国や民族や個人にとって非常に大切な歴史・来歴を軽んじそれらを好き放題に弄んでいるのだが何故か矛盾と混乱だらけのNHK大河ドラマ『龍馬伝』第27回「龍馬の大芝居」。
史実では、勝海舟が江戸に召還され軍艦奉行を罷免される2ヶ月ほど“前”に、龍馬は西郷に会い自分たち土佐浪人一党を使ってくれるように頼んでいる。その後龍馬は関西を離れ関東に向かった。小松帯刀が大久保利通に宛てた手紙によれば、自前の船の調達を図っていたらしい。しかし結局それは不調に終わったようで、翌年元治2年3月頃に龍馬は京都に上り薩摩藩邸の庇護下に入る。
今回の土佐での「大芝居」は、資料上は行方不明のその約半年の間の出来事ということになるようだ。
(番組内容開始)
京都伏見の寺田屋で、龍馬は母上そっくりさん女将お登勢に「薩摩の人間はどんな人たちか?」と問う。「薩摩の人たちに嫌な思いをさせられたことは一遍も無い」と答えるお登勢。
(内容終わり)
文久2年(西暦1862年)4月、龍馬脱藩の約1ヶ月後に、寺田屋で薩摩藩士同士の斬り合いが起き7名が死亡するなどしている。これを寺田屋事件、あるいは寺田屋騒動と言う。念のために言うが、龍馬が伏見奉行所の捕り方に襲われた寺田屋事件とは別の出来事である。私は混乱を避ける為に、この文久2年の寺田屋事件を「薩士寺田屋事件」、龍馬が襲われた事件の方を「龍馬寺田屋事件」と呼び区別している。
お登勢にとっては「薩士寺田屋事件」は無かったことになっているらしい。
(番組内容開始)
土佐藩邸に龍馬宛の岩崎弥太郎からの手紙が届く。龍馬の所在を知っていた溝渕広之丞(ピエール瀧)がたまたまそれを見かけ龍馬に渡す。
手紙の内容は「岡田以蔵と武市半平太が投獄され、岡田は拷問を受けている。一番の友人だったお前は何処で何をしているのか。土佐に戻れ」というもの。
(番組内容終了)
滅茶苦茶。龍馬は脱藩者だ。土佐藩邸止めで手紙を出しても龍馬の手には渡らない。弥太郎がそんな無意味な手紙を書くわけない。仮に書いたとしても、そもそも、脱藩者宛ての手紙など預かって貰えるはずがないじゃないか。
(番組内容開始)
ピエール溝渕の手引きで密かに土佐に入国した龍馬は家族と再会する。
「武市さんを助ける為」という理由で、龍馬は坂本家から「絶縁状」を出してもらう。
弥太郎を使って吉田東洋暗殺事件の詳細を把握した龍馬は、後藤象二郎に「ワシが吉田を斬った。手柄を武市に横取りされてはかなわん」とウソの自白をし、逃走する。
(番組内容終了)
NHK龍馬が「絶縁状」を求めるのは、彼が何か大きな事を起こす結果として、或いは過去に起こしたという理由で、坂本家に累が及ぶことを回避する為であるのは明らかだ。
だが「絶縁状」を出した龍馬の兄も他の家族も「武市さんを助ける為に」龍馬が何をするつもりなのか全然聞こうともしない。
坂本家は揃いも揃って推理力の欠如したノータリンばかりなのか?それとも”龍馬がどうなろうと私たちが迷惑を蒙らなければそれでいいもんね”と思っている冷血漢ばかりなのか?何れにせよ、坂本家御一同サマは普通ではない。
NHK龍馬も普通ではない。
龍馬が何をしたところで、武市や岡田を救えるはずがない。吉田東洋暗殺の疑いだけで武市や岡田が捕まっているわけではないからだ。そのことは龍馬も判っているはずだ。
一体何を狙いとしての行動なのか全然判らない。
以前から、反戦平和生命至上主義者なのに海軍設立を目指すというイカレた二重人格者だったが、いよいよおかしくなってしまったらしい。
NHK龍馬が東洋暗殺犯を詐称するのは、後の龍馬暗殺に関する伏線の一つかもしれない。
龍馬暗殺の実行犯は京都見廻組(きょうと みまわりぐみ)であるというのが定説だ。見廻組与頭(くみがしら)佐々木只三郎(ささき たださぶろう)に「御差図(おさしず)」を出したのは、京都守護職の会津藩主松平容保(まつだいら かたもり)か、その実弟で京都所司代の桑名藩主松平定敬(まつだいら さだあき)であるというのが最有力でほとんど定説になりつつある。(未だに「幕末最大のミステリー」などと言っているのは、単に人目を引く面白いお話が作れたらそれでいいテレビ屋さんや、適当な内容の龍馬本で金儲けをしたいだけの文筆家ぐらいのものだ。近代史を専門とする歴史学者でこの問題について未だにアレコレと独自説を唱えている人は絶無と言ってよい。)
この『龍馬伝』ではその定説・最有力説を含め「後藤象二郎黒幕説」「薩摩藩黒幕説」「紀州藩黒幕説」「新撰組説」といった特定の説に偏らない描き方になるのではないか、という予想を私はしている。後藤象二郎も西郷隆盛も紀州藩も桑名藩も会津藩も幕府も新撰組も京都見廻組も、龍馬を取り巻く皆が“NHK的反戦平和生命至上進歩的文化人龍馬”を疎んじ命を狙っているように見える状況の中で、龍馬が何者かに襲われ殺害される、そして実行犯も黒幕も判然としない、そういう描き方になるのではないかと思う。“時代に突出していたNHK的反戦平和生命至上進歩的文化人龍馬は、言わばあの「時代」に殺されたのです”、そういうことにするつもりなのだろう。
「後藤象二郎黒幕説」では、龍馬が所謂“武力倒幕派”に転んだと看做された為に中岡慎太郎と一緒に消された、あるいは、後藤が大政奉還実現の手柄を独り占めにする為に殺したとされる。[所謂“大政奉還派”と“武力倒幕派”は対立していたわけではない。両者の関係は、例えるなら一本のトンネルを山の両方向から掘っている二つの班のようなものだ。元々大政奉還建白の運動は殆ど全部後藤の仕事だ。龍馬は幕臣大久保一翁(おおくぼ いちおう)・福井藩主松平春嶽(まつだいら しゅんがく)が提唱した大政奉還策を後藤に教えただけで、大政奉還については何もしていない。]
『龍馬伝』物語上の後藤象二郎黒幕疑惑の補強材料として、“後に龍馬は「大芝居」であったことを後藤に告白するが、後藤はやはり龍馬が真犯人なのではないかと強く疑っていて復讐を考えていた”ということにするつもりではないだろうか。