メガリス

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「日本国民に誇り」93% 「誇り」に思うならしっかり守らねば。外国人参政権など有り得ない

2008年01月24日 21時18分00秒 | 国事

 以下、平成20年1月24日のYOMIURI ONLINEより引用。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080124-OYT1T00522.htm?from=main1

「日本国民に誇り」93%で過去最高…読売調査

  日本国民であることを誇りに思う人は93%に達し、「国の役に立ちたい」と考える人も73%に上ることが、読売新聞社の年間連続調査「日本人」で明らかになった。 

 いずれも、過去の本社調査と比べて最も高い数値。戦後60年余りを経た今の日本人の「国家意識」の高まりがうかがえる。

 今回の調査は、連続調査の1回目として「国家観」に絞って12~13日に面接方式で実施したもので、今年で開始30年となる本社毎月世論調査の過去の結果とも比較し、変化を探った。

  今回、日本国民であることを「非常に誇りに思う」と答えた人は55%で、「少しは誇りに思う」は38%だった。「誇りには思わない」は6%に過ぎなかっ た。本社調査では同じ質問を1980年、86年、95年にも行っており、「非常に」「少しは」の合計は91%(86年)、「非常に」は54%(80年)が 最高値だったが、今回はいずれもこれを上回った。

  「日本の国や国民について、誇りに思うこと」の具体的内容を複数回答で選んでもらったところ、「歴史、伝統、文化」を挙げた人が72%で最も多く、「国土 や自然」43%、「社会の安定・治安」「国民性」(各28%)などがこれに続いた。86年の同様調査と比べると、「歴史、伝統、文化」が19ポイント増え た一方、「教育・科学技術水準」が22ポイント減の19%、「経済的繁栄」が17ポイント減の19%に落ち込んだのが目立った。

 「国民の一人として、ぜひとも国の役に立ちたい」との考え方については、「そう思う」が73%だったのに対し、「そうは思わない」は20%だった。2005年の同様調査ではそれぞれ68%、28%で、国への貢献を前向きにとらえる意識が強まったことがわかる。

  政府のあり方について、「小さな政府」と「大きな政府」のどちらを望むかを尋ねたところ、「小さな政府」を選んだのは38%で、「大きな政府」の33%を 上回った。ただ、00年の同様調査と比べると、「小さな政府」を望む人は9ポイント減り、「大きな政府」を求める人は4ポイント増えた。この間に小泉内閣が進めた市場原理主義的な構造改革で、格差問題が深刻化したことなどが影響したようだ。


(2008年1月24日19時25分  読売新聞)



>戦後60年余りを経た今の日本人の「国家意識」の高まりがうかがえる。

 単純に『「国家意識」の高まり』と言えるだろうか。自分の国を他国と比較し冷静に観て考えられるようになったということなのでは。

 当たり前の結果であると思う。
 問題は多々有りと言えどもこんな良い国の国民として生まれながら、それを「誇り」に思わない人間が居るというのは、私には信じられないことだ。

 日本や日本人を「誇り」に思うなら、しっかり守らねば。
  外国人、それも日本で生まれ育ちながら日本を嫌い日本人に不平不満ばかり言っている(そのくせ海外に出ると日本人のふりをする)ような連中に参政権など渡したら、日本をメチャクチャにされてしまうのは目に見えている。










今週もファンタジー。NHK『篤姫』第2回

2008年01月14日 04時32分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHK大河ドラマ『篤姫』第2回を見た。
  先週に引き続きファンタジー路線をひた走っている。

  第1回で於一(おかつ、のちの篤姫)の父親に直訴に来た西郷吉之助が、そのことを詫びに来る。父は許すが、於一の兄が「父上がお許しになっても俺は許さんぞ」と言い、太さ5センチ弱ほどの木刀で殴りかかる。
  薩摩の実戦剣法として有名な野太刀自顕流(のだちじげんりゅう。薬丸自顕流)のつもりかもしれないが、本来なら裂帛の気合を込めて絶叫する 「ツェーッ!」という声が実に弱々しい。ただ「ツェーッ」と“言っている”だけ。全く迫力の無い腑抜けジゲンリュウだ。そのせいなのか、西郷は計3回も肩を強打されたのに、平気でスタスタ歩いて帰っていく。
  有り得ない。
  本当なら第一撃「一の太刀」で西郷は肩を砕かれ地べたに這いつくばり、下手をすればショック死である。
  物語の展開上、ここで自顕流での乱闘場面を織り込む必要があったらしいのだが、脚本の田渕久美子氏が馬鹿なのか、演出の佐藤峰世氏が馬鹿なのか、とにかく自顕流というものを全然判っていないか或いは軽視しているため、まるで見当違いの間抜けな場面になってしまっている。
  この後に自顕流がらみの場面が再び登場する。
  西郷とその仲間数人が子供たちと自顕流の稽古をしている所に、肝付尚五郎少年が通りかかる。尚五郎は西郷に「手合わせをお願いしたい」と申し出る。
  自顕流には「手合わせ」など無い。自顕流は「一の太刀」による一撃必殺を目標に稽古をする。「手合わせ」なんかしたらどっちかが大怪我するか死ぬ。
  結局、大久保正助(のちの大久保利通)が「手合わせ」の相手をして、尚五郎は肩を打たれ負けるのだが、大久保の家で肩を冷やしてもらう程度のことで済んでしまう。有り得ない。
  自顕流は他の剣術とは全然違うのだということをさっぱり判っていない、か、完全無視している。
 
 鹿児島には「明治維新は薬丸流が叩き上げた」という言葉があるそうだ。泰平の世に“平和ぼけ”していた他藩の武士たちにとっては信じ難いほどの野太刀自顕流の圧倒的な強さが幕末維新期における薩摩藩士の活躍を支えたのだ。脚本田渕久美子氏と演出佐藤峰世氏は、多分そういうことも知らないのか、無視している。

  今週も、於一は尚五郎と一緒にお出かけをしている。有り得ない。

↓参考文献。『薩摩の秘剣 野太刀自顕流』著:島津義秀(新潮新書)






正直がっかり。NHK『篤姫』第1回

2008年01月09日 00時13分00秒 | NHK大河ドラマ『篤姫』

 NHKの大河ドラマ『篤姫』の第1回を見た。
 正直がっかり。
 主役の宮崎あおいの初登場場面は、少女時代の於一(おかつ、のちの篤姫)が男装して武士の子弟(男ばかり)の論語の授業に潜り込み、先生に見つかる、という内容。出来のまるでショートコントだ。
 江戸時代に、特に、薩摩藩でそんなことをしたら、間違いなく“気狂いの姫”の烙印を押され座敷牢に幽閉である。また、女子が紛れ込んでいることがわかっ たら、教室内は大変な恐慌状態になったはずだが、子弟たちの反応は「何でおなごがいるんだ」という程度の軽いもの。時代の空気というものを全く無視してい る。
 終盤では、於一が肝付尚五郎(後の小松帯刀)という少年と一緒に、調所笑左衛門(ずしょ しょうざえもん)の屋敷に行き門前で大声で抗議する。
 分家とはいえ藩主の血筋のお姫様が従者も連れず、家臣の息子と二人っきりで、そこら辺を歩き回ったりするか。現代の少女でもしないような他家の門前で大声で喚くということをするか。絶対ありえない。
 幾ら一般大衆向けの娯楽作品とはいえ、無茶苦茶。
 娯楽作品であるから、史実に完全に忠実にやれとは言わないが、私のように特に歴史に詳しいわけでもない一般視聴者にまで違和感を抱かせるような筋立て・演出はすべきではないだろう。