楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

いい論文をかこう(8) 図面

2007-12-06 23:10:11 | 科学
そうそう、データの節へ行く前に図面について。
論文には図面はつきもの。

もういちど読者の立場に立つ。
あなたならどうする?
タイトルを見て、著者を眺めて、abstractを見て読むかどうか決める?
abstractの前に、パラパラっとめくって図を見る?そして読むためにコピーする?

そう、図は比較的早い時期に見るね。
私が学生で修行中の時は英語もまだすっとは入ってこない。
なぜなら専門用語すらまだよくわからない時である。
そんなレベルの時は図面が、その論文を読むかどうかの決め手の一つであった。
もちろん今でも、図面を眺めながら文を読むね。

ってなわけで、図面は極めて大事ですね。
さて、図面はほとんど最終版のものを、論文を書き始める前に用意することを鉄則とすべし、
と私は学生に強調している。
なぜなら図面を仕上げる段階で、データなどに対して思いを巡らせられるからである。
そして、言いたい事にフォーカスを当てた図面が仕上がる。
文章は、それを説明するように書いていけば良いのである。
その段階で構想が出来ていれば、「一気書き」となる。
書き始めてもまだ、原図であったり、書きながら図面をつくったりすると、何度も試行錯誤を繰り返すことになり論文は仕上がらない。結局何を書きたいのかまとまりもせず、挫折につながる。
くれぐれもまず図面を完成させ、言いたい事を、書き始める前にはっきりさせる事。
これを貫徹しましょう。
もちろん、書いている過程でもっとはっきりして書き直すなんてのはOKです。

それからもう一つ大事な事。
図面の中に必ず、「教科書にも引用されてよい、とっておきの一枚」を入れろ、ということ。
これは私私が博士課程のとき、言われた名言。
かわいくてかわいてくてどうしようもない一枚の絵。
それを必ず入れろと。

(まさにラブレターだね。
思いの込められた文章の間に、可憐な4葉のクローバーの押し花が配置されていたりすると、もうそれだけで満足!
おっとと、また逸れた。)

すると、その思いは読者に届く。
そして、教科書にも引用される名図面となり、名論文となる、なんてね。
夢でいいのです。夢は大きく見て、楽しみながら論文を書く事が大事です。

地球科学は、そのような思いの入った図面が世の中を変えて来た、と思う。
是非、思いを入れてましょう。


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いい論文をかこう (7) 方法

2007-12-06 21:36:17 | 科学
私の別な人生にちょっと寄り道をしてしまった。

さて、いい論文をかこう (7)の今回は、起承転結の承にあたる方法。

ここは、データを取得した、あるいは調査を終えた人にはもう方法は明確。
要点はいかに整理をして示すかである。

研究に方法には2種類ある。
すでに確立している方法で、それを用いた対象が新しい場合。
そして方法自身が新しい場合。

あなたの用いた方法はどちら?

地球科学では、物理や化学や生物学などの他のサイエンスで用いられている方法を地球という対象に適用した研究が圧倒的である。それは、「地球科学というのは所詮、物理化学の応用科学である」と自ら卑下することにもつながっている。

しかし、「本当に単なる応用科学なのか?」これはこの地球科学というものをどう位置づけるかという科学哲学の問題につながるが、そのテーマはまたの機会としよう。

重要なのは、適用された方法であろうと、新しい方法であろうと、そこから引き出された「事実」である。
引き出された「事実」が常識を覆すものであればあるほど、その方法の価値は高まり、その種の研究が連鎖反応を引き出しブームとなる。そのようにして科学は前へ進んで来た。

地球科学でいえば、20世紀の最大のハイライトの一つに地球の年齢の研究があるね。
放射性同位体が20世紀はじめに発見された。
19世紀の地球科学、地質学の不滅の方法「切って切られた」関係を使って岩石の古いもの探しの大レースと組み合わせ、瞬く間に地球の歴史の時間が解き明かされた。なんてのは物理学の発見、方法が地球へ適用され、地球の年齢という「地球科学の課題が解かれた例だね。

そのようなことは山のようにある。地球科学が他の科学の動向、方法なくして前へ進めないことの1つの例だ。
しかし、科学はそのような一方通行だけではない。
実はそこが、地質学や地球物理学を物理や化学より下に見る「卑屈の科学」から「自信の科学」へ変える重要なポイントなのだが、それはまたの機会に論じよう。

というわけで、方法といっても実は奥が深い。
そんなこともちょっと考えながら、方法の節をきちんと書くこと。それは次の節のデータがきちんとした新しい観測であることを説得できるかどうかの分かれ目である。その対象に対して同じ方法で研究をすれば同じ結果になるはず、という再現性を保障できるかどうかのポイントがここにある。

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風の果て、なお足るを知らず

2007-12-06 21:00:21 | 人間
藤沢周平、同名のNHKドラマ最終回。
すでに読んでいたが、よいドラマであった。

人間とは欲深い。
たどり着いても、命尽きるまで、どこまでも夢を追う。
未だたどり着いたことのない地平へいった、と他から見えても満足はしない。
なぜならたどりついてしまったのであるからである。

人生に「あがり」はないのである。

しかし、である。
血のたぎる度合いが緩やかになる。
そして、穏やかな時が、夢となる。

血のたぎる人生がある。そして穏やかな人生がある。
今日は朝からそんな日であったなと。

そして夜に良いドラマを見せてもらった。

「風の果て、なお足るを知らず」
いい響きだ。




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日本宗教史

2007-12-06 02:04:27 | 歴史
日本宗教史 (岩波新書)
末木 文美士
岩波書店

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久々の読書だ。
なかなか面白く一気読みした。またまた電車通勤読書+アルファ。
よくま~、忙しいのに読むね。と自分にいう。でも、これがないとね。息が詰まるし。

どこが面白かったかって?
古事記や日本書紀には、仏教の輸入の色彩が色濃いというところ。
そこが、今までの常識というか、私の貧相な認識と違って新しい。
古事記や日本書紀に依存し、天皇の系譜を天照大神(お伊勢さんだ!)以来と解く神道は古来の日本宗教である、という常識は間違っている!というのが著者のオリジナルな主張。

確かに古事記や日本書紀がまとめられた時代は仏教推進の聖徳太子よりずっと後だしね。天皇家は仏教に帰依していた訳だし。あたりまえのことだね。さすが、仏教学者。

そのおせおせ仏教も戦国まで。それでも1000年は圧倒的に君臨した、ということだ。
いろいろ分派は生まれたが。
しかし、江戸時代に入ると、葬式仏教となったので、神道はむしろ儒教と仲良くなったとか。
「仁智礼義信」。
そして、江戸末期、「この紋所が眼に入らぬか~~」の黄門さま以来の水戸学派が、神道を強化。
それが攘夷思想とつながり、明治維新。国家神道へ。
そして、第2次世界大戦の大悲劇へと突入する。

宗教と政治と日本の歴史を一気に俯瞰した。

ドラマ人間模様で面白いね。
この前行った、伊勢の外宮、内宮の確執なんてのも面白いね。

ちなみに私は宗教に興味があるのではなく、そこにいる人間に興味があるのです。





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