楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

公園で見たエロクエンス

2006-04-07 12:52:59 | 芸術
 先にエロクエンスについて記した。
昔、教授に言われたものである。
「科学者は,ものごと小難しく言い過ぎていかん」
「バーで酒を飲んだ時、ホステスに肩書きなしにおもしろさ、そして感動を与えられるかどうかだ」
「ものを知り始めた若いやつはとくにいかん。ものごと小難しくいうことが偉いと思っている」
ホステスさんたちをバカにしているのでないか、と少々気になったが、
同じ分野のようでも少しでも分野が違うと、ことばがなかなか通じないのも事実である。
以上が前書き。

そして、ウイーンの公園で見つけた薄汚れた彫刻。
これがエロクエンスの難しさだ!と思った。

少し年取った偉ぶった風の紳士(学者かな?)。
それに寄り添う子どもを抱えた少女。
戸惑いながらも本から何かを必死に説明する紳士。
その説明以上に本に興味を持つ少女。
この少女の「知りたい」という思いは、この紳士の「よこしまな心」を乗り越えている!

なんて彫刻を眺めながら勝手な想像をすると楽しくなる。
彼女は確実に豊かな人生を送ったであろうと,これまた勝手に思ってしまう。
でも、この紳士のことばにエロクエンス(説得性)があったかどうかはわからない。
でも、影響を与えたのは確かであろう。そして難しさを学んだであろう。

学生諸君、君の研究は全くの門外漢に感動を与えられるかね?
エロクエンスのリンク、それが人を成長させ、科学を前へ進める。
(ウイーン市庁舎前公園の彫刻)

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もっと自由をー無表情からの脱出

2006-04-07 11:55:04 | 

 せっかくウイーンへ来たのに学会へ参加するだけで観光をせずに帰る?私に与えられた招待講演が終わり、昼に会議をして、夜にパーティー、今回の3つの予定が終わったので、少々むずむず。急遽,短時間だが観光をすることにした。

 学会はいつもこのような観光都市で開かれる場合が多いのだが、ほとんど観光をしたことがない.。1月にも別な会議でチューリッヒに3日も滞在したのに、3日間ホテルに缶詰。トンボ帰りで帰国した。こんな人生を送っていると専門バカになる!

 一昨年、イタリアのフィレンツの時は学会が1週間続いたので、人生でほとんど初めていってよい観光をタッブリしたではないか。そのことによって学ぶことはたくさんあった。いいのだ,観光をしたって。いや人生を豊かにするために観光の方が有益だ!今日は逃すことのできない興味深いセッションもない。と自分に言い聞かせて、一人で出かけることにした。人と一緒ではわずらわしい。横文字でおしゃべりもしなければならないし。

 まずは、観光の目玉からはずれている街中で行き当たったキャソリック教会。
私はクリスチャンでもなんでもないが、雑踏の中から突然、このような中へくるといつも厳かな気分になる。人はこのような場で怒りや悲しみや喜びや、あらゆる心を鎮めて穏やかに気持ちを見つけてまた生きる勇気をもらうのだな、と思う。この静寂と厳粛さは日本の仏教寺院でも同じであり、宗教が人の心の平安に果たしている大きな力に圧倒される。そして15分ほど静かに雰囲気に浸る。
 一方、このごてごての装飾に囲まれた雰囲気は、逆に枠に収まりきれない人、もっと何かを求める人には大きな抑圧となり,それが宗教改革からルネッサンス、そしてやがて近代へ突入する大きな歴史のうねりとなったのだな、ということを改めて感ずる。この心の齟齬を反芻する。

 次に、お決まりの博物館へ。
そこで絵を見る。やはり、中世のどの宗教画や宮殿肖像画も無表情かつ暗い。殺人などの残酷な絵の多さには、なぜ?と思ってしまう。ミケランジェロの絵や彫刻の豊かさに人々が圧倒的に感動したのは、無表情で、暗く長い、長い歴史から、とてつもない開放感を感じ取ったからであろう、と思う。一昨年のフィレンツェで実物に接した時の感動を思い出す。そして、その「心の開放」はルネサンスにおける科学のはじまりにつながる事はあまりにも良く知られている。ついでながら、このルネッサンス以降の芸術もやがて、19世紀後半、日本の浮世絵の影響を受けた印象派へとつづくのですね。 印象派もすばらしい!そして心の奥深さを描き出した現代芸術へと進化する壮大な人類の「無表情からの脱却の歴史」に圧倒されるばかりである。
 この「無表情からの脱却の歴史」を芸術の時の流れとするならば、かつては孤立していた世界各地で、それがどのような独自の展開をしたのか、次に知りたくなりますね。博物館や美術館はやはりいい!こうやって人は観光をするのだな、と改めて思う.

 そして最後に、ベートーベンの住んだアパート。
こんな狭いところで彼は苦悩していたのか!と思ってしまう.輝くばかりの壮大な建築物近くの安アパートの雰囲気である.遠い昔、中学の音楽の時間聞かされた「運命」に代表される彼の音楽の暗さと「田園」に感じることのできる春の気分を私は大好きになったが、それがこのような狭いアパートから作り出されたと思うと感慨深いものがある。音楽も宗教音楽や宮殿音楽における「無表情からの脱却」の歴史があるに違いない。常に新しいものを人間は追い求めずにはいられないのである。それは科学における「知りたい」と思う心と根底ではつながっている。ベートーベン館の道路向かいにウイーン大学の建物がある。

 たった3時間の観光であったが勝手に楽しんだ。
明日からまた、頑張ろうという気分にさせてくれた。
さ、慌ただしく帰国の準備だ!日本では新学期がはじまり、学生達が待っている。
(写真はベートーベンの住んだアパート脇から見えるウイーン大学)
コメント (2)
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