メガリス

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龍馬伝説「短刀・拳銃・万国公法伝説」はウソである。

2010年03月29日 00時26分27秒 | 幕末維新

 “坂本龍馬の影響で短刀や鉄砲を所持するようになった友人に、龍馬が「これからはこれだ」と言って『万国公法』という本を見せた”という龍馬伝説「短刀・拳銃・万国公法伝説」は作り話である。

 ウィキペディアを見ると、この件については正しく「史実ではない」と記述してあり、引用する。(適宜、改行を入れた。)

 以下、ウィキペディア「坂本龍馬」項より引用。

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 当時土佐藩士の間では長刀をさすことが流行していた。あるとき龍馬の旧友が龍馬と再会したとき、龍馬は短めの刀を差していた。そのことを指摘したところ「実戦では短い刀のほうが取り回しがよい」と言われ、納得した旧友は短い刀を差すようにした。

 次に再会したとき、旧友が勇んで刀を見せたところ龍馬は懐から拳銃を出し「銃の前には刀なんて役にたたない」と言われた。納得した旧友はさっそく拳銃を買い求めた。

 三度再会したとき、旧友が購入した拳銃を見せたところ龍馬は万国公法(国際法)の洋書を取り出し「これからは世界を知らなければならない」といわれた。もはや旧友はついていけなかったという。

 これは龍馬の性格を鮮やかに描写しているものの、あくまで逸話であって史実ではない。逸話の起源は、定かではない。 

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 「旧友」を土佐勤王党の同志である檜垣清治と明記する本もあるとのことだが、とにかく、実在の坂本龍馬とは異なる“架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬”についてのウソ話「龍馬伝説」の一つである。






“国を守るのは悪”か?NHK『龍馬伝』第10回

2010年03月17日 23時12分00秒 | NHK大河ドラマ『龍馬伝』

 国を守るのは大事なんだよ、NHK反戦平和生命至上ノータリン龍馬クン。他ならぬ自分自身と愛する人々の為にね。 

  NHK『龍馬伝』(チーフ・プロデューサー鈴木圭)第10回「引きさかれた愛」。

  反戦平和生命至上龍馬クンは今週もノーテンキ。恋の相手加尾に”黒船を作って家族と、お前を乗せて、外国を見に行きたい”などとアホな夢を語っている。日本の置かれた状況など反戦平和生命至上ノータリン龍馬クンには全く関係ない。
 ところが、加尾が、武市半平太や兄平井収二郎らの工作によって尊皇攘夷派の公家三条実美のもとに奉公に出されることになる。京都の情勢を探り武市らに報告させる為だ。これを知った龍馬は激怒し武市に詰問する。「攘夷とはそんなに大事なことか?」「ワシは大事なものは命を懸けて守る!」
  確かに恋人も愛も大事なものだけど、西欧列強に日本が侵略されたらその恋人も愛もメチャクチャにされてしまうかもしれないのだよ、反戦平和生命至上ノー タリン龍馬クン。自分のことだけでなく少しは世の中のことも考え給え。まあ、キミは黒船で国外逃亡するから関係ないつもりかもしれないが。

 『龍馬伝』では攘夷を唱える武市・平井収二郎らを徹底的に悪者扱いバカ扱いしている。“国を守るだの言っている人間はバカだ、悪人だ、 最低のクズだ。” そう言いたいのだろう。
 日本人から国を守る気概を完全に奪い去り、近い将来の中共サマによる「
日本解放」を少しでも手助けしたい。そういう一心なのではないか?さすがにそんなことはないと思うが、そういうゲスの勘繰りを、私はしてしまう。

 


 



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男系維持反対ですか?小林よしのり先生

2010年03月15日 23時12分00秒 | 皇室

 今日、駅近くの書店で『SAPIO』誌(小学館)に掲載された小林よしのり氏「ゴーマニズム」宣言を少し立読みした。

 電車の時間が迫っていたのでざっと読んだだけだが、読んだ部分は、要するに男系皇統継承維持の為に戦後臣籍降下した旧宮家を皇籍復帰させるということは絶対無理という論だった。

 小林氏は、仮に旧宮家から天皇が出るとすると過去の天皇との繋がりを見出すには600年も遡らないといけないという事実を挙げ、従って「天皇との血が薄い」旧宮家の方々が天皇になることを国民が納得するのは難しい旨を語っていた。

 全く同意出来ない。

 神話的時代から現代に至るまで貫かれてきた、天皇となる為の生物学的条件は“父親、その父親、またその父親と男系を辿っていくと初代神武天皇に行き着く”という一点のみである。今上陛下から数十代前までの最近の天皇との血縁が薄い濃いは全然関係ない。

 600年間皇室と全く無関係だった庶民だというならまだ少しは話がわかるが、旧宮家の方々は数十年前までは皇族であった方やその子孫であり現在でも皇室とお付き合いを保たれている。国民に理解が得られないということはない。

 この何十年か普通の日本国民として過ごされていたからといっても、それは皇籍復帰の障害にはならない。天皇陛下も他の皇族の方々も生物学的には我々庶民と全く同じ人間だ。何か特別な身体的特長や或る種の超能力みたいなモノをお持ちというわけではない。“普通の日本国民としてちゃんと過ごされている”ということは皇籍復帰するに十分な資格である。

 また、小林氏は、際限なく皇族が増えては困るという理由で戦前に制定された“宮家の一部を将来自動的に臣籍降下させる”という或る規則を挙げて、活発に活動されている有名な竹田恒泰氏を始めとする旧宮家のある部分の方々は、現に実施された臣籍降下が無かったと仮定してもやはり既に宮家ではなくなっていると言う。そしてGHQが皇室予算を削らせ宮家の臣籍降下に追い詰めたことは事実であるがその「陰謀」というわけではないとする。

 いったい何を言いたいのか。私にはさっぱり理解不能だ。

 戦前に”皇族が増えすぎないように”という理由で制定されたその規則が仮に戦後も有効だったと仮定しても、制定時と正反対の心配を皆がし始めたらその規則は当然廃止または休止されたはずではないか。それに、GHQが圧力をかけた事実が厳然として有るのに陰謀はないと何故言えるのか。

 

 小林氏は、悠仁親王殿下が成人されても殿下と結婚し男子を産むことを期待される大変な立場につきたがる女性がいるはずはない旨を断言していた。

 何でそんなことが言いきれるのか。そういうプレッシャーに耐えてでも殿下を愛し皇太子そして天皇の妻となりたいと考える女性はやはり居ると考えるのが普通の感覚だろう。

 (他にもいろいろ書いてあることがあったが、読む時間が無かった。興味の有る方はSAPIO誌をお読み頂きたい。)

 以前小林氏の『天皇論』を読んだ限りでは、氏は”男系の伝統が維持できるならそれが良いが仮に女系天皇が出現しても天皇の本質は変わらないから失望はしない”という穏健な女系天皇容認論者だったはずだ。
 いつのまにか、それを通り越して奇妙な理屈を振り回す”男系維持反対論者”になってしまったのだろうか。

 名著『戦争論』で私の他多くの国民を戦後民主主義教育の洗脳から開放してくださった小林よしのり先生。いったい、どうしてしまったのだろうか。

 


架空のウソ話「龍馬伝説」を拡大再生産する悪質龍馬業者

2010年03月15日 09時59分00秒 | 幕末維新

 平成21年10月18日夜7時からTBS系で『有名人出題クイズ!オレたちクイズMAN』(チーフプロデューサー 安田淳)という番組が放送され、武田鉄矢氏が坂本龍馬について「出題」していた。

 どうせまた架空のウソ話「龍馬伝説」ばかりなんだろう、と思ってみていたら、やはりそうだった。
 曰く、“坂本龍馬は勝海舟と生涯師弟関係だった”。
 曰く、“坂本龍馬が大政奉還を思いついた”。
 曰く、“坂本龍馬は日本人同士の内戦を避ける為に、平和的解決手段として大政奉還を推し進めた”。
 曰く、“薩摩と長州が手を結ぶことを坂本龍馬が発案した”。
 曰く、“長州の為に薩摩名義で武器を購入するということを坂本龍馬が提案した”。

 全部、架空のウソ話「龍馬伝説」である。龍馬を持ち上げる為の後世の創作か、良くても根拠の無い想像に過ぎない。

 龍馬と土佐浪人一党が勝海舟責任下の公金50両(現代なら250万円程か)を無断で持ち出し踏み倒した「龍馬公金横領事件」発覚の頃から、龍馬と勝は完全に没交渉だ。

 大政奉還の発案者は幕臣大久保一翁(おおくぼ いちおう)と福井藩主松平春嶽(まつだいら しゅんがく)で、龍馬は彼らから大政奉還策を学んだ。

 龍馬は王政復古派の中の所謂「武力倒幕派」と「大政奉還派」 の間(と言っても両者は互いに連絡相談しながら仕事を進める仲で、対立しているわけではない。例えるなら一本の「王政復古トンネル」を山の両側から掘っている二つの班である)を状況によって右往左往していて全然「平和主義者」ではない。だいたい「平和主義者」が普段から拳銃なんか持ち歩き、捕縛を逃れる為とはいえ、捕り方を二人も射殺したりするわけがない。

 地元土佐を王政復古運動の先頭走者に一気に押し出す為の方策として、龍馬は受け売りの大政奉還策を後藤象二郎に示したとされる(この話にも確たる根拠があるわけではない)。其の後、龍馬は大政奉還に関しては全く何もしていない。それどころか、後藤象二郎が大政奉還策実現に奔走している頃、龍馬は所謂「武力討幕派」に擦り寄っていて、木戸孝允(きど たかよし)への手紙に「武力討幕派の乾(板垣)退助と相談し、後藤を土佐か長崎に引っ込める」旨の何の実力もない彼に出来るはずもないハッタリを書いたりしている。

 第三者で薩長提携を提唱したのは福岡は筑前勤王党の加藤司書(かとう ししょ)・月形洗蔵(つきがた せんぞう)・早川勇(はやかわ いさみ)らで、彼らに共鳴し実際に周旋活動をしたのは中岡慎太郎(なかおか しんたろう)と土方久元(ひじかた ひさもと)だ。しかし、実際に成立した薩長の和解提携は他ならぬ薩摩が自ら構想し西郷隆盛が中心になって工作を進め実現したもので、当時薩摩の庇護下にあった龍馬はそれに関連しただけだ。

 薩摩が長州の為の武器を替わりに購入することを龍馬が提案したという話に根拠は一切無い。

 全部、意図的なウソか根拠の無い想像である。史実ではない。

 龍馬が神戸における勝の海軍学校の塾頭だったという「海軍学校塾頭伝説」や、龍馬の新政府案に自身の名前が無いことを西郷が指摘すると“役人は嫌だ。わしは世界の海援隊をやりたい”と語ったという「世界の海援隊伝説」や、“短刀も拳銃も古い。これからは学問だ。”と言って『万国公法』の本を友人に示したという「短刀・拳銃・万国公法伝説」などは出てこなかったが、これらは単に時間が無くて使われなかっただけだろう。
 念の為に言っておくが、この三つも史実ではない。
 神戸における幕府操練所と勝私塾の筆頭で事実上の「塾頭」は佐藤与之助〔さとう よのすけ。のち政養(まさやす)〕という人物であり、龍馬ではない。
 新政府案『新官制擬定書』を作ったのは龍馬ではなく戸田雅楽〔とだ うた。後の尾崎三良(おざき さぶろう)〕という人物である。本来のそれには「参議」として龍馬の名前が挙げられており、龍馬本人も承知しているはず。西郷に新政府案を見せたのも龍馬ではなく戸田である。
 龍馬を自由民権運動の先駆者として無理やり位置付けた高知『土陽新聞』記者坂崎紫蘭(さかざき しらん)が自著に『新官制擬定書』を引用する際に“龍馬の名が後の政府高官らと並んで登場するのはマズイ”という判断から龍馬の名前を意図的に削除したのが、間違いの大元である。後に其れに“「役人は嫌だ。わしは世界の海援隊をやりたい」と語った”という話が付加された。
 万国公法の話も根拠の全く無い創作だ。

 この番組のチーフプロデューサー安田淳氏を始めとするテレビ屋さんがバカなのか、司馬遼太郎の空想歴史小説 『竜馬がゆく』其の他によって形成された“架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬”の姿を真実の龍馬と信じて愛好している残念な方々がバカなのか。両方なのだろう。

 「出題者」である武田鉄矢氏本人の口からどういう発言がなされるかを注目していたが、自身では殆ど何も言わずに流されるVTRを黙って見ているだけだった。彼は「龍馬伝説」の殆どが史実ではないことをちゃんと知っていて、そして、頬かむりしているのだろうと思った。
 武田氏は後半になって“龍馬が日本で初めてジーンズ(綿製の袴)を履いた”という「自作の都市伝説」を披露していた。
 坂本龍馬は気の毒にも「都市伝説」の塊だ。「ミスター都市伝説」「日本史上最強都市伝説有名人」といった称号を与えてもいいくらいだ。武田氏が本当に坂本龍馬を愛しているなら、これ以上根拠の無い「龍馬伝説」を付け加えるのは止めるべきだろう

 私は、歴史的実在の龍馬ではなく“架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬”を金儲けのネタにしている人物を「悪質龍馬業者」と呼んでいる。空想歴史萬画『お~い! 龍馬』の原作者である武田氏も、残念ながら、「悪質龍馬業者」の一人とせざるを得ない。彼がこのまま「悪質龍馬業者」で終わるのか、それとも、一大決心をして足を洗い懺悔と贖罪の道に進むのか、私は密かに注目している。もし後者の道を彼が選んだなら私は生涯武田氏のことを尊敬申し上げるのだが。。。


 


「監督義務を怠った親にも責任がある」確かに。

2010年03月04日 18時23分00秒 | 諸々

 未成年の子供が自殺したら、その親にも、親”責”者として、自殺を防げなかったことについて一定の責任があるのではないか。

>監督義務を怠った親にも責任がある

 仰る通りだ。完全に同意する。

 で、自分の子供の自殺を防げなかった「監督義務を怠った親」としてどのようにお考えか。是非、お話を伺いたい。

 以下、iZaより引用。

----------------引用開始

「いじめ苦に娘が自殺」両親が同級生らを提訴 岐阜地裁支部
産経新聞
2010/03/04 16:38更新
  岐阜県瑞浪市立中学2年の女子生徒=当時(14)=が平成18年、同級生のいじめを苦に自殺したとして、生徒の両親が4日、同級生4人とその両親に計約4900万円の損害賠償を求める訴訟を、岐阜地裁多治見支部に起こした。

 訴状によると、生徒と同級生4人は同じクラブに所属。日常的に「うざい、死ね」などと言われたり、無視されるなど、いじめを受け、18年10月に首をつって自殺したとされる。

 自宅で見つかった生徒のメモには4人の名前が記され、中学も「いじめがあった」と認めたことから、生徒の両親は「いじめと自殺に因果関係があり、監督義務を怠った親にも責任がある」と訴えた。

 同級生の代理人の一人は「訴状を見ていないのでコメントできない。いじめを行った事実はない」としている。

引用終了----------------


武士の誇りより命が大事 NHK『龍馬伝』第9回

2010年03月03日 00時03分00秒 | NHK大河ドラマ『龍馬伝』

 NHK『龍馬伝』(鈴木圭チーフプロデューサー)の龍馬は生命至上主義で、倫理・道徳とか道理とか人としての誇りなんかどうでもいいらしい。とてもあの時代の武士とは思えない。

 第九回「命の値段」で、土佐藩士山本琢磨が、拾った舶来品の懐中時計を道具屋に売ろうとして発覚する。当時の武士の倫理・常識からして問答無用で当然の如く切腹のはずだが、武市半平太は、奇妙にも、“彼の行為を許しては自分らの攘夷運動の妨げになる”という改めて必要とは思われない理由をワザワザつけて切腹を命じる。 

 龍馬はその話を聞くと、持ち主の商人に懐中時計を返し彼に頼み込んで役所への訴えを取り下げさせる。
 龍馬は藩邸に帰り、“訴えは取り下げられたので腹を切る必要は無くなった”という、倫理観とかいうものを全く無視した、店での窃盗を見つかって「金を払えばいいんでしょおお!」と開き直るオバサンと同程度のバカ報告を得意になってするが、武市ら他の土佐藩士たちは“品物を返し訴えを取り下げさせればそれでよいというものではない”という至極当たり前の反論をし、結局、山本琢磨はやはり切腹ということになる。 

 結局、龍馬は切腹の直前に山本を逃亡させる。 

 NHK反戦平和生命至上龍馬は、同じ藩の仲間である山本琢磨が他人の持ち物を私し金に換えようとしたことを恥ずかしいとも悲しいとも腹立たしいとも悔しいとも全く思わない。ただひたすら山本琢磨の命のことばかり心配している。倫理も道徳も道理も誇りも、NHK反戦平和生命至上龍馬には無価値なのだ。とにかく生命が第一なのだ。生きていることが至上の価値なのだ。 

 アホらしい。 

 命は動物にもあるが、倫理や道徳や道理や誇りは人間にしかない。大切な命をかけてもそれらを大事にし人間らしく生きる、人間でしか出来ない生き方をする、というのが人間だ。命が何より大事、生命第一、というのでは動物と何ら変わらない。
  NHK反戦平和生命至上龍馬は動物並みの実につまらない男だ。 

 その実につまらない男を英雄として持ち上げるNHK大河ドラマ『龍馬伝』は、彼の言動に託してこう言いたいらしい。
“とにかく命が何より大切なのです。倫理だとか道徳だとか道理だとか誇りだとか、そんなものは「命の大切さ」の前には無価値なのです。”
 そして、さらにこう付け加えたいのではないか?
 “だから、近い将来、中共サマが日本「解放」においでになった時は、武市らバカどものように「国を守る」などとくだらないことを言ってないで、「命の大切さ」を第一に考え、さっさと降伏するのがカッコ良くて正しいことなのです。”
 さすがにそんなことはないと思うが、そういう”ゲスの勘繰り”を、私はしてしまう。





 

 災害備蓄用に適した長期保存出来る水・食料は無駄にはなりません。よろしければ御購入ください。貧しいオジサンが大いに救われます。

 

龍馬殺害実行者は京都見廻組(きょうとみまわりぐみ) 松浦玲『坂本龍馬』

2010年03月01日 07時48分00秒 | 幕末維新

 坂本龍馬に関する最も手頃な入門書は、現在のところ、内容・分量・価格などを総合すると、幕末・明治期の政治・政治思想の研究家として著名な松浦玲氏による『坂本龍馬』(岩波新書 平成20年)であろうと思う。

 未だに「幕末最大のミステリー」などと時代遅れなことを言う人がいる龍馬殺害事件も、実行者は京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)であるなど殆ど解明されており、それらの重要事項が簡明にまとめられていて分かりやすい。(簡明すぎて、幕末の政局において八面六臂の大活躍をする“幕末の風雲児 坂本龍馬”のイメージにとりつかれたままの人にとっては、却って理解しづらいかもしれない。)

 以下、同書より引用する。

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犯人は見廻組

 しかし実行犯は実は見廻組(みまわりぐみ)だった。見廻組は元治元年に新設新任の京都見廻役の配下である。見廻役は大番頭(おおばんがしら)に 次ぐ格式で譜代大名もしくは上級の旗本が任命される。二人制で、各二百人の見廻組を率いて京都に詰めると決められた。見廻組には幕府直臣団中の腕の立つも のを集める方針だったが、なかなか揃わず見廻役は苦心した。坂本と中岡を斬ったときには最初の見廻役は既に辞任し、飯田藩主堀石見守義親(ちかのり)と旗本の小笠原弥三郎が在任中だった。

 坂本龍馬を捕縛せよ、手に余れば斬ってもよいとの命令を受けたのは見廻組の与頭(くみがしら)佐々木唯三郎である。佐々木は部下六人(あるいは七人)を引き連れて近江屋に赴き坂本を斬り、同席していた中岡をも斬った。襲撃メンバーのほとんどは鳥羽・伏見に始まる戊辰戦争で死んだが、箱館で降伏した今井信郎(のぶお)が兵部省および刑部省の取調べで自供し、ようやく真相が明らかとなった。世間一般が見廻組のことを知るのは今井の談話が本人には不本意な形で記事になった明治後半以降だけれども、取調べは明治三年(一八七〇)二月である。今井は自分が知る見廻役は小笠原弥八郎だと供述した。

  刑部省は静岡藩を通して小笠原を問いただした。徳川家は駿府(静岡)七十万石に削減されたので、独自の道を歩んだ旗本も少なくなかったのだが、行きどころのないものは無禄や禄の大幅削減を承知して静岡に移った。小笠原もそうである。隠居して忍斎と称していた小笠原は、静岡県の取調べに対し、その件に自分は無関係だと答えた。慶応三年(一八六七)の九月から病気で、十二月には願い通りに退役となる。ただし龍馬暗殺の十一月は退役前だから、配下の行為を知らなかったのは無念で恐れ入ると、その点だけを詫びた。静岡藩はその答弁書を刑部省に送り、小笠原の弁明は信用できると保証した。

 今井の自供は見廻り役が小笠原だったというだけで、与頭の佐々木唯三郎に命令したのが本当は誰か、老中か京都守護職か、そこまでは分からないというものだった。小笠原への追及は止まった。小笠原の回答と静岡藩の保証は四月のことである。

(中略)

 佐々木唯三郎に命令したのが誰かは、ついに解明されなかった。明治三年(一八七〇)二月に自供した今井信郎は同年九月に「禁固」の刑で静岡藩に引渡された。捕縛目的で同行したけれども討果たすときに直接手を下したのではないとの供述が認められての軽い処罰だった。静岡では海舟を何度も訪問しており、厳重に禁固されていたわけではない。明治五年一月には特赦となった。一九一八年(大正七)、七十九歳まで生きた今井は、晩年になって命令したのは見廻役の小笠原弥八郎だとの意見を披露した。一九〇九年(明治四十二)には木国史談会を主催する内村義城(ぎじょう)の質問に答えた手紙がある(市居浩一「今井信郎の書簡」『幕末史研究』二十三号、一九八三年)。明治三年の供述では、意識してこれを言わなかったのである。

引用終了--------------------

 

>捕縛目的で同行したけれども討果たすときに直接手を下したのではないとの供述が認められての軽い処罰だった。 

 龍馬殺害に関する所謂「薩摩藩黒幕説」の“証拠”の一つとして「今井信郎(いまい のぶお)は本来は死刑だったが西郷隆盛の助命によって減刑された」というウソ話を聞いたことがある。真相はこれである。
 そもそも、仮に薩摩や西郷が「黒幕」だったら、
「真相」を知り且つ将来それをバラす可能性のある今井をわざわざ助けるわけがない。臭いものには蓋。あちこちに手を回して絶対に死刑にするだろう。

今井の自供は見廻り役が小笠原だったというだけで、与頭の佐々木唯三郎に命令したのが本当は誰か、老中か京都守護職か、そこまでは分からないというものだった。

 京都見廻組に龍馬捕縛・殺害の「御指図(おさしず)」を出したのは、見廻組の上司である京都守護職の会津藩主松平容保(まつだいら かたもり)か、正規の指揮系統からは外れるが京都所司代の任にあった容保実弟の桑名藩主松平定敬(まつだいら さだあき)である、というのが最有力説であり、定説となりつつある。

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