全く無視してい る。
 終盤では、於一が肝付尚五郎(後の小松帯刀)という少年と一緒に、調所笑左衛門(ずしょ しょうざえもん)の屋敷に行き門前で大声で抗議する。
 分家とはいえ藩主の血筋のお姫様が従者も連れず、家臣の息子と二人っきりで、そこら辺を歩き回ったりするか。現代の少女でもしないような他家の門前で大声で喚くということをするか。絶対ありえない。
 幾ら一般大衆向けの娯楽作品とはいえ、無茶苦茶。
 娯楽作品であるから、史実に完全に忠実にやれとは言わないが、私のように特に歴史に詳しいわけでもない一般視聴者にまで違和感を抱かせるような筋立て・演出はすべきではないだろう。